Category: ホントにあった体験談

「ちゃんと話ができるしっかりした方」?

「ちゃんとお話ができるしっかりした方」
「年相応の物忘れ」
といった発言をする人は30年以上前から今に至るまで後をたちません。。。

ところが実際には
近時記憶障害が著明でHDS-Rが9点、10点、11点というケースは多々あります。
中には、HDS-R5点なのに「しっかりした方」と言われていたケースもありました。。。
SDATの方でHDS-Rがこれだけ低いと
近時記憶障害はもちろん、構成障害や遂行機能障害があって
日常生活に大きな支障が生じていたはずです。
それなのに、なぜ認知機能低下に気づかれないか
問題は私たちの側にあります。

「ちゃんとお話ができるしっかりした方」といった発言をする方には
「ちゃんとお話ができない=認知症」という思い込みがあって
その思い込みで判断しているだけなのです。。。
つまり、認知症とは何か、ということを理解していないのです。
これだけ認知症への普及啓発事業が進められているのに
30年前と変わらずいまだにこのような人たちがいることにびっくりしてしまいますが
職種を問わず、このような発言をする人は少なくありません。
(もちろん、職種を問わずきちんと認識している人も大勢います)
  
このような思い込みは二重の意味で危険です。
1)お話ができても近時記憶障害があることによって起こる生活障害を見落としてしまう。
2)お話ができなくても近時記憶障害がないか軽度なので、可能な生活能力を見落としてしまう。
   
つまり、目の前にいる方の状態像を的確に把握することができないという問題が起こります。
その結果、目の前にいる方の暮らしの困難も潜在している能力も見落としてしまい、対応が後手にまわってしまいます。
しかも、そのような事態に無自覚なのです。
近時記憶と会話の可否や言語表現力は別の能力なのだということを知らないと、このようなことが起こってしまいます。

私は、ICD11で示されている7つの認知領域を参照することをオススメしています。
下記にICD11の認知症の定義をお示しします。

 
(一般社団法人京都府薬剤師会 参照)

Aで示されている7つの認知領域つまり
記憶・実行機能(遂行機能)・注意・言語・社会的認知及び判断・精神運動速度・視覚認知又は視空間認知
これらを念頭に置いて会話することを常に心がけています。

数分前のことを忘れてしまっても
その場の会話がスムーズに成り立つ方は大勢いらっしゃいます。
逆にその場で会話が成り立たなくても
少し前にした体験を覚えている方も大勢いらっしゃいます。
近時記憶と疎通の可否や言語表現力は別の能力です。
混同してはいけません。

 

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食べられる口をつくる

講演終了後の質問で
「口を開けてくれない人がいるんですけどどうしたら良いですか?」
という質問を受けることがよくあります。

どう、口を開けてくれないのかよくわからないので
状態を確認していくとどうも覚醒不良によるもののようで
「覚醒が悪いんじゃないんですか?」と尋ね返すと
「いいえ、口を開けてくれないんです」と言われました。
そこで今度は私の方から
「お食事の時に目を閉じていませんか?」
「声をかけ肩を叩いても目を閉じたままではありませんか?」
と尋ね返すと「そうなんです」と言います。
「それを覚醒不良と言います」とお伝えしたことがあります。

覚醒不良の時に口を開けられるはずがありません。
覚醒不良の時には食事を食べさせてはいけません。

現場では、こんな風に
「食べさせること」を念頭に置いて
「どうやったら食べさせられるか」を考える人たちがいまだにたくさんいます。

数メートルのごく短距離の歩行後に息切れがひどい方に対して
「CMのプランに歩行練習って書いてあったから歩かせないといけない」
と言われたこともあります。
えぇっ?CMはそんなこと言いませんよ〜。
むしろ歩行練習をしてみた結果の状態を報告してくれって言っています。
歩行練習が目的ではなくて〇〇を達成するための手段としての歩行練習なのだから
代替提案をすれば良いだけの話です。

それと同じように
覚醒不良で食べることができない状態でもやるべきことは多々あります。

まず、なぜ覚醒不良に至ってしまったのか
どうしたら、覚醒できる状態を作れるのか
本質的な改善策を考えると同時に
覚醒不良の状態でもできる口腔ケアを行います。

食べられる口を作る、維持することによって
いざ、覚醒できた時にすぐに食べられるように備えておく
のです。

食べられない状態の方の
口腔内に何の問題もないということは稀です。
痰の付着、口腔内乾燥、汚染された唾液。。。
必ず何らかの問題があって口腔ケアを必要としています。

食べられる口を作る

口腔ケアは単に口の中をきれいにするという守りではなくて
食べられる口を作るという攻めのケアでもあります。

 

 

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開けられないのは口唇?歯?

