Category: よっしーの情報クリップ

「科学は嘘をつかない。科学は多数決ではない。」服藤恵三の言葉

先日のNHK「プロジェクトX」は見応えがありました。
https://www.nhk.jp/p/ts/P1124VMJ6R/blog/bl/pjJo5qmnlv/bp/pOGLR2ZdMX/

オウム捜査を陰で支えた警視庁科学捜査研究所の研究員、服藤恵三を取り上げていました。
NHKのディレクターがこの方の著書を読んだことがきっかけとなったとのこと。

詳細は
ぜひ、11月2日(土)[総合]午前8:15〜9:00の再放送をご覧ください。

番組の最後に服藤氏が語った言葉です。
「科学は嘘をつかない
 科学は多数決ではない
 科学は自分では意志がない
 使う人によって悪いことにも良いことにも使える
 そこをどういうふうに制御するか
 というところがその人間に問われている
 真実を見れる目を持って俯瞰的に全体像を見ながら
 この位置付けがどういうものなのか
 しっかり把握してこれを使っていかなきゃいけない」

まさしくまさしく!

Xでも、多数の人がこの言葉を取り上げていました。
それだけ、本質に迫る言葉なのだと思います。
服藤さんの著書もあります。
https://books.bunshun.jp/articles/-/9329

関連して
「科学は嘘をつかない。でも科学者は嘘をつく」も興味深い記事でしたのでご紹介。
https://bookplus.nikkei.com/atcl/column/060900083/060900002/

こちらもあるあるですよね。
都合の悪いことは無かったことにするという。。。
わからないことは判断保留し継続課題としなければならないのに
多くの人が思い込みによって勝手にストーリーを作ってしまう。。。

認知症のある方の対応で
圧倒的に多いのが
「きちんとした見立てができないと
(障害や症状に関する知識がなく観察・洞察ができないと)
好き嫌いの問題に変換されてしまいがち」

という問題設定の問題があります。

そのために
多くの認知症のある方とご家族の方と志ある介助者が
余分な困難を抱えこまざるを得ず
本当の問題を自覚できない人は困ることすらできないという。。。

人は、過去からの自身の体験を踏まえて
無意識に判断しているものですが
自身の体験が誤っていることだって多々あり
(もちろん正当なことだって多々ありますが)
本質的に誤っていることもあれば
科学の進歩によって過去とは違う見立てができるようになったということもあります。

だから
対人援助職は謙虚でなければいけないと思うし
本質に迫る努力を欠かしてはいけないと思うし
周囲の人皆が言っているから、といった言い訳で逃げてはいけないと思う。

実現の仕方や戦略は様々だとしても
一生懸命対象者のためにしていることで
結果を出し続けていれば
必ず見て理解して取り入れて質問してくれる人がいるものです。

OTはよく「説明して理解をしてもらう」ことを考えるけれど
本当はまず何よりも最初に「自分が結果を出す」ことが必要なんだよね。

「科学は嘘をつかない」
「科学は多数決ではない」
「科学を扱う人の扱い方の問題」
という服藤さんの言葉は職域を超えて共感を呼び起こす言葉だと思いました。

ぜひ、再放送をご覧ください。

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予防可能その3:美容院脳卒中症候群

美容院脳卒中症候群(スタンダール症候群)は
美容院業界では対策がとられているようですが
高齢者施設では、そこまで注意喚起がなされていないようにも思います。

美容院脳卒中症候群とは
長時間の頸部圧迫や上方注視によって
後頸部にある椎骨動脈を圧迫してしまうことによって
めまい、ふらつき、手足のしびれやひどい時には脳梗塞を起こしてしまうことを言います。

高齢者施設でよくあるケースが
普通型車椅子に乗車している方が
頸部後屈位のまま長時間居眠りをしているというケースです。

認知症が重度になると
手足のしびれを言語化できないことも多々ありますので
職員が予防的に対応できないと片麻痺がいつの間にか生じている
ということも起こり得ます。

このような姿勢で居眠りしていたら
ベッドで臥床を促したり
ベッド臥床が難しい場合には、
ヘッドレストを後付けしたり
ヘッドレストがついているタイプの車椅子に変更することによって
予防するように気をつけたいものです。

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予防可能その2:下垂足

  
たまに見かける下垂足
足関節を背屈しようとしてもできません。
圧迫による腓骨神経麻痺による場合は
不適切な側臥位ポジショニングや長時間の横坐りや
椅子で足を組んだまま長く座っている方に起こることがあります。

