Tag: 環境適応

疎通困難な方への生活援助

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疎通困難な方のトイレ介助や入浴介助が大変だということもよく聞きます。
でも、どこが大変なのかを見てみると
介助者が「言葉だけで説明している」「理解する”間”を待たない」「次から次へと説明する」
といった関わりをしていることが多く、しかもその口調がキツくて早口という。。。
だから介助に協力してもらえないということが多々あります。。。
職員はなんとかしようとして、全介助・動作介助をしようとしますが、
そのような対応は認知症のある方の立場に立てば
何をどうしたら良いのかわからないところに、いきなり身体を動かされることになり
不安や恐怖が生じます。だから拒否する。。。

そのような介助しかできないのには、理由があります。
1)職員が「説明=言葉での説明」と思い込んでいて、視覚情報の提示という工夫をしていない
2)その方がスムーズに動作できるためには、どの手すりをどの順番で持つと良いのか
  職員が明確に理解できていないため、視覚情報を実際に提示できない

「独歩可能だけれど疎通困難で入浴が大変」
「2人で介助したけれど無理だった」と言われたので
(どこが大変だったの?)と尋ねたら
「言うことを聞いてくれない」
「介助に拒否する」という答えのみで
(あぁ、対象者の方の困難がどこにあるのか、理解できている部分はどこなのかを
 観察していないんだな)と思いました。
それでは介助を拒否されても当然だと思います。
そこでその方の入浴介助に入りましたが
アイコンタクトと視覚情報の提示でスムーズに拒否なく入浴してもらえて
笑顔で「ありがとう」と言われたものです。
視覚情報提示する手すりの場所と順番を明確化しただけで入浴介助が楽になったケースです。

手すりを指さした後に
必ず、その方が指さした手すりを見たことを確認してから
「つかまって」と言います。
つかまったことを確認してから
「立って」と言います。
立ったことを確認してから
浴槽のふちを指さします。
浴槽のふちを見たことを確認してから
「またいで」と言いながら
足を動かしやすいように、またぐ足と反対の足に少し重心を移動するように介助しました。
終始、声は穏やかな口調でゆっくりと、使う言葉は端的明確な言葉で伝えました。

また、動作誘導と身体を支えることは別の介助です。
ところが、多くの場合に介助しようとして
対象者のお身体を引っ張っているのではないでしょうか?
言語的な疎通困難だからといって
何もわからないわけではないし
自分から何もしようとしないわけではありません。
むしろ、その反対で自分でなんとかしようとして
その結果不合理な行動となってしまうことが多いものです。
その部分をこそ、観察しなければ。
そして、お身体を引っ張るのではなく
「支える介助」と「移動方向を身体へ伝える介助」を職員自身が明確に区別しなければなりません。
その区別ができていないから
お身体を引っ張ってしまい、当然、不安を抱いた対象者の方は自身を守ろうとして拒否します。

こういうことを言うと
必ず「わかっているけど忙しくてそんなことはしていられない」と言う人が出てきます。
忙しいのはもちろんわかりますが、
忙しいということと、対象者の状態像を把握できていないということは全くの別問題です。
忙しいなら尚更ひと手間かけた方が入浴介助に要する時間は短くて済みます。
そして適切なひと手間は、適切でありさえすれば0.5手間に減るものです。
多忙さと自身の未熟を混同したり、問題の本質をすり替えて自己防衛で終わってしまってはいけません。

忙しいと言って、視覚情報の提示をせずに介助が長引き、入浴時間も長引いてしまえば
そちらの方がよっぽど非効率的です。
忙しいからこそ、言葉だけに頼らずに明確に視覚情報が提供できるように自身の関与を工夫すること
で時短にもなり、認知症のある方にとっても職員にとってもポジティブな体験ができて効率的だと思います。

そのためには
漠然とした「〇〇さんは声かけの理解ができない」といった漠然とした認識を改めて
どんな感覚情報なら理解できるか
視覚情報なのか、触覚情報なのか、運動覚情報なのか
どんな声かけなら理解できるか
〇〇さんの能力に働きかけるために〇〇さんの能力を把握しておかなければなりません。

案外、見落とされているのが
提示する感覚情報の順番です。
視覚情報や触覚、運動覚の情報をまず最初に提示して、声かけという聴覚情報はその次です。

疎通困難な方は何もわかっていないわけではありません。
声かけの理解が困難であるからこそ、一層、自身でなんとかしようとしています。
(その結果不合理な言動となってしまうことも多いですが)
周囲の状況を見てはいても、周囲の多数の対象物あるいは自身の身体の
何をどうするか、どこをどうするか、わからないで困っている時にはその部分を伝えます。

