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開口してくれない方への口腔ケア:じゃあどうするか?

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関与の適切さが担保されていれば
開口してくれない、開口できない、という行動には
口唇を開けてくれない、開けられない、
もしくは、
歯を噛み締めていて開けてくれない、開けられない
と大きく分けると2つのパターンがあるこちに気がつくと思います。
  
まず、どちらなのか、
口唇を開けることと顎を開けることのどちらが困難なのかを把握します。
この時に同時に頸部や体幹、上肢などのアライメントと筋緊張も把握します。
口を開けてくれないのではなくて
開けたくても開けられない
姿勢の問題、ポジショニングで対処すべき問題もあるからです。

意外に多いのが
顎の開閉は可能でも口唇閉鎖のままというケースです。
口輪筋に力が入ってしまっているので開口したくてもできない状態です。
そのような時には、介助者の示指を口唇中央にそっと当てて円を描くように動かします。
この時穏やかな口調で「くちびるが楽になります」と語りかけます。
すると口唇閉鎖が緩んできますから
「そうです。いいですね。その調子です。」と語りかけます。
   
口輪筋が十分に緩めば、すぐにその方の手続き記憶を確認しながら(前記事参照)
前歯もしくは奥歯からブラッシングを始めます。
口輪筋がまだ硬くて少ししか開口しない場合には
緩んだ部分から介助者の示指を口唇の内側にいれて
決して無理やりはしないで、可能な範囲で円を描くようにマッサージを行います。
すると、だんだん口輪筋が緩んでくるので口角や下唇の裏側など
まだ緩んでいない部分のマッサージを行います。
(この時に 口唇小帯 の部分は避けるようにしましょう。)
口輪筋が十分に緩んだことを確認できたらブラッシングが可能となります。

次に口唇は開いても歯と歯を噛み締めてしまっていて開口できない
顎がしっかり閉じてしまっている場合の対応について記載していきます。
口唇を開くことはできるので一部でも歯を見ることは可能です。
その見えている可能な範囲で(無理に範囲を広げずに)歯をブラッシングします。
穏やかな口調で
「歯を磨きますよ」「歯が綺麗になります」「お口の中がさっぱりします」
などの感覚や感情に働きかける声かけをしながらブラッシングをします。
すると、前歯からだんだんと奥の方に歯ブラシを移動させることが可能となります。
奥歯の表側をブラッシングできたら十分に時間をかけると緩みを感じられると思います。
緩みを感じたら奥歯の上側をブラッシングします。

相手の身体とのノンバーバルコミュニケーションをとりながら介助するのです。
緩んでいない→まだなのね、じゃあこれ以上は無理やりはしない→介助という動作で相手に伝える
口腔ケアという介助というを通して
相手の身体反応という行動と自身の行動というコミュニケーションを行うことです。

当然、昨日はすぐに緩んだのに今日はなかなか緩まない
ということだって起こり得ます。
人間ですから。
逆に自身の介助だって、昨日はきちんと感受できたのに今日はちょっと強引だったかも。
ということだって起こり得ます。
人間ですから。
状況だって違うでしょうし。

  大切なことは
  常に毎回100%の完璧な実践が為されることではなくて
  常に毎回自覚できていること。
  少なくとも自覚しようと意思することです。
  その時起こった事実をきちんと感受し自身の認識を自覚しようと意思することです。
  この過程にゴールはありません。
  イマ、ココでの言動には
  カコ、タシャとの関係が顕在的にも潜在的にも反映されるものだからです。

奥歯の上側をブラッシングできるということは
わずかであっても歯と歯の噛み締めが減少し、顎が開いたことの証左ですから
そうなれば、もう大丈夫です。
決して焦らずにここできちんと時間をかけて
「いいですね。歯がすごく綺麗になります。」と声掛けしながらブラッシングすると
もっと大きく開口できるようになりますから
奥歯の裏側もブラッシングできます。

噛み締めがきつくて上述の対応でも困難な時にはKポイントを刺激します。
いきなり指を口の中に突っ込もうとすると噛まれてしまいますから
緩んでいる口唇の間から示指を入れて
下の歯の表側と頬の間を通って奥歯まで指を入れてから
歯ぐきの内側に示指を入れて該当箇所を押します。
すると開口してもらえます。
これは最後の手段として、できるだけ上ふたつの方法で
開口してもらえるように関与していきます。