認知症が重度になると
ご本人は下垂足の自覚がなくとも
無意識に股関節や膝関節を過剰に屈曲する代償歩行をしています。

認知症が軽度までの方なら
プロフッター を装着してもらうことも可能ですが
重度になると説明した意義を忘れて外してしまい装着継続が困難になったりします。

代償歩行ができるとはいえ、歩行時の転倒リスクはありますから
予防できるに越したことはありません。

側臥位ポジショニングは適正に設定すれば良いのですが
足を組んで座るというその方の座り方の癖を直すというのは難しいものです。
長時間、足組み座位が連続しないように
体操やトイレ誘導など、立ったり足を動かす機会を作ることで
腓骨神経の長時間の圧迫による麻痺を回避させる工夫をする方が現実的だと思います。

 

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視覚理解の援助:ナースコール

認知症のある方で
ナースコールを使えそうで使えない方がいます。

なぜ、使えないのか
どうしたら、使えるようになるのかは
人それぞれですが
ナースコールを目立たせる工夫が有効な場合があります。

私たちは「ナースコールがどこにあるのか」を覚えていることができますが
認知症のある方の場合、どこにあるのか伝えても忘れてしまいます。
特に夜間のお部屋は暗くなっています。

夜中にトイレに行きたくなった時に
ナースコールを必死になって探さなくても
目立つように気がつきやすいように
蓄光シールを貼ることもあります。

ナースコールにベタベタ汚れがつかないように
養生テープを貼った上に蓄光シールを貼るようにしています。

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第6回神奈川県臨床作業療法大会 事前参加登録が開始されました!

2024年12月8日(日)に開催される
第6回臨床作業療法大会の事前参加登録が本日9月2日(月)12:00から開始されます !

詳細・お申込は
_大会公式サイトの参加登録_から。

事前申込の参加費は、¥2,000円とのことです。

開催日程は、_こちら_をご参照ください。

第2講演として
「なんちゃって目標からの卒業〜自分自身に問い直す〜」というテーマ

お話させていただきます。

思えば
リハの分野は目覚ましい発展を遂げてきました。
私が高校生の時に進路指導の先生に尋ねられて
「リハビリテーションの学校に行きます」と答えたら
「リハビリテーション?それは何だ?」と言われました。
でも、今やリハを受けたことのない人はいても
リハビリという言葉を聞いたことのない人はいないと思います。

リハの知識も技術も蓄積され
対象分野も大きく広がり
従事するセラピストの数も大きく増えました。

一方で
私が学生の頃からあまり変わっていない課題もあります。
チームワークしかり
目標設定しかり。

なぜなんでしょう。。。

チームワークについては
一時期は飲ミュニケーションという言葉が席巻したこともありますし
目標設定についても
一時期OTの中でブームとなったアプローチもあります。
でも、飲ミュニケーションという言葉は定着しませんでしたし
今の若い人は聞いたこともない言葉なのではないでしょうか?
同様に、一時ブームとなったアプローチだって定着しているとは言いかねます。
定着していない。。。ということは
結局、現場的に
使いづらさがあるとか、現実的ではない、つまり、本質ではない
ということだと思っています。
 
リハも世の中の一部ですから、世の中全般と同じように
リハの世界にも流行り廃りがあるのです。
パワーリハとか回想法とか学習療法とか、一時はものすごい盛り上がりを見せました。
それらはそれぞれ意義がありますから、上手に活用すれば良いのに
「これをすればOK」とばかりに盛り上がり過ぎたように感じています。
流行り廃りがあるということは本質ではないのです。
踊らされちゃいけません。
「曇りなき眼で見定め決める」とは、もののけ姫のアシタカのセリフですが
まさしく、まさしく!

12月の臨床作業療法大会での講演では
目標設定の本質に迫るお話をしたいと考えています。

実は、目標設定で悩んでいる人はすごく多いはずなんです。
(自覚している人はまだしも、自覚できていない人も多い)
「目標をどんな風に設定したら良いのかわからない」
「これで本当に良いのかわからない」
と立案時に悩む人もいれば
「やりたいことを尋ねたら、そんなものはないと言われた」
「やりたいことを提供したら、全然できなかった」
と提供時になって初めて困る人もいますし
目標をちゃんと設定できていないのに困ることすらできない人もたくさんいます。

今思えば、私が学生の時に目標設定をちゃんと教えてくれる人はいなかった。
そして、私もちゃんと教えてと言うことも疑問を抱くこともできていなかった。
じゃあ、今は?
リハの知識や技術の目覚ましい発展に比べ
目標設定に関する知識や技術はどれほど進展してきたと言えるでしょうか?
周囲を見渡す限り、いろいろな場面で見聞きする限り
私が学生の頃とほとんど変わっていないように感じています。

どうしてなのでしょう?

