会話の工夫11



認知症のある方に接する時
お話しようとするにも
ADLの介助をしようとするにも
リハをしようとするにしても
必ず目を見て
(仮に目が合わなかったとしても)
挨拶してから何をするのかを説明しています。
(説明の仕方はいろいろですが)

たとえ
意思疎通が困難な方であったとしても
アイコンタクトができなかったとしても
大声で叫んでいても

基本中の基本ですが
徹底していると
疎通が良くなってくるケースが本当に多い。
その方の能力に応じて変化を実感できます。

能力が喪失したのではなく
見えなくなっていただけなんだ。。。

BPSDが激しかったり
意思疎通が低下していると
「何を言ってもわからない」と思い込んでしまう人もいるかもですが
絶対にそんなことはないので
基本に忠実に徹底して継続していただきたいと思っています。

問題は
どうして見えなくなってしまったんだろう?
ということです。

見えなくなっていた能力を取り戻せた
ということは
そもそも、見えなくならずに済んだ可能性だってあるのでは?
と考えています。

 

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会話の工夫10



私が新卒だった頃には
食事を始めとするADLの奥深さを全くわかっていなかった。
今、つくづくそう思っています。

言葉だけでのやりとりは限界があります。

重度の認知症のある方の中には
ADLが全介助、自発語もない方もいらっしゃいます。

だからといって
希望が全くないわけじゃない。

日々のADL介助そのものが
ノンバーバルコミュニケーションになる

ADLの介助を
目の前にいる方に対して適切に行えるためには
目の前の方の状態を観察して
何が起こっているのかを洞察できることが必要
洞察に基づいて介助してみて
自身の介助の適否を相手の反応を確認しながら修正しつつの関与が必要

その一連の過程において
目の前にいる方の「援助」をしようという自らの意図を揺るがせずにいることが
一連の過程を担保することになる

言葉は行き交うことがなかったとしても
行動というもう一つの言葉
身体反応というもう一つの言葉が
沈黙の中で豊かに行き交っている。

適切なADLの介助ができれば
それは、同時に、ADLの下支えとなる、あるいはメタ機能としての
コミュニケーションー観察・洞察・確認ーが
適切に行えていたということの証左となります。

意思疎通困難な方の食事介助を行うと
食べられるようになることと並行して
疎通が改善されるようになることも多々経験しています。



「食べられるようになるスプーンテクニック」
に具体的に記載していますので是非ご覧ください。

最初の頃は単に嬉しかっただけですが
起こっていることの意味がわかってくると
嬉しさも増す反面、怖さも実感するようになってきました。

認知症のある方は
能力を喪失してしまったわけじゃない

そういうことが深く実感できる体験は
対人援助職を続けていくことの支えであり励みであり
襟を正す機会にもなっています。

 

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「ヴォーカルコミュニケーション」



精神科医のH・S・Sullivanの言葉を紹介します。

 

「verbal therapy はない。あるのは vocal therapy だけで ある。」

精神保健福祉愛知2014
「サリヴァンの非言語的コミュニケーション論とそのフロム=ライヒマンによる発展」
愛知県精神保健福祉センター 保健管理監 藤城 聡


 

「精神医学的面接とはすぐれて音声的(ヴォーカル)なコミュニ ケーションの場である」

「精神医学とはなによりもまず音声コミュニケーションの問題である。
コミュニケーションとはなによりもまず言語的だという思い込みはきわめて重大な誤りではなかろ うか。
述べられた命題文のほんとうのところが何であるかをおしえるのは、言語にともなう音である。」

「精神医学的面接」みすず書房 1986年

 

認知症のある方に対しても
通底するところがあると感じ、また考えています。

言葉だけに頼り過ぎたり
言葉をのせる声が威圧的だったり金切声だったり平板だったりすると
言葉が届く前に
声に反応して
拒否という正直な行動で返ってくる。
反応としての行動だから、結果として起こっている反応だけを見て
どう修正しようか、どうなくそうか、と考えても
反応の元を正さなければ悪循環になってしまいます。

声で伝わる。
声が伝えてしまうことがある。

おそらく、認知症のある方への対応の工夫について
声について公言している人はそう多くはいないでしょう。

結果として不適切な「声」で対応していて
不適切な反応としての不適切な言動や生活障害やBPSDを引き起こしてしまい
表面的に対応を検討するという悪循環が起こっている恐れが高いと思います。

逆に言えば、これからもっと「対人援助職が声に注目」して
自身の声を意識化することができるようになれば
変わってくることがたくさんあるだろうと考えています。

精神医療に携わる私の知人は
「言葉でウソをつけても、声はウソをつかない」
と言っています。

本当にその通りだと感じています。

 

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会話の工夫9



「認知症のある方には、褒めてあげることが大事」
とは、ある種、ケアの常識のようになっていて
いろいろなところで聞きますが
よくよく考えてみると随分おかしな言葉でもあって
そのことについては、既に何回もこのブログでも書いています。

どうせ褒めるなら
「なんでもいいから褒めましょう」「一日一回は褒めましょう」
ではなくて
認知症のある方が大切にしているコト
特性が発揮されている側面について
事実を根拠に具体的に賞賛したり共感したり
「勉強になります」って伝えたら良いのではないでしょうか。

