Tag: 対応

食べられる口をつくる

講演終了後の質問で
「口を開けてくれない人がいるんですけどどうしたら良いですか?」
という質問を受けることがよくあります。

どう、口を開けてくれないのかよくわからないので
状態を確認していくとどうも覚醒不良によるもののようで
「覚醒が悪いんじゃないんですか?」と尋ね返すと
「いいえ、口を開けてくれないんです」と言われました。
そこで今度は私の方から
「お食事の時に目を閉じていませんか?」
「声をかけ肩を叩いても目を閉じたままではありませんか?」
と尋ね返すと「そうなんです」と言います。
「それを覚醒不良と言います」とお伝えしたことがあります。

覚醒不良の時に口を開けられるはずがありません。
覚醒不良の時には食事を食べさせてはいけません。

現場では、こんな風に
「食べさせること」を念頭に置いて
「どうやったら食べさせられるか」を考える人たちがいまだにたくさんいます。

数メートルのごく短距離の歩行後に息切れがひどい方に対して
「CMのプランに歩行練習って書いてあったから歩かせないといけない」
と言われたこともあります。
えぇっ?CMはそんなこと言いませんよ〜。
むしろ歩行練習をしてみた結果の状態を報告してくれって言っています。
歩行練習が目的ではなくて〇〇を達成するための手段としての歩行練習なのだから
代替提案をすれば良いだけの話です。

それと同じように
覚醒不良で食べることができない状態でもやるべきことは多々あります。

まず、なぜ覚醒不良に至ってしまったのか
どうしたら、覚醒できる状態を作れるのか
本質的な改善策を考えると同時に
覚醒不良の状態でもできる口腔ケアを行います。

食べられる口を作る、維持することによって
いざ、覚醒できた時にすぐに食べられるように備えておく
のです。

食べられない状態の方の
口腔内に何の問題もないということは稀です。
痰の付着、口腔内乾燥、汚染された唾液。。。
必ず何らかの問題があって口腔ケアを必要としています。

食べられる口を作る

口腔ケアは単に口の中をきれいにするという守りではなくて
食べられる口を作るという攻めのケアでもあります。

 

 

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開けられないのは口唇?歯?

口腔ケアの時に
拒否を誘発するような介入をしていなくても
「口を開けない」というケースもあります。

そのような時には
口唇を開けられないのか
歯を開けられないのか
をまずきちんと確認します。

口唇を開けられない時には
口唇中央に軽く指先を押し当て
「唇の力が緩みます」と声をかけながら
小さく円を描くようにします。
するとだんだん口唇中央が緩みますから
緩んだところに歯ブラシを当てて
見える範囲でブラッシングを行います。
さらに緩んでくるので緩む範囲を確認しながら
緩んだ範囲でブラッシングをしていきます。
奥歯の上面をブラッシングできれば奥歯の裏側もブラッシングできます。
ここまでくれば、前歯の裏側もブラッシングできるようになります。
大切なことは、相手の口唇の緩み具合を確認して緩み具合に合わせてブラッシングを進めることです。

歯を開けられない方も同様で
まずは見える範囲でブラッシングを行います。
するとだんだんと奥歯へブラッシングを進められるようになりますから
奥歯の上面をブラッシングできるようになるまでは
焦らずにゆっくりとブラッシングを進めます。
奥歯の上面がブラッシングできればしっかり開講できているのでもう大丈夫です。

いきなり歯ブラシを口の中に突っ込むのではなく
できる範囲で行いながら、できる範囲を広げていきます。
その過程において相手とブラッシングを通したノンバーバルコミュにケーションを行うのです。

歯ブラシで磨くことに相手を合わせることを考えるのではなくて
相手の受け入れ状態を感受しながら歯ブラシでブラッシングを行い
ブラッシングを行うことで「何をしているのか」「どうして欲しいのか」を伝えます。

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口腔ケアを拒否するには必然がある

口腔ケアを拒否するには拒否するだけの必然があります。

ひとつには
ケアを始める前に
必ずアイコンタクトをして、口腔ケアの説明を行います。
この時に、対象者の方が
視覚情報の方が認識しやすいのか
聴覚情報の方が認識しやすいのか
体験を通した方が認識しやすいのか
を確認した上で、認識しやすい情報を提供することが大事です。

