Tag: リハビリテーション
周囲がわかってくれない
連携がとれない
その辛さは、本当によくわかります。
イヤというほど、経験してきましたもの。
だけど
だからこそ
あなたがガンバル価値がある。
「関わり方を統一する」
そんな必要性は本当はない。
結果としてそうなることはあるだけで。
方向性を統一することは必要だけど。
人は、その時その場のその関係性の中で生きている。
あなたも私も認知症のある方も。
「職員が違う関わり方をして混乱しないだろうか?」
職員の対応を、環境・入力刺激として位置づければ
対応の違いからこそ、学べることだってある。
少なくとも
人によって自分の行動(たとえば食べやすさ)が変わるんだ
ということを明確に体感することができる。
認知症のある方は、何もわからない
という視点に立つのではなくて
認知症のある方は、難しいことも
失ってしまって取り戻すことが困難なこともあるけど
「イマ、ココ」のことはわかっている、感じている
という視点に立てば
異なる問いを立てることができる。
今までは、私たちが立てた
問いのカタチが適切でなかったから
コタエが見つからなかっただけということもある。
認知症のある方の
ケアやリハの分野で常識的に言われていることの中には
たくさんの誤解があります。
一見正しそうにみえる、でも、よくよく考えてみるとおかしなことを
盲信してはいけない。
目の前にいる人こそが最前線。
「自分ひとりが頑張ったって仕方がない」
そんな風に感じることだってあるかも。ですが。
そんなことは決してない。
たった1人でも正当な関わりができるのであれば
それは間違いなく目の前にいる方に伝わり
目の前の方に必ず行動変容が起こる。
そして、その時に、
その行動変容に気がつく人が必ず出てくる。
その1人の存在に、どれだけ励まされるか。
1人が変わる
ひとりでも変わる
そのチカラは、本当に大きな一歩なんです。
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人は
今居る場での関係性の中に在るから
時には、周囲によって
自己信頼のチカラをそがれてしまうことだって起こりうる。
それって
私たちのギョーカイでも、対象者の方に対しても起こりうる。
認知症のある方に
不適切な30%程度の食事介助しかできない環境であれば
食べにくいのは認知症のある自分のせいかも。
と思わせてしまうかもしれない。
(現に、そう思ってる職員は少なくない)
そこに、もしも90%の適切な食事介助ができる職員がいれば
認知症のある方は、食べやすい!って感じることができる。
そして、食べにくかったのは自分のせいじゃないんだ
本当の私は、こんな風に食べられるんだ
って、自己信頼のチカラを感じることだってできるかもしれない。
少なくとも
その時その場において
90%の適切な食事介助ができる職員は
今のあなたは、これだけ食べられる能力を持っているんですよ。
私にはそのことがよくわかっていますよ。
頑張りましょうね。
というメッセージを無言のうちに
でも、はっきりと伝えることができる。
自分で自分のチカラを信頼できること。
そして、自分の他に信頼してくれる人がいるということ。
それは、暗闇の中で灯された灯
たとえ、どんなに小さな灯でも
周囲の暗闇が深ければ深いほど
その灯の明るさは、一層明確に目に映る。
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セラピストが対象者の方の能力を信頼できなければ
対象者の方が良くなるわけがない。
セラピストが「プロ」として
対象者の能力を適切に「評価」できれば
能力を信頼できないわけがない。
能力を信頼する…っていうことは
全面的に盲信するのとは、まったく違うことで
根拠を明確に確信したうえでの信頼なんだよね。
精神科作業療法に従事する人や
認知症のある方に接する人に
今一番求められているコトは
適切な評価に基づいた確信の上に成り立つ信頼を
対象者に抱ける…ということなんじゃないだろうか。
そういう信頼の有無って
まちがいなく相手に伝わってしまうものだと感じています。
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私のインタビューを掲載してくださっているPOSTさんのサイトで
私のコラム記事連載が始まっています!
「現役理学療法士による、リハビリ職者を目指す人のためのサイト『POST』」
http://1post.jp
「食事介助」に関する連載記事が始まりました!
http://1post.jp/2015/12/14/dementia_colum01/
ほっんとうに嬉しい (^^)
今を遡ること、たぶん20年くらい前から
機会あるごとに言い続けてきている
「スプーン操作の大切さ」
「食事介助 ≠ 食べさせる、食事介助 = 食べることの援助」
そして
「最重度の認知症のある方でも行動変容は起こる」
ということを
明確に体験できるのが食事介助の場面であり
その場面で起こっていることの「意味」を理解できれば
食事以外の場面でも
起こっていることの意味が理解できるようになる
ということを。
かつての私がそうであったように
これは違うということがわかっても
どうしたら良いのか、わからない時はすごく苦しい。
セラピストが苦しい時には、対象者の方はもっと辛い。
1人でいいから
その苦しさ、辛さから脱することのお役に立てるなら
私はとてもとても嬉しい。
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POSTさんへのインタビュー その3が掲載されました。
http://1post.jp/2015/12/07/interview143_sato_yoshie03/
インタビューはこれで完結ですが
新たに、私の連載も決定しました!
ありがたいことです。
嬉しいです。
テーマは食事介助。
最重度の認知症のある方でも
スプーン操作を変えるだけで劇的に食べ方は変わります。
そのようなケースは枚挙にいとまがありません。
脳の萎縮が少ない、健康な部分が多いお年寄りなら
もっと早く、もっとラクに行動変容が起こります。
「認知症のある方がうまく食べられないのは仕方ない」
「認知症のある方の誤嚥性肺炎は仕方ない」
あからさまに言われているけれど
本当はそうじゃない。絶対に。
これには留保がついています。
そのことを私たちが忘れています。
「私たちが適切な食事介助ができなければ」…という
私たちの側の問題という前提要件が見落とされています。
私たちの側の問題であれば
私たち自身で解決・改善することが可能です。
そのことを1人でも多くの方にお伝えしたいと思っています。
連載記事掲載まで今しばらくお待ちください m(_ _)m
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平成27年10月26日(月)に
大井町保健福祉センターにて開催された
「みんなで認知症について学びましょう
〜自分らしく大井町で暮らすために必要なこと〜」
の第1回目の講座
「認知症の方との関わり方〜ご本人の笑顔の秘密」を
お話してきました。
担当のMさんには本当に良くしてきただき
深く感謝申し上げます。
直接お会いする前から、こちらへお立ち寄りくださっていたとのこと
こんな風にお会いすることができるんだと
私もとても嬉しく思いました。
また民生委員さんはじめ参加者の方が
とても熱心にお話を聴いてくださり
質問からもふだんから地域で熱心に活動されていることの一端が
伝わってきました。
小田原市内の公民館をまわってお話させていただいても
必ず民生委員さんが参加してください
どの地域でも熱心に活動されていることが伝わってきて
本当に頭が下がります。
地域で暮らしていくことの実現のために
Mさんや民生委員さんはじめ
今もう既に一生懸命に取り組んでおられる方が
こんなにもたくさんいらっしゃることに
私も励まされました。
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システムの扱い方の問題なのに
違うシステムに交換しちゃえば
問題解決できるかのような認識が問題だと思う。
結局、同じコトが違うカタチで現れるだけ。なのに。
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「POST 理学療法士によるリハビリ職者を目指す人のためのサイト」に
私のインタビュー記事その2 が掲載されました。
http://1post.jp/2015/10/21/interview143_sato_yoshie02/
よろしかったら、お立ち寄りください。
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