Tag: 食事介助

論理的に考える:ムセたらトロミ

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ムセたら食事を中止する人も多いけど
ムセたら飲み物にすぐにトロミをつける人もとても多いですよね。

確かに、トロミは飲み物の粘性を高めてゆっくり通過するので
喉頭挙上のタイミングが遅い人には有益だったりします。

ですが、ムセたからトロミをつけたのに、まだムセる方もいます。
そうするとすぐに、もっとトロミをつけていませんか?
「トロミ剤を大さじ3杯入れるように」って言った人もいましたけど
トロミ剤大さじ2杯でも結構ベッタリと口腔内や咽頭にへばりついて違和感バリバリです。
介助に従事する人は是非トロミ剤を入れた飲み物を飲んでみていただきたいものです。

誤解のないように付け加えると私が若い頃に比べるとトロミ剤はとても進化しています。
昔は変な匂いと味がしてもっとベッタベッタにへばりつく感じがしましたが
最近のトロミは変な匂いや味はほとんどしなくなって
へばりつきもずっと少なくなってきていると感じています。
トロミ剤があるから、水分を安全に飲める方がたくさんいます。

ただし、どんなに良いものでも扱い方が不適切であれば
効果があるどころか逆効果になることすら起こり得ます。

それが、口腔期に問題があって二次的に咽頭期の能力低下が起こっているケースです。
実は、そのようなケースは生活期にある方や認知症のある方にとても多いのです。

不適切なスプーン操作によって誤介助誤学習が生じ
舌が後方へ引っ込んでしまったり
板のようにガチガチに固くなってしまうと
舌のしなやかな動きが損なわれてしまって
スムーズに食塊を再形成したり
送り込んだりする働きが低下してしまいます。
その結果、喉頭挙上の動きまで損なわれてしまうのです。

舌の動きが低下しているのに
トロミをたくさんつけて粘性を高めれば
ただでさえ動きの悪い舌にもっと負担をかけることになってしまいます。
だから送り込みがうまくできなかったり
喉頭挙上の動きが阻害されてしまい、ムセてしまう。
つまり、咽頭期に本質的な問題があるのではなくて
口腔期に本質的な問題がある方に
トロミをつけると逆効果
になってしまうのです。

このようなケースはとても多いのに
「ムセたらトロミ、まだムセたらもっとトロミ」
をつけることによってますます食べにくくさせてしまいます。

摂食・嚥下5相にそって食べ方を観察すると
本来の困難が咽頭期にあるのか、口腔期にあるのか、
観察することができるようになります。
口腔期に本質的な問題があって咽頭期の能力が保たれている場合には
むしろ粘性は下げてトロミは必要最低限にしてから、
食べ方・飲み方の再学習を行う
誤嚥することなく安全にスムーズに食べたり飲んだりすることができるようになります。
舌が動くようになってきたら段階的に食形態をあげることも可能になります。

ムセたらトロミ、というパターン化した対応はもう卒業しましょう。

ムセてもムセていなくても食べ方をきちんと観察するようにしましょう。

 

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論理的に考える:ムセたら食事中止

誤解している人がとても多いと思います。
食事中に強く激しくムセたら食事を中止させていませんか?

そのような判断をする人は
「強く激しいムセ=ひどい誤嚥」と誤解しています。
ムセとは何か?がわかっていないのです。

確かに誤嚥すればムセは起こりますが
ムセとは異物喀出する生体防御反応です。
強く激しくムセたということは、異物喀出力の高さ、つまり
異物をしっかり喀出しようとする能力があることを示しています。
強くムセることができるのは良いことなのです。

ムセたら食事を中止するのではなくて
ムセたら呼気の介助をしてしっかりとムセきってもらいます。
落ち着いたら声を確認して清明な声であれば食事を再開することができます。

ところが
ムセとは何か?を知らずに
周囲が行っているから
今までそうしていたから
という理由にもならない理由で
漫然とムセたら食事中止という対応がまだまだ多いのが現実です。

むしろ、中止すべきなのは異物喀出能力の低下を示唆するムセ方です。
弱々しくしかムセられない
痰がらみのムセ
遷延するムセ。。。

これらの方は要注意ですけど
概念の本質が理解できていないと
弱々しくしかムセられない、異物を喀出しきれていないのに目立たないから
そのまま食事を継続させられたりしてしまいます。
逆なんです。

