Category: よっしーずボイス(ブログ)
フツーに考えてあれ?って思うことって結構ある。
たとえば
「教育」を知らずに、実習指導をしているとか
「話し合い」「会議」を知らずに、
他職種との話し合いに参加しているとか
私は必要に迫られて個人的に勉強したけど
現状のいろいろを見聞きするたびに
1)個人的に勉強するような態度の涵養
2)組織的に勉強させる機会の設定
どちらかをしないと、
これからは本当に立ち行かなくなってしまうんじゃないかしら?
基本を知らないまま、
体験が経験として積み重なっていくことはあり得ない。
むしろ、
「悪貨が良貨を駆逐する」ことにつながりかねないとすら思う。
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提起した方法にはポイントがあります。
それは、「動きを止めないように動く」ということです。
タイヤの1ヶ所を手で押し出すようにすると
タイヤがぐるっとまわるように
円環状になっているという特性を活かすのですから
ふんばったりするような動きを止める行為をすれば
そこで身体全体の動きが止まってしまいます。
滑らかに
がんばらずに
個々のパーツとしての筋力に頼らずに
身体全体の協調を活かして
立ち上がりー座る
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対象者の能力と特性が
日々の暮らしの困難を乗越えていく。
その力強さに目を見張らされる。
でも、逆に言えば、ないものねだりはできない。
だからこそ、今できることを大切にしたいと思う。
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身体を総体として働きやすくするために
立ち上がりの時には
両手を大腿から下腿、足首、つま先へ…と
さすりおろすようにします。
ここでのポイントは
手が常に身体に触れたまま動くということです。
手が触れていることによって
たとえば、タイヤのように
身体が線ではなくて円環状になるようなイメージです。
身体に端のない状態をつくる
身体がつながっていて始めも終わりもない状態
この状態で動きが生じれば
身体の他の部分もつられて動かざるをえません。
手でさすりおろす…という動きにひきづられて
臀部が持ち上がります。
動きを決して止めないことがポイントです。
座る練習をする時には
立った状態で両手を大腿に置き
大腿〜下腿、足首、つま先へと手をさすりおろすようにしながら
腰をおろしていきます。
臀部が着座したら
手をつま先、足首、下腿、大腿とさすりあげるようにして
身体を起こします。
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お年寄りに対して
筋力強化を主体としたリハを行うということは
「個々のパーツの能力の総和=身体能力」
という考え方に基づいています。
でも、それは本当でしょうか?
身体は常に全体として 総体として働いています。
身体のあるパーツの能力が
低い時には低いなりに
高い時には高いなりに
身体は常に総体として働いている。
それなのに
筋力強化を主体とするということは
逆に言えば、
総体として働いている身体を
無自覚であったとしても
否定してしまうということを意味します。
抽象的な「正常な身体」を 勝手に設定して
そこからの引き算として
お年寄りの現状をとらえる
…という考え方は
いろいろな人生経験をしてこられたお年寄りの生き方までも
暗に否定してしまうことにもなりかねません。
判断基準が「正常な身体」であるならば
追い求めているのは「正常化」ということです。
それは、はたして、
「その人らしさを大切にする」と言えるでしょうか。
「お年寄りを尊重する」と言えるのでしょうか。
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実は、健常と呼ばれている私たち自身が
腰部の筋を収縮させることによって 臀部を持ち上げているのです。
観てればわかるし
やってみればわかる
けれど、そこに注意を向けなければわからない…
常識を鵜呑みにする人にはわからない…
身体を前傾し、足裏からの床反力を使って立ち上がれるのは
膝と股の屈曲角度が鈍角になる
スツールのような高いイスに座っている場合です。
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今日は、うれしいことがいくつか♡
バリデーションワーカーとしての自分の成長も実感できたし
(まだまだだけど、でもうれしい)
タッグを組めそうだな…って思ってた人と
はっきり言葉にして伝え合うことができたし
ふっふっふ… がんばるぞー!
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日々、いろいろな決定をすることは
単に、選択肢そのものを決定しているだけではなくて
その方法論が依拠する思考の枠組み
自らの在りようといったものを
決断し続けているんだよね。
選択する、決定する、という行為が
自らの在りようを問い直し、かつ、明確にする。
自分らしさ、その人らしさを
どこか遠くへ探しになんて行かなくても
何か変わったことをしようとなんてしなくても
日々の暮らしのひとこまひとこまにごろごろしてる。
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