Tag: 環境適応

「カットアウトテーブルに肘を固定する」食環境のデメリット

私は知らなかったのですが
食環境の調整の一つとして
カットアウトテーブルに肘を固定して自力摂取を促す
という対応が多用されているそうです。

私の経験では上記のような食環境を設定されていた場合でも
他の食環境の設定で自力摂取を無理なく行えるようになったケースばかりですから
まず、他の食環境の設定をお勧めします。

どうしても上記の方法を用いたいのであれば
「慎重に人を選んだ方が良い」
「他の方法でどうしても困難な時に適用した方が良い」
「適用した場合には、骨盤周囲筋の過緊張をチェックした方が良い」
というのが私の意見です。

自分で試しにやってみたら、わかると思うのですが
1)肘を固定すると口元までのリーチが困難 → 体幹を前傾させる代償が必発
2)食塊を取り込む時に前腕の回外と手関節の尺側偏位が要求 → 末梢の過剰操作 → 中枢の同時収縮
というふうに
カットアウトテーブルで肘を固定させる、なおかつ、食事自力摂取できるためには
上記の前提が必要となり
ところが現実には、上記の前提をクリアできる人は少ないために
上述したような代償を引き起こしてしまいます。
そして、上述したような代償の結果
体幹を前傾して胃部を圧迫していますから食欲がなくなってしまった方が
食環境を変更して摂取量が増えたというケースを経験しています。

認知症のある方へのリハやケアでは
きちんと評価・アセスメント・状態把握をする前に
ハウツーを当てはめて
しかもPDCAを回していないために
自身の対応のまずさを自覚も修正もできないというケースが散見されます。

もうひとつ、問題があります。
カットアウトテーブルは車椅子に固定して使いますから
対象者の方が動きたいと思った時に自分では動くことができない状況を作ってしまいます。
身体拘束と判断されかねない環境設定だと思います。
他の食環境設定の可能性が多いので、まずそちらを取り入れた方が良いと考えます。

 

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評価を踏まえた対応:身体リハの場面

もともと認知症がある方が
骨折などで入院し身体的なリハを受けることになる
というのも現場あるあるです。

近時記憶障害があれば
骨折し入院し手術したことも忘れてしまうことも起こります。
座ってじっとしていれば痛くなくても
リハで立ち上がった時に痛みを感じるということはよくあります。
ここで、骨折し入院し手術をしたことを忘れていれば
「立つと痛い→立つから痛い→立ちたくない」
という判断をしても不思議はありません。

リハスタッフは多くの場合
MMSEやHDS-Rを施行し「近時記憶障害あり」と判断しています。
ですが、検査は検査で終わってしまい
検査結果を対応に活かすことは何故かあまりされていないのではありませんか?

私は立ち上がりの練習をする前に必ず声をかけます。
「〇〇さん、今から立つ練習をします。
 立つ時に足が痛くなるかもしれませんが
 骨折して手術したからです。
 だんだん痛みも軽くなりますから
 心配せずに立つ練習をしましょう。」

そして、この声かけの頻度も認知症のある方の近時記憶の状態に応じて変えています。
HDS-R18/30点くらいの方であればリハ開始時に一度声をかける程度で大丈夫なことも多いけれど
HDS-Rが3/30点の方には、立ち上がるたびに同じ説明を繰り返すようにしています。

実際、3/30点の方でも
身体的なリハを提供し改善し
すべき声かけと回避すべき場面を明確化し情報提供した上で
もっとリハの充実した老健へ移行することができました。

ところが
現場では「HDS-Rが3/30点」と認識していても
実際のリハの現場で事前に痛みが生じる恐れについて声をかけておく人は少ないものです。
そして、その結果、立ち上がり時の痛みと痛みが喚起する不安について認識できず
「立ち上がりを嫌がる」「リハ拒否」「認知症のためにリハ実施困難」
とレッテルを貼っているのではありませんか?

認知症のある方の身体リハがうまく進められない。。。という理由の1つに
私たちの側の問題もあるのではないでしょうか。

私たちは評論家ではなくて援助職です。
認知症のある方の困難を減らすような関与ができるからプロなのです。
HDS-Rが18/30点であれば、どのような支障が生じるか予測できる
HDS-Rが3/30点であれば、どのような支障が生じるか予測できる
近時記憶障害の程度に応じて
イマ・ココでどのような関与をすべきか判断できる。

検査結果を評価に活かす
評価を根拠とした対応の工夫ができる

ほんのちょっとした工夫のように見えるかもしれませんが
認知症のある方がどのように環境を感受・認識しているのかを
意識化することができているかどうか
この違いはとても大きな違いです。

 

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「ここをこうしてこうやって」を卒業しよう!

