Category: ホントにあった体験談

大声・暴言のある方への対応:問いを問い直す

大声や暴言のある方に対して
「大声・暴言のあるBさんに対して、どうしたら大声や暴言をなくせるか」
という問題を設定して、みんなで対応を考える
というパターンが圧倒的に多いのではないでしょうか?

問いを問い直す
問題設定の問題と言っている現場あるあるの課題は、ここにあります。

まず一つ、
「大声や暴言のBさん」と、BPSDを形容詞化してしまっています。
どんなに大声や暴言の著明な方でも24時間365日大声や暴言を言っているわけではありません
形容詞化してしまうことで、大声や暴言のない時のBさんの状態を見落としてしまいます。

二つ目には、
大声や暴言という大きな見た目は同じでも
Bさんが「何に対して」大声や暴言をしているのかを全く確認をしていないということが問題です。
本来、「何に対して」怒っているのかがわからなければ対処のしようもないはずです。
先の記事で書いたように
「電気を消すことの何が嫌なのか」確認しようとしない
という私たち職員側の在り方と全く同じことが違うカタチで起こっているのです。

「ちゃんと声掛けしているのに怒られた。どうしたら良いの?」
という相談もよく受けますが
「ちゃんと」というのが実はクセモノで(苦笑)
言葉は丁寧でも口調がぞんざいだったり、キツかったり。。。
あるいは、長々と説明しているので理解できなかったり。。。
または、一方的に「その場を収める」ための声かけで本当の意味で「聴いて」いなかったり。。。

大声を出す、暴言を言う、という表現に表れているのは
その方のなんとかして欲しいという要望の強さのこともあります。
もちろん、いくら対人援助職だからといっても
誰だって怒鳴られたり酷いことを言われたら
人間として怖いし傷つきます。

でも、私たちは
お金をもらって認知症のあるBさんに接しています。
怒る、大声を出すという言動の評価ができる情報収集の貴重な機会を逃さないようにしましょう!
Bさんが「何に対して」大声や暴言という表現をしているのか率直に尋ねる。
そして、大声や暴言に反映されているBさんの困難と能力は何か
ということを把握しましょう。

大声や暴言という見た目、大きな枠組みは同じでも
その時その場の状況において
「何に対して」怒っているのか、ということは同じBさんでもまったく異なってきます。

だから、その都度「何に対して」怒っているのかを聴くことから始める必要があります。
言葉にして聴く時には聞き方に工夫が必要ですし
介助というもう一つの言葉で聴く時にも工夫が必要
です。
その工夫とは〇〇したら大声・暴言がなくなる、というハウツーの当てはめではありません。

大声や暴言を収めようとする在り方は
「大声や暴言がない」という状態を「望ましい状態」として無意識のうちに設定しています。
目標として計画書に記載していなかったとしても
実際の目標、ゴールとして設定しています。
この時点で、「状態であって行動ではない」から「目標=達成すべき本人の行動」とはなり得ない。
望ましいゴールではないところを目指しているので
当然行動変容が起こらない。努力が空回りしてしまう。という帰結を迎えます。

問いを問い直す。

どうしたらBさんの大声や暴言がなくなるのか
という問題設定ではなく
イマ・ココでBさんは何に対して大声や暴言というカタチで表現しているのか
という問題設定をする。
二重の意味で問いを問い直すことが求められています。

ちょっと話がそれますが
お気づきの方もいると思いますけれど
私はこちらのサイトでも論文や著書においても
「正しい」という文言は使っていません。
「適切」という文言をよく使っています。
誰にでも、いつでも、どこでも、万人に通用するような
「正しい」声かけや対応はありません。

目の前にいる方に対して、その時その場で適切だったかどうかが求められています。
適切かどうかの根拠はその方の目標です。
だから、認知症のある方に対して適切な対応ができるためには
目標設定を的確に行えることが望まれるし
目標設定が的確に行えるようになると
認知症のある方への対応の適不適の判断もできるようになってきます。
非常に強く関連しているのです。

いまだに時々見かける
長期目標:関節可動域の維持・改善
短期目標:関節可動域の維持・改善
治療内容:関節可動域訓練
だったり
長期目標:移動能力の維持
短期目標:移動能力の維持
といった記録を残すような人で認知症のある方に対して適切な対応ができる人に会った試しがありません。

