生活障害やBPSDは
確かに本人にとっても周囲の人にとっても
困りごとではあるけれど、悪いこと=問題点じゃない。
悪いからなくそう、良くしようという視点で現実を眺めることで
事実を見誤ってしまっているのだと思う。
悪いことをなくすためにどうしたらいいのか
という問いの立て方が不適切だったのなら
問いを立て直せばよいのだと思う。
8月 26 2015
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8月 25 2015
認知症のある方の「食べる」ことの困難は
当初は、先行期や準備期、口腔期にあって咽頭期にはないことが多い。
そして、それらの困難は
実は、認知症のある方「だけ」の問題に由来するのではなくて
認知症のある方のちょっとした困難に
プラスαして、介助者側の不適切な介助によって
悪循環として起こっていることが圧倒的に多い。
その結果、当初は問題のなかった咽頭期に
喉頭挙上の遅延や不完全挙上、複数回挙上などが起こる
そして、誤嚥性肺炎になってしまう場合が多い。
人の手によって
助長された事柄なら
人の手によって
改善することもできる。
そのようなケースをたくさん体験しています。
なぜなら
「食べる」という行為は
赤ちゃんの時から繰り返し繰り返し行ってきた
究極の手続き記憶だから
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8月 21 2015
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8月 14 2015
事実を積み重ねると浮かび上がってくる。
〇〇という言動が見られた。
だから、△△と考えた。なんて無理矢理考えなくていい。
実習に来た学生さんには必ずそう伝えています。
認知症のある方の言動に
無理矢理意味を当てはめようとするのではなくて
認知症のある方の言動を
今日、明日、あさってと
積み重ねていくと
時系列の縦糸
異なる場面での横糸
どちらの方向にも、自然とつながってくる「線」が浮かび上がってくる。
浮かび上がってきた線を
手元にある情報と照らし合わせると
自然と明確になる「意味」が見えてくる。
見えてきた「意味」と
これから見える言動を照らし合わせると
「意味」に無理があったのかどうかも浮かび上がってくる。
「無理」だったら「意味」を見直せばいいし
無理がなければ「意味」をスタートに進めばいい。
「線」が浮かび上がってこない時には
見てるようで見えていないから
見ることを積み重ねればいい。
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8月 11 2015
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7月 24 2015
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7月 23 2015
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7月 22 2015
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