かつて、私も言っていましたが
ある時、ふと気づきました。
「ここをこうしてこうやって」って何の説明にもなってないじゃん!

Activityや手作業をしてもらう時に
たいていの人は、隣に座って作業工程を同時に行いながら
「ここをこうしてこうやって」と言っています。
かつての私もそうしていました。。。

でも、それでできる方もいますが
できない方も少なくありません。

構成障害があれば
見比べる・見比べて行動修正する
ということが難しくなります。

「ここをこうしてこうやって」
という声かけが理解できるのは
「ここ」がどこで「こうやって」がどうすることなのかを
見て理解することができる方です。

もっと言うと
「ここ」を言葉で説明しなくても「ここ」を探して注意を焦点化できる
「こうやって」を言葉で説明しなくても「どうするか」を汲み取ることができる
つまり、相手の「汲み取る能力」に依存した説明ということです。

構成障害があれば
私が示した「ここ」が自身の「どこ」か
私が示した「こうやる」が自身の「どうする」か
対照させることが困難です。

構成障害とは
全体と部分、部分と部分の位置関係を認識し再現する障害
なのですから。

構成障害のある方に
どんなに詳しく親切に隣で言葉による声かけを繰り返しても
できるようにはならないどころか
認知症のある方に余計に
「困った」「わからない」「できない」ことの反復体験をさせるだけです。
もうそんな関わりは卒業しましょう!

卒業できるためには
どんな障害や困難があって
どんな能力があるのかを
私たちが把握できていることが必須です。

ところが、多くの現場では
自身の知識の確認や関与の振り返りをするのではなくて
表面的に「どうしたら困りごとがなくなるのか」を考えて
言葉だけで繰り返し説明をする
というパターンがいまだに圧倒的に多いものです。
そして、最も問題なのがその自覚がないことです。。。

現場あるあるのマズイ対応は
せっかく検査をしてもその結果を対応に活かせていない点にあります。
評価に基づいた対応ではなく
表面的な困りごとを解決しようとしてハウツーを当てはめている
「引き出しを増やす」と言って
ハウツーを増やすことが学ぶことだと勘違いしている人が多いのです。
それらのどこが寄り添った対応なのでしょうか?

その時・その場の・その関係性において
目の前にいる方に何が起こっているのかを
的確に観察・洞察できるように知識を学ぶ
学んだ知識をもとに観察できるように努力する
そういう人は少数派です。

私たちが自覚して自らの関与を修正しようとしさえすれば
今すぐにでも改善可能なことは多々あります。

その時に
認知症のある方がどれだけ自身の困難に対して
なんとかしようと必死になっている姿を見出すことができて
目を見開かされるような思いをするはずです。

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大声・暴言のある方への対応:問いを問い直す

大声や暴言のある方に対して
「大声・暴言のあるBさんに対して、どうしたら大声や暴言をなくせるか」
という問題を設定して、みんなで対応を考える
というパターンが圧倒的に多いのではないでしょうか?

問いを問い直す
問題設定の問題と言っている現場あるあるの課題は、ここにあります。

まず一つ、
「大声や暴言のBさん」と、BPSDを形容詞化してしまっています。
どんなに大声や暴言の著明な方でも24時間365日大声や暴言を言っているわけではありません
形容詞化してしまうことで、大声や暴言のない時のBさんの状態を見落としてしまいます。

二つ目には、
大声や暴言という大きな見た目は同じでも
Bさんが「何に対して」大声や暴言をしているのかを全く確認をしていないということが問題です。
本来、「何に対して」怒っているのかがわからなければ対処のしようもないはずです。
先の記事で書いたように
「電気を消すことの何が嫌なのか」確認しようとしない
という私たち職員側の在り方と全く同じことが違うカタチで起こっているのです。

「ちゃんと声掛けしているのに怒られた。どうしたら良いの?」
という相談もよく受けますが
「ちゃんと」というのが実はクセモノで(苦笑)
言葉は丁寧でも口調がぞんざいだったり、キツかったり。。。
あるいは、長々と説明しているので理解できなかったり。。。
または、一方的に「その場を収める」ための声かけで本当の意味で「聴いて」いなかったり。。。

