Tag: リハビリテーション

セミナー@合同会社geneでお話してきました

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平成27年7月5日(日)に東京の日本印刷会館にて
合同会社geneさん主催の
「認知症のある方への評価のすすめかた」セミナーで
お話をしてきました。

参加してくださったみなさま、お疲れさまでした。
運営を担当してくださったAさん、どうもありがとうございました。

自分が話してたせいか、あっという間に
1日終わってしまった…というのが率直な感想です。

少しでも、みなさまの臨床のお役に立つようでしたら幸いです。

また、この続きの
「認知症のある方への評価から対応まで」は
8月9日(日)に名古屋会場
http://www.gene-llc.jp/seminar_info/?id=1427767032-613380
10月18日(日)に東京会場
http://www.gene-llc.jp/seminar_info/?id=1430123048-513436
で開催されます。

詳細は合同会社geneさんのサイトをご参照ください。

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準備の大切さ

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私は本当にラッキーだったと思う。

リハの養成校の時に
スプリントの授業で型紙をきちんととることの大切さを教わった。
別の授業ではAct.を対象者の方に提供する前に
実際に自分でやってみることが大切と教わった。

いずれも、準備の大切さを説く教えです。
同時に根底にあるもっと大切な思想も教わったと思う。

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評価できるから対応できる

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気持ちだけでは何もできない。
根拠がなければ意味を伝えられない。

クリームパスタをコーヒーゼリーにつけてしまう。
否定するのでもなく、笑って受け入れるのでもなく
(一見正反対のように見えて同じことが違う形で起こっているだけ)
認知症のある方が「そうする必然」を考える。
(「そうする原因」があるのではなくて)

今、表面に起こっている現実だけを見るのではなく
結果として起こっている現実の中に
認知症のある方の障害も能力も現れている。
私たち、障害と能力のプロである作業療法士が寄与できるのは
まさにこの部分にあり、何よりも一番の強みであると考えています。

でも、作業療法士であれば誰でもできるとは思わないし
作業療法士でなければ他の職種の人にはできないとは思わない。
ただ、作業療法士が一番近道にいるとは思っています。

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クリームパスタとコーヒーゼリー(完)

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この時に大切なことは
〇〇してみたら?
◎◎したらいいんじゃない?
などと「自分が」思いつけることを360度列挙するのではなくて
(こういう考え方をする人は多いようですが、それは違います)

「ちゃんと眼で見てる」
「目の前にあるモノをモノとして見てる」のですから
この能力に働きかけるような工夫を考えます。

つまり
「黒いけれど麺つゆ」ではない
認識してもらえるような工夫をするにはどうしたらよいか?

たとえば
平たいお皿にゼリー型をひっくり返した形のまま
細かくしたり、崩したりしないで
立体を保った形のままで提供すれば
「麺つゆではない黒い塊」と見えると思います。
つまり、「能力」にはたらきかけて解決を図るのです。

現実的にはここまでで実用と考えますが
どうしても「デザート」として認識してほしい
要請があるとするなら
デザートらしい食器を工夫する
最終的には別個に提供するということになるかと考えます。

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「今」をどう受けとめているのか推測する

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認知症のある方が
「今」をどう受けとめているのか、考える。
考えるというよりも推測する。

「〇〇かもしれない」
「△△かもしれない」
等と360度方向「私が」思いつけることを列挙する
のではなくて
(こんな風に考える人って案外多いようですが (^^;
それは全然違います)

A、B、Cという障害と
D、E、Fという能力と
Gという特性のある人が
H、I、Jという状況を
どんな風に受けとめているのか。。。
という風に考えれば
答えは容易に浮かび上がってくる。

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一見悪そうに見える良いこと

我慢のしどころ

観る「眼」がないと
一見悪そうに見えて、その実良いことを観てとることができない。
一見悪そうに見えてるだけのことを「悪い」こととしか見られない。

一見悪そうに見えることを「悪い」から修正・改善しようとすれば
隠れていて表面に現れていない「能力」をも
結果として、つぶしてしまうことになってしまう。

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一見良さそうに見える悪いこと

我慢のしどころ

一見良さそうに見える悪いことも
一見悪そうに見える良いこともある。

でも
いったい「何に」照らして良いのか悪いのか。

良し悪しは
自分の価値判断ではなくて
その人の目標に照らして判断されることだと思う。

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「合わせてる」のに気がつけない

ちょっと待った

認知症のある方に
「問題がない」んじゃなくて
よくわかってないけど
合わせてくれてる
(よくわかんないけど、そうしようか)
と従ってくれてる
だけのことって結構ある。

認知症のある方に
合わせられるという能力があるからこそ
できることでもあって
病状が進行して
「よくわからない」
「合わせる、従う」ことができなくなった時に
その本音を表明せざるを得なくなった時に
初めて「問題」が表面化する
そういうことは、とてもよくある。

食事介助の場面で起きてることと
同じことが違うカタチで現れてる。

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