Tag: リハビリテーション

食事訓練に愛用中:かっぱえびせん

スーパーで売ってる
かっぱえびせんミニ4

食事訓練に愛用しています。

小袋タイプなので
1袋を1〜2回で使い切ることができるし
4袋入って100円くらいと安価で購入できます。

なんといっても
幅広い年代の方が食べたことのある
パッケージの見た目と味

手続き記憶に残っているから
目で見て舌で味わって
「食べる」を再認しやすいのが良いところ

食事を全介助で咀嚼の能力を発揮してもらいたい時にも
スプーン操作の前段階として「手」を「手」として使う上肢操作の練習として
手で摘んで食べる時にも
どちらにも使えます。

重度の認知症のある方に
食べる練習をする時には
言葉だけに頼った声かけをするのではなくて
体性感覚、とりわけ視覚を意識して伝える工夫が大切です。

だから、パッケージは捨てずにとっておきます。

「〇〇さん、これ食べてみましょうか」
と言う時に、かっぱえびせんのパッケージを見せながら声をかけると効果的

いつでもすぐに使えるように
職場に常備してあります。

私のおやつ用ではありませんよー。
れっきとしたリハ用としてキープしてあります。

 

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学ぶことは変わること

学ぶことは変わること

対象者の方も

行動変容には時間がかかる

重度の認知症のある方も
持っている能力を合理的に発揮できるようになるためには

時間がかかる

その変化を待たねば

学生であれば
脳の中に新たな回路を刻み、

今までとは異なる回路が機能するようになるまで待たねば

重度の認知症のある方であれば
脳の中にある回路を繋ぐ新たな回路が機能するまで
あるいはもともとあった回路が再び機能するようになるまで

待たねば

この時間はとても繊細な時間

変化しようと意図しても
できなかったり(回路が繋がらない)
失敗したり(回路が混線する)

元に戻ったり(古い回路が優勢)

それらは変化を意図するからこその失敗

あって当たり前の失敗

見た目には
不適切な言動であっても

不用意な安易な言動とは全く異なる

見守らなくてはいけない
それで良いのだと

ここが頑張りどきだと

伝えてくれる、見守ってくれる人がいたら

どんなに心強いだろう

今までとは違うということを
わかってくれる人がいたら
どんなに励まされることだろう

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困ることは成長への扉

困ることは成長できる機会なのだから
困れることは良いコト
成長できる良いチャンス

仕事をしていれば
さて、どうしよう?
と思うことはいくらでも巡ってくる

今までの自分からもう一歩成長できるチャンスなんだから
困ることができるのは真摯に仕事に自分に向き合っている証とも言える

今までの自分の見方を広げてくれたり深めてくれたり
一段と深いレベルで再確認させてくれたり
思いもよらぬブレークスルーへの扉だったりする

本当は
自分が困ったと自覚できるもっと前の段階で
何かしらの違和感があったはずなんだけど
自分にとって必要なことはカタチを変えて繰り返し起こる
自分にとって準備ができた時に「困る」という自覚を伴って
起こっていることが明確にわかるようになる

ピンチはチャンス
問題は目の前にあるのと同じように
解決への道筋も目の前にある

見ているだけではわからないことも
じっと観る
観ることができれば洞察できるようになる
そうすると自然と解決策も浮かび上がってくる

そのためには知識を身につけねば
身につけた知識を根拠に観察せねば

安寧のために
目をつぶり
耳を塞ぎ
口からその場しのぎの言葉を紡いでいるうちに
目を見開き
耳をすまし
問いかけるということを忘れてしまう

でもそれは、忘れただけで眠っているだけで失ってしまったわけではない

意図すればもう一度誰でも困れるようになる
困ることすらできない人から脱却できる

ただし
誰かから与えられるものではなくて
天から降ってくるものでもなくて
自らの手の中にあるものだから意思しなければ

学ぶということは
ラクになることではない

学ぶということは
知識や手技を鎧兜のように身につけることでもない

天高く
海深く
たった一人でも
飛翔するための翼を
潜泳するための鰭を
自らに見出す過程なのだと思う

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自立度を維持するための全介助:カタチと働き

ADLの自立度を維持するためには
例えば立ち上がりや移乗動作を維持するためには
全介助の場面を作ることが必要な場合もあります。

全介助によって身体の働きを高める機会を作る。

身体の働きを維持する、高めるために必要なことは
人によって異なります。

自立度を高めるためには
なんでも一人でやらせれば
一人でやる能力が維持できるとは限りません。

一人でやるだけの身体の働きを保てる

その部分をちゃんと観察・洞察・評価しなければ。

普段の移乗動作は自分一人で頑張ってやってもらって
リハの場面では全介助で両下肢で自重を支えながら抗重力伸展活動を行うことで
普段の移乗動作の自立度が保てる方もいれば
(自立度を保つために介助場面が必要)