大声を出す、暴言を言う、という表現に表れているのは
その方のなんとかして欲しいという要望の強さのこともあります。
もちろん、いくら対人援助職だからといっても
誰だって怒鳴られたり酷いことを言われたら
人間として怖いし傷つきます。

でも、私たちは
お金をもらって認知症のあるBさんに接しています。
怒る、大声を出すという言動の評価ができる情報収集の貴重な機会を逃さないようにしましょう!
Bさんが「何に対して」大声や暴言という表現をしているのか率直に尋ねる。
そして、大声や暴言に反映されているBさんの困難と能力は何か
ということを把握しましょう。

大声や暴言という見た目、大きな枠組みは同じでも
その時その場の状況において
「何に対して」怒っているのか、ということは同じBさんでもまったく異なってきます。

だから、その都度「何に対して」怒っているのかを聴くことから始める必要があります。
言葉にして聴く時には聞き方に工夫が必要ですし
介助というもう一つの言葉で聴く時にも工夫が必要
です。
その工夫とは〇〇したら大声・暴言がなくなる、というハウツーの当てはめではありません。

大声や暴言を収めようとする在り方は
「大声や暴言がない」という状態を「望ましい状態」として無意識のうちに設定しています。
目標として計画書に記載していなかったとしても
実際の目標、ゴールとして設定しています。
この時点で、「状態であって行動ではない」から「目標=達成すべき本人の行動」とはなり得ない。
望ましいゴールではないところを目指しているので
当然行動変容が起こらない。努力が空回りしてしまう。という帰結を迎えます。

問いを問い直す。

どうしたらBさんの大声や暴言がなくなるのか
という問題設定ではなく
イマ・ココでBさんは何に対して大声や暴言というカタチで表現しているのか
という問題設定をする。
二重の意味で問いを問い直すことが求められています。

ちょっと話がそれますが
お気づきの方もいると思いますけれど
私はこちらのサイトでも論文や著書においても
「正しい」という文言は使っていません。
「適切」という文言をよく使っています。
誰にでも、いつでも、どこでも、万人に通用するような
「正しい」声かけや対応はありません。

目の前にいる方に対して、その時その場で適切だったかどうかが求められています。
適切かどうかの根拠はその方の目標です。
だから、認知症のある方に対して適切な対応ができるためには
目標設定を的確に行えることが望まれるし
目標設定が的確に行えるようになると
認知症のある方への対応の適不適の判断もできるようになってきます。
非常に強く関連しているのです。

いまだに時々見かける
長期目標:関節可動域の維持・改善
短期目標:関節可動域の維持・改善
治療内容:関節可動域訓練
だったり
長期目標:移動能力の維持
短期目標:移動能力の維持
といった記録を残すような人で認知症のある方に対して適切な対応ができる人に会った試しがありません。

逆に言えば
たとえ、今、目標設定ができない人でも、認知症のある方に適切な対応ができない人でも
どちらか一方がきちんとできるようになると
他方のおかしさを自覚し、自身でトレーニングを積むことができるようになり
いずれどちらも改善できるようになっていきます。
ここに未来への希望を感じています。

 

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悪いことをしないように心がける

先日、久しぶりに会った知人から
「前によっしーさんに言われた『悪いことはしないように』
 それだけは守ってる」と言われて、とても嬉しく思いました。

その人は、とても優秀な人で謙虚な人だから
「良いことはできなくても悪いことはしないように心がけている」
という言い方をしていましたが
本当に優秀な人は本当に謙虚だなーと改めて思ったものです。

対象者にとって悪いことはしないように心がける。

これは、かつての私の実践でもあります。
若い時には、認知症のある方に対して
どうしたら良いのか
どう考えたら良いのか
さっぱりわかりませんでした。
良いと言われていることは何でも学びやってみましたが
納得はいかない。。。
結局、目の前にいる方から学ぶことしかなかったのですが
その時に、悪いことはしないように
ということをスタートラインにしたのです。

「良いことをしよう」という意識は
善意であることは疑いませんが
「地獄への道のりは善意で敷き詰められている」
「地獄には善意が満ちているが、天国には善行が満ちている」
というヨーロッパの諺の通り
独善に陥ったり、自身のスローガンの実践にとどまったり
PDCAを回すことを怠ったりしがちです。
 