そして
ムセとは異物喀出作用なのに
なぜかムセの有無が食べ方の指標になってしまっています。

曰く
「ムセることなくお食事を全量召し上がられました」。。。
「今日は途中でムセたのでお食事を半量ほど摂取したところで終了しました」。。。

あちこちで何回も書き、機会あるごとにお話していますが
ムセは異物喀出作用なので食べ方の指標にはなり得ません。
摂食・嚥下5相に則って、きちんと食べ方を観察しましょう。
その方の本来の食べるチカラを見出せるように、きちんと介助できるようになりましょう。

上唇を丸めて食塊を取り込めているか
舌で食塊再形成ができているか
送り込みが円滑にできているか
喉頭は完全挙上できているか
など、観察すべきポイントがたくさんあります。

 

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結果から状態を観察し必然を洞察する:食事介助

非麻痺側のべた足歩き

私が他の人と違うところがあるとしたら観察の深度だと思う。

例えば
「ためこんで飲み込んでくれない」と質問する人は多いけれど
ためこみって、結果として起こっていることなんです。

食事をためこんでしまう方は
食べたくないからためこむ訳ではなくて
食べたくて食べようとして、でも食べられないケースが圧倒的に多いものです。

なぜ
ためこんでしまうのか、食べようとして食べられないのか
というと、圧倒的に多いのが舌の硬さです。
まるで、かまぼこ板のように舌がガチガチに硬くなっていることが多々あります。

舌が硬くなっているという状態の結果、
スムーズに送り込みができなくなり、ためこみという結果となって現れているのです。
じゃあ、なぜ、舌がそんなに硬くなってしまうのかというと
これは、十中八九、誤介助が理由です。
対象者の方に本質的な問題があるわけではないのです。
だとしたら、正の介助を行えば正の学習が生じます。
私たちが適正な介助を行えば良いだけなのです。
  
ところが、多くの人が「ためこみ」に困ると言いながら
「ためこみ」につながるようなスプーン操作、たとえば
スプーンを口の中に突っ込んだり、
上の歯でこそげ落としたり、
多すぎる1口量を口の中に「入れてあげる」等の誤介助をしているのです。

対象者の方は
食べにくさを感受しながらも必死になって食べようとした結果
過剰努力によって舌が硬くなり、
舌のしなやかな動きがなくなるので食塊再形成や送り込みができなくなる
食べたくても食べられず、結果としてためこんでいるのです。

誤解が生じないように敢えて書きますが
私は改訂水飲みテストを否定しているわけではありません。
実際、必要であれば改訂水飲みテストを行なっています。
でも、改訂水飲みテストはあくまでも「食べ方の評価」を構成する1検査に過ぎません。
同じ意味で嚥下造影や嚥下内視鏡も「食べ方の評価」の下位項目としての1検査に過ぎません。
検査は必要で意義もありますが、すべてではないのです。
(MMTをとっただけで歩行状態の評価ができるわけでないのと同じです)

その証拠に
上記の検査をしても、「どのように介助したら良いのか?」という問いが
解消されることはないのではありませんか? 

  「知は力なり」は真実だと思うけど
   こと、人に対しては「無知は力なり」じゃないの?って
   思ったことが何度もありましたっけ。。。
   でも、ちゃんと見ててくれる人もいたから救われました。

結果だけ見ているから、ハウツーを当てはめることしかできないし
結果を引き起こしている状態を観察できたとしても、知識がなければ
状態を引き起こす必然を洞察することはできないのです。

逆に言えば
状態を観察できるように知識を習得し
イマ、ナニが起こっているのかを洞察できるように観察すれば良いだけです。

食べようとして食べられずに困惑して
必死になって食べようとしているのに
その努力を不合理としか判断してもらえなかったり誤認されるだけで
的確に援助してもらえる人に出会えず苦しい思いをしている方が
今もまだたくさんいるだろうと思います。
そういう人が一人でも少なくなりますように。

そして、コトは食事介助に限らないのです。

 

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誤学習できる=正学習できる

中核症状とBPSD

誤学習できるということは
正の学習もできるということを意味します。

学習はできる
その方向がプラスの方向か、マイナスの方向かの違いで
その違いは、食形態・食具・介助方法含めた食環境の適否にあります。

食事介助を拒否する方
食事中の大声が止まらない方
口を開けてくれない方
ためこんで飲み込んでくれない方
たくさんの方が食べられるようになりました。

私は食べ方の観察ができるようになりました。
食べ方に反映されている困難も能力も特性も洞察することができるようになりました。
だから、重度の認知症のある方でも正の再学習を援助することが叶います。