口腔ケアに協力してもらえない、開口してもらえない
時には、必ずその方にとっての必然があります。(理由や原因ではなくて必然)
   
まず、開口してもらえない場面そのものをきちんと観察する情報収集から始めましょう。
「開口してもらえない時には〇〇する」というようなハウツーは卒業しましょう。
その時その場でのその関係性において関与していくことができるようになるために
まず、今、その方に何が起こっているのかを洞察できるように
そのために自身の「行動」というもうひとつの言葉(自覚的に選択された行動)で働きかけ
対象者の「反応行動」というもうひとつの言葉をきちんと聴くことから始めましょう。

 

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開口してくれない方への口腔ケア:介助の問題

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開口してもらえないと口腔ケアが難しくなります。
すると、往々にして「どうしたら開口してもらえるか?」
という問いが立てられます。

そうではなくて
まず、口腔ケアを促した時にどのような反応が返ってくるのか
どんな風に口を開けてもらえないのか
どんな風に拒否をするのかを
きちんと観察することから始めることが必要です。

驚くべきことに、この部分をきちんと観察している人は
ものすごく少ないと言っていいでしょう。
逆に、きちんと観察している人は
所属組織の中で現状把握のあまりの乖離に
とても困っているのではないでしょうか。
  
言葉にならないもうひとつの言葉、行動をきちんと観察しましょう。
何が起こっているのかを観察し
習得してきた知識をもとに洞察しましょう。
 
同時に、有効な情報を得るためには
まず、こちらが適切な促しをできていることが必要です。
臨床でおろそかになりがちなのは
・声はかけてもアイコンタクトはしていない
・歯ブラシをきちんと見せることなく口の中に歯ブラシを突っ込む
という関わりです。
このような介助では、口腔ケアを拒否して当たり前だと思いますし
仮に、今は口腔ケアを受け入れてもらえたとしても
後になって対象者の「相手に合わせる」能力が低下した時に
蓄積した「感情記憶『嫌だな』」を想起して拒否することになっても当然だと思います。
そしてその経過への配慮なく問題視してしまう。。。

口腔ケアをする時には
必ずアイコンタクトを促してから、次に声かけ
歯ブラシを見せて、
対象者がきちんと歯ブラシを見たことを確認してから
歯ブラシを横に数回動かします。
  この動作は、言葉という聴覚情報だけではなく視覚的情報を提示することで
  「歯磨きをする」ということはどういうことなのか、再認を促しています。
それから「あー」と言ったり「いー」と言ったりします。
歯磨き→「大きく開口する」ことが
その方の「歯磨き」という手続き記憶であれば「あー」と声をかけ
口腔内に歯ブラシを入れて奥歯から磨き始めます。
歯磨き→「前歯から磨き始める」ことが
その方の「歯磨き」という手続き記憶であれば「いー」と言って
前歯からブラッシングを始めます。

以前に「再生と再認」の可否を確認する
という説明をしましたが
再生と再認の可否の確認しておくと、対応の工夫にものすごく活用できます。
重度の認知症のある方でも再認可能な方はとても多いものです。
(そしてこのことは、あまり知られていない)
また、手続き記憶は残りやすいと言われていますが
ADLはまさしく手続き記憶の宝庫です。
だからこそ、介助者が対象者の手続き記憶ではなく
自身の手続記憶で対応してしまいがちで、しかもそのことに無自覚なのです。
介助者の手続き記憶と対象者の手続き記憶の違い
(たとえば、歯をどこから磨くか)は手続き記憶だからこそ自覚しにくい
(違って当たり前なのに)ということはもっと強調されて然るべきものです。
そして手続き記憶のズレは強烈な違和感を生じさせるものですが
介助者自身は「手続き記憶のズレ」という体験を
受けたことがないのでさらに自覚しにくい。
その結果、自身の手続記憶を押し付けてしまい
拒否や介助への適切な協力をしてもらえないことになってしまいます。
そこで自身の関与を振り返ることができないと
対象者に「介護抵抗」「介助拒否」というレッテルを貼って
「関係性の中で生じている問題」を「対象者の問題」にすり替えてしまう。。。
本当に現場あるあるです。

