Tag: 環境適応

ポジショニング術、伝授します(3)まず全身を観察

飲みもののチカラ

どうポジショニングをしたら良いのかを、
考えるよりも、まず先にすべきことは観察です。

この、とても大切なステップをすっ飛ばす人って
とっても多いんですよね。
だから、「自分の気になるところだけを表面的に修正しようとする」ような
ポジショニングをしてしまうことになるんです。

まず、全身を観察します。
特に、現場あるあるの下記のポイントを見落とさないように観察します。

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いかがですか?

骨盤が左右どちらかに傾いて身体が捻れていませんか?
その状態のままで股関節を外転させたり膝関節を伸展させてはいませんか?
  
円背があって肩甲骨が外転して前方突出して
背骨だけで身体を支えているような状態になってはいませんか?
身体がコロンと左右どちらかに転がったり
肩甲帯とベッドの間に隙間ができてはいませんか?

まず、最優先で対応すべき部分です。
どう対応するのかは次の記事で。

その後に、全身のアライメントを観察します。
次に、優先事項に沿って設定していきます。
通常は、筋のリラックス・姿勢保持のための働きを
クッションで代用させるように考えますが
褥瘡のある方や褥瘡予防対応を優先する必要のある方の場合には
そちらを優先させた対応をします。

 

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ポジショニング術、伝授します(2)考え方

イメージ_猫

まずは
最も重要な、考え方・視点について、お伝えしたいと思います。

生活期にある方のポジショニングで
やっちゃいけないのに現場あるあるな考え方は
「姿勢を修正しようとする」「良い姿勢に矯正しようとする」考え方です。

生活期にある方で不良姿勢があると
その不良姿勢だけを見て
表面的に「良い姿勢」を想定して
そこから、差し引きマイナスで現状を判断して
「良い姿勢」に近づけようとする、といった考え方は
OTでもPTでも散見される考え方ですが
一見、良い姿勢になったように見えても
長期的には逆効果になることがとても多いものです。
(そして、設定した人はそのことに気がつけないで
 対象者の不良姿勢、変形・拘縮がどんどんひどくなるという。。。)

認知症のある方の生活障害やBPSDに対して
表面だけを見てハウツーを当てはめるような対応の弊害について
私は、あちこちで言明していますが
ポジショニングもまったく同じで、同じコトが違うカタチで現れているだけなんです。

問題を対象者の状態像のせいに限定してはいけないのです。

まず、視点・考え方を変えましょう。

そうすると、本当にすごくお身体がガチガチで変形・拘縮が強い方でも
筋緊張が緩和してお身体が柔らかくなり可動域が改善していきます。

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ポジショニング術、伝授します(1)

イメージ_猫

古くて新しいOTの課題って、たくさんありますが
ポジショニングもその一つだと考えています。

認知症のある方でも
歩ける方もいれば、そうでない方もいて
ベッド上のポジショニングや車椅子上のポジショニングが必要となることも
たくさんあります。

実際には、
ポジショニングに困っているOT、PTってたくさんいますよね?
だって、とんでもないポジショニングをされてきた人に
たくさん遭遇してきました。
それなのに、どうしてあんまり話題にならないのか不思議です。。。

一目瞭然で車椅子上姿勢の不適合とか
車椅子上でポジショニングしてもベッド上で設定していないとか
姿勢を矯正しようとして逆効果になってるとか
単に身体とベッドの隙間を埋めてるだけとか
本当にあるあるでした。。。
そして、ポジショニングを設定すると
設定したその日から筋緊張がみるみる緩和されていきました。。。

老健から(当然、PT.OTは在籍してます)来る人で
サマリーに「ポジショニングが必要です」と記載はあるけれど
そう言う当人ができてないじゃん!と何度も思いました。

おそらく「ちゃんとポジショニングをしなきゃ。」とは思っても
骨折後やCVA発症直後のポジショニングの基本は学んでも
生活期にある方の不良姿勢に対して
どう考えたら良いのか、教えてもらったことがないから
わからないのではないかと思います。
違うかな?

そこで、私からご提案。
生活期にある方で
さまざまな基礎疾患のある方の不良姿勢
とりわけ身体が硬くなってしまっている方へのポジショニング
(そうならないように予防的に対応したいケースも含めて)
ポジショニングの考え方や展開の仕方、他職種への伝達の工夫について
本当に役立つ内容、結果を出せる内容、余分な筋緊張を改善し
姿勢を改善し、おむつ交換も楽になるポジショニングをできるように
連載でご説明していきます。

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視覚的理解の活用:透明のコップ

ダイソーさんで購入した、透明のコップです。

認知症があると、いろいろなことを忘れてしまいますが
目で見てわかるチカラは、かなり保たれています。

ところが
高齢者施設や病院では不透明なコップを使用していることが多いですよね。

近時記憶が低下していると
水分摂取を促しても不透明なコップだと
飲み残しがあるということを忘れてしまいます。

透明なコップだと、コップにまだ飲み物が残っているということが一目瞭然
飲み残しがある→飲む という
環境認識→判断→行動の一連の過程を職員の声かけではなく
認知症のある方の視覚理解を活用する
環境調整によって援助することが叶います。