本当は
目標の設定の仕方がわからない
のではなくて
目標とは何ぞや
ということがわかっていないのだ
と考えています。
 
問題の本質を吟味することよりも
表面化した問題を表面的に解決しようと(善意ではありますが)
考えた方法論の限界が見えてきていると思います。
本来、対応すべきは目標の概念理解だったのですから
問題設定の問題に陥っていたことを自覚して
本来の問題に対応すべきだと考えています。

そもそも普通に考えて、
目標の概念理解ができていないのに、目標設定の仕方を検討したり工夫する
って、すっごく変!

コトは目標設定に限りません。
まったく同じコトが違うカタチで臨床現場で起こっているんです。
 
概念の本質を理解せずに対応を考えたり推奨したりしている。。。
食事介助でのムセへの対応しかり
ポジショニングの最大可動域の設定しかり
認知症のある方に敬語を奨励することしかり。。。

極めつけが
どんなテーマで講演しても質疑応答で必ず出る、
「〇〇という状態の人がいますが、どうしたら良いでしょうか?」
というカタチの質問です。
この質問のカタチには、ふだんの思考回路が反映されています。

〇〇という時には、△△する
という思考回路です。
というか、単なるハウツーの当てはめですから思考ですらありません。。。

そのような市場の要請に応じて
ハウツーを売りにした研修も
ハウツーを売りにした本もサイトも散見しています。。。

その一方で
「その人らしさを大切にする」
「その人に寄り添う」
というスローガンは、どの分野でもどの職種でも花盛りです。

本当に。。。?

どういった思考や言動がその人らしさを大切にすることで
どのような思考や言動がその人らしさに寄り添っていないことなのでしょうか?
「言う」のではなくて
「実践する」ためにどれだけ検討し
「実践後」にどれだけ自己検証しているのでしょうか?

「その人らしさを大切にする」
「その人に寄り添う」という理念を
本当に実践・具現化していたら
ハウツーを求める質問は出てこないし
ハウツーを売りにする研修や本やサイトが提供されるはずがありません。
ハウツーは「その人らしさを大切にする」「その人に寄り添ったケア」とは
真逆の在り方だからです。

その反映の現れの一端が
「現状維持」「移動能力の維持・向上」「筋力増加」「可動域改善」「認知機能維持」
といった文言で「目標」として設定されていることも多々あります。

こんなにも、実践と理念が乖離している現実に
疑問を感じる人がどうしてこんなに少ない
のでしょうか?

理学療法士・作業療法士という言葉が1965年に日本に誕生して来年で60年になります。
日本には還暦という言葉があります。
「産めよ、増やせよ」で国策としてのPT・OT養成がひとまわりするわけです。
このあたりで、第二の人生に生まれ変わるという還暦の意味に沿って
もう一度、根幹となるものを考え直しても良いのではないでしょうか?

知見の集積は必須でした。
でも、どんな物事であれ
物事は表裏一体、メリットもあればデメリットもあります。
皮肉なことにリハの知見の集積が叶ったからこそ
蓄積された知見を対象者のために活用するのではなく
知見に対象者を当てはめるような在り方
が広まってしまった側面もあるのではないでしょうか。
知見の集積をどのように扱うのかは扱い手の問題です。
だからこそ、今一度、本質を見直すことが重要なのではないでしょうか。

目標を目標として設定できるということは
それ自体、重要な能力でありますが
それ以上に、臨床能力を下支えするメタ認識を涵養させるという意味でも重要です。

実際に現場で起こっている問題の本質について
言語化し、問題提起し、解決策を提案
している人は稀です。

日本のリハビリテーションの未来を担う人たちに向けて
他では聞けない、本当に貴重なお話を聞ける講演にいたします。

どうぞ、ご参加をご検討ください。

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認知症施策に関するパブリックコメント

厚生労働省から
認知症施策推進基本計画(素案)及び基本的施策(素案)に関するパブリックコメントが
募集中です。

詳細は_こちら_をご参照ください。
画面を下方にスクロールすると、いずれもPDFファイルで内容を確認できます。

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「普遍性という名の幻想」を読んだ

片付けをしていて見つけました!
「普遍性という名の幻想 日本の作業療法における文化的コンテクストの重要性」
20年以上前の論文ですが、この論文の内容は今も色褪せることはありません。

2003年に発刊された、OTジャーナルVol.37No.4に掲載されています。
著者は、Michael K Iwama 氏
英題は、Illusions of Universality The Importance of Cultural Context in Japanese Occupational Therapy

著者は、日本生まれのカナダ育ち
そして、太平洋の東西それぞれでOT学生を教えた経験をもとにして記された論文です。
「東洋と西洋は根本的に文化が異なる」
「西洋で開発された理論は西洋文化を基盤としている」
「日本は西洋由来の理論を型だけ導入して意味を見失っている」
「日本の文化に立脚して理論を変容させるべき」
といったところが要旨でしょうか。

まさしく!まさしく!