口腔ケアの時に
拒否を誘発するような介入をしていなくても
「口を開けない」というケースもあります。

そのような時には
口唇を開けられないのか
歯を開けられないのか
をまずきちんと確認します。

口唇を開けられない時には
口唇中央に軽く指先を押し当て
「唇の力が緩みます」と声をかけながら
小さく円を描くようにします。
するとだんだん口唇中央が緩みますから
緩んだところに歯ブラシを当てて
見える範囲でブラッシングを行います。
さらに緩んでくるので緩む範囲を確認しながら
緩んだ範囲でブラッシングをしていきます。
奥歯の上面をブラッシングできれば奥歯の裏側もブラッシングできます。
ここまでくれば、前歯の裏側もブラッシングできるようになります。
大切なことは、相手の口唇の緩み具合を確認して緩み具合に合わせてブラッシングを進めることです。

歯を開けられない方も同様で
まずは見える範囲でブラッシングを行います。
するとだんだんと奥歯へブラッシングを進められるようになりますから
奥歯の上面をブラッシングできるようになるまでは
焦らずにゆっくりとブラッシングを進めます。
奥歯の上面がブラッシングできればしっかり開講できているのでもう大丈夫です。

いきなり歯ブラシを口の中に突っ込むのではなく
できる範囲で行いながら、できる範囲を広げていきます。
その過程において相手とブラッシングを通したノンバーバルコミュにケーションを行うのです。

歯ブラシで磨くことに相手を合わせることを考えるのではなくて
相手の受け入れ状態を感受しながら歯ブラシでブラッシングを行い
ブラッシングを行うことで「何をしているのか」「どうして欲しいのか」を伝えます。

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口腔ケアを拒否するには必然がある

口腔ケアを拒否するには拒否するだけの必然があります。

ひとつには
ケアを始める前に
必ずアイコンタクトをして、口腔ケアの説明を行います。
この時に、対象者の方が
視覚情報の方が認識しやすいのか
聴覚情報の方が認識しやすいのか
体験を通した方が認識しやすいのか
を確認した上で、認識しやすい情報を提供することが大事です。

現場あるあるなのは
「〇〇さん、歯磨きをしますよ=」と声はかけていますが
・相手とアイコンタクトをしない
・声かけが終わらないうちに歯ブラシを口の中に突っ込んでいる
という介入方法です。
これでは認知症があってもなくても嫌な気持ち、びっくりされて拒否されて当然です。
拒否を誘発するような介入をしていないということが絶対の前提条件ですが
現場では善意のもとに無自覚に拒否を誘発するような介入が為されていることが多いものです。。。

拒否を誘発するような介入はしない
その上で初めて「じゃあどうしたら良いのか?」という問いが成り立ちます。

まず、対象者の名前を呼びアイコンタクトを取ります。
その上で視覚情報の方が認識しやすい方には、
「歯ブラシを見せる→歯ブラシを左右に動かす」
というジェスチャーで歯磨きをすることを伝えます。
聴覚情報の方が認識しやすい方には
その方の言語理解力に合わせて声かけをします。
「歯磨きをしましょう」
「歯磨き」
「口の中をきれいにしましょう」
「あー」などなど。
体験を通して認識する方の場合には
無理せずに今ブラッシングできる範囲を優しくブラッシングしながら「歯磨き」と声をかけます。
そうするとたいてい、だんだんとブラッシングできる範囲が広がってくるものです。

こう言うと、必ず言われるのが
「わかっちゃいるけど時間がない」
という言葉です。

忙しいのはわかります。
でも忙しいからこそ、ちゃんと対応すべきなんです。
アイコンタクトの1秒、歯ブラシ提示の1秒、ジェスチャーの1秒の合計3秒で
拒否なく応じてもらえるなら3秒の時間を作りましょう。
だって拒否が生じたら3秒以上の時間がかかりますよ。
その上、対象者の方も職員もどちらにとっても嫌な気持ちが生じます。
そんなネガティブな体験をして、さらに時間がかかるなら3秒の手間をかけたほうが
よっぽど良くないですか?