まず最初に、「何」「どこ」を視覚、触覚、運動覚で提示します。
それから、次に言葉で「どうするか」を「持つ」「立つ」と伝えます。
必要であれば、動作誘導も行いますが、ここでは介助ではなく誘導なので
そこをきちんと区別して動作の最初の部分だけを弱い力で伝えるようにします。

そうすると
動いてくださる方は多くいますし
仮に、動けなくて全介助が必要となっても介助に協力していただけるようになるものです。

お薬を飲む時に拒否されるという場合も
まず、薬袋を見せてから(視覚情報提示)
次に、言葉で「お薬」と言うことで飲んでいただけるようになるケースがとても多いのです。
開口できない場合は、スプーンの先でチョンチョンと口唇を刺激してから(触覚情報提示)
次に、言葉で「口、開けて」と言うことで開口できる場合が多々あります。

介助者側が提示する感覚情報の区別をつけず、提示の順番も考慮せずに
どんなに丁寧に
「大切なお薬なのでお飲みいただけないでしょうか」と言っても効果がないことが圧倒的に多いのは
善意からであったとしても
職員側のスローガンやモットーを実践するだけになっていて
前の前にいる方の状態に合わせた配慮が為されていないことが原因です。

口腔ケアをしようとしても「口を開けてくれない」と言われることもありますが
やり方を見てみるといきなり歯ブラシを口の奥に突っ込んでいます。
それでは拒否されて当然だと思います。
口腔ケアの介助方法については、こちらでも複数の記事を書いていますので
ぜひ、サイト内検索をしてみてください。

私たちが無自覚で不適切なことをしてしまっているがために
認知症のある方が驚いたり不安になったりして結果として拒否に至るケースは
とても多いと感じています。
でも、裏を返せば、それらの問題は同時に、これから先、未来への希望ともなりうるものです。

自身の未熟に向き合うことや
現行の常識とされている関与の仕方を見直すと言うことは、辛いことかもしれませんが
異なる現実と出会うスタートラインでもあるのです。

 

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疎通困難な方へのリハ:ひも三つ編み

他者との交流を楽しむよりも
対象に向き合うことを好むような方には
ひも三つ編みを提供します。

ひも三つ編み 
  
100均でも売っている、スズランテープを3色用意します。
最初は、私が編む反対側(ひもの編み始めの部分)を持っていただきます。
すると、ちゃんと私の編む力に応じて、ひもの引っ張り加減を調整してくれるのです!

重度の認知症のある方でも
触覚や運動覚は保たれていることが多いので
保たれている感覚刺激を活用します。

硬い表情で、関与に拒否しがちな方がちゃんと引っ張り加減を調整してくれている、
こちらの変化に応じて調整してくれている
私がわざと強く引っ張って持ち手が抜けそうになった時に
思わず笑顔になられた方の、その笑顔の晴れやかさ。
二人で笑い合ったことを覚えています。

場合によっては
その後に、三つ編みをすることができる、思い出せる方もたくさんいます。
かつて、ご自身や娘さんの髪の毛を三つ編みに編んだり
草履を縄で編んだりしていた方の場合、手続き記憶として残っていることが多々あります。

ただし、この時にポイントがあります。

三つ編みをする時に
どのひもをもち、どこへ動かすのか、非常に混乱しやすくわかりにくいのです。
そこで、ポイントは3つあります。
   
1)3色使う
3色使うことで、どのひもを持つのか明確になりますし
声かけする時にも「〇〇色のひもを持って」と明確な声かけができます。
これが1色だけだと「右端のひもを持って」という相対的な位置関係を示す言葉を使わなくてはなりませんが、そのような声かけは理解するのが難しい場合もあるからです。

2)最初はひもの長さを短くする
ひもの長さが長いと、ひもを動かす時に
からまりやすくなってしまいますし、多数のひもが見えて、どのひもがどの部分なのかが
わかりにくくて混乱や不安のもとになるからです。