西洋と東洋の違いについて、そして今後の展望としてその融合について、かつて河合隼雄も述べていました。

私自身も大人になってから、ちょこっとだけ英会話を習った時に強烈に感じたことがあります。
例えば、「そこにリンゴがあるから食べな」と家族に伝える時に
日本人であれば、そこに幾つのリンゴがあるかは言明しません。
1個だろうが、2個だろうが、個数に触れることはありません。
ところが、英語では「There are two apples. 」と個数を言明します。
英語は、見たまま事実を言語化するんだ。。。と感じました。
日本語では、リンゴが幾つあるのかは見ればわかることだからそこには触れない。
「あんた、食べな」に言葉の力点が置かれていて、言語に省略しかも無自覚の省略がある。

例えば、同じことは臨床場面でも起こっています。
OTが何かしらのActivityの工程を説明する時に多くの人が
「ここをこうしてこうやって」と説明しているのではないでしょうか?
ここがどこなのか、こうするとはどうすることなのか、こうやるとはどうすることか
言葉では何も説明せず、動作で説明をしています。
つまり、相手がきちんと工程を見ているということを暗黙の前提として説明を行い
かつ、相手も説明を受け入れています。

つまり、動作的説明が先行し、言語的説明が後に回っている。
もっというと、視覚情報主体の説明をしている。
言葉に対する力点の置き方が違っています。

大昔、ちょっとした知り合いがアメリカでSEをしていた時に
「超能力者じゃないか」って言われたそうです。
言葉で説明していないことも理解する。。。そう思われても納得できます。

また、会話中に関係性の中で言語化するのが日本語ですが、
関係性に関わらず、自身の表明として言語化するのが英語です。
例えば、「昨日、この本を買わなかった?」「Did’nt you buy the book?」という問いかけに対して
日本語では「うん、買わなかったよ」「ううん、買ったよ」
英語では「Yes,I bought the book.」「No,I didn’t buy the book.」

言葉には発話する人の意思や思考過程が反映されます。
私は海外に旅行したことも留学したこともないので西洋文化を知りませんが、
根本的なところで日本とは違うのだろうと推測はしています。

かつて、日本では西洋に追いつけ追い越せ精神で、西洋技術を果敢に取り入れ、しかも、日本流にアレンジして活用するのが得意だったと聞いてきました。
でも、この論文の著者は「OTは違う」と言明しています。
北米発祥の理論を型だけ導入して、理解できないまま臨床で扱って困惑していると述べています。

その具体例として、OTの定義を挙げています。
OTの定義をスラスラと答える人はたくさんいたけれど、定義を丸暗記しているだけだったと。
この具体例は本当によくわかります。
かつての私もそうでした。
特に学生時代には、高校の部活の仲間によく尋ねられたものです。
「今、何の勉強してるの?」「作業療法って何?」
そこで定義を答えるという。。。しかも、違うんだよなぁと思いつつ。。。
そして尋ねた人も「これ以上は聞いちゃいけない」と暗黙のうちに察してそれ以上は突っ込まないでくれたという。。。
今の私なら、「その人の良い面を良い方向に活かすことを通して暮らしの困難を解決する援助」と言えます。
「OTは難しい」「OTって何だろう?」とOT同士で語り合いたがる人は少なくありませんが
そんなことしたって答えは出てきません。
答えは日々の臨床の中で結果を出すことを積み重ねることで導き出されるものだからです。
(この問題は後日改めて記載します)

話をもとに戻しますが、
自分の仕事を自分の言葉で語れない
もっと言うと本質的には
語るに足る実践ができている人が少ない
ということが大問題のなのだと思います。
定義を丸暗記して答える、丸暗記するくらいですから真面目なのはわかります。
でも答えてはいますが、表面的で型どおり。
聞いた人だってわかったようでわからない。
その言葉には、目の前にいる人の血肉が通っていないからです。

海外からの知識を輸入する時も同様のことが起こっていると著者は言っています。

まさしく!まさしく!