拒否するには拒否するだけの必然があります。
その必然の多くは、「何をされるかわからない」というものです。
職員にとっては自明の口腔ケアでも
近時記憶が低下し、言語理解力や状況推測力が低下している認知症のある方にとっては
自明ではない介入をされるのだということを踏まえて
「これから何をされるのか」ということを相手の能力に合わせて伝える
ということが重要です。

そうしてもなおかつ、拒否されて「口を開けてくれない」場合には
口を開けたくても開けられない必然があります。
それは次の記事で。

でもその前に、
「口を開けてくれない」「口腔ケアに協力してくれない」という事象を引き起こしているのは
圧倒的に職員側の問題であることを自覚しましょう。

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食事中ムセてないのに重症肺炎

食事中、ムセていなかったのに
ある日突然高熱が出て、病院受診したら重症肺炎という診断。。。
臨床あるあるです。

実は、いくつも職員側に問題があって
1)このご時世で、いまだに「食事中のムセ=誤嚥性肺炎の原因」と思ってる
2)口腔ケアが不十分なことへの自覚がない
3)熱が出ないんじゃなくて熱を出すこともできない
  症状を形成する力がないから、いよいよの状態まで熱を出すことができない
  熱が出た時にはもう体力がないから回復困難
だったりします。

1)ムセの酷さと誤嚥の酷さに相関関係はありません。
  ムセは異物喀出作用だから強く激しいムセはびっくりするかもだけど
  異物喀出作用の高さを示しているので良いことなのです。
  呼気の介助をしてしっかりムセ切ってもらって声の清明さが確認できれば食事を再開できます。
  むしろ心配なのは、弱々しいムセや痰がらみのムセ、遷延するムセです。

2)忙しいとどうしても後手に回るのが口腔ケアです。
  今はたいていの施設で口腔ケアに力を入れていると思いますが
  ご自身で口腔ケアをしていても不十分だと
  歯と歯茎の間に歯垢が付着してしまうし
  歯の一部だけしか磨かない(磨けない)方もいるし
  硬口蓋や舌に痰がこびりついていたり
  歯を数回ブラッシングした歯ブラシをすすいだら水が白濁することだってあります。
  口腔ケアを拒否されてそうまく対応できないこともあるかもしれません。
  もう15年以上前から誤嚥性肺炎は食事中の誤嚥ではなく不顕性誤嚥が原因だから
  口腔ケアが重要と指摘されています。

3)私の経験で、車椅子のカバーを異食してしまったけれど
  嘔吐もなく下痢もなく発熱もなく食欲も旺盛という方がいましたし
  足を骨折しているのに歩いてしまう認知症のある方もいました。
  口腔ケアをしてなくても熱が出てないから平気じゃない?と思うのは誤解です。
  熱を出すこともできないのだから、熱が出た時には手遅れということもあり得ます。
  今、実害がないように見えて実害がないわけではないのです。
   
  特に、食事中に喉頭が不十分にしか挙上できない方は
  気がつかれていないだけで本当にとても多いので注意が必要です。
  喉頭の完全挙上ができないということは、喉頭蓋反転が不完全
  つまり、嚥下の瞬間に気管を完全に塞ぐことができていない
  ということを意味します。
  寝ながら汚染された唾液を嚥下し損ねて誤嚥している恐れが高くなります。
  喉頭不完全挙上のケースには口腔ケアの徹底が必要です。

  余談ですが
  食事中に喉頭が不完全挙上しかできなかった方でも
  スプーンでしっかり前舌を押してあげることで喉頭挙上が改善するケースを多数経験しています。

  このことについては近日中に記事を掲載します。

結論として
口腔ケアは大事!!!
どれだけ強調してもしすぎることはありません。
口腔ケアをしたいけど拒否されてちゃんとできない
という時にどうするか、は次の記事で。

 

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帰宅要求への対応:問いを問い直す

帰宅要求をする方に対しても
「どうしたら帰宅要求がなくなるか」という視点に立って
対応がなされがちです。
曰く、
「高齢女性だったらタオルたたみをしてもらう」
「お茶を飲んでもらう」
「気持ちをそらす」。。。

