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大声・暴言のある方への対応:問いを問い直す

大声や暴言のある方に対して
「大声・暴言のあるBさんに対して、どうしたら大声や暴言をなくせるか」
という問題を設定して、みんなで対応を考える
というパターンが圧倒的に多いのではないでしょうか?

問いを問い直す
問題設定の問題と言っている現場あるあるの課題は、ここにあります。

まず一つ、
「大声や暴言のBさん」と、BPSDを形容詞化してしまっています。
どんなに大声や暴言の著明な方でも24時間365日大声や暴言を言っているわけではありません
形容詞化してしまうことで、大声や暴言のない時のBさんの状態を見落としてしまいます。

二つ目には、
大声や暴言という大きな見た目は同じでも
Bさんが「何に対して」大声や暴言をしているのかを全く確認をしていないということが問題です。
本来、「何に対して」怒っているのかがわからなければ対処のしようもないはずです。
先の記事で書いたように
「電気を消すことの何が嫌なのか」確認しようとしない
という私たち職員側の在り方と全く同じことが違うカタチで起こっているのです。

「ちゃんと声掛けしているのに怒られた。どうしたら良いの?」
という相談もよく受けますが
「ちゃんと」というのが実はクセモノで(苦笑)
言葉は丁寧でも口調がぞんざいだったり、キツかったり。。。
あるいは、長々と説明しているので理解できなかったり。。。
または、一方的に「その場を収める」ための声かけで本当の意味で「聴いて」いなかったり。。。

大声を出す、暴言を言う、という表現に表れているのは
その方のなんとかして欲しいという要望の強さのこともあります。
もちろん、いくら対人援助職だからといっても
誰だって怒鳴られたり酷いことを言われたら
人間として怖いし傷つきます。

でも、私たちは
お金をもらって認知症のあるBさんに接しています。
怒る、大声を出すという言動の評価ができる情報収集の貴重な機会を逃さないようにしましょう!
Bさんが「何に対して」大声や暴言という表現をしているのか率直に尋ねる。
そして、大声や暴言に反映されているBさんの困難と能力は何か
ということを把握しましょう。

大声や暴言という見た目、大きな枠組みは同じでも
その時その場の状況において
「何に対して」怒っているのか、ということは同じBさんでもまったく異なってきます。

だから、その都度「何に対して」怒っているのかを聴くことから始める必要があります。
言葉にして聴く時には聞き方に工夫が必要ですし
介助というもう一つの言葉で聴く時にも工夫が必要
です。
その工夫とは〇〇したら大声・暴言がなくなる、というハウツーの当てはめではありません。

大声や暴言を収めようとする在り方は
「大声や暴言がない」という状態を「望ましい状態」として無意識のうちに設定しています。
目標として計画書に記載していなかったとしても
実際の目標、ゴールとして設定しています。
この時点で、「状態であって行動ではない」から「目標=達成すべき本人の行動」とはなり得ない。
望ましいゴールではないところを目指しているので
当然行動変容が起こらない。努力が空回りしてしまう。という帰結を迎えます。

問いを問い直す。

どうしたらBさんの大声や暴言がなくなるのか
という問題設定ではなく
イマ・ココでBさんは何に対して大声や暴言というカタチで表現しているのか
という問題設定をする。
二重の意味で問いを問い直すことが求められています。

ちょっと話がそれますが
お気づきの方もいると思いますけれど
私はこちらのサイトでも論文や著書においても
「正しい」という文言は使っていません。
「適切」という文言をよく使っています。
誰にでも、いつでも、どこでも、万人に通用するような
「正しい」声かけや対応はありません。

目の前にいる方に対して、その時その場で適切だったかどうかが求められています。
適切かどうかの根拠はその方の目標です。
だから、認知症のある方に対して適切な対応ができるためには
目標設定を的確に行えることが望まれるし
目標設定が的確に行えるようになると
認知症のある方への対応の適不適の判断もできるようになってきます。
非常に強く関連しているのです。

いまだに時々見かける
長期目標:関節可動域の維持・改善
短期目標:関節可動域の維持・改善
治療内容:関節可動域訓練
だったり
長期目標:移動能力の維持
短期目標:移動能力の維持
といった記録を残すような人で認知症のある方に対して適切な対応ができる人に会った試しがありません。