「認知症のある方に寄り添ったケア」という理念を具現化するとは
声高に唱えることなんかではなくて
こういう日々のケアひとつひとつに誠実に向き合うことです。
介助者自身の手続き記憶を自覚する
対象者の手続き記憶を模索することから始めましょう。
「あなたの歯磨きの手順はこうですか?」
と言葉ではなく動作介助というもうひとつの言葉で尋ね
対象者が開口するか、もっと強く拒否をするのか、
言葉ではない、反応行動というもうひとつの言葉を聴きとります。

適切な関与とは
決して、単に敬語を使うことをはじめとする接遇にとどまりません。
もちろん、接遇の重要性を否定するものではありませんが
認知症は脳の病気ですから
もっと障害や能力という観点での対応が必要です。
そして、再認という能力発揮を促せるようになるためには
生活歴や手続き記憶、特性という情報収集が本当に必要です。
  
でも、実際の現場では
「その人らしさを大切に」
「その人に寄り添ったケア」
と声高に唱えられることはあっても
実際にそれらの情報の活用の仕方について具体的に説明を受けたことは
あんまりないのではありませんか?
だから、認知症の普及啓発がこれだけ進んできているのに
講習の内容が旧態依然とした理念の提示や
スローガンの提示程度にとどまってしまっていて
現場で必死になって本当に「認知症のある方の役に立てるように」働こうとしても
じゃあ、どのように考えたら良いのか
本当に役立つような指針が得られなくて、辛くて、あまりに辛いからこそ、
そのうち初心に目をつぶって目の前の現実に押し流されてしまうことを
選ぶしかなかった人だっているのではないかと思います。

そんな人に向けて
このサイトがありますし、こちらのサイトもあります。
  
次の記事では、じゃあどうしたら良いのか
開口してくれない方への口腔ケアについて
具体的に記載していきます。

 

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HDS-RとMMSEの扱い方・留意点

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HDS-Rを施行すると、怒り出してしまう方がたくさんいます。
(怒り出すということも大事な情報ですが)

検査は大事ですが
検査しなくても観察から検査と同等の洞察ができれば
認知症のある方の心身の負担を減らすことができるとずっと思っていました。

そのため
HDS-Rやかなひろいテストをする一方で
日常生活や会話の質的内容や行動との照合をずっと行なってきました。

HDS-Rの項目の意義を理解できるようになり
生活場面への反映についてそれなりに洞察ができるようになり
だんだんと観察だけでもかなりHDS-Rの予測がつくようになり
生活場面への反映についてもわかってきたので
HDS-Rの検査場面でちょっと1工夫することも始めました。
詳細は 「対応に役立つHDS-Rの工夫」 をご参照ください。

ところが、
これだけ認知症の普及啓発がなされている現状でも
実際に働いている職員の中には
「リハに支障がない」「従命可」「会話が弾む」「気遣いができる」「冗談が言える」
という程度の根拠で
「認知症じゃない」「年相応の物忘れ」などと、
安易に無責任な判断をする人がまだまだ多いという現実にびっくりしています。

「ちゃんとお話ができるから認知症じゃない」
という言葉を幾度聞いたことでしょう。
この言葉はその裏側に
「認知症になるとちゃんとお話ができない」
という思い込み・偏見があるからこそ、言える言葉です。
そんなことは決してありません。
HDS-R3/30点の方が
「こんなバカな俺に優しくしてくれてありがとう」と言ったり
HDS-R0/30点の方が
「俺はよ、ここがよ(頭を指さして)こうだから(指をくるくる回す)」
と発言されたりします。

年相応の物忘れと判断された方のHDS-Rは10点
認知機能低下に言及もされず、しっかりした方と言われていた方の
HDS-Rは5点ということもありました。

これだけHDS-Rが低いと明らかに生活に影響が生じいるはずなのに、
認知機能低下が見落とされている。。。
ご家族や生活の支援をする看護介護職は困っているのに
一部のリハ職はまったく気づいていないという。。。

ひとつには
認知症、認知機能低下という概念の理解ができていない職員側の問題がありますし
他方
他者に合わせようとして生きてきた方、他者に合わせるタイプの方は
自主的に起こす行動が少ない場面だと
認知機能低下が目立ちにくいという傾向があります。
たとえば、困った時わからない時には
誰かに尋ねて返ってきた答えの通りに対応する方や
自分から何かしようとはせず指示があるまではじっと待っている方は
その場では「穏やかな方」「良い方」といった判断がなされがちで
記憶の連続性が低下していたとしても
行動特性から表面化しにくいので見落とされてしまいます。
また、俗に言う地頭の良い方、元来認知機能が高かった方は
記憶の連続性が低下しても逆症や計算ができるので
これまた見落とされがちです。