逆に言えば
「〇〇という状態の人にどうしたらよいでしょうか?」
というカタチの質問には答えられません。
〇〇という状態を直接見てみないとわかりません。
食事介助を拒否するといっても、拒否する必然は人によってまったく違うからです。

食事中の大声が止まらないといっても、大声が出てしまう必然はまったく違うからです。
Aさんは、オーラルジスキネジアがあることを介助者側がまったく気がついておらず
適切な介助ができていなかったからであり
Bさんは、ポジショニングの不適合によって顎がズレてしまっていたからでした。

かきこみ食べをするからと、小さなスプーンを提供されても結局、かきこみ食べをしています。
Cさんは、上肢操作能力を十分に発揮できずにいてその代償としてかきこみ食べをしていたし
(手の問題)
Dさんは、とりこみ方を誤学習していたために代償としてかきこみ食べをしていました。
(口の問題)

口を開けてくれないと言われていた方の中には
Eさんは、原始反射様の動きが出ていることを介助者側が気づかず、口の中に食塊を入れられ続けてきたので口を開けるタイミングを図ることができなくなっていたし
Fさんは、パウチ状の栄養補助食品を押されることで水分と栄養を摂取していたので開口すると舌がパウチの口の形状に合わせてUの字型になってしまっていましたし
Gさんは、口輪筋が硬くなっていたので自身では食べる意思はあっても、おちょぼ口のようになってしまい開口できませんでした。

ためこんで飲み込んでくれないと言われた方は
Hさんは、口腔期が長い方で食塊が口の中に残っているから口を開けないだけでしたし
Iさんは、誤介助誤学習のために舌が板のように硬くなり送り込みができなくなっていましたし
Jさんは、オーラルジスキネジアのために送り込みに時間がかかっていました。

Aさん〜Jさん皆さん20分程度で完食できるようになりました。
皆さん状態像はまったく違いますし
私の対応も人それぞれ、変化に応じた対応をしていきました。

「大声 → 声を出さなくなる対応」
「かきこみ食べ → 小さなスプーン」
「口を開けてくれない → 開けてもらえる声かけ」
「溜め込んで口を開けてくれない → 口を開けてもらうスプーン操作」
などの「〇〇という時には△△すれば良い」というようなハウツーは、あるわけがないのです。

かつて、養老孟司が人に対して「あぁすればこうなる」なんてものはない
と喝破しましたが、なぜか、認知症のある方に対してみんなが求めているのが「ああすればこうなる」です。
そして、あまたある本や研修で伝えられているのも「〇〇という時には△△する」です。
だから、結果が出せないし
仮に、結果が出せたように見えても、いつの間にか別の問題が出てくるのです。
そのようなケースを繰り返し繰り返し見聞きしているはずなのに、
自身の思考回路や対応に疑問を持てずにいるのです。

HDS-Rが0/30点だったり
検査すらできなかったり
その場の会話が成り立たなかったり
介護拒否や介護抵抗の強い方や
大声や暴言暴力のある方などの重度の認知症のある方でも能力を発揮しながら暮らしています。

ただ、その能力発揮が不合理なだけなので合理的に発揮できるように援助すれば良いだけです。
だから、食べることの困難を協働して克服し、もう一度食べられるようになるのです。

認知症のある方や生活期にある方の場合に
食べる困難の多くは、実際には不適切な食事介助に適応した結果つまり誤介助誤学習が原因です。
誤学習ができるということは、正の学習もできるのです。
たくさんの方がもう一度食べられるようになる過程を協働してきましたが
そのたびに思うことは、
どんなに重度の認知症のある方でも能力を発揮しながら暮らしているということです。