逆に言えば
たとえ、今、目標設定ができない人でも、認知症のある方に適切な対応ができない人でも
どちらか一方がきちんとできるようになると
他方のおかしさを自覚し、自身でトレーニングを積むことができるようになり
いずれどちらも改善できるようになっていきます。
ここに未来への希望を感じています。

 

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身体が傾いてしまう方は臥位でのポジショニングを見直す

車椅子で身体が傾いてしまう方に対して
クッションを傾いている側に入れたり
座面を傾けたりする人もいるようですが
「傾く→クッションを入れる」
「傾く→座面を傾ける」
といった単なるハウツーで済ますのではなく(考え方の問題)
しかも、それらで効果がないのだから(結果を出せていないことに向き合う臨床姿勢の問題)
姿勢改善という結果を出せるように
「身体が傾いてしまう必然」をきちんとアセスメントする
ことから始めましょう。

座位で身体が傾いてしまう場合に多いのは
骨盤の可動性が低下してしまって
ちょっとした重心の移動にも対応できなくなっているというケースです。
そのような場合にまずすべきことは骨盤の可動性を改善していくことであり
単に見た目を傾かないように、姿勢を整えたり
クッションを入れたり、座面に左右差を作ることではありません。
むしろ、そのようなハウツーによって逆効果となってしまうことすら起こり得ます。

骨盤の可動性を増すために、どうしたら良いのか
なぜ、骨盤の可動性が低下してしまったのか

その必然は人によりけりですが
伸筋群を使って突っ張ることで残された随意性を発揮している場合は
骨盤を後継し股関節を十分に屈曲させることによって
過剰な筋緊張が緩和され骨盤の可動性が改善され
小さな重心移動への対応力が改善し
結果として座位での身体の傾きが見られなくなります。
長期間、不適切な仰臥位をとることで(正確にはとらされ続けてきたために)
適応力が低下してしまった方には積極的に側臥位を設定します。

臥位でのポジショニングを適切に設定することによって
座位での姿勢が大きく改善するケースに多数遭遇しています。

「何事も始めるに遅くはなし」
「ピンチはチャンス」
「破綻の危機は成長へのチャンス」

私は、人の脳の可塑性の素晴らしさをたくさんの認知症のある方から教えてもらいました。
私たちは現実によって成長成熟の機会を与えられています。
困った時はステップアップの時期でもあります。
もう一度、目の前の方に起こっていることをきちんと観察する
自身の実践の適・不適にきちんと向き合うことから始めましょう!

 

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悪いことをしないように心がける

先日、久しぶりに会った知人から
「前によっしーさんに言われた『悪いことはしないように』
 それだけは守ってる」と言われて、とても嬉しく思いました。

その人は、とても優秀な人で謙虚な人だから
「良いことはできなくても悪いことはしないように心がけている」
という言い方をしていましたが
本当に優秀な人は本当に謙虚だなーと改めて思ったものです。

対象者にとって悪いことはしないように心がける。

これは、かつての私の実践でもあります。
若い時には、認知症のある方に対して
どうしたら良いのか
どう考えたら良いのか
さっぱりわかりませんでした。
良いと言われていることは何でも学びやってみましたが
納得はいかない。。。
結局、目の前にいる方から学ぶことしかなかったのですが
その時に、悪いことはしないように
ということをスタートラインにしたのです。

「良いことをしよう」という意識は
善意であることは疑いませんが
「地獄への道のりは善意で敷き詰められている」
「地獄には善意が満ちているが、天国には善行が満ちている」
というヨーロッパの諺の通り
独善に陥ったり、自身のスローガンの実践にとどまったり
PDCAを回すことを怠ったりしがちです。
 
一方で
「悪いことをしないように」という意識は
対象者本意の視点から始まります。
対象者にとっての悪いことというのは対象者一人一人によって異なるからです。
こちらの独りよがりや強制を予防することができます。

いろいろな人の実践を垣間見聞きし
いろいろな経験を積むにつれ
「悪いことはしない」ように心がける実践から始めることができて
本当に良かったと思う今日この頃ですが
当時は、その意味が今ほどはわかっていなかったと思うのです。
出発点を間違えずに本当に良かった、ラッキーだったと思っています。
その選択をしたのは紛れもなく私自身ではありますが
何かの出会いのタイミングのちょっとしたズレの蓄積で
そのような選択ができなかった可能性だってあったかもしれず
そう思うと怖さで身震いするほどです。