逆に言えば
たとえ、今、目標設定ができない人でも、認知症のある方に適切な対応ができない人でも
どちらか一方がきちんとできるようになると
他方のおかしさを自覚し、自身でトレーニングを積むことができるようになり
いずれどちらも改善できるようになっていきます。
ここに未来への希望を感じています。

 

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症状・障害を好き嫌いと誤認する

「症状や障害を好き嫌いと誤認する」
認知症のある方への対応で現場あるあるのパターンです。
認知症のある方の意向尊重という名目のもとに行われているとしたら
本当に怖いことだと思います。
例えば。。。

昼夜逆転やせん妄予防のために
日中過ごす場所を明るくしておくのは今やケアの常識となっています。
  
ところが、人によっては
部屋の照明をつけておくことを拒否する場合もあります。
この言葉を表面的に受け取って照明を消してしまうと
後になって昼夜逆転やせん妄を起こしたりします。

ここでは説明をすることが必要です。
説明をする時には
目の前にいる方が電気をつけることの何を嫌だと感じているのか
電気をつけることで目の前にいる方にどんなメリットがあるのか
例えば
「足元が暗いと危ないので明かりをつけさせてください」
「健康のために日中は明るくして過ごすと良いそうですよ」
「電気代は施設持ちなのでつけておいても〇〇さんの個人負担にはなりませんよ」
などなど、その方のポイントに沿って説明をする
「あぁそうなの。それじゃお願いしますね。ありがとう。」
と言われることが圧倒的に多いものです。

ただし、近時記憶障害があれば
その場では説明の理解ができて対応の受け入れを了承してもらえても
数分後には忘れてしまって「明かりを消して」という訴えを繰り返すことがあります。
ここだけを切り取って
「明かりを消してほしい」という訴えを頻回に繰り返す
 →よっぽど明かりがついているのが嫌だから同じ訴えを繰り返す→明かりを消してあげよう
という判断をする人がいます。
つまり、近時記憶障害を好き嫌いと誤認しているわけです。
ところが
意思尊重という考え方を表面的にしか理解していないと
「認知症のある方が嫌がっているから部屋の明かりを消しておいた」
という対応をするようになってしまいます。

近時記憶障害なのか?好き嫌いなのか?
  
その判断のポイントは、他の場面でも忘れてしまうことがあるかどうか。です。
つまり、日常生活場面での言動をどれだけ観察できているのかが問われます。
近時記憶障害がなくて本当にその方の意思表示として嫌がっているのかどうか
きちんと日頃から観察できていれば区別がつくものです。

きちんと説明をせずに
その場の言葉だけを切り取って
認知症のある方の言葉通りに日中から暗いお部屋で過ごしていて
せん妄を起こしてしまった方には複数遭遇したことがあります。。。
  
昼夜逆転の場合でも
大声を出したりセンサー鳴動が活発になるなど
職員との関係性で職員が困るような「問題」が発生すると気がつかれやすいものですが
大声も出すことなくセンサー鳴動もなく、ただ静かに起きているだけだったりすると
気がつかれにくい
ものです。
せん妄も過活動型せん妄であれば気がつきやすいけれど
低活動型せん妄には気がつきにくいものです。
そうすると、活気がない、食欲がない、ぼーっとしている
などの体調変化があっても気づかれにくく対応が後手に回ってしまいます。

意味不明なことを言ったり
ベッドから落っこちてしまったり
食事摂取量が減ったり
常にぼんやりしていたり
そのような方でも日光浴を奨励し日中居室の明かりをつけておくだけで
過活動型せん妄も低活動型せん妄も解消したケース
昼夜逆転を解消し日中の覚醒を改善したケースを何例も経験しています。
きっとこちらにお立ち寄りくださっている人なら同様の経験を多数されていることと思います。

認知症のある方が
経過や周囲の状況を参照できずに
その場の感情だけで発した言葉を言質にとって「意思表示」と受け取るのはどうかと思っています。
きちんと説明して理解した上で尚且つ表明された言葉であれば
「意思表示」として尊重すべきだと思いますが、
近時記憶障害があると経過や周囲の状況を忘れてしまっているので
説明されて初めて理解できるようになる
ことは多々ありますし
理解できれば表明された意思表示も変わります。
また、理解できても忘れてしまって同じ訴えを繰り返すことがあるのだから
その都度説明を繰り返す
という対応が必要だと考えています。

さらに言うと、問題は
「電気消して」と言われた時に
その方が電気がついていることの「何が嫌」なのかを汲み取れない
あるいは尋ね返すことができなかったり

その表明に沿って、電気をつけることのメリットを
その方の理解力や特性に沿って臨機応変に説明できない
電気をつけることの意義を実は理解できていない

といったように、本当の問題は、こちら側職員側にあるのではないでしょうか?