3)短めのひもをあらかじめ複数用意しておく
1つ三つ編みを仕上げてから、次の三つ編みの準備を始めると
「待つ」という時間干渉によって、せっかく不安なくできた動作も忘れてしまい
「できた」という体験の蓄積ができず、1からやり直すことになってしまいます。
「できた」という体験の後にすぐにもう一つ「できた」体験ができるような場面設定をしておくと
成功体験の蓄積が可能となり、手続き記憶を思い出しやすくなり、
長めのひもでもスムーズに編むことができるようになります。

出来上がった三つ編みは
上の写真のように、空き缶の周りに貼り付けると
多少の編み目の不揃いさがあっても、かえって良い味わいとして見えるものですし
玉のれん(若い人は知らないかもしれませんが、昭和の時代には家庭に必ずぶら下がっていたものです。検索してみてください。)のように飾りつけても
懐かしく思い出だしてもらえると思います。

ここで強調しておきたいことがあります。
Activityを提供する時に
「私も一緒にやるから大丈夫」という言葉は使わないようにしましょう。

構成障害があるか、その恐れがある方に対して「私と一緒にやるから大丈夫」という言葉は禁句です。
構成障害とは、その定義上、見比べることの障害なので
職員のやり方を模倣することは困難です。
ところが、認知症=忘れてしまう という認識しか持っていないと
職員が構成障害への配慮ができなくて適切な関与ができていないのに
「やろうとしない」「いうことを聞いてくれない」などと
認知症のある方の側に問題をすり替えてしまう人も出てきます。

認知症のある方は、そもそも暮らしの困難を抱えています。
楽しみであるはずの余暇時間なのに、わざわざ困難に直面させ、困惑体験や失敗体験をさせる必要はありません。
ところが、たとえ善意からであったとしても
提供する側の職員の知識のなさから
職員側の問題を自覚しにくいという表面化していない、でも、根深い問題があると感じています。
この問題については別の記事で書いていきます。

職員のやり方を見て模倣しなくても
三つ編みができるように場面設定を調整することが重要です。

ひもの引っ張り加減の調整ができて
いったんは、三つ編みができても
やっているうちに混乱してしまったら
もう一度、編み始めの部分を持っていただき、引っ張り加減の調整をすることを体験していただいてから、再度短めのひもで編むことに挑戦していただくとスムーズに編めることもよくあります。
混乱したら、混乱なくできる一つ前の工程に戻るということも、
認知症のある方にActivityを提供する時の大切な基本です。

 

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疎通困難な方へのリハ:手遊び

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疎通困難な方でも
まったく通じないという方に出会ったことはありません。
何かしらの方法で理解していただけます。

言葉でのやりとりが難しかったとしても
認知症のある方は、常に周囲の状況を感受し認識しているからです。
そして、私たちの関与が本当に援助なのか、援助という名の強制なのかを感受しているからです。

援助と強制のすり替えは
無意識にリハやケアの現場で起こっています。
このすり替えは、単に業務多忙が理由ではなく
そもそも対人援助職そのものが内包する課題でもあるからです。
このことは拙著でも記しましたが、別の記事できちんと書いていきたいと思っています。

言葉でのやりとりが困難な方に
言葉でやりとりするように促すのではなく
言葉でのやりとりが困難なままでも
対象に適切に対応することや他者との交流体験を提供することであり
その過程において、失敗しない・困惑しないという成功体験を蓄積することが大切です。

言葉でのやりとりが困難でも他者との交流を楽しまれる方には、手遊びをします。
例えば、認知症のある方と向き合い「茶摘み」を歌いながら手を合わせます。
🎵夏も近づく八十八夜と歌いながら自身の手と認知症のある方の手を合わせていきます。
この時に、お互いが相手とのタイミングを合わせようとすることができないと
手と手が途中でぶつかってしまったり重なってしまったりして動作が止まってしまいます。
また、一節歌って次の節を歌い始めるタイミングも合わせる必要があります。
このタイミングを手と歌声の両方で揃えなければなりません。
言葉ではない、非言語的な「相手の認識」と「相手と呼吸を合わせる」というコミュニケーションが求められます。

言葉でのやりとりが困難でも
タイミングを合わせようとする方、見事にタイミングを合わせられる方、調節しようとする方はたくさんいます。
ズレてしまった時に「あ、ごめんなさい。」と発言されることもあります。

ちゃんとわかっている!