現場あるあるなのは
「〇〇さん、歯磨きをしますよ=」と声はかけていますが
・相手とアイコンタクトをしない
・声かけが終わらないうちに歯ブラシを口の中に突っ込んでいる
という介入方法です。
これでは認知症があってもなくても嫌な気持ち、びっくりされて拒否されて当然です。
拒否を誘発するような介入をしていないということが絶対の前提条件ですが
現場では善意のもとに無自覚に拒否を誘発するような介入が為されていることが多いものです。。。

拒否を誘発するような介入はしない
その上で初めて「じゃあどうしたら良いのか?」という問いが成り立ちます。

まず、対象者の名前を呼びアイコンタクトを取ります。
その上で視覚情報の方が認識しやすい方には、
「歯ブラシを見せる→歯ブラシを左右に動かす」
というジェスチャーで歯磨きをすることを伝えます。
聴覚情報の方が認識しやすい方には
その方の言語理解力に合わせて声かけをします。
「歯磨きをしましょう」
「歯磨き」
「口の中をきれいにしましょう」
「あー」などなど。
体験を通して認識する方の場合には
無理せずに今ブラッシングできる範囲を優しくブラッシングしながら「歯磨き」と声をかけます。
そうするとたいてい、だんだんとブラッシングできる範囲が広がってくるものです。

こう言うと、必ず言われるのが
「わかっちゃいるけど時間がない」
という言葉です。

忙しいのはわかります。
でも忙しいからこそ、ちゃんと対応すべきなんです。
アイコンタクトの1秒、歯ブラシ提示の1秒、ジェスチャーの1秒の合計3秒で
拒否なく応じてもらえるなら3秒の時間を作りましょう。
だって拒否が生じたら3秒以上の時間がかかりますよ。
その上、対象者の方も職員もどちらにとっても嫌な気持ちが生じます。
そんなネガティブな体験をして、さらに時間がかかるなら3秒の手間をかけたほうが
よっぽど良くないですか?

拒否するには拒否するだけの必然があります。
その必然の多くは、「何をされるかわからない」というものです。
職員にとっては自明の口腔ケアでも
近時記憶が低下し、言語理解力や状況推測力が低下している認知症のある方にとっては
自明ではない介入をされるのだということを踏まえて
「これから何をされるのか」ということを相手の能力に合わせて伝える
ということが重要です。

そうしてもなおかつ、拒否されて「口を開けてくれない」場合には
口を開けたくても開けられない必然があります。
それは次の記事で。

でもその前に、
「口を開けてくれない」「口腔ケアに協力してくれない」という事象を引き起こしているのは
圧倒的に職員側の問題であることを自覚しましょう。

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食事でむせた時の対応

食事場面でむせた時に的確に対応できる人はまだまだ少ないのが実情です。
むせた時に、背中を叩いたりさすったりしたり食事を中止してはいけません。
むせた時には、まず何が起こっているのかを確認し状態に応じて対処します。

確認すべきは気道の狭窄の程度です。

そもそも、むせとは何か
誤嚥した時に気道に入ってしまった異物を
声帯が激しく内外転し呼気のパワーで喀出しようとする作用のことです。
つまり、誤嚥がなければむせも起きませんが
むせは異物喀出作用なので強く激しいむせは異物喀出作用の高さを示しています。
大きなむせに遭遇すると驚いてしまうかもしれませんが良いことなのです。
いまだに、強く激しくむせている方に「その人の食事は中止して!」と指示するような人もいますが
大きな間違いです。
呼気の介助をしてしっかりとむせ切っていただき
声の声明さを確認できれば普通通りに食事していただいて良いのです。

むせられるということは気道の狭窄が部分的である、空気の通り道があるということを意味します。
だから呼気の介助が有効なのです。

ところが、チョークサインなど窒息、気道の完全閉塞が起きてしまった場合には
呼気の介助は無効です。
空気の通り道が完全に遮断されているからです。
気道が完全狭窄している場合に確認すべきは意識の有無です。
意識があれば背部叩打法やハイムリック法で異物の喀出を試みます。
意識がなければすぐに胸骨圧迫を試みながらAEDの用意をし
施設であれば緊急コールと救急車手配をします。