表面的に意思尊重しているように見えて
その実、本当のコミュニケーション、やりとりが為されていない

ということになりはしないでしょうか?

そして、その裏には
いざこざを回避しようとするために
言いなりになることを無意識に選択しているという心理が隠されてはいないでしょうか?

認知症のある方の意思尊重・意向尊重は当然最優先されるべきことではありますが
近時記憶障害と誤認されて良いことではありませんし
近時記憶障害の特徴を踏まえて必要な説明をすることが
認知症のある方の本当の意思尊重につながる
と考えています。
もっと言うと、尊重と迎合は違うと常々考えていますが
現場ではまだまだ混同されているのだと感じてもいます。
この尊重と迎合は違うということについては
別の記事で書いていこうと思います。

 

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問いを問い直す

認知症のある方への対応にしろ
食事介助への提案にしろ
生活期にある方へのポジショニングにしろ
私のさまざまな提案の根底に通底しているのは
現行の在り方への疑問です。

問いを問い直す

アーシュラ・K・ル=グウィンの「西のはての年代記III ヴォイス」という本に
「心の中の神が石の中の神を見る」
「はかりしれない謎に理にかなった思考を寄せる」
「われわれの探す迷子の羊は真の問いだ
 羊の体のあとに尻尾がついてくるように
 真の問いには答えがついてくる」
という言葉が出てきます。
まさしく!まさしく!

いわく
現場では多くの人が、
認知症のある方の大声や暴言、介護抵抗といったBPSDが
「どうしたら出なくなるか」
「どうしたらなくなるか」
という問いを立て、その問いに答えようと多様なハウツーが主張・展開されています。

でも本当は
「何に対して怒っているのか」
「何が嫌だと表現しているのか」
を尋ね、共有化することが最初の問いなのではないでしょうか。

どうしたらBPSDがなくなるのか
という問いは目標設定が適切にできるようになれば
(現実には大変な困り事ではあったとしても)
解決の視点としてはおかしなことだと気がつけるようになります。
 「BPSDがなくなる」というのは行動ではないので目標にはなり得ないからです。
  詳細は目標設定についての記事を検索・ご参照ください。

問題設定の問題、問いを間違えていたのです。
だとしたら、問いを問い直せば良いだけです。

尋ね方にはまず言葉で尋ねることが重要で
その尋ね方にも知識と技術が必要ですが
その際の知識と技術が明確化されていないのが私たちの側の問題の一つです。
また、言葉ではなく「介助というもう一つの言葉」で
「もしかしたら〇〇ということが嫌で怒っていたのですか?」
「△△という方法なら大丈夫でしょうか?」
と尋ね確認する過程も必要で、この過程にも知識と技術が必要ですが明確化されていません。
これも私たちの側の問題です。
(いずれに対しても私はあちこちで知識と技術の側面から提案をしています)

これらの過程の問題が解決されていないので
紋切り型の対応やハウツーが希求されるしかないのだと思います。
でも、そのような対応では実際の現場で
「うまくいかない」体験を必ずしているはずなんです。

認知症のある方への現場では
いろいろなことが混同され切り分けられていないという側面もあります。
そこを整理することが必要だと考えています。
・善意であれば正しい結果を出せるわけではない
・対人援助は関係性の中で為される行為であるからこそ
 援助者側の困難が対象者の問題として投影されてしまう
・援助は強制や独善とは同じコインの裏表
 容易にすり替わりがちで
 援助であれば強制や独善にはなり得ず、強制や独善であれば援助にはなり得ない
・援助者側の都合は否定されるものではないが、混同されるべきものでもない
・対象者の言動を的確に観察・洞察できている援助者は思った以上に少ない
・安易な紋切り型の対応、ハウツーへの希求は
 受講者側だけでなく研修会主催者や講師側にも根深く位置づけられているため
 拡大再生産されてしまう

これらの現実をきちんと見つめ、整理し直すことが必要だと考えています。

紋切り型の対応やハウツーの当てはめを卒業できるように
こちらでの記事をはじめ自身のサイトや著書や講演を通して具体的に提案をしています。
困っている方はぜひご参照ください。
   