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かきこみ食べ→小さいスプーン?根底にある問題

かきこみ食べをする方ってよくいると思いますが
対応としてどうするかというと
たいていの場合に
かきこみ食べをしないようにと、箸や小さいスプーンが提供されるかと思います。
でも、それでかきこみ食べが解消されたかというと
小さいスプーンでもかきこみ食べをしてるんですよね。。。
当初の問題設定に対して実効的な対策となっていないのに
そこはスルーされるという。。。
そして、かきこみ食べも解消されないし
当初、なかった別の問題、例えば、吸い込み食べや誤嚥といった問題が
新たに出現してしまいます。
実際に、「かきこまずにすくって食べるトレー」で紹介した方は
かきこみ食べ→小さいスプーン→もっとかきこみ食べ→誤嚥性肺炎に至っていました。。。
現場あるあるです。。。

こういった、パターン化した対応ができるということは
〇〇という時には△△する、というパターン化した思考回路がベースにあるわけで
パターン化した方法論を単に当てはめているだけで
目の前にいる方の状態像を的確に把握できているわけではないのです。
根本的な問題はここにあります。

逆に言えば
先の記事で紹介したトレーだって万人に通用する方法論ではありません。
当然のことですが。
ただし、紹介した事例にはドンピシャ!的を射た対応だった、
つまり、事例の状態像を的確に把握できていたことの証左だったわけです。

蛇足ですけど
別のかきこみ食べをしていた方には
全介助で食塊のとりこみの練習をしたこともあります。
かきこみ食べをせざるを得ない必然が
上肢の操作能力にあるのか、口腔機能にあるのか、私はきちんと判断しています。
私は必ず、最初にその方の食べ方の総体を観察していますが
多くの人は、かきこみ食べをしているという判断が先にあって
その方の食べ方の総体を観察しないという現実があります。

多くの人は
自身の気になるところしか、見ていません。
観察が不十分なんです。
やることばかり考えるけれど、やる前に観なければ。
でも、観るに足る知識がないから観ることができない。
だから、やることで補償(防衛機制)してるんです。
これは、食事介助に限らず、
認知症のある方への声掛けやリハやポジショニング、Activityの提供などなど
対応全般に言えることです。

 
だからこそ、私たちが変われば対象者の方も変わるんです。

ここに、未来への希望があります。
私が情報発信する意義もここにあります。

つまり、養成の問題なんです。
 
私の話は具体的です。
聞いた人が汎化できるように思考過程を明確化しています。
自己努力を惜しまない人に必要な情報提供ができるレアな話です。
講演あるあるの
単なるハウツーではありませんし、
理想論・抽象論だけを語る(騙る)こともありません。
理想を具現化してきた事実をお伝えしています。

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体験送り@介助

ポジショニングや食事介助は
適切に行えれば効果がその場で出ることはもちろんですが
次の機会にも良い影響を与えるものです。

例えば
ポジショニングを朝適切に設定できれば
次に体位変換をする時にも身体はリラックスしていて
スムーズにポジショニングが設定できます。

逆に
ポジショニングを適切に設定できなければ
次に体位返還をする時に身体の筋緊張が亢進したままなので
余分な力を必要としたり
上手く設定できなくて修正も大変で時間がかかってしまいます。

食事介助や口腔ケアにおいても
適切な介助ができれば
対象者の持っている能力が発揮されるので
対象者も食べやすくなり
介助者も負担が減って楽になります。

その能力発揮は次の介助場面でも発揮されるので
どんどんと楽になっていくものです。
ポジティブな体験送りを認知症のある方とスタッフの協働で行えるようになります。

逆に言えば
無理矢理食べさせたり、歯ブラシをいきなり口の中に突っ込んだりするような
介助者の行為は、その場では仕方ないと言う人もいるかもしれませんが
感情記憶は蓄積していきますし
重度の認知症のある方でも再認できる方は大勢います。
(たとえ、言語表現力が限定していて言葉にしなくても
 感受している可能性は大いにあります。)
歯ブラシを口の中に入れるという特定の場面で
前回の苦痛な感情を伴う体験を再認できるからこそ拒否する
という方もいるのです。
この局面だけを切り取って、拒否するのは認知症で理解できないから仕方ない
拒否しても口腔ケアはせねばならないと考えて無理矢理口腔ケアをしていては
いつまで経っても口腔ケアに協力してもらえないどころか
ますます悪循環になって口を開けてくれなくなったり、
口腔ケアをしようとするスタッフの指を噛んでしまうことすら起こりえます。