「同居しているご家族は認知機能低下によって生活支援で困っていても
 たまに来るご家族には理解してもらえないことも多い」
と言われるゆえんです。

MMSEを施行する時に
MMSEはHDS-Rとは違って、検査項目が記憶だけではない
という前提条件を見落としていると
得点結果だけで判断してしまい、状態を見誤ります。
同じ30点満点のテストでも、
得点結果が同じ20点であったとしても
どの項目で失点してどの項目で得点したかは全く異なります。

実際に
他院でMMSEが10点代後半、疎通も良好で礼節も保持されていた方で
他院からのリハサマリーに認知機能低下への言及がまったくなかった方とお話をしていたら
1分前にした説明を忘れてしまっていたので
HDS-Rをとったら10/30点だったということがありました。
遅延再生も見当識も0点でした。そのかわり計算や語想起は満点だったという方もいました。

得点結果だけで判断してはいけないのです。

HDS-RとMMSEの違いを認識した上で使い分ける
そして、失点項目と得点項目に着目する
わからない時にどんな風に対応するのかということを観察しておくと
日常生活で困難に遭遇した時の行動パターンが予測できて
対応方法を明確化することに役立ちます。

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ポジショニング設定の基本

それでは
ポジショニング設定の基本を記載します。

側臥位の基本
1)肩甲帯と骨盤帯をクッションできちんとサポートする
2)下側の上下肢はきちんと引き出す
3)頭部のアライメントが適正に保持できているか、枕の高さを確認する

仰臥位の基本
1)骨盤の傾きの確認と対応
2)肩甲帯の安定性の確認と対応
3)股関節は過剰に(安静時の最大可動域以上に)外転・伸展させない
4)膝関節は過剰に(安静時の最大可動域以上に)伸展させない
5)下肢の重さを面できちんと支える
6)上記1)から5)が担保できていれば基本的には
  足部は挙上位設定(褥瘡予防のための設定)しなくても大丈夫です。
  そのかわり、足底全体がベッドに接地するように設定します。

   変形拘縮があるけれど褥瘡ができていない方に対して
   褥瘡予防という名のもとに変形拘縮を増悪させるようなポジショニングをしていると
   本当に褥瘡が発生してしまいます。
   そうすると「だからもっと褥瘡対応が必要」と言う人もいますが
   事実はまったく逆で不適切なポジショニングが褥瘡を引き起こしていたのです。
   変形拘縮のある方に対して筋緊張緩和を目的としたポジショニングが適切にできれば
   結果として褥瘡も発生しにくくなります。
   その理由は別の記事で述べます。 

そして、最も重要なのに、多くの人がしていないことは
ポジショニング設定後の確認です。

ポジショニングを設定したら
肘や膝を動かして、筋緊張が緩和していることを必ず確認してください。

適切に設定できていれば
設定直後から筋緊張は緩和しますから、その変化を実感できるはずです。
ガチガチだった膝を他動的に抵抗感なく左右に動かせるようになったり
体幹にピッタリくっついて動かせなかった腕を抵抗感なく体幹から離して動かせるようになります。
   
設定後に筋緊張の緩和がみられない、抵抗感を感じる場合は
設定が不適切であることの証左ですから
もう一度、全身のアライメントを確認し、設定し損ねている部分を見つけます。
設定を忘れているのか、過剰なのか、不足なのか
見つけた部分を修正して、再設定すれば良いだけです。

臥床時に筋緊張緩和の変化を確認できれば
離床介助時の抵抗感の減少や車椅子座位時の姿勢の変化が目で見てはっきりとわかるようになります。
車椅子上で体幹が前傾してしまい介助しても背もたれに寄りかかることができなかった方が
(前傾方向への力が強くて介助しても体幹を後傾させることができなかった)
背もたれに身体を預けてストンと座れるようになります。
体幹前傾位から中間位へ自身で立ち直ることができるようにもなります。
車椅子上で何度姿勢修正しても前滑りしてしまい食事介助が必要だった方が
前滑りすることなく座れるようになったので
姿勢修正の必要もなく食事を全量自力摂取できるようになった方もいます。