今、何をすべきで、自分ができたかできないか

手遊びの速さを少しずつ早くしても
ちゃんと速さに合わせて手の動きと歌声を早くすることができる方もいます。

このような、非言語でのやりとりを繰り返すことで
疎通困難さが完全に解消されることはなくても
日々の暮らしのちょっとした場面で適切な言葉がスッと出てくることが増えてきます。
「どうぞ、おかけください。」
「はい、待ってます。」
別の職員が冗談で「尻隠して頭隠さず」と言ったら
「あら、それ違うわよ。頭隠して尻隠さずよ。」と即答されたこともあり感動しました。

ただし、誰もが他者との交流を楽しむわけではありません。
疎通困難でも良好でも、他者との交流を楽しまれる方もそうでない方もいます。
「何をするか」を選択する際に、私が重要視しているのは、その方の特性です。
自身で対象に向き合うことを楽しまれる方にぴったりなのが
ひも三つ編み です。
次の記事で、何がどんな風に良いのか、どんな風に行うのかをご説明します。

 

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疎通困難な方への対応

飲みもののチカラ

疎通困難な方に対応していると
だんだんと疎通が改善されることはよくあります。

ポイントは、言葉に頼らない。
言葉以外の非言語的理解を確認しながら
自身の非言語的表出をコントロールするということと
要所で明確で端的な言葉を使うということです。

そして疎通困難な方の移乗やトイレ介助、入浴場面などで
声かけをしても理解できないとすぐに動作介助をしてしまいがちですが
声かけをして理解できない方には、視覚的な情報を提供することがポイントとなります。
この時に、認知症のある方がこちらが指し示したところを見てくれたかどうかを確認しながら
次へ進むことが重要ですが、案外現場ではこの部分が抜け落ちています。。。

介助が、身体を通したコミュニケーションではなく
〇〇させる、ことになってしまっています。
食事介助にしろ、移乗介助にしろ、口腔ケアにしろ
認知症のある方が〇〇するのを援助する のではなくて〇〇させてしまっている。
当然、そこに拒否が生じます。
すると、介護拒否というレッテルを貼られて悪循環に陥ってしまう。。。

本当にもったいない。
次からの記事で具体的に
現場あるあるの改善提案について書いていきます。

 

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結果を引き起こしている必然を把握する 3

口腔ケアを拒否する方もいます。

すると
言葉で丁寧に説明したり
明るく元気よく声かけしたり
下手に出るようにお願いをしてみたり
それでもダメだと口腔ケアを無理やり行ったり
口腔ケアすることを諦めてしまう。。。
というパターンが多いようです。

口腔ケアをしようと
自分の関与を工夫してはいますが
それは誰にとっての工夫でしょうか?

認知症のある方に接する職員で多いパターンが
認知症のある方が環境把握しようとしている
ということを見落としているというケースです。

心のどこかで
認知症=何もわからない=やってあげる
と思っているのではないかと思います。

認知症のある方の言動をよく観察すれば
認知症のある方が周囲を把握しようとし、対応しようとしていることに気がつけます。

だとしたら
周囲を把握するチカラを助ければ良いだけだし
どう対応したら良いのかということを
声かけという認知症のある方にとっての聴覚情報だけでなく
他の情報で伝えれば良いだけです。

大切なことは、まずアイコンタクトをとることです。
アイコンタクトをとる時には
笑顔で
穏やかな口調で
相手の名前を呼びかけます。

ここで大事なことは、口調です。
急いていると、つい口調も気忙しくなってしまうものですが
口調に反映されてしまうこちらの感情に対して
認知症のある方が反応しているということはよくあることです。
自身の口調、声のトーンをコントロールできるように
穏やかな口調で呼びかけるようにしましょう。

次に
歯ブラシを見せて相手が歯ブラシを見たことを確認します。
視覚情報を提示して、相手の視覚的理解力に働きかけます。
歯ブラシを見たことを確認してから
「歯磨き」と言って歯ブラシを横に動かします。
ジェスチャーという視覚情報を提示することで
「これから歯磨きをする」ということを伝えます。
そうすると、開口してくださる方はとても多いものです。

ここで大切なことは順番です。
相手が見る、つまり視覚的理解力を発揮したということを確認してから声かけする
その声かけは端的明確に単語中心に声かけをします。
相手が環境を感受するのが先
その感受を補うのが声かけという聴覚情報であり
歯ブラシを横に動かすジェスチャーという視覚情報を提示することなのです。

