Tag: リハビリテーション

会話の工夫7

認知症のある方と接していると
時には理不尽な言葉を投げかけられたり
思いもよらぬ行動をされてしまうこともあると思います。

「病気がさせている」
「状況理解ができなくて結果としてそうなってしまっているだけ」

頭ではわかっていても
いくらプロフェッショナルだからといっても
こちらも人間ですから怒りの感情が湧いてくることだってあります。

そんな時、どうしていますか?

いろいろな生活障害やBPSDのある方を
長年対象に働いているので
それはいろいろなことがありました。。。

自分の怒りの感情をそのままぶつけてしまうことのないように
私がしていることは「口を大きく開けた笑い顔を作る」ことです。
口角を上げて微笑むのではなくて、破顔一笑と言った感じの笑い顔をします。

人間、大笑いの表情では怒れないものです。
試しに鏡の前で大笑いの表情で怒った口調で怒った言葉を言おうとしてみてください。

あまりのヘンテコさ、アンバランスさに
それこそ本当に笑いたくなってきて、怒りの感情をぶつけずに済みます。

それから
認知症のある方の感情を言語化して確認したり
自分の感情を言語化して i メッセージで伝えたりします。

いろいろな方法で自分の感情を抑圧するのは
その場では手っ取り早いかもしれませんが
感情に蓋をしただけで感情がどこかに消えたわけではありません。
たとえ自覚していないとしても。
(だから抑圧)
後々古傷となってさらに大きな感情となって再登場することもありえるので
そうせざるをえない局面もあるのでしょうけれど
私は推奨はしません。
そのことは後日また改めて。

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会話の工夫6

認知症のある方とお話する時には
口調も内容も
認知症のある方の特性・興味に合わせるようにしています。

小さめの声量の方には
小さめの声で

ゆったりした口調の方には
ゆったりと

弾むような口調の方には
こちらも弾むように

ユーモアたっぷりな方には
ユーモアを交えて

礼儀正しい方には
こちらもいつも以上に礼儀正しく

認知症のある方の表現の特徴を
私は理解し受け止めましたということを暗黙のうちに伝える意味で
相手に合わせるようにしています。

 

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会話の工夫5

臨床あるある、現場あるあるな
「声問題」として、ダブルメッセージについて書いていきます。

ファミレスやファーストフードのお店に行くと
店員さんがとても丁寧な言葉を使って対応してくれます。
でも、言葉とはウラハラな声だとすごく違和感があります。
気忙しそうな声だったり、平板な声だったり
言葉と声とに、乖離がある。

きっと、マニュアルで「言うべき言葉」があるから
それに従って言っているんでしょうし
こちらだって、ファミレスやファーストフードのお店に求めるものは
簡便さであって心地良さ・快適さではないし
仕事柄、大変なんだろうなーと思ってしまいますが。

ただ、言葉と声の乖離による明確なダブルメッセージを実感する場でもあります。

実際、臨床現場では本当に様々なことが起こりますから(^^;
声に気ぜわしさが現れてしまいがちです。

言葉と声が乖離していると
メッセージの受け手は混乱してしまいます。

認知症のある方、
特にアルツハイマー 型認知症の進行例や意味性認知症では
言語理解力が低下するので
何を言うか、という言葉の選択以前に
どんな声で言うか、という声が
コミュニケーションで重要な位置を占めているということは
もっと強調されてもよいのではないかと感じています。

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会話の工夫4

逆に
認知症のある方の声に、対人援助職が反応してしまうこともあります。

表面的には
認知症のある方の、大声、わがまま、といった「問題」として設定されがちですが
実際には
認知症のある方の声に対人援助職が反応して陰性感情を投影してしまい
大声やわがままというカタチで現れている「本心」を聴くことを回避してしまう。
そうすると諸々の「対応」を検討しても悪循環になってしまう。。。

現場あるあるではないでしょうか?

認知症のある方の「声」に耳を澄ますことで
自分の陰性感情と距離を取りやすくなり
「声」に影響を受けずに、あるいは影響を受けていることを自覚できるようになる。
まずは、そこから。

同時に
自分の声をコントロールすることを意識することはもっと大事。
でも
実際、気をつけている人って少ないんじゃないかな?