「水分摂取に促しが必要」な方の中には
「飲みたくない」のではなくて
「飲んでいたことを忘れてしまう」
「飲み終わっていないことを忘れてしまう」
「コップの中に飲み物が残っていることを忘れてしまう」
というケースも多々あります。
そのようなケースに有効なのが、視覚理解に働きかけるという環境調整による工夫です。

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誤学習できる=正学習できる

中核症状とBPSD

誤学習できるということは
正の学習もできるということを意味します。

学習はできる
その方向がプラスの方向か、マイナスの方向かの違いで
その違いは、食形態・食具・介助方法含めた食環境の適否にあります。

食事介助を拒否する方
食事中の大声が止まらない方
口を開けてくれない方
ためこんで飲み込んでくれない方
たくさんの方が食べられるようになりました。

私は食べ方の観察ができるようになりました。
食べ方に反映されている困難も能力も特性も洞察することができるようになりました。
だから、重度の認知症のある方でも正の再学習を援助することが叶います。

逆に言えば
「〇〇という状態の人にどうしたらよいでしょうか?」
というカタチの質問には答えられません。
〇〇という状態を直接見てみないとわかりません。
食事介助を拒否するといっても、拒否する必然は人によってまったく違うからです。

食事中の大声が止まらないといっても、大声が出てしまう必然はまったく違うからです。
Aさんは、オーラルジスキネジアがあることを介助者側がまったく気がついておらず
適切な介助ができていなかったからであり
Bさんは、ポジショニングの不適合によって顎がズレてしまっていたからでした。

かきこみ食べをするからと、小さなスプーンを提供されても結局、かきこみ食べをしています。
Cさんは、上肢操作能力を十分に発揮できずにいてその代償としてかきこみ食べをしていたし
(手の問題)
Dさんは、とりこみ方を誤学習していたために代償としてかきこみ食べをしていました。
(口の問題)

口を開けてくれないと言われていた方の中には
Eさんは、原始反射様の動きが出ていることを介助者側が気づかず、口の中に食塊を入れられ続けてきたので口を開けるタイミングを図ることができなくなっていたし
Fさんは、パウチ状の栄養補助食品を押されることで水分と栄養を摂取していたので開口すると舌がパウチの口の形状に合わせてUの字型になってしまっていましたし
Gさんは、口輪筋が硬くなっていたので自身では食べる意思はあっても、おちょぼ口のようになってしまい開口できませんでした。

ためこんで飲み込んでくれないと言われた方は
Hさんは、口腔期が長い方で食塊が口の中に残っているから口を開けないだけでしたし
Iさんは、誤介助誤学習のために舌が板のように硬くなり送り込みができなくなっていましたし
Jさんは、オーラルジスキネジアのために送り込みに時間がかかっていました。

Aさん〜Jさん皆さん20分程度で完食できるようになりました。
皆さん状態像はまったく違いますし
私の対応も人それぞれ、変化に応じた対応をしていきました。

「大声 → 声を出さなくなる対応」
「かきこみ食べ → 小さなスプーン」
「口を開けてくれない → 開けてもらえる声かけ」
「溜め込んで口を開けてくれない → 口を開けてもらうスプーン操作」
などの「〇〇という時には△△すれば良い」というようなハウツーは、あるわけがないのです。

かつて、養老孟司が人に対して「あぁすればこうなる」なんてものはない
と喝破しましたが、なぜか、認知症のある方に対してみんなが求めているのが「ああすればこうなる」です。
そして、あまたある本や研修で伝えられているのも「〇〇という時には△△する」です。
だから、結果が出せないし
仮に、結果が出せたように見えても、いつの間にか別の問題が出てくるのです。
そのようなケースを繰り返し繰り返し見聞きしているはずなのに、
自身の思考回路や対応に疑問を持てずにいるのです。

HDS-Rが0/30点だったり
検査すらできなかったり
その場の会話が成り立たなかったり
介護拒否や介護抵抗の強い方や
大声や暴言暴力のある方などの重度の認知症のある方でも能力を発揮しながら暮らしています。

ただ、その能力発揮が不合理なだけなので合理的に発揮できるように援助すれば良いだけです。
だから、食べることの困難を協働して克服し、もう一度食べられるようになるのです。

認知症のある方や生活期にある方の場合に
食べる困難の多くは、実際には不適切な食事介助に適応した結果つまり誤介助誤学習が原因です。
誤学習ができるということは、正の学習もできるのです。
たくさんの方がもう一度食べられるようになる過程を協働してきましたが
そのたびに思うことは、
どんなに重度の認知症のある方でも能力を発揮しながら暮らしているということです。