一方で
「悪いことをしないように」という意識は
対象者本意の視点から始まります。
対象者にとっての悪いことというのは対象者一人一人によって異なるからです。
こちらの独りよがりや強制を予防することができます。

いろいろな人の実践を垣間見聞きし
いろいろな経験を積むにつれ
「悪いことはしない」ように心がける実践から始めることができて
本当に良かったと思う今日この頃ですが
当時は、その意味が今ほどはわかっていなかったと思うのです。
出発点を間違えずに本当に良かった、ラッキーだったと思っています。
その選択をしたのは紛れもなく私自身ではありますが
何かの出会いのタイミングのちょっとしたズレの蓄積で
そのような選択ができなかった可能性だってあったかもしれず
そう思うと怖さで身震いするほどです。

いろいろなところで言っていますが
スティーブ・ジョブズの「意図こそが重要」という言葉は真実です。
認知症のある方への対応についても言えることです。

認知症のある方へどう対応したら良いのかわからない
と困っている人は、困ることができる人でもあります。
困ることすらできない人になってはいけない。
ピンチはチャンス。
今までとは違う実践、認知症のある方に対して悪いことはしないように
心がける実践に切り替えるチャンスです。

 

 

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簡易ヘッドレスト

普通型車椅子に座れるけど
頸部後屈してしまう方に対する工夫です。
ティルト型車椅子を使うほどではないけど
何もしないとしんどそう。。。という場合に
材料はダイソーで購入できて、すぐに作れる簡易ヘッドレストです。

必要なのは
プラスチック製の棒(写真では突っ張り棒:45〜60㎝)を2本
伸縮するベルトを3本
結束バンドを数本

<作り方>

1)プラスチック製の棒を車椅子のバックレストの隙間に突っ込む
  この時棒の長さが短いと後を振り向いた時に棒が目に当たってしまう恐れがあるので 
  棒の長さは頭よりも高くなるように気をつけています。

2)棒を車椅子の手押しハンドルのポールに結束バンドで固定します。
  この時、伸縮ベルトの上端〜下端の間に滑り止めを固定しておくと
  ベルトのズレを予防できます。(写真では青紫色に見えます)
  写真では伸縮ベルト3本使用していますが
  (頭部後屈が著明であれば、
   支持性を高めるために伸縮ベルトの本数を増やすか
   ベルトの長さを調整します)
  この段階ではまだ結束バンドのはみ出た部分は切り落とさず調整できるようにしています。

3)左右の棒に伸縮ベルトを固定します。
  この時に後頭部がきちんと支えられているかどうかを確認します。
  大丈夫であれば、結束バンドを引き絞って、はみ出た部分をハサミでカットします。

4)伸縮ベルトにタオルを巻き付けます。
  簡単に縫い止めても良いでしょう。
  下の写真では後で3箇所簡単に縫い止めてあります。

簡易ヘッドレストは
材料の入手も簡単、安価で、すぐに作れます。
何よりも一番良いところは、伸縮ベルトの伸縮性が
対象者の方の頸部後屈の度合いに応じて、その都度対応してくれるところです。

自身で頸部中間位を保持できている時には
ベルトはあまり伸長しないけれど
頸部後屈方向に力が入ってしまった時でも
ベルトはしっかり伸長して頭部を支えてくれます。

通常の布だと
頭部は支えられても頸部は後屈したまま。。。という時もあるかと思います。
伸縮ベルトだと、頭部の重さを支えつつ、頸部中間位へとアライメントも整えてくれます。
頭部のもたれかけ具合に応じて、ベルトが伸縮して対応してくれるので
過剰な後屈を防止でき、ヘッドレストによる過剰な支えにならないのが良いところだと思っています。

 

 

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声かけの工夫

5本箸

基本中の基本ではありますが
参考になる方もいると思うので掲載します。

認知症のある方に声をかける時には
言語理解力に合わせた声かけをしています。
つまり、まず最初に言語理解力を評価できている必要があります。

ところが
現実には、この過程をすっ飛ばしている人がとても多いのです。
その時その場での言語理解力に応じた対応をしていないので
拒否されたり、合目的的な言動を促せないのは当然です。
逆に言えば
その時その場での言語理解力に応じた対応をすれば
拒否されることが減り、合目的的な言動を促せるようになります。