対象者の障害や困難と自身の未熟を混同してはいけないのです。
混同しない、区別できるようになるためには
ポジショニング設定後に筋緊張緩和の確認をすれば良いのです。

また、
ここが誤解されがちなところですが
ポジショニングとは、良い姿勢に整える
ということではありません。

車椅子での座り方やベッドでの寝方には
その方の障害や困難だけでなく能力も反映されています。

本来の能力発揮を阻んでいる環境を変更することによって
本来の能力を発揮した状態で寝られるようになります。
臥位レベルで能力が発揮できるようになり
座位レベルでも能力発揮できるようになるから
結果として車椅子座位姿勢も改善されるのです。

姿勢には機能、働きが反映されています。

良い姿勢には、機能、働きの良さが反映されており
悪い姿勢には、機能、働きの不合理や不全が反映されているのです。

悪い姿勢を見た目良い姿勢のように整える、修正するのがポジショニングではありません。

悪い姿勢に対して、見た目を修正するのではなく
悪い姿勢に反映されている機能や働きを
より合理的に発揮できるように援助すると
機能や働きが改善された結果として、姿勢が良くなるのです。

繰り返しますが
認知症のある方への生活障害やBPSDへの対応も
生活期の方の食べる困難への対応も
カタチを変えてまったく同じコトが違う表れをしているだけなのです。

どれか一つで良いから
結果を出す、誰が見ても対象者が良くなったことがわかるまで変化を起こす
ように挑戦してみていただきたいと思います。
その時に私が提案してきていることの数々の一端をご理解いただけると思います。

 

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車椅子で前傾してしまう方への対応

上図のように
車椅子上で体幹が前傾してしまう
背もたれに寄りかかるように動作介助しても
身体が硬くてすぐに前傾してしまう方っていますよね?
ティルト型車椅子に変更してティルトを倒してもやっぱり前傾してしまう
そのような場合、どうしていますか?

車椅子上での姿勢について
車椅子上でクッションを入れる対処はしても
臥床時の姿勢、ポジショニングの見直しをしている人は少ないのですが
実はここが重要なのです。

上述のような方の場合
骨盤と体幹の分離が不十分というケースが圧倒的に多いものです。

臥床や離床介助の時に
立ち上がり時の動作を確認すると
腰背部を伸張した前傾ではなくて
骨盤も一緒に浮き上がってしまう。
なんなら、下肢も屈曲位のまま、浮き上がってしまい
足底接地や足底への荷重が難しい。。。ということもあります。

臥床時は
体軸内回旋が乏しく
骨盤を動かすと下肢も体幹も一緒にゴロンと転がってしまいます。
運動麻痺があるわけでもないのに(運動麻痺があることも多々ありますが)
全身がガチガチに硬くなってしまっているのです。
そして、このガチガチの硬さに対応せずに
座位でのポジショニングしかしていない人がとても多いのです。。。

こんなにガチガチだとおむつ交換も大変ですし
臥床はしていても、寝ても寝た気がしないと思います。
臥床本来の目的である身体をゆっくり休めることができないのではないでしょうか。

こんなにガチガチに硬くなってしまうのには理由があって
1)ポジショニングをまったくされてこなかった
2)不適切なポジショニングをされてきた
どちらでも起こり得ます。

筋緊張緩和目的のポジショニングは
過剰な筋緊張をせずとも臥床できるように環境調整することが肝要です。

まず、個々人のキーポイントを見つけられるように観察します。

臨床上、最も多いのは、
骨盤の傾きや肩甲帯の不安定さを見落とされているケースです。
そこを対応するだけで身体柔軟性が発揮されるようになります。
また、下肢の伸展パターンに対しては
骨盤後傾と股関節の屈曲位を引き出すような設定をすると
伸展パターンの抑制が可能となることも多々ありますし
側臥位設定することで伸展パターンの抑制が可能となることもあります。

どうしたら良いか、途方に暮れてしまう、という人は
まず、全身のアライメントを観察してください。
ベッドの足元側から観察し、
次にベッドの右側から、左側からも観察してください。
観察が難しければ、許可を得た上で臥床時の姿勢を写真に撮り、
各関節がどうなっているのか、一つひとつの関節角度をきちんと確認しましょう。
そして必ず筋緊張を確認しましょう。

全身の一つひとつの関節の状態がどうなっているのかがわかり
筋緊張も把握できれば
どうしてそうなっているのか、どうしたら良いのかということが
自然と一本道のように浮かび上がってきます。
あとは、浮かび上がってきたことを具現化するだけです。

