Category: 教科書的基礎知識篇

評価を踏まえた対応:身体リハの場面

もともと認知症がある方が
骨折などで入院し身体的なリハを受けることになる
というのも現場あるあるです。

近時記憶障害があれば
骨折し入院し手術したことも忘れてしまうことも起こります。
座ってじっとしていれば痛くなくても
リハで立ち上がった時に痛みを感じるということはよくあります。
ここで、骨折し入院し手術をしたことを忘れていれば
「立つと痛い→立つから痛い→立ちたくない」
という判断をしても不思議はありません。

リハスタッフは多くの場合
MMSEやHDS-Rを施行し「近時記憶障害あり」と判断しています。
ですが、検査は検査で終わってしまい
検査結果を対応に活かすことは何故かあまりされていないのではありませんか?

私は立ち上がりの練習をする前に必ず声をかけます。
「〇〇さん、今から立つ練習をします。
 立つ時に足が痛くなるかもしれませんが
 骨折して手術したからです。
 だんだん痛みも軽くなりますから
 心配せずに立つ練習をしましょう。」

そして、この声かけの頻度も認知症のある方の近時記憶の状態に応じて変えています。
HDS-R18/30点くらいの方であればリハ開始時に一度声をかける程度で大丈夫なことも多いけれど
HDS-Rが3/30点の方には、立ち上がるたびに同じ説明を繰り返すようにしています。

実際、3/30点の方でも
身体的なリハを提供し改善し
すべき声かけと回避すべき場面を明確化し情報提供した上で
もっとリハの充実した老健へ移行することができました。

ところが
現場では「HDS-Rが3/30点」と認識していても
実際のリハの現場で事前に痛みが生じる恐れについて声をかけておく人は少ないものです。
そして、その結果、立ち上がり時の痛みと痛みが喚起する不安について認識できず
「立ち上がりを嫌がる」「リハ拒否」「認知症のためにリハ実施困難」
とレッテルを貼っているのではありませんか?

認知症のある方の身体リハがうまく進められない。。。という理由の1つに
私たちの側の問題もあるのではないでしょうか。

私たちは評論家ではなくて援助職です。
認知症のある方の困難を減らすような関与ができるからプロなのです。
HDS-Rが18/30点であれば、どのような支障が生じるか予測できる
HDS-Rが3/30点であれば、どのような支障が生じるか予測できる
近時記憶障害の程度に応じて
イマ・ココでどのような関与をすべきか判断できる。

検査結果を評価に活かす
評価を根拠とした対応の工夫ができる

ほんのちょっとした工夫のように見えるかもしれませんが
認知症のある方がどのように環境を感受・認識しているのかを
意識化することができているかどうか
この違いはとても大きな違いです。

 

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/5284

「ここをこうしてこうやって」を卒業しよう!

かつて、私も言っていましたが
ある時、ふと気づきました。
「ここをこうしてこうやって」って何の説明にもなってないじゃん!

Activityや手作業をしてもらう時に
たいていの人は、隣に座って作業工程を同時に行いながら
「ここをこうしてこうやって」と言っています。
かつての私もそうしていました。。。

でも、それでできる方もいますが
できない方も少なくありません。

構成障害があれば
見比べる・見比べて行動修正する
ということが難しくなります。

「ここをこうしてこうやって」
という声かけが理解できるのは
「ここ」がどこで「こうやって」がどうすることなのかを
見て理解することができる方です。

もっと言うと
「ここ」を言葉で説明しなくても「ここ」を探して注意を焦点化できる
「こうやって」を言葉で説明しなくても「どうするか」を汲み取ることができる
つまり、相手の「汲み取る能力」に依存した説明ということです。

構成障害があれば
私が示した「ここ」が自身の「どこ」か
私が示した「こうやる」が自身の「どうする」か
対照させることが困難です。

構成障害とは
全体と部分、部分と部分の位置関係を認識し再現する障害
なのですから。

構成障害のある方に
どんなに詳しく親切に隣で言葉による声かけを繰り返しても
できるようにはならないどころか
認知症のある方に余計に
「困った」「わからない」「できない」ことの反復体験をさせるだけです。
もうそんな関わりは卒業しましょう!