かつての私は積極的にそのような対応をしていたわけではありませんが
傾聴するとしても
「その方が帰りたい」という気持ちはわかっても現実に帰れるはずがない時に
どこに終着点を持っていったら良いのかわからず
傾聴することの意義がわからず
認知症のある方の帰宅要求も収まらなかったり
収まったら収まったとしてもこちらの独善や押し付けのような気がして
ずっと悶々とした気持ちを抱えていました。

東京都立松沢病院の名誉院長の齋藤 正彦医師は
「微笑みながら徘徊する人や帰宅要求をする人はいない」
と言っていました。

そうなんです!
必死になって訴えている方のお気持ちを無碍にするような対応への違和感が拭えず
かといって、どうしたら良いのかわからなかった。。。
 
 帰宅要求を訴える方の再認の可否について確認し対応します
 具体的な対応の指針と実践例については 新著に記載してありますので

 よろしかったらご参照ください。

帰宅要求を収めることをゴールとして対応の工夫を考えるのではなく
帰宅要求をしている方がイマ・ココで何を心配しているのか
その心配に反映されている障害と能力と特性を把握し
常に感受・判断を繰り返しながら対応していくことが求められています。

多くの場合
この、障害と能力と特性の把握、感受と判断の繰り返しといった過程が困難だから
結果として起こることを目的化してしまうのだと思います。

帰宅要求への対応が難しいのではなく
目の前にいる方の障害と能力と特性の把握が難しいのです。

ここには
認知症のある方を対象とした現場あるあるがいくつも反映されています。
・結果として起こることの目的化
・手段と目的の混同
・自身の困難を認知症のある方へ投影してしまう
・観察を主とした状態把握をすっ飛ばして、ハウツーを当てはめる
・当てはめたハウツーの適否を確認しない

だとしたら
そのような臨床思考を脱却すれば良いだけです。
指針と実践はお示ししています。
ただし、「結果を出せる」ようになるためには反復練習、トレーニングが必須です。
その過程において、幾度も自身の未熟に直面させられることになります。
ここで安易な道に走ってはいけません。
今までやってこなかった考え方、在り方、方法論を行おうとするのですから
すぐにできなくて当たり前です。
同じコトを違うカタチで実践するに際し、最初は新しい方法論でできていても
ふと気がつくと以前の方法論に戻っていることに気がついて愕然とすることに何度も遭遇すると思います。
習得するまでには、できたりできなかったりを繰り返しようやく習得に至ります。
そんなの当たり前です。
リハビリテーションの対象者は皆さんこの過程を通っています。
リハビリテーション提供者がこの過程を自身の辛さのために回避するのはおかしなことです。

これをすれば誰でもいつでもどこでも帰宅要求が一発でなくなる
なんて方法があるわけがありません。
仮にあったとしても、そんな方法は恐ろしいだけです。
でも、現場では自覚なく求めている人が圧倒的に多いのです。。。

個別性のある対応
その人らしさを大切にする
理念としては誰もがそう語りますが、実践はその真逆となっているのではないでしょうか?
理念は語るものではなくて実践するものです。

問いを問い直す

切実に問われていると感じています。

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大声・暴言のある方への対応:問いを問い直す

大声や暴言のある方に対して
「大声・暴言のあるBさんに対して、どうしたら大声や暴言をなくせるか」
という問題を設定して、みんなで対応を考える
というパターンが圧倒的に多いのではないでしょうか?

問いを問い直す
問題設定の問題と言っている現場あるあるの課題は、ここにあります。

まず一つ、
「大声や暴言のBさん」と、BPSDを形容詞化してしまっています。
どんなに大声や暴言の著明な方でも24時間365日大声や暴言を言っているわけではありません
形容詞化してしまうことで、大声や暴言のない時のBさんの状態を見落としてしまいます。

二つ目には、
大声や暴言という大きな見た目は同じでも
Bさんが「何に対して」大声や暴言をしているのかを全く確認をしていないということが問題です。
本来、「何に対して」怒っているのかがわからなければ対処のしようもないはずです。
先の記事で書いたように
「電気を消すことの何が嫌なのか」確認しようとしない
という私たち職員側の在り方と全く同じことが違うカタチで起こっているのです。