逆に
認知症のある方が情緒的に不安定な時やBPSDの最中には
「声」にも変化が現れます。
情緒的に安定してくると「声」も安定してくる。
それはもう、テキメンに違います。

認知症のある方も
対人援助職も
「声」に反応しあっている側面は、認識されにくいけれど非常に多いと感じています。

認知症のある方の声の状態を情報収集の一環として収集し
収集する際の自分自身の声の状態を自覚する。

臨床的、現場的には
非常に重要かつ実際的なのに
何故だか、案外見落とされがちな「声」
もうちょっと書いていきます。

 

 

 

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会話の工夫3

声には感情が
言葉には意思が現れる

声かけの工夫では
「何を言うか」と言うことが議論・検討されるけれど
声のコントロールが議論・検討されることは少ないように感じています。

実際には、声によって伝わってしまうことがとっても多い。

自分の声をコントロールできるように
少なくとも自覚できるように

そうすると
自分の陰性感情を認知症のある方に
そのままぶつけてしまうようなことを回避しやすくなると思います。

 

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会話の工夫2

復唱する時には
基本的には、言い換えないようにしています。

特に、認知症のある方が言われた最初の発言に対して答える時には
相手が使った言葉をそのまま使うようにしています。

「便所」と言われたら、
「便所」と言って「トイレ」「お手洗い」とは言わないようにしています。

認知症のある方が使った言葉をそのまま私も使うようにしています。
特に、意思疎通困難な方が使った言葉は言い換えないようにしています。

さほど、疎通困難ではない方でも
「便所」と言った方に
「お手洗いですか?」と言い換えて復唱すると
「手は洗わない」と言われたりします。

その方になじみのある言葉は、意味が明確に伝わりやすいと感じています。

また、相手が言った言葉を言い換えずにそのまま使うのは
クレーム対応の一環としても行われていると何かで読んだ記憶があります。
なるほどなーと思ったものです。

あなたの言葉を確かに受け止めました
ということを明確に伝える。

会話のドアを開く
言葉のキャッチボールの準備をする

ほんのちょっとしたことですが
今すぐにでもできること

 

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会話の工夫

認知症のある方と会話する時に気をつけていることです。

それは、復唱すること

認知症のある方から
訴えというカタチで声をかけてくる時は
たいてい不安な気持ちを抱えておられるように感じています。

だから
認知症のある方の言葉を復唱してから答えるようにしています。

「便所、どこ?」
「便所ですね。ご案内します。」

「カバンがない」
「カバンのことが心配なんですね。どんなカバン?」

認知症のある方の言葉を受け止めました
ということを伝えるために、復唱するようにしています。

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検討の順序

認知症のある方の大声や不穏や訴えには必然がある。
(理由や原因ではなくて)

その必然を認知症のある方が語れるように援助するのではなくて
表面的にしなくなるように。という意図のもとに
褒めたり優しくしたり笑わせたりするのは
適切なことなのでしょうか?
すごく失礼なことなのではないでしょうか?

もちろん、その時その場の状況によっては
優先順位というものがあると思いますが
(そして暮らしに密着した場面であればあるほど
暮らしを円滑に回すということが要請されると思いますが)
それは別の話です。

混同して検討するから援助する人も認知症のある方も混乱してしまう。
そうすると悪循環になってしまいます。

いったんは
状況とは別個に
認知症のある方自身の能力と困難と特性とを把握した上で
大声や不穏や訴えというカタチの表現があった状況との相互作用について検討する。

そうすると、
認知症のある方に何が起こっているのか、
どう対応したら
認知症のある方の能力を合理的に発揮する援助ができるか
ということが観えてきます。

状況が要請する優先順位と
認知症のある方の能力発揮との兼ね合いについては
それを終えてから検討すれば整理しやすくなります。

「一生懸命優しくして褒めているのに効果がない」
と困っている人はきっとたくさんいると思います。
(私にしたら、「!」だし、だからなのよと言いたい気持ちもあるけど)

それは
あなたの優しさが足りないわけではないし
褒め方が足りないわけでもない。
検討の方向性と順位と、そもそもの前提が違う方向を向いていた
(向かされていた)だけ

だとしたら、違う前提のもとで、違う検討と対応をすればいいだけ
そうしたら
同じ認知症のある方なのに、今までとは全然違う現実が観えてくる
それは信頼をベースにした現実

安易な道ではないから
今までとは別の苦しさ辛さもあるけど
選んだ人には、今までの方法論との違いが明確に認識できるようになる

 

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