むせへの対応ではありませんが
関連して少し窒息時の対応について記載していきます。

先日、救命講習を受けた時に教えてもらった時に
「あぁここは盲点だな」と思ったことがあって
それはベッドの上で胸骨圧迫をすることです。
確かに人によっては柔らかいマットレスを使用していることもあって
それだとせっかく胸骨圧迫をしてもマットレスが沈み込んでしまって圧迫になっていない
ということが起こってしまう。
だから硬い床面に寝かせて行うようにと指導を受けました。
確かに確かに。。。

時々、見聞きするのが
窒息した時に吸引による異物除去に時間をかけるケースです。
吸引で異物を除去できるケースもあるとは思いますが
吸引チューブの直径は小さいので異物を除去できずにかえって気道の奥に押し込んでしまうことも起こりますし、何より意識消失しているということは脳に酸素が行き渡っていないことを示すので一刻を争う事態です。
胸骨圧迫を行うことで酸素を脳に供給することの方が優先です。
大抵の施設にはAEDが設置されていると思いますので
AEDを使って救急隊の到着まで胸骨圧迫を交代しながら続けるようにと指導されました。

胸骨圧迫は、どの程度の速さや強さで押すのかとか押し方は実際に練習してみないとわかりません。
「普通救命講習」については、消防署で開催している講習会を個人で受けることもできますし
施設に出向いての講習会もしてくれますから施設に提案してみるのも良いでしょう。

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帰宅要求への対応:問いを問い直す

帰宅要求をする方に対しても
「どうしたら帰宅要求がなくなるか」という視点に立って
対応がなされがちです。
曰く、
「高齢女性だったらタオルたたみをしてもらう」
「お茶を飲んでもらう」
「気持ちをそらす」。。。

かつての私は積極的にそのような対応をしていたわけではありませんが
傾聴するとしても
「その方が帰りたい」という気持ちはわかっても現実に帰れるはずがない時に
どこに終着点を持っていったら良いのかわからず
傾聴することの意義がわからず
認知症のある方の帰宅要求も収まらなかったり
収まったら収まったとしてもこちらの独善や押し付けのような気がして
ずっと悶々とした気持ちを抱えていました。

東京都立松沢病院の名誉院長の齋藤 正彦医師は
「微笑みながら徘徊する人や帰宅要求をする人はいない」
と言っていました。

そうなんです!
必死になって訴えている方のお気持ちを無碍にするような対応への違和感が拭えず
かといって、どうしたら良いのかわからなかった。。。
 
 帰宅要求を訴える方の再認の可否について確認し対応します
 具体的な対応の指針と実践例については 新著に記載してありますので

 よろしかったらご参照ください。

帰宅要求を収めることをゴールとして対応の工夫を考えるのではなく
帰宅要求をしている方がイマ・ココで何を心配しているのか
その心配に反映されている障害と能力と特性を把握し
常に感受・判断を繰り返しながら対応していくことが求められています。

多くの場合
この、障害と能力と特性の把握、感受と判断の繰り返しといった過程が困難だから
結果として起こることを目的化してしまうのだと思います。

帰宅要求への対応が難しいのではなく
目の前にいる方の障害と能力と特性の把握が難しいのです。

ここには
認知症のある方を対象とした現場あるあるがいくつも反映されています。
・結果として起こることの目的化
・手段と目的の混同
・自身の困難を認知症のある方へ投影してしまう
・観察を主とした状態把握をすっ飛ばして、ハウツーを当てはめる
・当てはめたハウツーの適否を確認しない

