Tag: リハビリテーション
認知症のある方の「食べる」ことの困難は
当初は、先行期や準備期、口腔期にあって咽頭期にはないことが多い。
そして、それらの困難は
実は、認知症のある方「だけ」の問題に由来するのではなくて
認知症のある方のちょっとした困難に
プラスαして、介助者側の不適切な介助によって
悪循環として起こっていることが圧倒的に多い。
その結果、当初は問題のなかった咽頭期に
喉頭挙上の遅延や不完全挙上、複数回挙上などが起こる
そして、誤嚥性肺炎になってしまう場合が多い。
人の手によって
助長された事柄なら
人の手によって
改善することもできる。
そのようなケースをたくさん体験しています。
なぜなら
「食べる」という行為は
赤ちゃんの時から繰り返し繰り返し行ってきた
究極の手続き記憶だから
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そんな状態でも
ちゃんとした介助−スプーン操作をすれば
開口時に舌先が下の歯の付け根についた状態に戻る。
最重度の認知症のある方でも
残っている能力で
常に環境適応している。
食事介助中に
ムセの有無しか見ていないと
この変化に気がつけない。
人間を含めた大自然の神秘に比べれば
気づきの違いは、五十歩百歩かもしれない。
でも、50歩と100歩は厳然として違う。
その違いの差は
まだ気づけていない150歩への可能性を開いてくれる扉でもある
そう感じています。
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事実を積み重ねると浮かび上がってくる。
〇〇という言動が見られた。
だから、△△と考えた。なんて無理矢理考えなくていい。
実習に来た学生さんには必ずそう伝えています。
認知症のある方の言動に
無理矢理意味を当てはめようとするのではなくて
認知症のある方の言動を
今日、明日、あさってと
積み重ねていくと
時系列の縦糸
異なる場面での横糸
どちらの方向にも、自然とつながってくる「線」が浮かび上がってくる。
浮かび上がってきた線を
手元にある情報と照らし合わせると
自然と明確になる「意味」が見えてくる。
見えてきた「意味」と
これから見える言動を照らし合わせると
「意味」に無理があったのかどうかも浮かび上がってくる。
「無理」だったら「意味」を見直せばいいし
無理がなければ「意味」をスタートに進めばいい。
「線」が浮かび上がってこない時には
見てるようで見えていないから
見ることを積み重ねればいい。
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チームワーク、多職種連携において
出発点となるのは
まず、自分がやってみせられることだと思う。
自分が関わったことによって
こんなに変わったよ、お互いにラクになったよ
他の職種にも
はっきりとわかるくらいに
「言う」よりも「やる」方が先。
80%「やれる」人なら
話の土俵に乗れる。
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昨今の作業療法の潮流として
気になる傾向がひとつ。
SDMは忘れてはならない視点だと思ってる。
でも
言語化できない方への対応をどうするのだろう?
そもそも
人は誰でも言語化できるコトだけで暮らしてるわけじゃない。
言語化=自明の世界と同じくらい
暗黙の身体知の世界が広がってる。
「言語」ではない「作業」だからこそ
可能な「場」をそのままに
活用することが可能だからこそ
「作業」のメリットもあるのでは?
河合隼雄の扱っていた「箱庭」の意義も
言語ではできないこと
言語にしなくてもよいこと
言語にしないほうがよいこと
それらを「表現」「体験」することにあったのでは?
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提供したActivityが
その人の能力と特性に合致していると
思わぬ昔語りをしてくださることがある。
そして
得てしてこのような
体験を通した「自分語り」は
他者が聴取した生活歴には出てこないし
「何かやりたいことはありませんか?」と
言葉で聞いても、イラストや写真で尋ねても
出てくることは、ほとんどない。
(認知症のある方だからかも。ですが)
「作業」は、それだけのチカラを持っている。
「作業療法士」は、それだけの可能性を持っている。
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苦手なコトは、化けるチャンスかも。
得意なコトは自然にできちゃうからこそ
見落としてたりすることもあるけど
苦手なコトは、わからない、うまくできないからこそ
勉強するから
知らなかったことを知ることができる
実践においても
意味を考えながら、明確化しながら
行うことになるから
苦手なコトこそ、適切に行えるコトに化けるチャンスかも。
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実は。。。
私は(今でも)あんまり人付き合いって得意じゃないし
かつては、言葉に対して、尊敬をもてないでいたんです。
そんな人間がおこがましくも
こんなコンテンツを担当させていただいているのですが (^^;
「言葉」に対して違和感を抱いていた時に
(正確に言えば、言葉を扱う「自分」「人」なんですが)
子どもの絵本とか読んでいたことがあります。
楽しむためじゃなくて必死に
言葉の扱い方を勉強するために
言葉を適切に扱えるようになるために
その時にわかったこと、調べたことは土台となって
認知症のある方への声かけに活きてきたように感じています。
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