鮮烈に覚えていること

私が作業療法士として一番最初に勤めたのが
肢体不自由児施設でした。

そこに
紀伊克昌先生や古澤正道先生がいらしてデモンストレーションをしてくださったのです。

その施設にいたスタッフが一度も見たことがないような動きを
子どもたちがどんどん目の前でできるようになっていったんです。

そして(当たり前といえば当たり前ですが)その後でみんなでそれらしくやっても
誰も紀伊先生や古澤先生のようには子ども達の動きを再現できなかった。

鮮烈に覚えています。

できないのは
子どもたちじゃなくて、私なんだ。

紀伊先生や古澤先生が担当しても私が担当しても
ご両親は同じ時間で同じお金を払わなくちゃいけないんだ。

痛切に感じました。

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医学書院「精神看護」9月号に掲載

医学書院の隔月誌「精神看護」9月号特集2に
私の原稿「スプーン介助を変えれば食べる力は復活する」が掲載されます。

うわっ!カラーだ。。。とまず最初はビックリ
次にげげっ!顔写真がのってる。。。
と最初は本論に無関係なコトを気にしておりました(^^;

でも、担当してくださったIさんがとても良い方で
Iさんの心意気に触発されるようにしてお話していたような気がします。
Iさん、本当にどうもありがとうございました。

スプーン操作に気をつけるだけで
認知症のある方も
食事介助をする私たちも
確実に困りごとが少なくなります。

そして
スプーン操作に気をつけることができて初めて
認知症のある方の食べる能力に気がつくことができるようになるんです。

だからこそ、もっと広まってほしいし、広めたい。

職場に「精神看護」がある方、是非お手にとってみてください。

知らないために
介助者も認知症のある方も
食べることに困難を感じていることを
知ることによって確実に困りごとを減らすことができます。

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新ブログ「オレンジ☆マルシェ」公開

みなさま〜本日はお知らせです!

この神奈川県作業療法士会公式ウェブサイトに
認知症対策委員会のブログ
「オレンジ☆マルシェ ひとりひとりがサポーターby認知症対策委員会」
http://kana-ot.jp/wpc/marche/
が誕生いたしましたー!!!

どなたにとっても
便利で役立つ、眺めているだけも楽しくなるような
市場の賑わいのようなサイトを目指します。

まだ、公開されたばかりで記事も少ないけれど
これからいろいろな項目にそって記事も増えていきます。

どうぞ新しいブログもご贔屓に♡

よろしくお願い申し上げます m(_ _)m

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予告:新ブログ誕生☆

みなさまにお知らせです!

神奈川県作業療法士会のサイトに
新しいブログが近々誕生する予定です。

ブログのタイトルは
「オレンジ☆マルシェ ひとりひとりがサポーターby認知症対策委員会」

乞う☆ご期待

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場面と切り離さない

当院に実習に来る学生さんには
必ず私が言う言葉です。

状況、場面と切り離さないで評価する

えてして
私たち対人援助職は、認知症のある方の言動のあれこれを言いますが
じゃあ、その時に自分がどんな立ち位置でどんなノンバーバルでどんな言葉を使ったのか
そういったことに対して無自覚になってしまいがちです。

自分を含めた状況はどんな状況だったのか
その前提要件を認知症のある方の言動と切り離さないことが大切です。

認知症のある方の能力低下によって諸々の生活障害やBPSDが生じるわけではありません。
必ず、認知症のある方には、どんなに病状が進行したとしても、生きている限り能力があります。
(こんなことは書くまでもない当たり前のことですが、
臨床上では当たり前の視点とは言い難い現実があります)
その能力で何とかしようとして、もともとの障害とあいまって
結果として不合理な言動になってしまいます。

だからこそ、私たちが対応の工夫をする意義があります。

対応の工夫、つまり、状況・場面のコントロールです。

Aという状況下では、Bという不合理な言動がみられた。
Bという不合理な言動には、Cという能力とDという障害が現れている。
Cという能力を合理的に発揮してもらえるようにAという状況をA’という状況に変えてみる。

よくある誤解が
B不合理な言動=D障害
という理解ですが、この理解が違っているのです。
このようなあるあるの誤解では、どんな状況でもBは認知症のある方固有の問題
として設定されてしまっています。
この設定では、認知症のある方の能力を見ていない
だから、能力を活用した工夫もできない
B不合理な言動=D障害が生じないようにするにはどうしたらよいか
という観点でしか、対応の工夫をすることができない。
それらは多くの場合
いわゆるこちらが下手に出るような立場として
認知症のある方を持ち上げるような対応か
もしくは、困った感情を感じないように、あるいは表出する暇を与えないように
気分を乗らせる、気持ちをすりかえるといったような対応ではないでしょうか?