だとしたら
そのような臨床思考を脱却すれば良いだけです。
指針と実践はお示ししています。
ただし、「結果を出せる」ようになるためには反復練習、トレーニングが必須です。
その過程において、幾度も自身の未熟に直面させられることになります。
ここで安易な道に走ってはいけません。
今までやってこなかった考え方、在り方、方法論を行おうとするのですから
すぐにできなくて当たり前です。
同じコトを違うカタチで実践するに際し、最初は新しい方法論でできていても
ふと気がつくと以前の方法論に戻っていることに気がついて愕然とすることに何度も遭遇すると思います。
習得するまでには、できたりできなかったりを繰り返しようやく習得に至ります。
そんなの当たり前です。
リハビリテーションの対象者は皆さんこの過程を通っています。
リハビリテーション提供者がこの過程を自身の辛さのために回避するのはおかしなことです。

これをすれば誰でもいつでもどこでも帰宅要求が一発でなくなる
なんて方法があるわけがありません。
仮にあったとしても、そんな方法は恐ろしいだけです。
でも、現場では自覚なく求めている人が圧倒的に多いのです。。。

個別性のある対応
その人らしさを大切にする
理念としては誰もがそう語りますが、実践はその真逆となっているのではないでしょうか?
理念は語るものではなくて実践するものです。

問いを問い直す

切実に問われていると感じています。

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症状・障害を好き嫌いと誤認する

「症状や障害を好き嫌いと誤認する」
認知症のある方への対応で現場あるあるのパターンです。
認知症のある方の意向尊重という名目のもとに行われているとしたら
本当に怖いことだと思います。
例えば。。。

昼夜逆転やせん妄予防のために
日中過ごす場所を明るくしておくのは今やケアの常識となっています。
  
ところが、人によっては
部屋の照明をつけておくことを拒否する場合もあります。
この言葉を表面的に受け取って照明を消してしまうと
後になって昼夜逆転やせん妄を起こしたりします。

ここでは説明をすることが必要です。
説明をする時には
目の前にいる方が電気をつけることの何を嫌だと感じているのか
電気をつけることで目の前にいる方にどんなメリットがあるのか
例えば
「足元が暗いと危ないので明かりをつけさせてください」
「健康のために日中は明るくして過ごすと良いそうですよ」
「電気代は施設持ちなのでつけておいても〇〇さんの個人負担にはなりませんよ」
などなど、その方のポイントに沿って説明をする
「あぁそうなの。それじゃお願いしますね。ありがとう。」
と言われることが圧倒的に多いものです。

ただし、近時記憶障害があれば
その場では説明の理解ができて対応の受け入れを了承してもらえても
数分後には忘れてしまって「明かりを消して」という訴えを繰り返すことがあります。
ここだけを切り取って
「明かりを消してほしい」という訴えを頻回に繰り返す
 →よっぽど明かりがついているのが嫌だから同じ訴えを繰り返す→明かりを消してあげよう
という判断をする人がいます。
つまり、近時記憶障害を好き嫌いと誤認しているわけです。
ところが
意思尊重という考え方を表面的にしか理解していないと
「認知症のある方が嫌がっているから部屋の明かりを消しておいた」
という対応をするようになってしまいます。

近時記憶障害なのか?好き嫌いなのか?
  
その判断のポイントは、他の場面でも忘れてしまうことがあるかどうか。です。
つまり、日常生活場面での言動をどれだけ観察できているのかが問われます。
近時記憶障害がなくて本当にその方の意思表示として嫌がっているのかどうか
きちんと日頃から観察できていれば区別がつくものです。

きちんと説明をせずに
その場の言葉だけを切り取って
認知症のある方の言葉通りに日中から暗いお部屋で過ごしていて
せん妄を起こしてしまった方には複数遭遇したことがあります。。。
  
昼夜逆転の場合でも
大声を出したりセンサー鳴動が活発になるなど
職員との関係性で職員が困るような「問題」が発生すると気がつかれやすいものですが
大声も出すことなくセンサー鳴動もなく、ただ静かに起きているだけだったりすると
気がつかれにくい
ものです。
せん妄も過活動型せん妄であれば気がつきやすいけれど
低活動型せん妄には気がつきにくいものです。
そうすると、活気がない、食欲がない、ぼーっとしている
などの体調変化があっても気づかれにくく対応が後手に回ってしまいます。