卒業できるようになるには、
知識も技術も必要ですし体験学習の蓄積という時間も必要です。
技術を習得・実践・活用できるようになるまでの過程で
時には自身の未熟にいやというほど直面させられることもあるでしょう。
でもその先があるのです。

実践の過程を支えてくれるのは
認知症のある方が良くなっていく過程の協働体験そのものです。
認知症のある方がなんとか問題解決しようとする意思と
不合理な形であったとしても発揮されている能力の発露に触れることです。

そこを知れば、もう決して元の在り方や考え方に戻ることはできません。

 

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身体が傾いてしまう方は臥位でのポジショニングを見直す

車椅子で身体が傾いてしまう方に対して
クッションを傾いている側に入れたり
座面を傾けたりする人もいるようですが
「傾く→クッションを入れる」
「傾く→座面を傾ける」
といった単なるハウツーで済ますのではなく(考え方の問題)
しかも、それらで効果がないのだから(結果を出せていないことに向き合う臨床姿勢の問題)
姿勢改善という結果を出せるように
「身体が傾いてしまう必然」をきちんとアセスメントする
ことから始めましょう。

座位で身体が傾いてしまう場合に多いのは
骨盤の可動性が低下してしまって
ちょっとした重心の移動にも対応できなくなっているというケースです。
そのような場合にまずすべきことは骨盤の可動性を改善していくことであり
単に見た目を傾かないように、姿勢を整えたり
クッションを入れたり、座面に左右差を作ることではありません。
むしろ、そのようなハウツーによって逆効果となってしまうことすら起こり得ます。

骨盤の可動性を増すために、どうしたら良いのか
なぜ、骨盤の可動性が低下してしまったのか

その必然は人によりけりですが
伸筋群を使って突っ張ることで残された随意性を発揮している場合は
骨盤を後継し股関節を十分に屈曲させることによって
過剰な筋緊張が緩和され骨盤の可動性が改善され
小さな重心移動への対応力が改善し
結果として座位での身体の傾きが見られなくなります。
長期間、不適切な仰臥位をとることで(正確にはとらされ続けてきたために)
適応力が低下してしまった方には積極的に側臥位を設定します。

臥位でのポジショニングを適切に設定することによって
座位での姿勢が大きく改善するケースに多数遭遇しています。

「何事も始めるに遅くはなし」
「ピンチはチャンス」
「破綻の危機は成長へのチャンス」

私は、人の脳の可塑性の素晴らしさをたくさんの認知症のある方から教えてもらいました。
私たちは現実によって成長成熟の機会を与えられています。
困った時はステップアップの時期でもあります。
もう一度、目の前の方に起こっていることをきちんと観察する
自身の実践の適・不適にきちんと向き合うことから始めましょう!

 

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脱ハウツーのススメ:PDCAを回す

認知症のある方への対応でも
食事場面への工夫でも
身体的なリハでも
単にハウツーを当てはめてるだけの人って案外多いものです。

もうひとつ
そういう人たちの思考傾向として
PDCAを回さない。ということが挙げられます。
確認をしない。ということが挙げられます。(下図参照)

「座位で傾いてしまう方には座面を傾ける」
「食事が自力摂取できない方にはカットアウトテーブルに両肘をつかせる」
「かきこみ食べをする方には食器を小分けにして小さなスプーンで提供する」
「生活期の方のポジショニングで過剰に膝を伸展させたり股関節を外転させる」
「拘縮予防として大きな巻きタオルを手に持たせる」
「帰宅要求があったらタオルたたみをしてもらう」
「認知症のある方にはパラシュートというレクが良い」などなど。。。
実際に私が見聞きしたハウツー展開の一端です。

そして、実際には上記のようなハウツーを展開しても
良い結果にはなっていないのに
「CHECK」をしない
あるいは、「CHECK」に向き合わないために
漫然とその対応が続けられてしまう。。。

ピンチはチャンス

辛いかもしれないけど
「自分がちゃんとできない」
「どうしたら良いかわからない」
と、困ることによって
できない自分自身に向き合うことによって
今まで自身が見落としていた事象に気がつくことができるようになったり
自身が知らなかった知識に触れることができるようになったりします。
困って辛い思いをしたとしても、その先があるのです。