いろいろなところで言っていますが
スティーブ・ジョブズの「意図こそが重要」という言葉は真実です。
認知症のある方への対応についても言えることです。

認知症のある方へどう対応したら良いのかわからない
と困っている人は、困ることができる人でもあります。
困ることすらできない人になってはいけない。
ピンチはチャンス。
今までとは違う実践、認知症のある方に対して悪いことはしないように
心がける実践に切り替えるチャンスです。

 

 

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介護ポストセブンに掲載されました

介護ポストセブンさんに
「作業療法士」という職種名が掲載されました!

詳細は、こちらからご覧ください。

内容は私が35年以上前から提案し続けていることです。
1)スプーン操作の基本
2)ムセを過剰視しない
3)食べ方そのものを観察する

「食べさせる」のではなくて
「食べることの援助」をしようと思えば
今、どんな風に食べているのか、食べにくいのかを
まず、きちんと把握しようとすると思います。

ところが、現実には
どうやったら食べてくれるだろう?って
食べ方の観察を十分にせず
何が起こっているのかの洞察も不十分なままで
対応方法を考える人が多いんですよねぇ。。。

順序が逆です。

食べ方の観察をきちんとすれば
今、何が起こっているのか
どこがどう食べにくくて
どこで代償しているのかを洞察することが叶います。
だから、どうしたら良いのかが
一本道のように浮かび上がってきます。
あとは、その方法を具現化する技術があれば良いだけです。

1人でも多くの方に伝わり
困っている方が1人でも少なくなりますように。

 

 

 

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「脱!ハウツー」のススメ

私がすごく疑問に感じるのは
「その人らしさを大切に」「認知症のある方に寄り添ったケア」
と唱えられることはあっても
実際の実践は、単にハウツーの当てはめをしているだけというケースが多いことです。
「〇〇という時には△△する」
これのどこが、その人らしさを大切にしていることなのか、寄り添っているのか
私にはさっぱり理解できません。
ハウツーは個別性の真逆にあるものです。
そもそも、どういう言動がその人らしさを大切にしていることで
どういう言動が寄り添ったケアではないのか
具体的に現実的に考えていくと、とても難しいことです。

たとえば
帰宅要求がある方に対して
「お茶を飲んでいただく」「タオルを畳んでいただく」
などの気をそらす対応が為されています。

諸般の事情で、そうするしかない時だって、もちろんあるとは思います。
そのような時には、望ましい対応でも適切な対応でもないことを自覚した上で
気をそらせる対応をするしかないからするのだと自覚しつつ行えば良いのです。
けれど、実は、
「気をそらせる=良い対応」と思い込んで為されている場合が多いのではないでしょうか?
帰宅要求に対して、気をそらせるような対応は
決して望ましい対応でも適切な対応でもありません。
だって、もしも上述の対応が良い対応だとしたら
どれだけ上手く気をそらせられるか、どれだけ上手く誤魔化せるか
ということが良い対応ということになってしまいます。
そんなバカなことがあるはずがありません。

認知症と人権擁護がご専門の齋藤正彦医師は
「微笑みながら徘徊したり帰宅要求を訴えている人はいない。みんな必死だ。」
とおっしゃっていました。
本当にその通りだと思います。

この問題はとても根深くて
「帰宅要求→気をそらせる」対応は単に表面的に表れているだけで
それよりも根本的な問題があって、
「帰宅要求→どうしたらおさめることができるか」
という発想のもとに対応の工夫が展開されてきた
そしてそのようなハウツー的対応への疑問や改善提案が
為されてこなかったことにあると考えています。

それって、下図のような思考過程(本当は思考ですらない)
で為される対応です。
帰宅要求だけを切り取って、どうしたら帰宅要求がなくせるか
考える。という対応です。

私が実践し提案してきていることは、まったく違うことです。

上図の通り、まず、きちんと情報収集をします
目の前に起こっている、一見すると不合理な言動、
たとえば、帰宅要求をしている場面そのものをきちんと観察します。
(この過程がすっ飛ばされている、不十分過ぎることが圧倒的に多い)
知識があれば、その場面に反映されている、
その方の能力と障害と特性を見出すことができます。
見出すことができれば、その方に今、何が起こっているのかを洞察することができます。
洞察することができれば、どうしたら良いのかを判断することができます。
それは、自然と一本道のように浮かび上がってくるものです。
あとは、その判断を具現化できる技術があれば良いだけです。