ネガティブな体験送りをスタッフがしてしまっているのです。

その方それぞれに苦痛でない方法、受け入れやすい口腔ケアの模索を考えるべきです。

  「わかっちゃいるけど、時間がないからできないのよ」
  と言う人は時間があってもできない人です。
  その場の1分を惜しんで長期的に10分の時間を所用するように
  なっていることがわからずに「大変」「忙しい」と言う人です。
  適切なポジショニングを実現できて、
  その意義も実感できている人はきちんと実行しないではいられません。
  適切なポジショニングをできれば設定に必要な時間は短縮されます。
  どんどん短縮されるものなのです。
  食事介助でも口腔ケアでもまったく同じコトが違うカタチで起こっています。

次の人にマイナスの体験を送ってしまうことも起こり得ます。

対象者と次の人が大変な思いをしながらでも
もう一度食べる再学習を促すことができれば
プラスの良循環が起こります。
つまり適切な介助ができない人のツケを
対象者と適切に介助できる人が払わされるという構図になっているのです。

食事介助もポジショニングも生活期の初期にはさほど目立ちません。
対象者自身のレジリエンスが高いからです。
軽度の方が短期的に利用する施設ではなく
特養(介護老人福祉施設)や長期入院・入所・利用が可能な施設において
当初はそうでもなかったのにレジリエンスの低下とともに表面化してくることがわかると思います。

逆に言えば
「そんな人はいないから関係ないもん!」ではなくて
予防的に適切な対応ができるようにきちんと申し送りができることが大切です。
きちんと申し送る。。。というのは再現性を担保できる
ということです。

つまり、自分自身で常に適切に対応できるからこそ
対象者のポイントが把握できていて
なおかつ、他職員が対応し損ねてしまいがちなポイントも把握できている
そこを明確に言語化したり視覚化することができる
ということを意味しています。

 

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「ムセたらトロミ」はやめましょう!

対象者の方が
飲み物を飲んでいてムセたら
すぐにトロミをつけている人はとても多いですよね?
それはもうやめましょう!

やめるべき理由は
1)その方がどのように飲んでいるのか観察していない
  その方の飲食の能力も困難も把握していない
2)ムセる人にはトロミをつけるべしと
  教わったことを漫然と実行しているだけ
3)トロミという粘性の高いものを摂取させられると
  かえってその方の摂取能力を阻害してしまう場合が多い
です。

確かに
トロミをつけた方が良い状態の方もいますが
トロミをつけるよりも先に修正すべき介助者の対応が
為されていないこともあります。

例えば
覚醒不良のまま摂取させている
口腔内が汚染されたまま介助している
痰がらみのまま摂取させている
頸部後屈位のまま摂取させている
足底設地為されていない
注意散漫な状態のまま介助している
不適切なコップ介助をしている
不適切な1口量を摂取させている
オーラルジスキネジアの自己抑制のタイミングを見ずに介助している
などなど。。。

上記状態を改善させずに
ムセたらトロミ、さらにムセたらもっとトロミをつける。。。
現場あるあるではありませんか?

かつて
200ccのお茶にトロミ剤を大さじ2杯つけている場面に
遭遇したことがありますが
飲めませんよ?
同じ粘性で飲めるかどうか、飲んだ時の感覚を知るためにも
ぜひ、試していただきたいものです。

おくりこみにパワーはいるわ、
咽頭のあたりにこびりついた感覚がするわ、
嚥下した後も違和感がずっと続きます。

私たちは
その違和感を解消しようとして
唾液を繰り返し飲み込むことで解消することができますが
さて、該当する対象者の方々はそこまで実行できるのでしょうか?

寝たきりに近いと
口唇や舌、口腔内が乾燥してしまいがちです。
そのような方の咽頭付近にトロミのついた飲み物が
貯留し続けることで細菌感染の温床となる危険性はないのでしょうか?