今、モヤモヤした違和感を抱いている人は、
まず、事実確認、PDCAのCHECKを意識するようにしてほしいと思います。
「そうすべきと教えられたことをしても良くなっていない」
という事実にきちんと向き合い
きちんと困ることができる人になりましょう
そこがスタートラインです。

そして
どんなに遠い道のりのように見えたとしても
対象者にとって悪いことはしない
と心がけるようにしましょう。

すべてはそこから始まります。
辛い日々も増えるかもしれませんが
それは、成長・成熟のサインなんです。
困った時には、きっとこのサイトも参考になると思います。
過去にもいろいろな記事を書いていますから
サイト内検索をしてみてください。

まさしく、まさしく、本当にこの通りなんです!

 

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悪いことをしないように心がける

先日、久しぶりに会った知人から
「前によっしーさんに言われた『悪いことはしないように』
 それだけは守ってる」と言われて、とても嬉しく思いました。

その人は、とても優秀な人で謙虚な人だから
「良いことはできなくても悪いことはしないように心がけている」
という言い方をしていましたが
本当に優秀な人は本当に謙虚だなーと改めて思ったものです。

対象者にとって悪いことはしないように心がける。

これは、かつての私の実践でもあります。
若い時には、認知症のある方に対して
どうしたら良いのか
どう考えたら良いのか
さっぱりわかりませんでした。
良いと言われていることは何でも学びやってみましたが
納得はいかない。。。
結局、目の前にいる方から学ぶことしかなかったのですが
その時に、悪いことはしないように
ということをスタートラインにしたのです。

「良いことをしよう」という意識は
善意であることは疑いませんが
「地獄への道のりは善意で敷き詰められている」
「地獄には善意が満ちているが、天国には善行が満ちている」
というヨーロッパの諺の通り
独善に陥ったり、自身のスローガンの実践にとどまったり
PDCAを回すことを怠ったりしがちです。
 
一方で
「悪いことをしないように」という意識は
対象者本意の視点から始まります。
対象者にとっての悪いことというのは対象者一人一人によって異なるからです。
こちらの独りよがりや強制を予防することができます。

いろいろな人の実践を垣間見聞きし
いろいろな経験を積むにつれ
「悪いことはしない」ように心がける実践から始めることができて
本当に良かったと思う今日この頃ですが
当時は、その意味が今ほどはわかっていなかったと思うのです。
出発点を間違えずに本当に良かった、ラッキーだったと思っています。
その選択をしたのは紛れもなく私自身ではありますが
何かの出会いのタイミングのちょっとしたズレの蓄積で
そのような選択ができなかった可能性だってあったかもしれず
そう思うと怖さで身震いするほどです。

いろいろなところで言っていますが
スティーブ・ジョブズの「意図こそが重要」という言葉は真実です。
認知症のある方への対応についても言えることです。

認知症のある方へどう対応したら良いのかわからない
と困っている人は、困ることができる人でもあります。
困ることすらできない人になってはいけない。
ピンチはチャンス。
今までとは違う実践、認知症のある方に対して悪いことはしないように
心がける実践に切り替えるチャンスです。

 

 

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認知症のある方の話を聴く:事実確認と感情表出

あけましておめでとうございます。

本年も情報発信に努めていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

・記憶の連続性を確認したい時には事実確認を優先する
・エピソード記憶を聴いている時や認知症のある方が言いたいことがある時には
 感情に焦点を当てて聴く

認知症のある方と話をする時には必ず自分の意図を明確にしています。
記憶の連続性を確認したいのか
認知症のある方に感情表出を促したいのか
意図が異なれば対応も変わります。

記憶の連続性を確認したい場合についてご説明します。

まず、その方の日課に沿って体験直後に尋ねます。
例えば、昼食後に(今日のお昼ご飯はいかがでしたか?)と尋ねます。
「おいしかったよ」
だけだと判断できないので
(何が一番おいしかったですか?)と尋ねます。
そこで具体的に献立名が返ってくれば覚えていることが推測されます。
(再生の可否を確認します)
ここで具体的な献立名が返ってこなければ
こちらから献立名を提示します。
(聴覚情報で再認ができるかどうかを尋ねます)
この時の答えや表情から再認可能かどうかが推測できます。
単にお愛想で応じてくれただけで再認が曖昧と思えば
他の場面で複数回、情報収集するようにします。