どういうことかというと
たとえば、認知症のある方をトイレ誘導しようとして腕を引っ張る人もいます。
もちろん、この時職員は無理やり強く引っ張るわけではなく動作介助の一環として行うわけです。
ところが、その方の立場に立ってみれば
自分で歩くことはできるのに
「トイレ行きますよ」と言われてトイレに向かおうとしていたのに
足を出すより先に腕を引っ張られて怖かった、だから余計に足が前に出なかった
すると、余計に腕を引っ張られたから「嫌!怖い!」と発言した。

似たような場面を見聞きしたことのある人は少なくないと思います。

上述の場面には職員側の問題が複数あるわけですが
それは別の機会に説明するとして
ここでは、言語理解力の評価に的を絞って記載していきます。

 

 

1)まず、アイコンタクトをとる
2)行動の目的を説明する
  (場合によってはここを割愛することもあります。
   目的の言葉ではなく、手段・方法の言葉を使った方が良い場合など)
3)行動を1工程ずつ分けて何をしてほしいか説明する
4)行った行動が適切であったことを伝える

たとえば
車椅子からベッドに移乗してほしい時には
いきなり「〇〇さん、ここ(手すり)につかまって立ってください」と言うのではなく
1)「〇〇さん」と正面から顔を見ながら声をかけます。
2)ここは〇〇さんの言語理解力に応じて方法を選択します。
  「ベッドに移ってください」もありだし
  「こちらにおかけください」もありだし
  「(ベッドをポンポンと叩いてから)どうぞ」もありです。
  目的の言葉ではなく手段・方法の言葉を使った方が良い場合は割愛します。
3)ここも〇〇さんの移乗能力と言語理解に応じて言葉を選択しますが
  「操作対象を眼で見ることを促す」
  「1工程ずつ分ける」
  「必要であれば最小限の言葉と手差しで伝える」
   例:手すりにつかまることが必要であれば、「どうぞ」と言いながら手すりを手で指し示す
     手すりをつかんだことを確認してから
     「どうぞ」と言いながらベッドを指し示す
4)「完璧です」「バッチリです」「OKです」「ありがとうございました」など
  笑顔で端的な言葉で「行った行動が良かった」ことを伝えます。

認知症のある方への声かけの工夫とは「優しく」「丁寧に」「否定しない」などの接遇に限りません。
「こちらのベッドに移乗していただいてもよろしいでしょうか」
という表現では理解・遂行できない方もいます。
そこだけを切り取って「認知症だからできない」と判断して移乗を全介助してはもったいないです。

本来、人は誰でも生きている限り能力を発揮しています。
ただ、能力は状況によりけり、発揮されるものです。
支持的な環境ではできることでも、プレッシャーのかかる環境ではできないことはよくあることです。
人の成長成熟とは、どんな環境であっても能力を発揮できるようになっていくことです。
認知症という病気であっても、かつてはその過程にいたのです。
たとえ認知症が進行しても限定した環境であれば、できることは多々あります。
認知症のある方がどれだけ円滑に能力を発揮できるかは
私たちが、その限定した環境をいかに見出し、適切に調整できるか、ということにかかっています。

 

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介護ポストセブンに掲載されました

介護ポストセブンさんに
「作業療法士」という職種名が掲載されました!

詳細は、こちらからご覧ください。

内容は私が35年以上前から提案し続けていることです。
1)スプーン操作の基本
2)ムセを過剰視しない
3)食べ方そのものを観察する

「食べさせる」のではなくて
「食べることの援助」をしようと思えば
今、どんな風に食べているのか、食べにくいのかを
まず、きちんと把握しようとすると思います。

ところが、現実には
どうやったら食べてくれるだろう?って
食べ方の観察を十分にせず
何が起こっているのかの洞察も不十分なままで
対応方法を考える人が多いんですよねぇ。。。

順序が逆です。

食べ方の観察をきちんとすれば
今、何が起こっているのか
どこがどう食べにくくて
どこで代償しているのかを洞察することが叶います。
だから、どうしたら良いのかが
一本道のように浮かび上がってきます。
あとは、その方法を具現化する技術があれば良いだけです。

1人でも多くの方に伝わり
困っている方が1人でも少なくなりますように。

 

 

 

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