錯綜した現実を解きほぐす
そのためには、知識が必要です。
知識がなければ、単に「何度も繰り返し帰りたいと言う」ことしかわかりません。
知識があれば、近時記憶障害があっても再認可能だからきちんと説明しよう。
という判断ができますし
説明する時には口調に気をつけて、伝わりやすい言葉を選択しよう。
といった、その方の特性も理解できているからこそ可能な判断ができます。

観察の解像度を上げる

きめ細やかに現実を解きほぐせるほど
より的確な対応がその時々、その方それぞれに可能になる所以です。

ポジショニングの現状とまったく同じコトが違うカタチで起こっているだけです。

どうしたら良いのかがわからないのではなくて
何が起こっているのかがわからないのです。
だとしたら、「自分にはわからない」という事実にきちんと向き合って
錯綜した現実を解きほぐせるように
情報収集からやり直せば良いだけです。
その繰り返しで、パッと観てパッと洞察できてパッと対応できるようになります。
知識を習得しようとしない人や情報収集の過程をすっ飛ばす人には
結局、何が起こっているのか皆目わからないでしょうし
その人ができていなくて、私がやっていることとの違いもわかりません。
本当に違うのは、実際にやっていることではなくて
実践を下支えしている観察・洞察なのです。

今、本当に問われているのは
どう対応するか、ではなくて
観察、洞察、評価が不十分だという、私たちの側の問題なのです。
だからこそ、今すぐにでも改善可能なのです。

「その人らしさを大切にする」
「寄り添ったケア」
という高邁な理念は唱えているだけでは決して実現できません。
理念は唱えるものではなく、実践の際のもう一つの指針となるものです。
どのように指針となるのか
理念がどのように対応の工夫に役立つのか
次からの記事でご提案していきます。

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ICD11を意識して会話・観察する

会話も大切な情報源ですが
目的を持たずに会話しているだけだと
大切な情報をどんどん聞き落としてしまいます。

リハやケアにおいて
会話することの意義は
会話を通して、その方の状態を把握することにあります。
決して、単に笑わせるためでも時間をつぶすためでもありません。
その方の話に合わせて聞いているだけでもわかることは多々あります。

「従命可だから年相応の物忘れ」「お話ができるから認知症じゃない」
なんて安易な言葉を聞くことがなくなる日が1日も早く来ることを祈っています。

年相応であってもなくても
忘れっぽいなら、その程度や現れ方の把握が必要ですし
そもそも「認知症である」「認知症ではない」
といった診断ができるのは医師だけです。
私たちは医師ではないから診断はできません。
私たちは援助職ですから、的確な援助が行えるために状態把握が必要です。
確定診断があってもなくても同じです。
確定診断があった方がより状態把握がしやすくなるだけです。
より広くより深く状態把握ができれば
それだけ的確な援助ができるようになります。

そうならないためには
2022年に発効された、 _ICD11_ の定義にある7兆候を意識すると良いと思います。
・記憶
・遂行機能(実行機能)
・言語
・注意
・社会的認知・判断
・視覚的理解・認知
・精神反応速度

記憶については
近時記憶を意識するのはもちろんですが
再生と再認の可否についても意識して会話・観察することも大切です。
対応の工夫に直結するからです。

アルツハイマー型認知症では
その場の会話は円滑にできたとしても
実際の行動が伴っていないこともあります。
たとえば、車椅子のブレーキをかけ忘れたり
フットプレートから足を下さずに立ちあがろうとしたり。
スタッフが先に声かけをしたり介助してしまうと
貴重な情報を得られる場面を逃してしまうことになります。

 

 

 

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HDS-RとMMSEの扱い方・留意点

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HDS-Rを施行すると、怒り出してしまう方がたくさんいます。
(怒り出すということも大事な情報ですが)

