ハウツー思考の弊害

「ヒトに関することで『こうすれば、ああなる』なんてことはない」
とは、養老孟司の言葉ですが
私も本当にその通りだと思っています。

ところが
ケアやリハの分野では
「こうすれば、ああなる」
「こういう時には、こうする」
という、ハウツー思考に基づいた対応が為されることも少なくありません。

例えば
「ムセたらトロミ」
「立ち上がりができない人には筋力強化」

トロミをつけたら、ますますムセるケースもありますし
立ち上がりができない人に筋力強化をしたら逆効果になるケースだってあります。
他にも、枚挙にいとまがありません。。。

対人援助職として働いていれば
困ることは山ほどあります。

本当は困った場面そのものに困りごとを解決するヒントがあるのですが
多くの場合に
「介助者を含めた困った場面」そのものを観察しようとするよりも
「困った場面を引き起こした対象者」に問題があると問題設定をして
その問題を解決するためには「こうしたら良い」という提案がなされがちです。

困りごとを引き起こしている対象者のために
なんとかしてあげたいといった善意の(でも独善の)気持ちから
あの手この手を試しても
良い結果が出せないと
必死になって対応した分、容易に反転、陰性感情が湧き上がります。

そもそもの問題設定が
「対象者の問題解決」なのですから
そこがズレています。

だから
良い結果が出なくて当たり前
陰性感情を抱いて当たり前
マイナスの悪循環になってしまう。。。

対象者は援助者の関与を含めた環境という横軸と
自身の人生という時間、縦軸とが絡み合う関係性に
反応し、働きかけをしています。
その結果が困ったカタチとして現れることもある。。。

それらの絡み合う関係性の観察・洞察、認識・判断を抜きにして
全てを対象者の問題として設定してしまうという独善
その独善性への自覚なく
自らの善意に基づいた行動の適否を検討することもなく
行動を一生懸命積み重ねれば積み重ねるほど
反転は激しく陰性感情は強く湧き起こってきます。

湧き起こった陰性感情を否定・抑圧すれば
介護うつやバーンアウトを引き起こしますし
否定・抑圧しない人は陰性感情を対象者に投影してしまいます。

今、虐待が問題視されていますが
虐待は結果として起こると考えています。

倫理や道徳、善意だけでは
対人援助はできません。
知識という武器を身につけなければ。

知識に基づいた観察・洞察・実践ができないと
安易にハウツー思考に頼ることになってしまいます。

本来は
知識に基づいた観察・洞察・実践ができるようになるために
自分自身が実践を通して学んでいかなくてはならないけれど
知識の習得とその時々での観察という最も地道な努力を放棄するから
ハウツー思考に陥ってしまう。
経験年数はあっても、経験年数に見合う観察・洞察を習得できないし
経験年数があればあるほど、地道な努力への抵抗を示すものです。
そして若手がその背中を見て同じように行動模倣する。。。
実習がccsに切り替わり、担当ケースの数が減り
自身の実践とともにPDCAを回した経験が少なくなれば
一層身近な対応例を規範とする人が増えるのは想像に難くありません。

ハウツー思考は、たまたま当たることもあるだけです。
「寄り添ったケア」というケアの崇高な理念にも逆行するものです。
虐待の温床でもあります。

結果として起こっている虐待を
「してはいけない」
と表面的に規制しても、虐待が隠蔽・陰湿化するだけで
本質的な解決にはならないと考えます。

ハウツー思考から脱却し
自身の関与を含めた場面の観察を徹底すれば
時間はかかっても結果として虐待を減らすことにも寄与できると考えています。

そのためにも
ハウツーに頼らなくても
場面の観察・洞察がきちんとできる人が増えなければ。。。

作業療法のギョーカイでは
「作業療法理論が必要」という人は少なくないけれど
本当かなぁ?

理論よりも先にもっと必要なのは
場面の観察・洞察が的確に行える、結果が出せる、臨床能力だと考えています。
理論はその次の段階で選択すべきものです。

理論だけあったって
認知症のある方に今何が起こっているのかを
解き明かせないのだとしたら
ピンポイントで適切な対応ができるわけがない。

認知症のある方の暮らしを支えるということに関して
移動や食事を含めたADLであれ
生活障害であれ
BPSDであれ
「どうしたら良いのか?」という本人・ご家族の切実な訴えに対して
改善・解決の道筋を具体的・現実的に提示できる臨床能力こそ
今、最優先で求められているものであり
磨かなければならないものであり
後進に伝えなければならないワザだと考えています。

そして
ワザが依拠するのは作業療法理論などではなくて
対象者が抱える病気そのものへの知識と
人間に関する心身の基本的な知識と
ICFが提示している相互関係論です。

基本の地道な習得と活用した実践の積み重ねができないから
安易な方向を選択・誤認するということがあちこちで起きている
その一つが、
現場あるあるな誤った常識であり
ハウツー思考なのだ
と感じています。

 

 

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