「ちゃんと声掛けしているのに怒られた。どうしたら良いの?」
という相談もよく受けますが
「ちゃんと」というのが実はクセモノで(苦笑)
言葉は丁寧でも口調がぞんざいだったり、キツかったり。。。
あるいは、長々と説明しているので理解できなかったり。。。
または、一方的に「その場を収める」ための声かけで本当の意味で「聴いて」いなかったり。。。

大声を出す、暴言を言う、という表現に表れているのは
その方のなんとかして欲しいという要望の強さのこともあります。
もちろん、いくら対人援助職だからといっても
誰だって怒鳴られたり酷いことを言われたら
人間として怖いし傷つきます。

でも、私たちは
お金をもらって認知症のあるBさんに接しています。
怒る、大声を出すという言動の評価ができる情報収集の貴重な機会を逃さないようにしましょう!
Bさんが「何に対して」大声や暴言という表現をしているのか率直に尋ねる。
そして、大声や暴言に反映されているBさんの困難と能力は何か
ということを把握しましょう。

大声や暴言という見た目、大きな枠組みは同じでも
その時その場の状況において
「何に対して」怒っているのか、ということは同じBさんでもまったく異なってきます。

だから、その都度「何に対して」怒っているのかを聴くことから始める必要があります。
言葉にして聴く時には聞き方に工夫が必要ですし
介助というもう一つの言葉で聴く時にも工夫が必要
です。
その工夫とは〇〇したら大声・暴言がなくなる、というハウツーの当てはめではありません。

大声や暴言を収めようとする在り方は
「大声や暴言がない」という状態を「望ましい状態」として無意識のうちに設定しています。
目標として計画書に記載していなかったとしても
実際の目標、ゴールとして設定しています。
この時点で、「状態であって行動ではない」から「目標=達成すべき本人の行動」とはなり得ない。
望ましいゴールではないところを目指しているので
当然行動変容が起こらない。努力が空回りしてしまう。という帰結を迎えます。

問いを問い直す。

どうしたらBさんの大声や暴言がなくなるのか
という問題設定ではなく
イマ・ココでBさんは何に対して大声や暴言というカタチで表現しているのか
という問題設定をする。
二重の意味で問いを問い直すことが求められています。

ちょっと話がそれますが
お気づきの方もいると思いますけれど
私はこちらのサイトでも論文や著書においても
「正しい」という文言は使っていません。
「適切」という文言をよく使っています。
誰にでも、いつでも、どこでも、万人に通用するような
「正しい」声かけや対応はありません。

目の前にいる方に対して、その時その場で適切だったかどうかが求められています。
適切かどうかの根拠はその方の目標です。
だから、認知症のある方に対して適切な対応ができるためには
目標設定を的確に行えることが望まれるし
目標設定が的確に行えるようになると
認知症のある方への対応の適不適の判断もできるようになってきます。
非常に強く関連しているのです。

いまだに時々見かける
長期目標:関節可動域の維持・改善
短期目標:関節可動域の維持・改善
治療内容:関節可動域訓練
だったり
長期目標:移動能力の維持
短期目標:移動能力の維持
といった記録を残すような人で認知症のある方に対して適切な対応ができる人に会った試しがありません。

逆に言えば
たとえ、今、目標設定ができない人でも、認知症のある方に適切な対応ができない人でも
どちらか一方がきちんとできるようになると
他方のおかしさを自覚し、自身でトレーニングを積むことができるようになり
いずれどちらも改善できるようになっていきます。
ここに未来への希望を感じています。

 

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症状・障害を好き嫌いと誤認する

「症状や障害を好き嫌いと誤認する」
認知症のある方への対応で現場あるあるのパターンです。
認知症のある方の意向尊重という名目のもとに行われているとしたら
本当に怖いことだと思います。
例えば。。。

昼夜逆転やせん妄予防のために
日中過ごす場所を明るくしておくのは今やケアの常識となっています。
  
ところが、人によっては
部屋の照明をつけておくことを拒否する場合もあります。
この言葉を表面的に受け取って照明を消してしまうと
後になって昼夜逆転やせん妄を起こしたりします。

ここでは説明をすることが必要です。
説明をする時には
目の前にいる方が電気をつけることの何を嫌だと感じているのか
電気をつけることで目の前にいる方にどんなメリットがあるのか
例えば
「足元が暗いと危ないので明かりをつけさせてください」
「健康のために日中は明るくして過ごすと良いそうですよ」
「電気代は施設持ちなのでつけておいても〇〇さんの個人負担にはなりませんよ」
などなど、その方のポイントに沿って説明をする
「あぁそうなの。それじゃお願いしますね。ありがとう。」
と言われることが圧倒的に多いものです。