検査は大事ですが
検査しなくても観察から検査と同等の洞察ができれば
認知症のある方の心身の負担を減らすことができるとずっと思っていました。

そのため
HDS-Rやかなひろいテストをする一方で
日常生活や会話の質的内容や行動との照合をずっと行なってきました。

HDS-Rの項目の意義を理解できるようになり
生活場面への反映についてそれなりに洞察ができるようになり
だんだんと観察だけでもかなりHDS-Rの予測がつくようになり
生活場面への反映についてもわかってきたので
HDS-Rの検査場面でちょっと1工夫することも始めました。
詳細は 「対応に役立つHDS-Rの工夫」 をご参照ください。

ところが、
これだけ認知症の普及啓発がなされている現状でも
実際に働いている職員の中には
「リハに支障がない」「従命可」「会話が弾む」「気遣いができる」「冗談が言える」
という程度の根拠で
「認知症じゃない」「年相応の物忘れ」などと、
安易に無責任な判断をする人がまだまだ多いという現実にびっくりしています。

「ちゃんとお話ができるから認知症じゃない」
という言葉を幾度聞いたことでしょう。
この言葉はその裏側に
「認知症になるとちゃんとお話ができない」
という思い込み・偏見があるからこそ、言える言葉です。
そんなことは決してありません。
HDS-R3/30点の方が
「こんなバカな俺に優しくしてくれてありがとう」と言ったり
HDS-R0/30点の方が
「俺はよ、ここがよ(頭を指さして)こうだから(指をくるくる回す)」
と発言されたりします。

年相応の物忘れと判断された方のHDS-Rは10点
認知機能低下に言及もされず、しっかりした方と言われていた方の
HDS-Rは5点ということもありました。

これだけHDS-Rが低いと明らかに生活に影響が生じいるはずなのに、
認知機能低下が見落とされている。。。
ご家族や生活の支援をする看護介護職は困っているのに
一部のリハ職はまったく気づいていないという。。。

ひとつには
認知症、認知機能低下という概念の理解ができていない職員側の問題がありますし
他方
他者に合わせようとして生きてきた方、他者に合わせるタイプの方は
自主的に起こす行動が少ない場面だと
認知機能低下が目立ちにくいという傾向があります。
たとえば、困った時わからない時には
誰かに尋ねて返ってきた答えの通りに対応する方や
自分から何かしようとはせず指示があるまではじっと待っている方は
その場では「穏やかな方」「良い方」といった判断がなされがちで
記憶の連続性が低下していたとしても
行動特性から表面化しにくいので見落とされてしまいます。
また、俗に言う地頭の良い方、元来認知機能が高かった方は
記憶の連続性が低下しても逆症や計算ができるので
これまた見落とされがちです。

「同居しているご家族は認知機能低下によって生活支援で困っていても
 たまに来るご家族には理解してもらえないことも多い」
と言われるゆえんです。

MMSEを施行する時に
MMSEはHDS-Rとは違って、検査項目が記憶だけではない
という前提条件を見落としていると
得点結果だけで判断してしまい、状態を見誤ります。
同じ30点満点のテストでも、
得点結果が同じ20点であったとしても
どの項目で失点してどの項目で得点したかは全く異なります。

実際に
他院でMMSEが10点代後半、疎通も良好で礼節も保持されていた方で
他院からのリハサマリーに認知機能低下への言及がまったくなかった方とお話をしていたら
1分前にした説明を忘れてしまっていたので
HDS-Rをとったら10/30点だったということがありました。
遅延再生も見当識も0点でした。そのかわり計算や語想起は満点だったという方もいました。

得点結果だけで判断してはいけないのです。

HDS-RとMMSEの違いを認識した上で使い分ける
そして、失点項目と得点項目に着目する
わからない時にどんな風に対応するのかということを観察しておくと
日常生活で困難に遭遇した時の行動パターンが予測できて
対応方法を明確化することに役立ちます。

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車椅子で前傾してしまう方への対応

上図のように
車椅子上で体幹が前傾してしまう
背もたれに寄りかかるように動作介助しても
身体が硬くてすぐに前傾してしまう方っていますよね?
ティルト型車椅子に変更してティルトを倒してもやっぱり前傾してしまう
そのような場合、どうしていますか?