卒業できるためには
どんな障害や困難があって
どんな能力があるのかを
私たちが把握できていることが必須です。

ところが、多くの現場では
自身の知識の確認や関与の振り返りをするのではなくて
表面的に「どうしたら困りごとがなくなるのか」を考えて
言葉だけで繰り返し説明をする
というパターンがいまだに圧倒的に多いものです。
そして、最も問題なのがその自覚がないことです。。。

現場あるあるのマズイ対応は
せっかく検査をしてもその結果を対応に活かせていない点にあります。
評価に基づいた対応ではなく
表面的な困りごとを解決しようとしてハウツーを当てはめている
「引き出しを増やす」と言って
ハウツーを増やすことが学ぶことだと勘違いしている人が多いのです。
それらのどこが寄り添った対応なのでしょうか?

その時・その場の・その関係性において
目の前にいる方に何が起こっているのかを
的確に観察・洞察できるように知識を学ぶ
学んだ知識をもとに観察できるように努力する
そういう人は少数派です。

私たちが自覚して自らの関与を修正しようとしさえすれば
今すぐにでも改善可能なことは多々あります。

その時に
認知症のある方がどれだけ自身の困難に対して
なんとかしようと必死になっている姿を見出すことができて
目を見開かされるような思いをするはずです。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/5283

「ちゃんと話ができるしっかりした方」?

「ちゃんとお話ができるしっかりした方」
「年相応の物忘れ」
といった発言をする人は30年以上前から今に至るまで後をたちません。。。

ところが実際には
近時記憶障害が著明でHDS-Rが9点、10点、11点というケースは多々あります。
中には、HDS-R5点なのに「しっかりした方」と言われていたケースもありました。。。
SDATの方でHDS-Rがこれだけ低いと
近時記憶障害はもちろん、構成障害や遂行機能障害があって
日常生活に大きな支障が生じていたはずです。
それなのに、なぜ認知機能低下に気づかれないか
問題は私たちの側にあります。

「ちゃんとお話ができるしっかりした方」といった発言をする方には
「ちゃんとお話ができない=認知症」という思い込みがあって
その思い込みで判断しているだけなのです。。。
つまり、認知症とは何か、ということを理解していないのです。
これだけ認知症への普及啓発事業が進められているのに
30年前と変わらずいまだにこのような人たちがいることにびっくりしてしまいますが
職種を問わず、このような発言をする人は少なくありません。
(もちろん、職種を問わずきちんと認識している人も大勢います)
  
このような思い込みは二重の意味で危険です。
1)お話ができても近時記憶障害があることによって起こる生活障害を見落としてしまう。
2)お話ができなくても近時記憶障害がないか軽度なので、可能な生活能力を見落としてしまう。
   
つまり、目の前にいる方の状態像を的確に把握することができないという問題が起こります。
その結果、目の前にいる方の暮らしの困難も潜在している能力も見落としてしまい、対応が後手にまわってしまいます。
しかも、そのような事態に無自覚なのです。
近時記憶と会話の可否や言語表現力は別の能力なのだということを知らないと、このようなことが起こってしまいます。

私は、ICD11で示されている7つの認知領域を参照することをオススメしています。
下記にICD11の認知症の定義をお示しします。

 
(一般社団法人京都府薬剤師会 参照)

Aで示されている7つの認知領域つまり
記憶・実行機能(遂行機能)・注意・言語・社会的認知及び判断・精神運動速度・視覚認知又は視空間認知
これらを念頭に置いて会話することを常に心がけています。

数分前のことを忘れてしまっても
その場の会話がスムーズに成り立つ方は大勢いらっしゃいます。
逆にその場で会話が成り立たなくても
少し前にした体験を覚えている方も大勢いらっしゃいます。
近時記憶と疎通の可否や言語表現力は別の能力です。
混同してはいけません。

 

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/5278

食事中ムセてないのに重症肺炎

食事中、ムセていなかったのに
ある日突然高熱が出て、病院受診したら重症肺炎という診断。。。
臨床あるあるです。

実は、いくつも職員側に問題があって
1)このご時世で、いまだに「食事中のムセ=誤嚥性肺炎の原因」と思ってる
2)口腔ケアが不十分なことへの自覚がない
3)熱が出ないんじゃなくて熱を出すこともできない
  症状を形成する力がないから、いよいよの状態まで熱を出すことができない
  熱が出た時にはもう体力がないから回復困難
だったりします。