この繰り返しで即座に観察・洞察することができるようになります。

どうポジショニングしたら良いかわからない
と言う人に限ってこの過程をすっ飛ばしていますが
「自分がわからない」という事実にきちんと向き合って
どうしたら自分自身でわかるようになるのかを考え対処しない限り
永遠にわからないままです。
そうするとハウツーを当てはめるだけになってしまい
しかも当てはめたハウツーがその方に適切だったかどうかもわからないままとなってしまいます。

どうポジショニングしたら良いのかがわからないのではなくて
その方に何が起こっているのかがわかっていないのですから
何が起こっているのかをわかるようにならなければいけません。
(認知症のある方への生活障害やBPSDへの対応とまったく同じコトが違うカタチで現れています)

ここを誤解している人がとても多いのです。
「どうしたら良いか」と問うのではなく
「何が起こっているのか」と問うべきであり
「自分がこの方に何が起こっているのかわからない。どうしたらわかるようになるのか」
と問うことから始めるしかありません。

正しく問うことができるから正しい答えを得られます。
今までは問うてはいたけれど問い方を間違えていたのです。
だったら、間違えずに問えるようになれば良いだけです。

   ポジショニングに限らず
   食事介助や認知症のある方への対応なども含めて
   最も重要なことは常に状態把握・評価です。

   実習において学生に体験学習させるべきはこの臨床姿勢であり
   協会主催の研修会でも再学習を促した方が良いと考えています。
   なぜなら、私の経験ですが
   (各地で多様な主催者から多様なテーマで多数の講演を依頼されてきました)
   講演後の質疑応答で「どうしたら良いのでしょう?」と質問する人は多くても
   「どうしたら的確な評価を行えるようになるのでしょう?」と質問した人は
   今までに1人しかいませんでした。
   正しく問える能力を養成すべきだと考えています。

それでは、次の記事で
ポジショニング設定の基本についてご説明します。

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CCSの振り返りを

実習指導に
クリニカルクラークシップ(CCS)が導入されて久しくなりました。

倫理的な問題も踏まえて
時代の流れとしての必然もあると思います。

CCSで臨床実習を受けた学生が多数臨床に出ているので
CCSのメリットもデメリットも
養成校側にも臨床現場側にも当の学生(新人や若手)にも職場管理者にも
把握できている頃合いなのではないでしょうか?

このあたりで一度メリット、デメリットを踏まえて
検討してみることも必要なのではないでしょうか?
より良いCCS、より良い実習体験、
最終的にはより良い臨床家を育てるための実習という目標に照らして
検討してみた方が良いのではないでしょうか?

実習で本当に体験学習をさせなければならないことは何なのか?

かつて
私が実習で感じたことは
今は指導者がいるから良いけれど
就職したら自分でPDCAを回していくんだという責任の重さ、怖さでした。

就職してからも
対象者に悪いことをしないで済むように
できれば良いことができるようになりたいと必死でした。
職場に来てくれたボバースの紀伊克昌先生や古澤正道先生のデモンストレーションで
いつもできない動作をスムーズにできるようになっていく対象者を目の当たりにして
天と地ほどの実力差を痛感し
にもかかわらず、ご家族は同じ時間と同じお金を支払うのだと思い知らされました。
  
まず、自分が真っ当なOTになりたいとずっと願っていました。
そのために必死になって学んできました。
自分自身がそれなりの実践を提供できていると自信を持てるようになったのは、かなり経験を積んでからのことです。
そして今でも、自分の技量の未熟によって対象者の方に不利益を提供してしまうようなことは避けたいと強く思っています。
自分が結果を出せるようになることが最優先で
実習では結果を出せるようになるための礎を体験してもらうことが最優先で
OTの楽しさ、素晴らしさを伝えたいと思ったことは昔も今も一度もありません。  
自分自身が納得できない現行の方法論から脱却し
どうしたら結果を出せるようになるのか
非常に大変な思いをしてきました。
私が興味関心を抱き続けてきたのは終始「結果を出す」「対象者がよくなる」こと
今も、それを一人でも多くの人に伝えていきたいと思っています。

かつて実習指導者会議に出席した時に
「実習では学生にOTの楽しさを体験させてほしい」
と複数の養成校の複数の教員から言われました。
当時はものすごく納得できなくて
でも、何をどう伝えたら理解してもらえるのかがわからなくて
結局は何も言わずにいたのですが
そして今となっては指導者の立場からは身を引いて外から養成を眺める立場ですが
やはり同じ思いを抱いています。