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かきこみ食べ→小さいスプーン?根底にある問題

かきこみ食べをする方ってよくいると思いますが
対応としてどうするかというと
たいていの場合に
かきこみ食べをしないようにと、箸や小さいスプーンが提供されるかと思います。
でも、それでかきこみ食べが解消されたかというと
小さいスプーンでもかきこみ食べをしてるんですよね。。。
当初の問題設定に対して実効的な対策となっていないのに
そこはスルーされるという。。。
そして、かきこみ食べも解消されないし
当初、なかった別の問題、例えば、吸い込み食べや誤嚥といった問題が
新たに出現してしまいます。
実際に、「かきこまずにすくって食べるトレー」で紹介した方は
かきこみ食べ→小さいスプーン→もっとかきこみ食べ→誤嚥性肺炎に至っていました。。。
現場あるあるです。。。

こういった、パターン化した対応ができるということは
〇〇という時には△△する、というパターン化した思考回路がベースにあるわけで
パターン化した方法論を単に当てはめているだけで
目の前にいる方の状態像を的確に把握できているわけではないのです。
根本的な問題はここにあります。

逆に言えば
先の記事で紹介したトレーだって万人に通用する方法論ではありません。
当然のことですが。
ただし、紹介した事例にはドンピシャ!的を射た対応だった、
つまり、事例の状態像を的確に把握できていたことの証左だったわけです。

蛇足ですけど
別のかきこみ食べをしていた方には
全介助で食塊のとりこみの練習をしたこともあります。
かきこみ食べをせざるを得ない必然が
上肢の操作能力にあるのか、口腔機能にあるのか、私はきちんと判断しています。
私は必ず、最初にその方の食べ方の総体を観察していますが
多くの人は、かきこみ食べをしているという判断が先にあって
その方の食べ方の総体を観察しないという現実があります。

多くの人は
自身の気になるところしか、見ていません。
観察が不十分なんです。
やることばかり考えるけれど、やる前に観なければ。
でも、観るに足る知識がないから観ることができない。
だから、やることで補償(防衛機制)してるんです。
これは、食事介助に限らず、
認知症のある方への声掛けやリハやポジショニング、Activityの提供などなど
対応全般に言えることです。

 
だからこそ、私たちが変われば対象者の方も変わるんです。

ここに、未来への希望があります。
私が情報発信する意義もここにあります。

つまり、養成の問題なんです。
 
私の話は具体的です。
聞いた人が汎化できるように思考過程を明確化しています。
自己努力を惜しまない人に必要な情報提供ができるレアな話です。
講演あるあるの
単なるハウツーではありませんし、
理想論・抽象論だけを語る(騙る)こともありません。
理想を具現化してきた事実をお伝えしています。

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認知症のある方へのActivity 現場あるあるの誤解その2

 

Activityって何のために認知症のある方に提供するのでしょう?

提供者側の考えによって
ずいぶん実態が異なるように感じています。

問題は
提供されたActivityについて
認知症のある方が
どのように感じ
どのように為していたのかを
どれだけ観察しているか
どれだけ確認しているか
どれだけ本音を語ってくれる関係性を構築しているのか
ということだと考えています。

知識があって
状態把握ができれば
適切なActivityを選択・提供できるだけでなく
提供した後の様子や発言から
何が起こっているのか
どうしたら良いのかもわかって適切に修正することができます。

選択・提供に悩む人は多いけど
事後確認・修正も大切だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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認知症のある方へのActivity 現場あるあるの誤解その1

「認知症だから何かさせないと進行してしまう」
「徘徊しないように何かできることない?」
「やりたいことを尋ねたら何もないって言われた」
「やりたいことを提供したのにできなくなっていた」
「できないところは一緒にやるから大丈夫」

これらの言葉を
聞いたことのないOTも
言ってしまったことのないOTも
少ないのではないでしょうか?

私は未熟な時に、最後の言葉を言ってしまったことがあります。。。

認知症のある方で構成障害があると
隣で善意のOTが「ここをこうしてこうやって」と見本を見せても
再現できないケースが多々あります。
構成障害のある方に対して
「ここをこうしてこうやって」と見比べさせるのは
できないことを要請しているという非情な在り方です。
見本を見せてもできない認知症のある方に
動作介助をして何か作品が完成したとしても
認知症のある方に本当に達成感を感じていただけたことになるのでしょうか?
OTの脳みそが認知症のある方の手を動かしているに過ぎないのではないでしょうか?

大切なことは
構成障害を含めた障害像を把握し
代償という不合理な発揮も含めた能力を洞察し
「ここをこうしてこうやって」と言わなくても
認知症のある方が遂行できるActivityを選択・提供・環境調整できることであり
そして、目の前にいる認知症のある方自身にとっての意義を
傍にいるOTが感受し理解できることだと考えています。

認知症のある方へのActivity提供に関して
現場あるあるの誤解・課題について記載していきます。

 

 

 

 

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