意味不明なことを言ったり
ベッドから落っこちてしまったり
食事摂取量が減ったり
常にぼんやりしていたり
そのような方でも日光浴を奨励し日中居室の明かりをつけておくだけで
過活動型せん妄も低活動型せん妄も解消したケース
昼夜逆転を解消し日中の覚醒を改善したケースを何例も経験しています。
きっとこちらにお立ち寄りくださっている人なら同様の経験を多数されていることと思います。

認知症のある方が
経過や周囲の状況を参照できずに
その場の感情だけで発した言葉を言質にとって「意思表示」と受け取るのはどうかと思っています。
きちんと説明して理解した上で尚且つ表明された言葉であれば
「意思表示」として尊重すべきだと思いますが、
近時記憶障害があると経過や周囲の状況を忘れてしまっているので
説明されて初めて理解できるようになる
ことは多々ありますし
理解できれば表明された意思表示も変わります。
また、理解できても忘れてしまって同じ訴えを繰り返すことがあるのだから
その都度説明を繰り返す
という対応が必要だと考えています。

さらに言うと、問題は
「電気消して」と言われた時に
その方が電気がついていることの「何が嫌」なのかを汲み取れない
あるいは尋ね返すことができなかったり

その表明に沿って、電気をつけることのメリットを
その方の理解力や特性に沿って臨機応変に説明できない
電気をつけることの意義を実は理解できていない

といったように、本当の問題は、こちら側職員側にあるのではないでしょうか?

表面的に意思尊重しているように見えて
その実、本当のコミュニケーション、やりとりが為されていない

ということになりはしないでしょうか?

そして、その裏には
いざこざを回避しようとするために
言いなりになることを無意識に選択しているという心理が隠されてはいないでしょうか?

認知症のある方の意思尊重・意向尊重は当然最優先されるべきことではありますが
近時記憶障害と誤認されて良いことではありませんし
近時記憶障害の特徴を踏まえて必要な説明をすることが
認知症のある方の本当の意思尊重につながる
と考えています。
もっと言うと、尊重と迎合は違うと常々考えていますが
現場ではまだまだ混同されているのだと感じてもいます。
この尊重と迎合は違うということについては
別の記事で書いていこうと思います。

 

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簡易ヘッドレスト

普通型車椅子に座れるけど
頸部後屈してしまう方に対する工夫です。
ティルト型車椅子を使うほどではないけど
何もしないとしんどそう。。。という場合に
材料はダイソーで購入できて、すぐに作れる簡易ヘッドレストです。

必要なのは
プラスチック製の棒(写真では突っ張り棒:45〜60㎝)を2本
伸縮するベルトを3本
結束バンドを数本

<作り方>

1)プラスチック製の棒を車椅子のバックレストの隙間に突っ込む
  この時棒の長さが短いと後を振り向いた時に棒が目に当たってしまう恐れがあるので 
  棒の長さは頭よりも高くなるように気をつけています。

2)棒を車椅子の手押しハンドルのポールに結束バンドで固定します。
  この時、伸縮ベルトの上端〜下端の間に滑り止めを固定しておくと
  ベルトのズレを予防できます。(写真では青紫色に見えます)
  写真では伸縮ベルト3本使用していますが
  (頭部後屈が著明であれば、
   支持性を高めるために伸縮ベルトの本数を増やすか
   ベルトの長さを調整します)
  この段階ではまだ結束バンドのはみ出た部分は切り落とさず調整できるようにしています。

3)左右の棒に伸縮ベルトを固定します。
  この時に後頭部がきちんと支えられているかどうかを確認します。
  大丈夫であれば、結束バンドを引き絞って、はみ出た部分をハサミでカットします。

4)伸縮ベルトにタオルを巻き付けます。
  簡単に縫い止めても良いでしょう。
  下の写真では後で3箇所簡単に縫い止めてあります。

簡易ヘッドレストは
材料の入手も簡単、安価で、すぐに作れます。
何よりも一番良いところは、伸縮ベルトの伸縮性が
対象者の方の頸部後屈の度合いに応じて、その都度対応してくれるところです。