決して
相手の反応を確認もせず
「歯磨きしますよ〜」と声をかけながら
既に歯ブラシは口の中ということのないようにしたいものです。

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結果を引き起こしている必然を把握する2

認知症のある方や高齢者のせん妄予防対応として
日中過ごすお部屋を明るくすることは常識となっていますが
実際の現場では、なかなか実現が難しいこともあるようです。

例えば
現場あるあるなのが
日中お部屋の明かりをつけてと言っていっても
「明かりを消して」って言われる。
お部屋の明かりをつけるのは嫌なんだと思う。
というケースです。

このケースの問題はいくつもあります。
1)近時記憶障害がどんな風に現れるのかわかっていない
2)「明かりをつける」メリットがその方の認識に沿って説明されていない
3)障害を好き嫌いとすり替えて判断される

つまり
1)については
仮に「日中は明かりをつけておく」ことをその場は了承してもらえても
近時記憶障害があると、時間が経つと忘れてしまいます。
現場あるあるなのは、「その場のお話がちゃんとできる方=認知症じゃない」と思っている職員が
まだまだ多いということです。

当然、相手に認知症がないと判断(誤認ですが)していれば
訪室するたびに「明かりを消してほしい」と言われれば
「あぁ、この方は明かりをつけておくのが嫌なんだな。」
「この方の意向を尊重して明かりを消してあげよう。」
と、善意からであったとしても、誤った認識に基づいて誤った対応をした結果
過活動型せん妄を起こしてしまった。というケースもありました。

過活動型せん妄に対しても
その場の表面的な対処しか為されないと本質的な改善には至らないものです。
ここで、その方の認識に即して説明することが求められます。
2)に関する対応です。

日中部屋の明かりをつけておくことに対して
人によっていろいろな理由があります。
Aさんは、「まぶしいから」
Bさんは、「お金がもったいないから」
Cさんは、「ずっと昼間は明かりをつけずに過ごしてきたから」
明かりを消してほしい理由は三者三様なので
その方の理由に即して対応します。
   
Aさんは、ベッドを真っ平らにして過ごしていました。
ベッドの真上にある電灯を点灯すれば、お顔に明かりが当たってまぶしいのもわかります。
そこで、ベッドをギャッジアップしてお顔の真上から明かりが当たらないようにしました。
Bさんには、「電気料金は施設持ちであること、
      施設の考え方としてお部屋を明るくして足元が危なくないように過ごしてほしい」
ということを伝えると「あぁそうなの。悪いねぇ。どうもありがとう。」と了承してもらえました。
Cさんには、「そうなんですね。日当たりの良いお部屋だったら明かりをつけなくて済みますものね。
      でも、このお部屋はきっとCさんのお家ほどには日当たりが良くないので
      健康のためにも明かりをつけさせてくださいな。
      日中明るいところで過ごすと健康に良いんですって。」
と伝えると「あら、そうなの。知らなかったわ。どうもありがとう。」と了承してもらえました。

その方が「明かりを消してほしい」と思う必然に沿った説明が必要なのです。

そして、近時記憶障害は障害なので解消されることはありません。
その場で了承してもらえても忘れてしまいます。
忘れてしまうことを問題視するのではなくて
忘れてしまったら繰り返し説明をするしかないのです。

ところが、現実には
「明かりをつけさせてくださいね。」と言うだけだったり
元気よく明るく言ったり、下手に出てお願いしたりという風に
工夫はされていても、認知症のある方の立場に立った説明とは少しズレた対応が為されがちです。
だから、うまくいかない。
そして、近時記憶障害があるから時間干渉によって忘れてしまうという認識もないと
好き嫌い、意思表示と誤認してしまいます。
その結果、せん妄を起こしてしまい、的確な対処もできないということが起こりがちです。

善意から一生懸命関わっていたとしても知識をもとにした観察ができないと
自身の見立てや対応について自省が生じにくい
という問題が起こります。

本当にもったいない。

知識がなければ、今、認知症のある方に目の前で起こっていることを理解することができません。
見れども観えず、で見落としてしまいます。
自身の言葉や非言語的表現も的確に選択することができません。

まず、視点を変換させて
イマ、ココで、認知症のある方が環境をどのように感受し、認識しているのかを
きちんと観察・洞察することから始めましょう。

表面的に慣習的に行われていることを卒業しましょう。

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結果を引き起こしている必然を把握する1

認知症のある方へのリハやケアの根本的な問題は
どうしたら介助できるようになるかという視点でいろいろな方法論が展開されていることと
そのことに無自覚なことの2点
だと考えています。
  