ただし、近時記憶障害があれば
その場では説明の理解ができて対応の受け入れを了承してもらえても
数分後には忘れてしまって「明かりを消して」という訴えを繰り返すことがあります。
ここだけを切り取って
「明かりを消してほしい」という訴えを頻回に繰り返す
 →よっぽど明かりがついているのが嫌だから同じ訴えを繰り返す→明かりを消してあげよう
という判断をする人がいます。
つまり、近時記憶障害を好き嫌いと誤認しているわけです。
ところが
意思尊重という考え方を表面的にしか理解していないと
「認知症のある方が嫌がっているから部屋の明かりを消しておいた」
という対応をするようになってしまいます。

近時記憶障害なのか?好き嫌いなのか?
  
その判断のポイントは、他の場面でも忘れてしまうことがあるかどうか。です。
つまり、日常生活場面での言動をどれだけ観察できているのかが問われます。
近時記憶障害がなくて本当にその方の意思表示として嫌がっているのかどうか
きちんと日頃から観察できていれば区別がつくものです。

きちんと説明をせずに
その場の言葉だけを切り取って
認知症のある方の言葉通りに日中から暗いお部屋で過ごしていて
せん妄を起こしてしまった方には複数遭遇したことがあります。。。
  
昼夜逆転の場合でも
大声を出したりセンサー鳴動が活発になるなど
職員との関係性で職員が困るような「問題」が発生すると気がつかれやすいものですが
大声も出すことなくセンサー鳴動もなく、ただ静かに起きているだけだったりすると
気がつかれにくい
ものです。
せん妄も過活動型せん妄であれば気がつきやすいけれど
低活動型せん妄には気がつきにくいものです。
そうすると、活気がない、食欲がない、ぼーっとしている
などの体調変化があっても気づかれにくく対応が後手に回ってしまいます。

意味不明なことを言ったり
ベッドから落っこちてしまったり
食事摂取量が減ったり
常にぼんやりしていたり
そのような方でも日光浴を奨励し日中居室の明かりをつけておくだけで
過活動型せん妄も低活動型せん妄も解消したケース
昼夜逆転を解消し日中の覚醒を改善したケースを何例も経験しています。
きっとこちらにお立ち寄りくださっている人なら同様の経験を多数されていることと思います。

認知症のある方が
経過や周囲の状況を参照できずに
その場の感情だけで発した言葉を言質にとって「意思表示」と受け取るのはどうかと思っています。
きちんと説明して理解した上で尚且つ表明された言葉であれば
「意思表示」として尊重すべきだと思いますが、
近時記憶障害があると経過や周囲の状況を忘れてしまっているので
説明されて初めて理解できるようになる
ことは多々ありますし
理解できれば表明された意思表示も変わります。
また、理解できても忘れてしまって同じ訴えを繰り返すことがあるのだから
その都度説明を繰り返す
という対応が必要だと考えています。

さらに言うと、問題は
「電気消して」と言われた時に
その方が電気がついていることの「何が嫌」なのかを汲み取れない
あるいは尋ね返すことができなかったり

その表明に沿って、電気をつけることのメリットを
その方の理解力や特性に沿って臨機応変に説明できない
電気をつけることの意義を実は理解できていない

といったように、本当の問題は、こちら側職員側にあるのではないでしょうか?

表面的に意思尊重しているように見えて
その実、本当のコミュニケーション、やりとりが為されていない

ということになりはしないでしょうか?

そして、その裏には
いざこざを回避しようとするために
言いなりになることを無意識に選択しているという心理が隠されてはいないでしょうか?

認知症のある方の意思尊重・意向尊重は当然最優先されるべきことではありますが
近時記憶障害と誤認されて良いことではありませんし
近時記憶障害の特徴を踏まえて必要な説明をすることが
認知症のある方の本当の意思尊重につながる
と考えています。
もっと言うと、尊重と迎合は違うと常々考えていますが
現場ではまだまだ混同されているのだと感じてもいます。
この尊重と迎合は違うということについては
別の記事で書いていこうと思います。

 

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