Tag: リハビリテーション
この時に大切なことは
〇〇してみたら?
◎◎したらいいんじゃない?
などと「自分が」思いつけることを360度列挙するのではなくて
(こういう考え方をする人は多いようですが、それは違います)
「ちゃんと眼で見てる」
「目の前にあるモノをモノとして見てる」のですから
この能力に働きかけるような工夫を考えます。
つまり
「黒いけれど麺つゆ」ではない と
認識してもらえるような工夫をするにはどうしたらよいか?
たとえば
平たいお皿にゼリー型をひっくり返した形のまま
細かくしたり、崩したりしないで
立体を保った形のままで提供すれば
「麺つゆではない黒い塊」と見えると思います。
つまり、「能力」にはたらきかけて解決を図るのです。
現実的にはここまでで実用と考えますが
どうしても「デザート」として認識してほしい
要請があるとするなら
デザートらしい食器を工夫する
最終的には別個に提供するということになるかと考えます。
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認知症のある方が
「今」をどう受けとめているのか、考える。
考えるというよりも推測する。
「〇〇かもしれない」
「△△かもしれない」
等と360度方向「私が」思いつけることを列挙する
のではなくて
(こんな風に考える人って案外多いようですが (^^;
それは全然違います)
A、B、Cという障害と
D、E、Fという能力と
Gという特性のある人が
H、I、Jという状況を
どんな風に受けとめているのか。。。
という風に考えれば
答えは容易に浮かび上がってくる。
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観る「眼」がないと
一見悪そうに見えて、その実良いことを観てとることができない。
一見悪そうに見えてるだけのことを「悪い」こととしか見られない。
一見悪そうに見えることを「悪い」から修正・改善しようとすれば
隠れていて表面に現れていない「能力」をも
結果として、つぶしてしまうことになってしまう。
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一見良さそうに見える悪いことも
一見悪そうに見える良いこともある。
でも
いったい「何に」照らして良いのか悪いのか。
良し悪しは
自分の価値判断ではなくて
その人の目標に照らして判断されることだと思う。
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認知症のある方に
「問題がない」んじゃなくて
よくわかってないけど
合わせてくれてる
(よくわかんないけど、そうしようか)
と従ってくれてる
だけのことって結構ある。
認知症のある方に
合わせられるという能力があるからこそ
できることでもあって
病状が進行して
「よくわからない」
「合わせる、従う」ことができなくなった時に
その本音を表明せざるを得なくなった時に
初めて「問題」が表面化する
そういうことは、とてもよくある。
食事介助の場面で起きてることと
同じことが違うカタチで現れてる。
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どんなコトでも
100%のエビデンスをもつものなんてない。
だからこそ
今目の前にいる方に対して
自分が提供していることが
本当に適切なのかどうか確認する必要がある。
相手は機械じゃないから
こうすればああなる
そんなわけないから。
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適切に評価ができれば
適切に目標を設定できる。
「こうなったらいいなぁ」って具体的にイメージできる。
だから、変化を待つことができる。
行動変容の途上で
努力していることが伝わってくる。
眼に見える変化が現れるまでの
双方にとって一番辛い時期を
じっとこらえて待つことができる。
認知症のある方の能力を見いだせれば。
それは、盲信ではなくて
評価の結果としての確信だから。
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人間関係において「原因」なんてないと考えています。
そうする、そうなる「必然」はあるし
モノゴトが表面化するに至る「きっかけ」はあったとしても。
これって、まさしく ICF に依って立つ考え方だと思う。
だけど、多くの場合に多くの人は未だ ICIDH に拘泥してる。
認知症のある方の生活障害やBPSDには
不安などの何らかの原因があるから起こるので
原因を探索し改善しましょう。。。とはよく聞く言葉ですが
これって、まさしくICIDHの考え方です。
生活障害やBPSDが起こっている「場」において
何が起こっているのか見いだすことの方が
よっぽど重要で必要で効果的です。
そのためには知識が必要
知識がなければ「見れども観えず」なんです。
同じ場面でも
見る人によって観えることと観えないことが違ってくる。
そして、そのことに
観える人は気がつけても
観えない人には違うということすら、わからない。
つまり
認知症のある方だけの「問題」ではなくて
私たちの「課題」でもあるのです。
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