1)ムセの酷さと誤嚥の酷さに相関関係はありません。
  ムセは異物喀出作用だから強く激しいムセはびっくりするかもだけど
  異物喀出作用の高さを示しているので良いことなのです。
  呼気の介助をしてしっかりムセ切ってもらって声の清明さが確認できれば食事を再開できます。
  むしろ心配なのは、弱々しいムセや痰がらみのムセ、遷延するムセです。

2)忙しいとどうしても後手に回るのが口腔ケアです。
  今はたいていの施設で口腔ケアに力を入れていると思いますが
  ご自身で口腔ケアをしていても不十分だと
  歯と歯茎の間に歯垢が付着してしまうし
  歯の一部だけしか磨かない(磨けない)方もいるし
  硬口蓋や舌に痰がこびりついていたり
  歯を数回ブラッシングした歯ブラシをすすいだら水が白濁することだってあります。
  口腔ケアを拒否されてそうまく対応できないこともあるかもしれません。
  もう15年以上前から誤嚥性肺炎は食事中の誤嚥ではなく不顕性誤嚥が原因だから
  口腔ケアが重要と指摘されています。

3)私の経験で、車椅子のカバーを異食してしまったけれど
  嘔吐もなく下痢もなく発熱もなく食欲も旺盛という方がいましたし
  足を骨折しているのに歩いてしまう認知症のある方もいました。
  口腔ケアをしてなくても熱が出てないから平気じゃない?と思うのは誤解です。
  熱を出すこともできないのだから、熱が出た時には手遅れということもあり得ます。
  今、実害がないように見えて実害がないわけではないのです。
   
  特に、食事中に喉頭が不十分にしか挙上できない方は
  気がつかれていないだけで本当にとても多いので注意が必要です。
  喉頭の完全挙上ができないということは、喉頭蓋反転が不完全
  つまり、嚥下の瞬間に気管を完全に塞ぐことができていない
  ということを意味します。
  寝ながら汚染された唾液を嚥下し損ねて誤嚥している恐れが高くなります。
  喉頭不完全挙上のケースには口腔ケアの徹底が必要です。

  余談ですが
  食事中に喉頭が不完全挙上しかできなかった方でも
  スプーンでしっかり前舌を押してあげることで喉頭挙上が改善するケースを多数経験しています。

  このことについては近日中に記事を掲載します。

結論として
口腔ケアは大事!!!
どれだけ強調してもしすぎることはありません。
口腔ケアをしたいけど拒否されてちゃんとできない
という時にどうするか、は次の記事で。

 

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/5272

食事でむせた時の対応

食事場面でむせた時に的確に対応できる人はまだまだ少ないのが実情です。
むせた時に、背中を叩いたりさすったりしたり食事を中止してはいけません。
むせた時には、まず何が起こっているのかを確認し状態に応じて対処します。

確認すべきは気道の狭窄の程度です。

そもそも、むせとは何か
誤嚥した時に気道に入ってしまった異物を
声帯が激しく内外転し呼気のパワーで喀出しようとする作用のことです。
つまり、誤嚥がなければむせも起きませんが
むせは異物喀出作用なので強く激しいむせは異物喀出作用の高さを示しています。
大きなむせに遭遇すると驚いてしまうかもしれませんが良いことなのです。
いまだに、強く激しくむせている方に「その人の食事は中止して!」と指示するような人もいますが
大きな間違いです。
呼気の介助をしてしっかりとむせ切っていただき
声の声明さを確認できれば普通通りに食事していただいて良いのです。

むせられるということは気道の狭窄が部分的である、空気の通り道があるということを意味します。
だから呼気の介助が有効なのです。

ところが、チョークサインなど窒息、気道の完全閉塞が起きてしまった場合には
呼気の介助は無効です。
空気の通り道が完全に遮断されているからです。
気道が完全狭窄している場合に確認すべきは意識の有無です。
意識があれば背部叩打法やハイムリック法で異物の喀出を試みます。
意識がなければすぐに胸骨圧迫を試みながらAEDの用意をし
施設であれば緊急コールと救急車手配をします。

むせへの対応ではありませんが
関連して少し窒息時の対応について記載していきます。

先日、救命講習を受けた時に教えてもらった時に
「あぁここは盲点だな」と思ったことがあって
それはベッドの上で胸骨圧迫をすることです。
確かに人によっては柔らかいマットレスを使用していることもあって
それだとせっかく胸骨圧迫をしてもマットレスが沈み込んでしまって圧迫になっていない
ということが起こってしまう。
だから硬い床面に寝かせて行うようにと指導を受けました。
確かに確かに。。。