誤解を招きたくないのではっきり言いますが
トロミ剤が悪いと言っているわけではありません。
必要な方には必要なトロミをつけた飲み物を提供すべきです。
悪いのは
「ムセたらトロミ」
「うまく飲み込めない方にはトロミ」
という漫然とした対応・パターン化した対応です。

例えば、認知症のある方は
睡眠導入剤や抗不安薬、抗精神科薬を処方されることも多々あって
オーラルジスキネジアのある方は少なくありません。
 
オーラルジスキネジアのある方の飲食介助は、実はとても難しいものです。
準備期や口腔期に問題が生じていますが、
咽頭期には問題がないことの方が圧倒的に多いのです。

ところが、オーラルジスキネジアがあることにすら気づかずに
「なんか食べにくそうだから、トロミをつけてみようか」
とトロミがつけられてしまい
口腔期に一層の負担をかけて、結果、
おくりこみができずにため込んでしまうというのは現場あるあるです。

  講演などの質疑応答で
  「ため込んでしまって飲み込んでくれない人がいるのですが
   どうしたら良いのでしょうか?」
  という質問をいただくことはよくあります。

  ためこむというのは、おくりこみ困難の結果として起こっていることですから
  本来は「送り込むのに時間がかかる」という事象として観察・判断すべきです。
  そのような問題設定ができれば
  「現在の食形態は口腔期に負担をかけている」
  「楽に送り込める食形態を選択しよう」と考え直すことができます。

  対象者自身の食べ方そのものを観察・洞察するのではなく
  介助者にとっての介助困難を対象者の問題と認識してしまう傾向がある
  という根本的な大きな問題が現場には存在しているのですが
  明確に把握し危機意識を抱いている人がどれだけいるのでしょうか。

ムセ→トロミ
という漫然とした根拠のないパターン化した対応は、もう卒業しましょう。

立ち上がれない→筋力強化
という漫然とした根拠のない対応と、同じコトが違うカタチで起こっています。

大切なことは
その時々の対象者の方の状態をきちんと観察・洞察することです。

 

 

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口腔期のリハ:2項関係で実施

認知症のある方は
介助に対して適応することが難しい方もいるので
介助方法をいろいろと工夫するよりも
自力摂取を目指す方が良い方もいますし
自力摂取を目指すべき方もいます。
 
特に
前頭側頭型認知症のある方や
オーラルジスキネジアのある方や
性格的に意思表示がきっぱりしていて
自主独立の生き方をしてこられた方は
介助というカタチで他者の介入をすることを嫌がったり
介助にうまく協力することが難しかったりします。

  特性の判断についても
  介助していればわかるものです。
  食べるという行動に特性が反映されるからです。
 
  「もしかしてお若い頃からご自身の考えを明確に持った
   すごくしっかりした方でしたか?」
  「もしかして慎重な方でしたか?」
  とご家族に確認すると
  「えぇ、そうなんです」「その通りです」と驚かれることもよくあります。

  こちらの介助への反応の仕方
  例えば口腔ケアへの拒否の仕方も評価の根拠となる大切な情報です。
  「拒否=問題」として捉えたり
  「拒否=辛い、困った、嫌」としてしか受け止められないと
  大切な情報を取りこぼしてしまいます。
  拒否されるのは自身にとっては辛いことではありますが
  対人援助職だからこそ、自身の辛さは辛さとして受け止めた上で
  貴重な情報収集の機会として活用できるようになると
  結果として拒否されることもなくなってくるものです。

そのような場合には介助を工夫するのではなくて
食環境調整として、
イマ、ラクに、食べられる対象(食形態)を適切に選択することが大切です。

認知症が進行すると
impairment面への直接的な抽象的なリハは難しくなります。
例えば、舌の突き出しや左右へ動かすなどの個別の動きを
セラピストの指示通りに動かすことが難しくなります。
だからといって、リハができないわけではありません。
disability面へのアプローチなら可能なのです。
結果として、舌の多様な動きが担保できるようになれば良いのです。

セラピストは直接介入せず
食べる対象を適切に選択することで
認知症のある方が対象に適切に対応することを促す
つまり、2項関係でのリハを行っているのです。
認知症のある方の身体を対象化させないということです。

食べるというのは
究極の手続き記憶です。
誰でも赤ちゃんの頃から
一日3食プラスα、毎日毎日繰り返し行ってきた手続き記憶であり
現在進行形で
一日3食プラスα、毎日毎日繰り返し行われるADLなので
再認の可能性の機会がたくさんあります。

食事介助というのは
どんなに重度の認知症のある方でも
食事介助によって食べ方が良くなる可能性も
悪くなる恐れも同時に存在する場面なのです。

手続き記憶とは非陳述記憶のひとつです。
非陳述記憶とは記銘ー保持ー想起の過程に意識が関与しない記憶です。
手続き記憶を賦活できるようにするためには
意識を関与させず
身体のことは身体に任せるという関与の仕方が有効です。

 

 

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