車椅子上での姿勢について
車椅子上でクッションを入れる対処はしても
臥床時の姿勢、ポジショニングの見直しをしている人は少ないのですが
実はここが重要なのです。

上述のような方の場合
骨盤と体幹の分離が不十分というケースが圧倒的に多いものです。

臥床や離床介助の時に
立ち上がり時の動作を確認すると
腰背部を伸張した前傾ではなくて
骨盤も一緒に浮き上がってしまう。
なんなら、下肢も屈曲位のまま、浮き上がってしまい
足底接地や足底への荷重が難しい。。。ということもあります。

臥床時は
体軸内回旋が乏しく
骨盤を動かすと下肢も体幹も一緒にゴロンと転がってしまいます。
運動麻痺があるわけでもないのに(運動麻痺があることも多々ありますが)
全身がガチガチに硬くなってしまっているのです。
そして、このガチガチの硬さに対応せずに
座位でのポジショニングしかしていない人がとても多いのです。。。

こんなにガチガチだとおむつ交換も大変ですし
臥床はしていても、寝ても寝た気がしないと思います。
臥床本来の目的である身体をゆっくり休めることができないのではないでしょうか。

こんなにガチガチに硬くなってしまうのには理由があって
1)ポジショニングをまったくされてこなかった
2)不適切なポジショニングをされてきた
どちらでも起こり得ます。

筋緊張緩和目的のポジショニングは
過剰な筋緊張をせずとも臥床できるように環境調整することが肝要です。

まず、個々人のキーポイントを見つけられるように観察します。

臨床上、最も多いのは、
骨盤の傾きや肩甲帯の不安定さを見落とされているケースです。
そこを対応するだけで身体柔軟性が発揮されるようになります。
また、下肢の伸展パターンに対しては
骨盤後傾と股関節の屈曲位を引き出すような設定をすると
伸展パターンの抑制が可能となることも多々ありますし
側臥位設定することで伸展パターンの抑制が可能となることもあります。

どうしたら良いか、途方に暮れてしまう、という人は
まず、全身のアライメントを観察してください。
ベッドの足元側から観察し、
次にベッドの右側から、左側からも観察してください。
観察が難しければ、許可を得た上で臥床時の姿勢を写真に撮り、
各関節がどうなっているのか、一つひとつの関節角度をきちんと確認しましょう。
そして必ず筋緊張を確認しましょう。

全身の一つひとつの関節の状態がどうなっているのかがわかり
筋緊張も把握できれば
どうしてそうなっているのか、どうしたら良いのかということが
自然と一本道のように浮かび上がってきます。
あとは、浮かび上がってきたことを具現化するだけです。

この繰り返しで即座に観察・洞察することができるようになります。

どうポジショニングしたら良いかわからない
と言う人に限ってこの過程をすっ飛ばしていますが
「自分がわからない」という事実にきちんと向き合って
どうしたら自分自身でわかるようになるのかを考え対処しない限り
永遠にわからないままです。
そうするとハウツーを当てはめるだけになってしまい
しかも当てはめたハウツーがその方に適切だったかどうかもわからないままとなってしまいます。

どうポジショニングしたら良いのかがわからないのではなくて
その方に何が起こっているのかがわかっていないのですから
何が起こっているのかをわかるようにならなければいけません。
(認知症のある方への生活障害やBPSDへの対応とまったく同じコトが違うカタチで現れています)

ここを誤解している人がとても多いのです。
「どうしたら良いか」と問うのではなく
「何が起こっているのか」と問うべきであり
「自分がこの方に何が起こっているのかわからない。どうしたらわかるようになるのか」
と問うことから始めるしかありません。

正しく問うことができるから正しい答えを得られます。
今までは問うてはいたけれど問い方を間違えていたのです。
だったら、間違えずに問えるようになれば良いだけです。

   ポジショニングに限らず
   食事介助や認知症のある方への対応なども含めて
   最も重要なことは常に状態把握・評価です。

   実習において学生に体験学習させるべきはこの臨床姿勢であり
   協会主催の研修会でも再学習を促した方が良いと考えています。
   なぜなら、私の経験ですが
   (各地で多様な主催者から多様なテーマで多数の講演を依頼されてきました)
   講演後の質疑応答で「どうしたら良いのでしょう?」と質問する人は多くても
   「どうしたら的確な評価を行えるようになるのでしょう?」と質問した人は
   今までに1人しかいませんでした。
   正しく問える能力を養成すべきだと考えています。

それでは、次の記事で
ポジショニング設定の基本についてご説明します。

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