認知症のある方は
イマ・ココでどのように状況を感受・認識・対応しようとしているのかを
まず把握するという視点へ自覚的に変換すべき
なのです。

わかりやすい例えをすれば
食事に時間がかかる方に対して
「どうしたらスムーズに食べられるようになるか」考えることや
「時間をかけてもその方のペースで食べていただこう」と考えることと
なぜそんなに食事に時間がかかっているのか、その必然を把握しようとすることとの違いです。

一見すると
焦らせずにゆっくり食べていただくという対応は
その人を尊重しているように見えるかもしれませんが
食事に時間がかかるのは結果であって、
食事に時間がかかる必然を観ようとせずに
表面的な結果として起こっている事象に表面的に対応しているだけ
というのはどうなんだろう?と思いますし
対応が後手に回っています。

私の体験では
1)義歯がゆるゆるで常食を食べていた というケース
2)舌の動きが非常に悪くて咽頭へ食塊を送りこめず口腔内に食塊が貯留している というケース
3)覚醒が悪くて食べられない というケース
がありました。

結果として、食事に時間がかかるという見た目は同じですけれど
食事に時間がかかる必然はまったく別の問題によって引き起こされています。

1)のケースでは、義歯再作成はしないということでしたから
  ポリグリップなどの入れ歯安定剤の購入を打診しました。
2)のケースでは、舌の動きが悪くても食べられるように食形態を変更するとともに
  そのような状態を引き起こしている状態について把握・対応しました。
3)のケースでは、まず覚醒を上げるために
  ・日中の居室を明るくする
  ・日中は生活歴にあるだろう音楽を聴いていただく
  ・朝食後の日光浴を導入
という対応を取りました。
その結果、いずれのケースでも食事摂取時間は結果として短縮されました。

食事に時間がかかるという方に対して
 1)その方のペースだから2時間かけても食べていただく
 2)どうしたら食事時間の短縮ができるか考える
と表面的に考えるのではなくて
食事摂取に時間がかかる必然をきちんと把握することから始めます。
摂食・嚥下5相のどの部分で時間がかかっているのか
そもそも覚醒良好なのか
低活動型せん妄ではないのか
姿勢保持ができているのか
注意散漫ではないのか
体力低下しているのではないか

時間がかかる必然によって対処はまったく異なります。

このことは、食事場面以外でも同様に起こっています。
まったく同じコトが違うカタチで起こっている例を次の記事でもうひとつ。

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「カットアウトテーブルに肘を固定する」食環境のデメリット

私は知らなかったのですが
食環境の調整の一つとして
カットアウトテーブルに肘を固定して自力摂取を促す
という対応が多用されているそうです。

私の経験では上記のような食環境を設定されていた場合でも
他の食環境の設定で自力摂取を無理なく行えるようになったケースばかりですから
まず、他の食環境の設定をお勧めします。

どうしても上記の方法を用いたいのであれば
「慎重に人を選んだ方が良い」
「他の方法でどうしても困難な時に適用した方が良い」
「適用した場合には、骨盤周囲筋の過緊張をチェックした方が良い」
というのが私の意見です。

自分で試しにやってみたら、わかると思うのですが
1)肘を固定すると口元までのリーチが困難 → 体幹を前傾させる代償が必発
2)食塊を取り込む時に前腕の回外と手関節の尺側偏位が要求 → 末梢の過剰操作 → 中枢の同時収縮
というふうに
カットアウトテーブルで肘を固定させる、なおかつ、食事自力摂取できるためには
上記の前提が必要となり
ところが現実には、上記の前提をクリアできる人は少ないために
上述したような代償を引き起こしてしまいます。
そして、上述したような代償の結果
体幹を前傾して胃部を圧迫していますから食欲がなくなってしまった方が
食環境を変更して摂取量が増えたというケースを経験しています。

認知症のある方へのリハやケアでは
きちんと評価・アセスメント・状態把握をする前に
ハウツーを当てはめて
しかもPDCAを回していないために
自身の対応のまずさを自覚も修正もできないというケースが散見されます。

もうひとつ、問題があります。
カットアウトテーブルは車椅子に固定して使いますから
対象者の方が動きたいと思った時に自分では動くことができない状況を作ってしまいます。
身体拘束と判断されかねない環境設定だと思います。
他の食環境設定の可能性が多いので、まずそちらを取り入れた方が良いと考えます。

 

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