自身で頸部中間位を保持できている時には
ベルトはあまり伸長しないけれど
頸部後屈方向に力が入ってしまった時でも
ベルトはしっかり伸長して頭部を支えてくれます。

通常の布だと
頭部は支えられても頸部は後屈したまま。。。という時もあるかと思います。
伸縮ベルトだと、頭部の重さを支えつつ、頸部中間位へとアライメントも整えてくれます。
頭部のもたれかけ具合に応じて、ベルトが伸縮して対応してくれるので
過剰な後屈を防止でき、ヘッドレストによる過剰な支えにならないのが良いところだと思っています。

 

 

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論理的に考える:帰宅要求には気をそらす

「家に帰りたい」「早く帰らなきゃ」と帰宅要求や帰宅願望があった時に
たいていの人は気をそらせるような対応をしようとします。
「お茶でもいかが?」
「タオルでもたたんでいただけますか?」
「外は寒いし」
「明日にしましょうか」

他の方の介助があったりして、
そうするしかない時もあるかとは思いますが
いざ、時間があってしっかりその方に向き合える時にも
実は同じような対応をしていませんか?

気をそらせるような対応というのは
時間干渉や動作干渉によって「訴えを忘れてもらう」ことを期待した対応です。
確かにそのような対応が功を奏するように見えたからこそ
今まで連綿と受け継がれてきたのだと思います。

でも、それって本当に
認知症のある方に寄り添ったケアのあり方なのでしょうか?

多くの人は心のどこかで
「帰宅要求→おさめる」
「帰宅要求→話を聞いたら収拾がつかなくなる→気をそらせる」
という予期不安にとらわれているから、気をそらせるような対応をするのだと思います。

齋藤正彦医師は
「微笑みながら徘徊したり帰宅要求する認知症の人はいない」
と言っていました。必死になって訴えていると。

表面的に帰宅要求をなくさせようとする対応は
言葉にはしていなくても
「あなたの訴えを聞くつもりはありません」と態度で伝えてしまっています。

認知症のある方に、相手に合わせるという能力があれば
「いつも良くしてくれるこの人の言う通りにしないと申し訳ない」
「この人には言ったって仕方ない」などと、
表面的に訴えをおさめる協力をしてくれるかもしれません。

こちらに合わせてくれる能力があるから「帰宅要求をしなくなった」ように見えるだけですが
帰宅要求をおさめることを目的としていた人にとっては「成功」と思えるのも理解できます。
実際には単に我慢を要請していただけなので長期的には逆効果となってしまいます。
認知症の進行に伴い、相手に合わせる能力が低下した時に
過去の体験を再認して、一層大きな怒りとなって表出します。
「どうせ、あんたたちは聞く気もないんだろう!」
「そんなことばっかり言って!」
「私をバカにしてるんだから!」
認知症のある方がそう言っているのを何回聞いたことでしょう。
そしてまた、そこだけを切り取って「帰宅要求顕著」「易怒的」と私たちは判断してしまいがちです。。。

帰宅要求があった時に
「何があったのか?」
「どうしてそこまで帰ろうとするのか」
「もし帰らないと何が起こるのか」
もう一段踏み込んで話を聞くだけで自然と帰宅要求が収まることも多々あります。
ただし、聞き方には配慮と知識と技術が必要です。
まず第一に「あなたの困りごとを一緒に解決したい」
という気持ちが伝わらなければ
認知症のある方も目の前にいる固有の人に話してみようとは思わず
自身の気持ちを表明するだけになってしまいます。
なぜなら過去に散々気をそらせる対応、すり替える対応をされてきたからです。

どんなに重度の認知症のある方でも
体験を通して再認できる方はたくさんいます。
そのことを知らない人が多すぎなんです。

帰宅要求で困っているのは認知症のある方なのに
帰宅要求を表面的に収めようとするあり方は誰の困りごとに対する姿勢なのでしょう?
認知症のある方の困りごとが解決するから結果として職員の側の困りごとも解消するのに
最初から職員の側の困りごとを解決しようとして対応を考えているのではないでしょうか?

帰宅要求があったら
まず第一に認知症のある方のお顔を見ましょう。
本当に困った表情、必死になった表情をしています。
その顔を見ても、気をそらせるような対応ができますか?

 

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