Category: よっしーずボイス(ブログ)

実践に使える考え方

私は根っからの臨床家です。

臨床家としての立場から

現行の認知症のある方への対応について疑問をもっています。

抽象的な総論としての理想論はある

こうしてみればこうできたという実践例はある

けれど、その間をつなぐ指針のような考え方がない。

個々の具体例を

理想論が具現化されているのかという視点で検証してみると

実は、???ということが結構ある(^^;

だから、本当に実践に使える考え方を提案できるようになりたい

そう考えて日々挑戦中です。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/278

第1回神奈川県臨床作業療法大会に申込ました

第1回神奈川県臨床作業療法大会に事前申込をしました。

本日、事務局から入金確認通知が届きましたー!

きっと受付締め切り間際には申込も殺到するのではないかしら

と思いました。

締め切りまであと半月。

早めの申込をオススメしまーす(^^)

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/297

徘徊する人には気をそらせる?

現場ではよく使われている方法論だと思います。

徘徊する人には

なにか作業をしていただく。

(タオルをたたんでもらったり、雑巾を縫ってもらったり…)

徘徊する人には

お茶を飲んで気を紛らわすように話をする。

(笑わせるために アノ手コノ手を尽くしたり)

それがベストと信じて対応する人もいれば

なんだかなーと思いつつも

代替案がないために仕方なくしている人もいるかも。

 

ピック病の周回行動を

抑制するのが難しいことはよく知られています。

ですが、SDAT(アルツハイマー型認知症)の徘徊に対しては

バリデーションなどの実践によって

「結果として」

徘徊しなくなるということが知られてきています。

 

徘徊しないように

気をそらせることを意図して行われただけのサギョウでは

その場はよくても、 何ヶ月か後には

違うカタチで同じことがあらわれる…ということに

遭遇したことはありませんか?

 

作業療法士として

作業がそのようなカタチで扱われることに

疑問や違和感を抱いたことはありませんか?

 

徘徊しないように

気をそらすことを意図してできることをおこなわせる

ということと

その人が本当に

意味あることとして受けとめて

集中しておこなった結果として

徘徊しなくなった

ということとでは

見た目には全く同じように見えるかもしれないけれど

対象者の内面に作用する機序としては

正反対のはたらきをしてしまうということに

作業療法士はもっと鋭敏になってほしいと願っています。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/281

たまらないよ

「私をバカにしてるんだよ」

ある方の言葉。

「私がわからないと思って

テキトーなことを言うんだよ。

誰も私の言うことを聞いてなんかくれない。

たまらないよぉー!」

 

大声で騒ぎ続ける方 。

この言葉が出るまでにある程度の時間を要しました。

私がしたことは、ただ話を聞いただけです。

でも、その後はまったく声を出さずに静かに座っておられました。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/256

聴き上手をめざす

実習生だけでなくて

対象者とお話をするのが苦手…とか

どんな話をしたらいいのかわからない

…っていう人、案外多いと思います。

「コミュニケーションをとる=楽しく会話して場を盛り上げる」

なんて、誰もそんなこと言ってないのに

何故だかそんな風に感じてしまったりしていませんか?

 

対象者と話をするのが重要なのは

対象者の理解を深めて

対象者に適切なリハを提供できるようになるため。

 

だから、無理して笑いをとろうとしなくていい。

話し上手よりも

聞き上手をめざしましょう(^^)

 

沈黙をおそれず

沈黙が語るもう1つの声にも耳を澄ませて。

 

焦っちゃう…というのは

相手の時間じゃなくて

自分の時間になってる証拠。なんだよね。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/292

問いの立て方

本当は

解き方がマズいんじゃなくて

問いの立て方がマズい

…ってこと、結構あるんじゃないかしら?

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/291

ちゃんと出た

ある方が言いました。

「トイレに行きたい」

そして、トイレで排尿した瞬間

「ちゃんと出た」

 

私は、一瞬、言葉に詰まりました。

ちゃんと出るかどうか、心配で不安だったんだ…

 

私たちが尿意を感じたら排尿することに確信をもっています。

何の疑念も抱きません。

「ちゃんと出た」という言葉は

逆に言えば「ちゃんと出る」かどうか確信がなかった

ということです。

 

もしかしたら

いつかどこかで

「ちゃんと出る時に教えてね」

と言われたことがあったのかもしれない

 

 

「ちゃんと出ましたね」

ちょっと間があいてしまいましたが

言い添えることができました。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/284

OTは触媒

今はこの言葉が自分にとって一番しっくりくる。

「OTは触媒」

 

一緒に仕事をしたたくさんの療法士から聞いてきた言葉があります。

それは

「オレが治してやった」

「自分が歩かせてやった」

あるいは

「私は何にもしていない」

それらの言葉はその人たちにとっては確かにそうなのでしょう。

 

でも

私の考えるリハは対象者の方との恊働作業

対象者の能力と特性が暮らしの困難を乗越えていく

だからこそ、ないものねだりはできないし

対象者の能力と特性が望ましい方向性で有効に発揮されるように

触媒として適切に機能できるようでありたい

 

触媒がなければ反応は起こらないけれど

触媒はあくまで触媒に過ぎない

だからこそ

適切に機能できる触媒でありたい

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/277