  私がよく言うことは
  飛行機のパイロットが同業者に向けて
 「パイロットの素晴らしさを伝えたい」と思うだろうか?ということです。
  どのような飛行条件であったとしても安全に目的地に着陸できるように
  自身の技量をトレーニングしているのではないでしょうか。

OTを志望してもらえる裾野を広げるために
一般の人に「OTの素晴らしさや楽しさ」をPRしていくことは必要だと思います。
けれどOTの養成過程にある人に対して
素晴らしさや楽しさを優先して伝える意義がどこにあるのか私には理解できません。
まず、OTとして最低限の技量を身につけるように養成するのが最優先なのではないでしょうか。
善意と善行の区別がつくように養成しなければならないのではないでしょうか。

私は志の高い、優秀なOTをたくさん知っています。
と同時に、そうではないOTがいることも知っています。
どんな職業でもピンキリであり
人にはそれぞれの事情やバックグラウンドもあるでしょう。

でも、対象者にとって、それは無関係なことです。

自分や自分の大切な人が対象者の立場に立てば
誰だって腕の良いOTに担当してもらいたいと願うものではないでしょうか。

たとえば
目標設定や筋緊張を緩和させるポジショニングについて
悩んでいる人がたくさんいることが記事のアクセス数からも伝わってきます。
でも、同時に、これって基本的なことなんじゃないかな?という思いも抱きます。
だけど、こういった基本的なことをちゃんと教えられる人が少ないから
困ってしまう人が多いんだろうとも思います。
そして、悩んでいる人はまだ良くて
目標設定やポジショニングができないのに
悩むことすらできないOTがいることも知っています。

私が思うに
検査はできても評価ができないOTが多いように感じています。
目の前で起こっている事象から障害を観察できなかったり
個々の事象の関連性を認識できず障害と代償との区別がつかなかったり
事象に対して表面的に対応したり、
ハウツーを当てはめるだけでそのハウツーが適切かどうか確認しない
そのような臨床姿勢が適正であると思い込んでいる。。。

OT協会の加入率が年々減少していて
卒後研修や自己研鑽に積極的ではないOTも少なからずいて
OTの質を底上げすることに関して
結果的にであったとしても就職先の職場に丸投げしているような現状だと
直接のOJT指導者にものすごい心身の負担がかかっているのではないでしょうか。
協会主催の卒後研修において、
もっと基礎的な実践的な知識と技術、臨床姿勢について指導も必要なのではないでしょうか。

一個人の私にできることは
日々の実践や講演などを通して
結果を出すとはこういうことだ
評価とはこういうものだ
評価を踏まえた対応とはこういうものだ
と伝え続けることしかできませんが、
その必要性や意義について再認識させられています。

卒前の養成過程において教授すべき知識量の増加や
卒前の実習の位置付けの変化
を踏まえて、
CCS導入によるメリット、デメリット
特に、臨床実践への影響について共有し検討すべきではないでしょうか。
そうでないと、昔は学生のうちに体験学習できていたことを
暗黙のうちに臨床現場に先送りすることになってしまわないでしょうか。
それは、真摯な若いOTにとっても、担当される対象者にとっても
大きなデメリットとなっているように感じられてなりません。

 

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目標達成の可否に向き合う

目標を目標というカタチで設定できないと
目標達成の可否に向き合うことができません。
漫然としたリハの提供に陥り、自己修正の機会を失います。
ここに目標は「記述の仕方が問われるべき」「目標を目標というカタチで設定できる」ことの意義があります。

「ワールドトリガー」という漫画の28巻で
麓郎の問いに対して、ヒュースが師の教えをもとに答えるシーンが出てきます。
「目標達成の期限を決めなければ
 成功か失敗かの判定を無限に先送りすることができる」
「現実的な反省や改善は望むべくもありません」
「期限を切るのは結果と向き合う手段の1つ」
という言葉が出てきます。

このシーンに出てくる麓郎の目標は
チームとしては「A級昇格」個人としては「個人ポイント8000点」
と目標というカタチできちんと設定されています。
ところが期限を決めていなかったのです。

じゃあ、私たちはどうでしょう?
短期目標、長期目標を設定しますが
期限が来た時に(リハ計画書を更新するたびに)
目標の達成可否を見直しているでしょうか?