最新の理論を知っている、複数の理論を知っていることがさもOTとして優秀であるかのように振る舞う人も少なくありませんが、目の前にいる対象者に対して結果を出す方が先です。
認知症のある方に対して、生活障害やBPSD・食事介助・ポジショニング・身体リハ・Activityについて
既存の理論が使えた試しがありません。
臨床で使えない理論を有り難がったって意味ないし。

同じコトが違うカタチで起こっているのが目標設定です。
養成校の教員や実習の指導者で目標設定を明確に教えられる人がどれだけいるでしょうか?
教えられないということは、自分が実践できていないということを表しています。
臨床で適切に目標を設定できるために教えるんじゃないのかな?
そのために目標の概念を教えるんじゃないのかな?
いくら目標の概念を諳んじることができたって
臨床家としては使えなきゃ意味がないのでは?
知っている風を装ったって実践で活かせなかったら意味がないのでは?
目標設定で困る学生は山ほどいますし
教えられなくて困っている指導者も山ほどいます。
困っている人のことをちゃんと見ていないから目標の概念をたくさん教えることにエネルギーを注いだりするんじゃないかな?
そしていつの間にか、目標設定に困っている自分自身から目を逸らし
「認知症だから目標設定ができない」なんて平気で言えちゃうようになってしまうんじゃないだろうか?

まさしく、この論文で著者が指摘したことは、
定義、目標設定、実際の臨床場面とカタチを変えてあちこちで今も起こっているのです。
著者は20年以上前に危機意識を持ってこの論文を書いたそうですが
実際には状況はもっと悪化しているのではないかと感じています。

「意味のある作業」を大合唱するOTもいますが、あまりに表層的過ぎます。。。
本来、意味のない作業なんてありません
賽の河原の石積みだって、シーシュポスの神話にだって、虚しい作業という意味があります。
「意味のある」という言葉に託された深みをどれだけ理解して使っているのでしょうか。。。

最後に
著者の記した言葉を記載してこの記事を終わりにします。
  
「OTはクライアントの社会的コンテクストを重視し、彼らがその中でoccupationの新たな意味を発見することを援助することを生業としている」
 
「日本の作業療法に緊急に必要なのは、西洋から導入した理論やモデルを批判的に評価し、日本で使えるように適応、変化させるのと同時に、日本人にとって意味のある新しいモデルを作ることである。臨床現場、クライアントの文化的コンテクストより理解された情報からボトムアップで浮かび上がった新しいパラダイムが必要である。」

 

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車椅子サイドガードの工夫

上の写真の緑色の矢印の部分に
足が挟まってしまうと聞いて
赤い星印のようなカバーを作りました。

認知症のある方は
じっとしていられなかったり
理解ができなかったり
かったるかったりといろいろな理由で
手足を動かす方もいます。

足が挟まってしまっては危ないので
挟まらないようにどうしようかと考えました。

まず考えたのは、板を設置することですが
実際に足を挟んだことがある以上、板では足が当たって痛いだろうし
板を認識できずに手で持ったり投げたりしたら危ないし

段ボールや発泡スチロールも考えましたが
手で持ったり投げたりするリスクは変わらないし
トランスファーのたびに、どけたり入れたりするのは手間がかかります。

毎回必ずしなければならないというのは
大した手間ではなくても毎回毎日続けなければならないのは
心理的な負担が増してしまうものです。

そこで考えたのが、フェルトカバー
フェルトなら触れた時の感触も柔らかいし
布とは違ってほつれることもないし
幸い、使用する方は食べ物などで汚染する可能性が少ない方だし
サイドガードを上げ下げしても、使用時に違和感はないし手間も増えない
フェルトが1枚だと伸びてしまうので
耐久性を考えてフェルトを3重に重ねて縫い留めました。

縫うのはもちろん手縫いだったので大変ではありましたが
赤い点線のところは部品ギリギリに2重に縫って
緑の実戦のところはアームレストの形状に沿って縫うことで外れにくいようにしています。

フェルトの色が目立つと手でいじってしまうので
色も目立ちにくいように車椅子本体の色、特にアームレストの色と揃えて黒にしました。

汚染の可能性が少ない方だからフェルトを選択しましたが
もしも、汚染の可能性が高い方なら交換の簡便性を優先して
ビニールクロスにガムテープか養生テープかな?
手で触られにくいように切り口は外側にしてテープで固定した後に
固定跡を隠すために同一のクロスを両面テープで留めておくとか?

そうすればサイドガードを上下させる時の操作の邪魔にはならないし
ちょっとした汚れは拭き取るだけで
しっかり汚れを落としたい時には全面交換になるけど
交換時の手間もさほどかからずにできます。

ちょっとした工夫ではありますが
考え方としては
乗車する対象者の方の安全確保を第一に
操作する職員の工程・手間を増やさないことを考え
汚染可能性について検討して素材を選択した
ということになります。

 

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