結果として賞賛せずにはいられなくなる
気がついたら自然に賞賛していた
というように
認知症のある方が
このような心身の状態にあるにもかかわらず
一生懸命頑張って努力して暮らそうとしている
ここの部分をこそ、深く実感・理解できるような自分になることを目的として
認知症のある方に接したら良いのではないでしょうか。

「褒める」という対人援助職の行為の底にある
こちら側の意図・理解の深度は明確に相手に伝わっています。

認知症のある方に真摯に向き合い続ける方なら
認知症のある方の感受性の鋭敏さを実感する体験をたくさん重ねていられるはずです。

 

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会話の工夫8



「認知症のある方に怒ってはいけない」というのは、
ケアの常識としてご家族の方でも一般の方でも知られていると思います。

でも、私はご家族にはそう言えません。。。

プロとして、お金をもらって、時間限定で接していても
時には自分の心の中に怒りの感情が湧いてくることはあります。
プロだから、自分の感情をぶつけてはいけないと思うけど
ご家族はご家族であってプロではない。
しかも、時間も空間も制限なしに常に一緒に暮らしているのだから
時には本当に怒りたくなることだってあると思う。

「怒ってはいけない」って言われたら
「じゃあ、どうしたらいいんですか?」って
ご家族は言いたくなると思う。

それに対して本当に効果的な方法を常に回答できる人なら
怒るなって言っていいんだと思う。
「こうしたら怒らずに済みますよ」
現実的に具体的に効果的な方法を回答できるように
ならないといけないんじゃないかと考えています。

私はまだその域には達していないので、ご家族には
「怒りたくなることもあると思いますが、怒っても状況は改善しないのです」
と伝えています。

そして
前の記事で書いたように
「怒りたくなったら大きく口を開けて笑い顔を作る」
ことを提案しています。

同時に
怒らずにすんだかもしれない局面に変えるために
どうしたら良いのかを検討するようにしています。
すぐに答えが出ないこともたくさんありますが。

 

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会話の工夫7



認知症のある方と接していると
時には理不尽な言葉を投げかけられたり
思いもよらぬ行動をされてしまうこともあると思います。

「病気がさせている」
「状況理解ができなくて結果としてそうなってしまっているだけ」

頭ではわかっていても
いくらプロフェッショナルだからといっても
こちらも人間ですから怒りの感情が湧いてくることだってあります。

そんな時、どうしていますか?

いろいろな生活障害やBPSDのある方を
長年対象に働いているので
それはいろいろなことがありました。。。

自分の怒りの感情をそのままぶつけてしまうことのないように
私がしていることは「口を大きく開けた笑い顔を作る」ことです。
口角を上げて微笑むのではなくて、破顔一笑と言った感じの笑い顔をします。

人間、大笑いの表情では怒れないものです。
試しに鏡の前で大笑いの表情で怒った口調で怒った言葉を言おうとしてみてください。

あまりのヘンテコさ、アンバランスさに
それこそ本当に笑いたくなってきて、怒りの感情をぶつけずに済みます。

それから
認知症のある方の感情を言語化して確認したり
自分の感情を言語化して i メッセージで伝えたりします。

いろいろな方法で自分の感情を抑圧するのは
その場では手っ取り早いかもしれませんが
感情に蓋をしただけで感情がどこかに消えたわけではありません。
たとえ自覚していないとしても。
(だから抑圧)
後々古傷となってさらに大きな感情となって再登場することもありえるので
そうせざるをえない局面もあるのでしょうけれど
私は推奨はしません。
そのことは後日また改めて。

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会話の工夫6



認知症のある方とお話する時には
口調も内容も
認知症のある方の特性・興味に合わせるようにしています。

小さめの声量の方には
小さめの声で

ゆったりした口調の方には
ゆったりと

弾むような口調の方には
こちらも弾むように

ユーモアたっぷりな方には
ユーモアを交えて

礼儀正しい方には
こちらもいつも以上に礼儀正しく

認知症のある方の表現の特徴を
私は理解し受け止めましたということを暗黙のうちに伝える意味で
相手に合わせるようにしています。

 

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会話の工夫5



臨床あるある、現場あるあるな
「声問題」として、ダブルメッセージについて書いていきます。

ファミレスやファーストフードのお店に行くと
店員さんがとても丁寧な言葉を使って対応してくれます。
でも、言葉とはウラハラな声だとすごく違和感があります。
気忙しそうな声だったり、平板な声だったり
言葉と声とに、乖離がある。

きっと、マニュアルで「言うべき言葉」があるから
それに従って言っているんでしょうし
こちらだって、ファミレスやファーストフードのお店に求めるものは
簡便さであって心地良さ・快適さではないし
仕事柄、大変なんだろうなーと思ってしまいますが。

ただ、言葉と声の乖離による明確なダブルメッセージを実感する場でもあります。

実際、臨床現場では本当に様々なことが起こりますから(^^;
声に気ぜわしさが現れてしまいがちです。

言葉と声が乖離していると
メッセージの受け手は混乱してしまいます。

認知症のある方、
特にアルツハイマー 型認知症の進行例や意味性認知症では
言語理解力が低下するので
何を言うか、という言葉の選択以前に
どんな声で言うか、という声が
コミュニケーションで重要な位置を占めているということは
もっと強調されてもよいのではないかと感じています。

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