このような根本的な葛藤のもとに成り立つような在りようは
対人援助職の心身のエネルギーをものすごくすり減らすように感じています。
一生懸命な人ほど辛い思いをするように感じています。

状況や場面と切り離さないで評価する
状況や場面に自覚的になることがまず第一歩だと感じています。

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勝手な推測はしない

いつも、どこでも、言ってることですが
まずは、観察を
そして、観察ができるための知識を。

それにプラスして今日はもうひと言。
勝手な推測はしない。

私は作業療法士ですが
作業療法士がよく言う、あるあるな言葉に
時々ものすごく違和感を感じることもあります。

いわく
「作業療法を説明するのは難しい」
「作業療法は楽しく」
「あぁも考えられる。こうも考えられる。」

最後の言葉は
精神科作業療法の分野で言う人が多いようですが
そんなん、評価の真逆じゃん!
と思ってしまいます。

評価とは、しぼりこんでいく過程でもあります。
これは違うと判断し、可能性を除外していく過程。

その過程において
大切なことは予断をもたずに
まずは、観察すること
わからないことはきちんと本人に尋ねること
ただし、尋ねかたにはいろいろありますが。

そうすれば、こちらが勝手に推測などしなくても
集めた情報の集積から、ある確からしさとして語り出されてくるものです。

十分な観察も
真摯に尋ねもせずに
いくら考える努力をしたって
根拠がないじゃん。
コミュニケーションの真反対じゃん。
そんな風に感じてしまいます。

わからないことは、判断保留し、
わかる時がくるまでは、わからないままにしておくこと。

勝手に対象者のことを推測しない。

本来は、精神科がそういうことに一番明敏であることが望まれているんじゃないでしょうか。

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進化&深化

「よっしーさんも進化しているから」
ある人に言われた言葉。
正直、嬉しかったです。

タマネギの皮をめくっていくみたいに発見がある。

同じ言葉でもその意味がより深く認識できたことを実感できることがある。

華厳経の縁起みたいに
関係性の複雑さ、精妙さが三次元的にわかるというか。。。

歳とるっていいな
って思う。

若い時にはわからなかったことがわかるようになる。

それって希望でもあります。

希望であり、可能性であり、畏れでもあり
深く頭を垂れ
前を向く。

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副詞を使わない説明

今日は祝日・山の日ですが、オマケ☆
私も特別に出勤しています (^^)

他職種への伝達については
相当考えさせられてきました。

基本的には、私の側でできる努力は最大限する
とは考えています。

その1つが説明の言語化

たとえば
食事介助の場面において
他の職種でも今までとは違う方法を再現してもらえるために
どのように説明するか

ひと言で言えば
副詞を使わないで言語化する
ということです。

たとえば
施錠確認。
「ちゃんとカギをかけましょう」
と言うことが指導ではないです。

ちゃんとカギをかけるようにする
ためには、どういう行動に変更したらよいのか
そこを伝えることが重要です。

当病棟は閉鎖病棟なので
実習に来る学生さんへの一番最初の指導が施錠確認です。
「カギをかける。
まずは、ガチャッという音で確認。
次に、目で観てかかったカギを確認。
最後に、ドアを両方向に動かして開かないことを動作確認」
と指導しています。

結果として
「ちゃんと」カギをかけられるようになる。

食事介助の場面でも同じです。

ゆっくり介助する
丁寧に介助する
優しく介助する

そんなことを考えても
食べることにおいて
さまざまなウィークポイントと能力をもっている認知症のある方の
食べることの困難を改善していくことはできません。

そもそも
ゆっくり、丁寧、優しく。とは
どういう行動を示すのでしょうか。
非常に曖昧な言葉です。
人によって受け取り方に差が生じやすい言葉でもありますし
どの程度という基準も明確ではありません。
Aさんにとってのゆっくり介助が、Bさんにとってはせわしない介助
ということだって起こりえます。

だから副詞は使わない

名詞と動詞を中心に構成した言語化を行います。

明確な言語化=名詞と動詞中心の言語化
を心がけています。

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