「現状維持」「移動能力の維持」などという記述にとどまっていると
目標を目標というカタチで設定できていないので
期限が決められてはいるが(3ヶ月ごとに記録更新)
結果に向き合うこと
目標達成に向けての対応が
成功か失敗かの判定を無限に先送りして

現実的な反省や改善ができていない
ということはありませんか?

リハ計画書の書式というカタチが
為すべき記載内容、為すべき実践を要請している
のに
書式に合わせた記述をしないと(その必要性が認識できないと)
単なる更新、機械的な事務処理に終始してしまいます。
  
優秀な臨床家は、常に自身の関与の適不適を確認しながら実践しています。
その確認ポイントを明確に自覚しているものです。
だから、目標の概念理解を学んでこなかったとしても
優秀な臨床家であれば、少なくとも、自身の目標設定に関して自信がない、不安だ、という自覚があるものです。

目標を目標というカタチで記述できる
ということは、実は臨床能力と相関があるのです。

目標なんか、それらしく書いておけば良いというものでは決してありませんし
また、本人のやりたいことを目標とすべきとか、内容が大事とか言う人もいますが
それは目標を目標というカタチで設定できて初めて言えることですし
目標というカタチで設定できてPDCAを回してさえいれば
いずれ自然と、かつ、必ず内容も伴う目標が設定できるようになるものです。

カタチがナカミを担保するのです。
  
日々の多忙さや、切実に求められることの多さから
目標設定は後回しにされがちかもしれませんが
臨床能力を自分自身で育てていく上で必須のものです。

臨床能力を自身で育てていけないと
理論や最新のツールといった外部の情報に過度に依存するようになります。
(まさしく理論武装をするわけです)
理論やツールに対象者を当てはめるのではなくて
対象者の利益のために理論やツールを活用すべきです。
活用できるように自身の内的な能力、臨床能力を高めるべきです。

目標を目標というカタチで設定できるようになれば
PDCAサイクルを回せるようになるので
結果として
目標を達成できるようになるために
個々の対象者に応じて
自身の関与の適否を自身で判断し
より良い関与ができるように
対象者の情報の不足している部分が具体的にわかるようになるので
自分で情報を収集できるようになり
自己修正ができるようになります。

つまり
自分で自分をより良い臨床家に育てていけるのです。

このような臨床姿勢こそ
卒前卒後を通して、生涯を通して、涵養し続けるべきものだと考えています。

 

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目標とは何か

それでは、
前の記事で出した問題の正解をお伝えいたします!

問題はこちらでしたね。
1)整形外科受診を勧める          
2)痛みの有無の確認と痛みの改善を図る   
3)バランスの強化             
4)立位での姿勢反応の強化         
5)全身の筋力強化 

この中に「目標」がいくつあるか?
正解は「ゼロ」です!

なぜなら、目標というのは対象者の目標です。
上記1)〜5)のすべての主語は対象者ではなく治療者が主語となっています。
つまり、目標ではなく治療者が為すべきこと
治療内容や治療方針を目標として設定しているのです。
このような概念の混同は現場あるあるで
分野を問わず今でも起こっていることです。

10年以上前から目標に関する改善提案をしてきましたが
いまだに、方針や治療内容を目標として
しかも、短期目標として設定している人もいます。
「現状維持」や「移動能力の維持」を目標として設定している人もいます。
それでどうやって目標達成の可否を判断できるのでしょうか?
PDCAを回せるのでしょうか?
  
目標とは何か
きちんと教わっていないから
目標と目標でないものの区別がつかないのです。

じゃあ、いったい目標とは何か

その人にとって
必要で達成可能な行動のことです。

目標の定義にはいろいろなものがありますが
私たちは臨床家であって研究者ではありませんから
臨床に役立つ目標の定義が必要だと考えます。

かつて
実習生を受け持っていた時には
目標の定義から教えていました。
必要、達成可能、行動
という3つの言葉を繰り返し尋ねることで覚えてもらいました。

次に
良い目標、明確な目標として
行動、条件、基準
という3つの言葉を覚えてもらいました。

ぜひ、_神奈川県作業療法士会のこちらの記事_をご参照ください。

本質は決して古びることがありません。
とても良い記事なのに、ずいぶん前の記事なので埋もれてしまって、
そうと知る人でないと検索できないことを
とてももったいないと感じています。
そんなわけでことあるごとにPRしています(^^)

 

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