時々、見聞きするのが
窒息した時に吸引による異物除去に時間をかけるケースです。
吸引で異物を除去できるケースもあるとは思いますが
吸引チューブの直径は小さいので異物を除去できずにかえって気道の奥に押し込んでしまうことも起こりますし、何より意識消失しているということは脳に酸素が行き渡っていないことを示すので一刻を争う事態です。
胸骨圧迫を行うことで酸素を脳に供給することの方が優先です。
大抵の施設にはAEDが設置されていると思いますので
AEDを使って救急隊の到着まで胸骨圧迫を交代しながら続けるようにと指導されました。

胸骨圧迫は、どの程度の速さや強さで押すのかとか押し方は実際に練習してみないとわかりません。
「普通救命講習」については、消防署で開催している講習会を個人で受けることもできますし
施設に出向いての講習会もしてくれますから施設に提案してみるのも良いでしょう。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/5270

立って食事介助してはいけない?

先日、すっごく久しぶりに普通救命講習を受けて
講師が「覚えるだけじゃなくて意味がわかることが大切」
って言っていて「本当にそう!」と思いました。
その後、ネットを見ていたら
「食事介助を立ってするなんて言語道断」みたいなのが流れてきて
「そうその通り!」なんてコメントもついていて
う〜ん。。。隔靴掻痒な気持ちになりました。。。

なんで立って食事介助をしてはいけないのか
その理由を知ってるのかなー?
意味がわかってないと
座って介助していてもやっちゃいけないスプーン操作をしちゃってることもあるし
「私はちゃんと座って食事介助してる」って
自身の不適切さを自覚することができなくなることすら起こります。

立って食事介助すると
対象者よりも高い位置からスプーン操作をすることになるので
どうしてもスプーンを斜め上に引き抜きやすい構造になっています。
スプーンで食塊を上の歯でこそげ落とすようにしたり
スプーンを斜め上に引き抜いてはいけないのですが
その理由は次の二つ。
1)スプーンを斜め上に引き抜くと対象者の顎が上がってしまいます。
  顎が上がるということは、気道確保をする姿勢です。
  つまり、食事介助しながら気道確保するという、とんでもなく危険なスプーン操作なのです。
2)スプーンを斜め上に引き抜くことで
  上唇を丸めて取り込むという準備期の重要な働きを阻害することになってしまいます。
  人の身体は解剖学的にも生理学的にも連続性がありますから
  準備期の能力低下(実際には介助者による能力阻害)が口腔期の能力低下を引き起こし、
  咽頭期の能力低下をも引き起こしています。
  (もう30年以上言い続けていますが、生活期の方の食べ方の問題は
   咽頭期ではなく準備期にあり問題の本質は誤介助誤学習である場合が圧倒的に多いのです。)

座って食事介助するのは、とても良いことですが
それだけでは十分ではありません。
自身のスプーン操作に留意しながら介助することが重要です。
いくら座って介助していても、肝心のスプーン操作を適切に行えずに
斜め上に引き抜くようなスプーン操作をしていれば座ることの意義を発揮できていないことになります。

逆に言えば、どうしてもスペースがないなどの理由で
立って食事介助するしかない場面でも
より一層、自身のスプーン操作に気をつけながら介助すれば良いのです。

問題は、立って行うか座って行うかではなくて
斜め上に引き抜かずに、下唇か前舌を押して水平に引き抜くようなスプーン操作が行えるかどうか
なのです。

意味がわかることが大事

食事介助は立ってするか座ってするかは問題の本質ではなく
適切なスプーン操作を行いやすい環境は座って行うことだという手段に過ぎません。
手段と目的のすり替え。。。
リハやケアでいろいろなカタチで起こっていることです。。。

救命講習で
意味がわからないために確認し損ねたり、実践できなかったり、間違えたりしたら
それこそ、生命に関わりますものね。
救命講習そのものを受講できたことも良かったし
関連して重要なことの再確認もできて良かったです。

 

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/5269

症状・障害を好き嫌いと誤認する

「症状や障害を好き嫌いと誤認する」
認知症のある方への対応で現場あるあるのパターンです。
認知症のある方の意向尊重という名目のもとに行われているとしたら
本当に怖いことだと思います。
例えば。。。