普段の移動は杖歩行で自分一人で頑張って歩いていただき
リハの場面では杖を使わずに両下肢での動的バランスの維持を行うことで
普段の移動能力の自立度が保てる方もいる。
(自立度を保つために杖なしというより高い場面設定が必要)

移乗動作の自立度を維持するために一人でやらせれば維持できるわけではなく
移動能力の自立度を維持するために漫然と杖で長時間歩くだけでは維持できるとは限らない。

実際の動作という「カタチ」には
身体の困難だけではなく必然性も含めた身体の「働き」が反映されている
「働き」を観察・洞察・評価できれば
自ずと自立度を保つために必要なことが浮かび上がってくる。

「カタチ」だけ見て
「カタチ」だけ修正しようと
言うのではなく
「カタチ」に反映されている「働き」を観て
「働き」を高める(否定・修正するのではなく)方策を実践できる。

表面的には同じように見えるかもしれないけれど
全く異なる在りようと関与の仕方です。

 

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結果としてできるように:「前を向いて」?

身体に必要なことを
身体は常に行なっている。

必然があってしていることに対して
表面的に修正させようとして「言う」ことは
必然のある身体の対応を否定することになってしまいます。

下を向いて歩いているお年寄りのリハ場面で
「前を向いて」
「顔を上げて」
と「言う」。。。

でも
いくら「言って」も「直らない」
まさしく、文字通りに。

必然性のある身体の働きを否定されることは
身体にとって不利益になるから。
身体は身体を総体として守っている。

必然があって下を向いて歩いているのだから
下を向いている必然性のある身体の働きを観察・洞察・評価して
下を向くよりも前を向く方がより良い働きの反映になるように
身体の働きをトレーニング「できる」ようになることを考えるのがプロなんじゃないかな?

その時にすべきことは
「何回も言ってるでしょう?」と「言う」ことではなくて
言わなくても対象者の身体が「できるようにする」ことだよね。

身体が身体を守らなくても済むようになれば
総体としての働きがカタチになって現れる。

ここでも
食事介助と全く同じ問題が違うカタチで現れています。

「ちゃんと食べてね」
「口を開けて」
と「言う」のではなくて「できるようにする」

必然があって「ちゃんと食べない」「口を開けない」
その必然を観察・洞察・評価しなくては。

下を向いて歩いている必然性を観察・洞察・評価しなくては。

ちなみに
下を向いて歩いている方は
たいていの場合に、非麻痺側や骨折していない側の足の
遊脚期に足関節の背屈が起こらない「ベタ足歩き」になっていることが多いです。

「歩く時には良い方の足の動きに気をつける」

↑ の記事に書いていますが
いわゆる「問題のない」「良い」足のベタ足歩きがなくなってくると
結果として前を向いて歩けるようになってくる方がとても多かったです。

 

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結果としてできるように:「足を大きく前に」?

結果としてできるように
ということを考えています。

どういうことかというと
直接的には「させない」という意味です。

例えば
歩幅が狭いから歩幅を広く歩くように
「足をもっと前に出すように」とは「言わない」

「後に残っている脚の膝の裏側を伸ばすように」意識しながら歩いてもらいます。

つまり
大腿四頭筋を意識して使うのではなくて
ハムストリングスを動きの中で使うように促します。

「え?」と思った方は試してみて。
結果として足が前に出やすくなり
結果として歩幅が広くなるから。

廃用や低運動の問題として
「筋力低下」ってよく言われるけれど
私は疑問に感じています。

筋力低下は結果として起こっている
筋力低下をきたす必然がある
主要問題は身体の使い方、身体の働きの低下であって
筋力低下は二次的に起こっている。

ところが
現行の多くの方法論では
身体の働きを高めずに筋力を強化するから
筋力で過剰代償させてしまっているから
身体の働きを高めるどころか、低めてしまう。

その場の「やった感」「がんばった感」はあっても
動作の改善にはつながらず、身体を痛めてしまうから続けることが難しい。

何回も書いていますが
立ち上がり100回なんて百害あって一利なしですよー。

二次的に起こっていることに対して
表面的な対応だけしてしまうと
(そしてその対応は表面的にでも、見えているからこそセラピストも本人も必要だと誤認しやすい)
一時的には改善したように見えても
それは代償しているだけだから
本質的な改善にはつながらなくて
長期的には逆効果になってしまう。

