コミュニケーションの二重性

他者とのやりとりとは
その時その場のその関係性において
為されるものではあるけれど
同時に
自分自身の世界への表明でもある。

だから
やりとりに際して
いろいろなことが起こるけれど

たとえば
理不尽な思いとか
相手の本心に触れて傷つくとか
真っ正面で受けとめてもらえた実感とか
それはさまざまな感情を自分の内に引き起こすけれど

その時にどうするか
ということに関して言うと
世界への表明なのだから
問われているのは自分の在りようそのもの
ということにもなってくる。

アンテナを高く張っている人はたくさんいる。
より善いものを求めている人はたくさんいる。
真贋を見分ける眼をもつ人はたくさんいる。
そうでない人や見せかけだけの人もたくさんいるけれど
それが世界だもの。

多様な世界に対して
自分がどう在るのか

その時その場のその関係性において何を優先するのか
自己保身に走る人もいるけれど
その人が世界に対してそういう表明をしているだけのこと。
でも、世界に対してそういう在りようの表明をしない人だってたくさんいる。

目の前にいる誰かとのやりとりは
見た目、目の前にいる人と為されるものだけれど
同時に世界への自己表明をしている。
自分がどう在るか、在りたいかの選択をしている。

目の前に立ち現れる日々の暮らしにおいて
最優先になるのは厳然として目に映ることだけど
起こっていることはそれだけじゃない。

人との出会いって本当に不思議なもので
必要な時に必要な出会いが起こるし、出会い直しも起こる。
世界が広がっていくし深まっていく。

この歳になって
わかり直すことがたくさんある。 

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