昼夜逆転やせん妄予防のために
日中過ごす場所を明るくしておくのは今やケアの常識となっています。
  
ところが、人によっては
部屋の照明をつけておくことを拒否する場合もあります。
この言葉を表面的に受け取って照明を消してしまうと
後になって昼夜逆転やせん妄を起こしたりします。

ここでは説明をすることが必要です。
説明をする時には
目の前にいる方が電気をつけることの何を嫌だと感じているのか
電気をつけることで目の前にいる方にどんなメリットがあるのか
例えば
「足元が暗いと危ないので明かりをつけさせてください」
「健康のために日中は明るくして過ごすと良いそうですよ」
「電気代は施設持ちなのでつけておいても〇〇さんの個人負担にはなりませんよ」
などなど、その方のポイントに沿って説明をする
「あぁそうなの。それじゃお願いしますね。ありがとう。」
と言われることが圧倒的に多いものです。

ただし、近時記憶障害があれば
その場では説明の理解ができて対応の受け入れを了承してもらえても
数分後には忘れてしまって「明かりを消して」という訴えを繰り返すことがあります。
ここだけを切り取って
「明かりを消してほしい」という訴えを頻回に繰り返す
 →よっぽど明かりがついているのが嫌だから同じ訴えを繰り返す→明かりを消してあげよう
という判断をする人がいます。
つまり、近時記憶障害を好き嫌いと誤認しているわけです。
ところが
意思尊重という考え方を表面的にしか理解していないと
「認知症のある方が嫌がっているから部屋の明かりを消しておいた」
という対応をするようになってしまいます。

近時記憶障害なのか?好き嫌いなのか?
  
その判断のポイントは、他の場面でも忘れてしまうことがあるかどうか。です。
つまり、日常生活場面での言動をどれだけ観察できているのかが問われます。
近時記憶障害がなくて本当にその方の意思表示として嫌がっているのかどうか
きちんと日頃から観察できていれば区別がつくものです。

きちんと説明をせずに
その場の言葉だけを切り取って
認知症のある方の言葉通りに日中から暗いお部屋で過ごしていて
せん妄を起こしてしまった方には複数遭遇したことがあります。。。
  
昼夜逆転の場合でも
大声を出したりセンサー鳴動が活発になるなど
職員との関係性で職員が困るような「問題」が発生すると気がつかれやすいものですが
大声も出すことなくセンサー鳴動もなく、ただ静かに起きているだけだったりすると
気がつかれにくい
ものです。
せん妄も過活動型せん妄であれば気がつきやすいけれど
低活動型せん妄には気がつきにくいものです。
そうすると、活気がない、食欲がない、ぼーっとしている
などの体調変化があっても気づかれにくく対応が後手に回ってしまいます。

意味不明なことを言ったり
ベッドから落っこちてしまったり
食事摂取量が減ったり
常にぼんやりしていたり
そのような方でも日光浴を奨励し日中居室の明かりをつけておくだけで
過活動型せん妄も低活動型せん妄も解消したケース
昼夜逆転を解消し日中の覚醒を改善したケースを何例も経験しています。
きっとこちらにお立ち寄りくださっている人なら同様の経験を多数されていることと思います。

認知症のある方が
経過や周囲の状況を参照できずに
その場の感情だけで発した言葉を言質にとって「意思表示」と受け取るのはどうかと思っています。
きちんと説明して理解した上で尚且つ表明された言葉であれば
「意思表示」として尊重すべきだと思いますが、
近時記憶障害があると経過や周囲の状況を忘れてしまっているので
説明されて初めて理解できるようになる
ことは多々ありますし
理解できれば表明された意思表示も変わります。
また、理解できても忘れてしまって同じ訴えを繰り返すことがあるのだから
その都度説明を繰り返す
という対応が必要だと考えています。

さらに言うと、問題は
「電気消して」と言われた時に
その方が電気がついていることの「何が嫌」なのかを汲み取れない
あるいは尋ね返すことができなかったり

その表明に沿って、電気をつけることのメリットを
その方の理解力や特性に沿って臨機応変に説明できない
電気をつけることの意義を実は理解できていない

といったように、本当の問題は、こちら側職員側にあるのではないでしょうか?

表面的に意思尊重しているように見えて
その実、本当のコミュニケーション、やりとりが為されていない

ということになりはしないでしょうか?

そして、その裏には
いざこざを回避しようとするために
言いなりになることを無意識に選択しているという心理が隠されてはいないでしょうか?