不適切なスプーン操作にすら適応して誤学習が生じるのと
全く同じことが違うカタチで現れているだけ。

人間の身体は本当に凄い

環境を意識的・無意識的に感受し
総体として常に適応しようとしている。

 

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「あれ?立てた」6

能力を発揮しながら身体を硬くせずに
立ち上がり・立位保持ができるようになるために私が行っていること

1)股関節周囲筋の可動性を上げる
2)骨盤帯と体幹の分離を高める
3)体幹の抗重力伸展活動を高める
4)体幹と肩甲帯の分離を高める
5)骨盤帯と体幹が分離した立ち上がり体験
6)肩甲帯と体幹が分離した立ち上がり体験
7)以上の要素を総合的に含めた立ち上がり-立位保持体験

動ける身体を作る
動けるようになった身体に動かし方を伝える
実際の動作場面の中で動かし方の実践を総合的に行う

何かの動作ができる
ということは、動作遂行に必要な機能・働きができるという
結果として動作ができる。ということを意味します。

結果として起こることを
表面的に何回もやらせるだけでは「結果」につながらないし
結果につながるように「働き」を高めることが必要です。

ROMは結果として広がっていくので
ROM-Ex.だけやっても働きが高まるとは言い難い面があります。
評価のもとにきちんとROM-Ex.をやらないと逆効果になってしまいます。

生活期の方においては
私はあんまりROM-Ex.は行いません。
ポジショニングとかリラクゼーションはやるし
ROMの確認はしてるけど。

本当にお身体がガチガチになってしまっている方が多いです。

ガチガチの身体では動きたくても動けないし
寝ても休息できないから筋疲労も脳疲労も解消されず
余計に身体が動けない状態になってしまっています。
まずはそこから改善し
動ける身体になってから
身体の使い方を再学習しながら動作練習をしていきます。

そして
必要なのは実際の場面そのもので再学習しながら練習することと
その時に失敗や不全感を抱かせないように場面設定することです。

前の記事(「あれ?立てた」シリーズ)で書きましたが
体験を通して再認できる認知症のある方は大勢います。

「できた」「ラクに動ける」という再認をしながら
体験学習ができることが肝要です。

「立ち上がらせてる」と立ち上がれなくなります。
「食べさせてる」から食べられなくなる
のと全く同じ構図が違うカタチで現れているだけです。

「立ち上がる援助」をすれば、立ち上がれるようになり
「食べる援助」をすれば、食べられるようになる

「意図こそが重要」(スティーブ・ジョブズ)

見た目は同じに見えるかもしれません。
認知症のある方の移乗動作をしている
認知症のある方の食事介助をしている

同じ場面で真逆のことは起こり得る

ADL介助、とりわけ、立ち上がりは
1日に何回も繰り返し行われる動作です。

常にチャンスもピンチも起こり得る

課題も解決への道筋も内包している

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「あれ?立てた」5

トランスファーの場面で
膝も股関節も屈曲してしまい
全身に過剰に力が入って硬くなってしまう方だと
重介助になってしまいます。

その方、ベッドで端座位をとって靴の脱ぎ履きをする時に
コロンと後方にひっくり返りそうになりませんか?

仰向けに寝ていても
全身がまるで一本の丸太のようにガチガチになっていませんか?
骨盤と肩甲帯の間で分離運動ができていない状態ではありませんか?

このような状態像の方は
「筋力低下のために移乗動作全介助」と誤認されることが多いものですが
表面的に関節可動域訓練や大腿四頭筋の筋力強化などをしているだけだと
逆効果になってしまい本当に筋力低下を起こし寝たきりになってしまう恐れが非常に高いケースです。

そのような方法は
ご本人にとっても介助する人にとっても良いコトがありません。
今現在も将来にわたっても。

もしも膝や股関節に屈曲拘縮を起こしていて
トランスファーの時に足が伸びなかったとしても
ベッドに寝ていただいた時に伸展制限がマイナス30度くらいであれば
トランスファーの自立度が向上し介助量軽減できる可能性が高いです。
立ち上がりの時の身体の使い方が改善し
立位保持の時に下肢で自重を支えられるようになる可能性が高いです。

どうするかというと。。。(続く)

 

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