「このあと〇〇時にお部屋に伺いますね」とお伝えしてから
〇〇時に訪室した時の様子を確認します。
「あら、すみませんね」
「お待ちしていました」
と返ってくれば、お伝えした時刻から△時間は覚えてくれていたことがわかります。
「あら、どうしたんですか?」
と返ってくれば、お伝えした時刻から△時間は記憶の保持が困難だったことがわかります。

このように、意図的な会話ができれば
なんてことのない話の中で、拾えるエピソードがたくさんあることに気がつきます。
記憶の連続性については、こちらが意識してさえいれば
会話だけでもかなりの情報を収集できます。

認知症のある方が帰宅要求をしている時など
感情表出を促したい時には事実かどうかではなく
その方の感情に焦点を当てて話を聴くようにしています。

例えば
90歳代の方が
「お父さんの先生が亡くなったからお通夜に行かなくちゃ」
と発言された時に
ここで「お父さん」が夫なのか父を指しているのかはわかりませんし
どちらであったとしても既に亡くなられていることは事前情報から把握できています。
その先生であれば、おそらく亡くなられていると思われますが
いずれにしても、それらの事実はさておき
「お世話になった方が亡くなられたから最後のご挨拶に伺いたい」
という気持ちは理解できます。

「とてもお世話になった方が亡くなられたんですね」
「それでお通夜に行こうとしていたんですね」
「不義理なことはできないですよね」
その方の特性を把握できていれば
どのような言葉を選択したら良いかは自然と浮かび上がります。

その方のほうから
どんな先生だったか語り始める時には
その方に任せて語られていることをイメージしながら聴いていきます。

必要に応じて沈黙も大切にします。

帰宅要求があると
話を逸らそうとしたり
気を逸らすために何かさせたり
といった対応をする人は多いけれど
帰宅要求があった時に介入可能であれば
きちんと感情表出を促すことで(だけで)
自然と帰宅要求が収まってしまうということは多々あります。

HDS-Rの得点が1桁の方でも
単なる説明(聴覚情報)や視覚情報のを併せて提供すると
再認することができる方は数多くいます。

人権擁護と認知症がご専門の齋藤正彦医師は
「微笑みながら徘徊する人はいない」
「微笑みながら帰宅要求する人はいない」
と言っていましたが、本当にその通りだと思います。

必死になって訴えている方に対して
気を逸らす対応をしていたら
信用してもらえなくて当たり前だと思います。

現行で常識的な対応とされていることでも
よくよく考えるとおかしな対応って結構あります。
じゃあ、どうしたら良いのか、改善提案をしていきますね。

 

 

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認知症のある方の話を聴く:声の大きさとトーンを合わせる

声かけの大切さについて
否定する人はいないし、みんなそう言うけれど
私は「何を言う」かよりも
「どんな声で」言うかの方が重要だと考えています。

〇〇という時に、なんて声をかければいいでしょうか?
と尋ねる人はいても
自身の声の大きさやトーンの意義を自覚している人はとても少ないし
自覚的にコントロールしている人はさらに少ないと感じています。

認知症のある方は言語理解力が低下すると
(たとえアルツハイマー型認知症でも言語理解力が低下する方はたくさんいる)
何か言われたことはわかっても、何を言われているか理解できなくなります。
一方でだからこそ、職員の口調を鋭敏に感受し、口調に反応していることが多いのです。

声には発する人の感情が反映されます。

声の大きさとトーンを合わせることで
心理的同調を促す効果がある
と言われています。

まず、声の重要性を認識しましょう。
そして、相手の声の大きさとトーンに自身の声とトーンを同調させましょう。

大きな声やハリのある声の方には、こちらも同様に。
小さな声で落ち着いたトーンの方には、こちらも声を抑えめに。

一番、良いのは挨拶です。
「おはようございます」「こんにちは」
返ってきた言葉に反映された声の大きさとトーンを感受し、
同じような大きさの声とトーンで返します。
「今日も良いお天気ですね」「今朝は寒かったですね」
自然な会話の中で、声の大きさとトーンの同調を調整することができます。

「認知症のある方の話をきちんと聴く」ことの前提として
声が無自覚に伝えてしまうことがあることをきちんと理解する。
そして、自身の声の大きさとトーンに自覚的になる。
相手のその時々の声の大きさとトーンに鋭敏になり、同調させられるようになる。
ということがもっと広まっていくと良いなぁと思っています。

 

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