認知症のある方の意思尊重・意向尊重は当然最優先されるべきことではありますが
近時記憶障害と誤認されて良いことではありませんし
近時記憶障害の特徴を踏まえて必要な説明をすることが
認知症のある方の本当の意思尊重につながる
と考えています。
もっと言うと、尊重と迎合は違うと常々考えていますが
現場ではまだまだ混同されているのだと感じてもいます。
この尊重と迎合は違うということについては
別の記事で書いていこうと思います。

 

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/5254

問いを問い直す

認知症のある方への対応にしろ
食事介助への提案にしろ
生活期にある方へのポジショニングにしろ
私のさまざまな提案の根底に通底しているのは
現行の在り方への疑問です。

問いを問い直す

アーシュラ・K・ル=グウィンの「西のはての年代記III ヴォイス」という本に
「心の中の神が石の中の神を見る」
「はかりしれない謎に理にかなった思考を寄せる」
「われわれの探す迷子の羊は真の問いだ
 羊の体のあとに尻尾がついてくるように
 真の問いには答えがついてくる」
という言葉が出てきます。
まさしく!まさしく!

いわく
現場では多くの人が、
認知症のある方の大声や暴言、介護抵抗といったBPSDが
「どうしたら出なくなるか」
「どうしたらなくなるか」
という問いを立て、その問いに答えようと多様なハウツーが主張・展開されています。

でも本当は
「何に対して怒っているのか」
「何が嫌だと表現しているのか」
を尋ね、共有化することが最初の問いなのではないでしょうか。

どうしたらBPSDがなくなるのか
という問いは目標設定が適切にできるようになれば
(現実には大変な困り事ではあったとしても)
解決の視点としてはおかしなことだと気がつけるようになります。
 「BPSDがなくなる」というのは行動ではないので目標にはなり得ないからです。
  詳細は目標設定についての記事を検索・ご参照ください。

問題設定の問題、問いを間違えていたのです。
だとしたら、問いを問い直せば良いだけです。

尋ね方にはまず言葉で尋ねることが重要で
その尋ね方にも知識と技術が必要ですが
その際の知識と技術が明確化されていないのが私たちの側の問題の一つです。
また、言葉ではなく「介助というもう一つの言葉」で
「もしかしたら〇〇ということが嫌で怒っていたのですか?」
「△△という方法なら大丈夫でしょうか?」
と尋ね確認する過程も必要で、この過程にも知識と技術が必要ですが明確化されていません。
これも私たちの側の問題です。
(いずれに対しても私はあちこちで知識と技術の側面から提案をしています)

これらの過程の問題が解決されていないので
紋切り型の対応やハウツーが希求されるしかないのだと思います。
でも、そのような対応では実際の現場で
「うまくいかない」体験を必ずしているはずなんです。

認知症のある方への現場では
いろいろなことが混同され切り分けられていないという側面もあります。
そこを整理することが必要だと考えています。
・善意であれば正しい結果を出せるわけではない
・対人援助は関係性の中で為される行為であるからこそ
 援助者側の困難が対象者の問題として投影されてしまう
・援助は強制や独善とは同じコインの裏表
 容易にすり替わりがちで
 援助であれば強制や独善にはなり得ず、強制や独善であれば援助にはなり得ない
・援助者側の都合は否定されるものではないが、混同されるべきものでもない
・対象者の言動を的確に観察・洞察できている援助者は思った以上に少ない
・安易な紋切り型の対応、ハウツーへの希求は
 受講者側だけでなく研修会主催者や講師側にも根深く位置づけられているため
 拡大再生産されてしまう

これらの現実をきちんと見つめ、整理し直すことが必要だと考えています。

紋切り型の対応やハウツーの当てはめを卒業できるように
こちらでの記事をはじめ自身のサイトや著書や講演を通して具体的に提案をしています。
困っている方はぜひご参照ください。
   
卒業できるようになるには、
知識も技術も必要ですし体験学習の蓄積という時間も必要です。
技術を習得・実践・活用できるようになるまでの過程で
時には自身の未熟にいやというほど直面させられることもあるでしょう。
でもその先があるのです。

実践の過程を支えてくれるのは
認知症のある方が良くなっていく過程の協働体験そのものです。
認知症のある方がなんとか問題解決しようとする意思と
不合理な形であったとしても発揮されている能力の発露に触れることです。

そこを知れば、もう決して元の在り方や考え方に戻ることはできません。

 

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/5250