いわゆる暴言、介護抵抗があるAさんとお散歩に行きました。
そろそろ昼食の時間になるので
(Aさん、もうじき11時30分になるところですから、そろそろ戻りましょうか?)
と私が尋ねた時のAさんのお答えが
「11時30分になるところ…ということは、まだ少し余裕があるということですよね」
私が(そうですね。それじゃあもう少しここにいましょうか)と言うと
Aさんは間髪置かずに「ええ」と答えたのです。
Aさんは、暴言や介護抵抗というBPSDがあり、HDSーRをとればおそらく5点以下と推測される方です。
それでも、婉曲な言語表現を理解し、婉曲で細やかな言語表現で応答する。
重度なBPSDがあっても中核症状が重度だったとしても
Aさんがこれほどの言語能力をもっているという現実も変わらない。
Aさんは、お散歩の時に自ら周囲の景色を見渡して
風にそよぐ緑の綺麗な若葉を見れば
「青々としている」
「押したり引いたりしているみたい」
と観察したことを言葉にして現すこともできる方です。
もしかしたら、これだけ細やかな観察力と言語能力があるから「こそ」
周囲のいろいろな状況を見て、聞いていることを敏感に受けとめていたかもしれない。
私たちがよくしてしまうことの1つに言葉と行動の乖離があります。
例えば、食事が終わった方の食器を下げようとして
「お下げしてもよろしいですか?」と言葉では言っているけれど、手はすでに食器を持ち上げているという… (^^;
言葉は質問のカタチをとってはいるけれど、実はほんとうの意味では相手に尋ねてはいないという。。。
職員が慌ただしく動いている中では場面はあっという間に過ぎ去ってしまいます。
その場で違和感を感じたことに対して表明しようとしても、場面の切り替わりが早すぎれば違和感だけが積み重なって言葉にできなかった感情がBPSDというカタチをとって表現されているかもしれません。
冒頭のAさんの言葉はもう少しこの場にいたい…という気持ちを間接的に表現しています。
認知症の中核症状が進行している方でもこのような言葉がすっと出てくる方というのは
長い人生、多分にそのような対応をしてこられた方だという推測が成り立ちます。
繊細で豊かな言語表現をする方には、私たちも同等の対応ができるようになって初めてAさんと同じ土俵に立つことができます。
暴言、介護抵抗がある方に対しては「どうしたら抵抗少なく介護に応じてもらえるだろうか」という観点で対応が話し合われることはあっても、その暴言や介護抵抗が示している認知症のある方の能力の適切な把握やそのような状況を結果として引き起こしてしまったかもしれない私たちの言葉遣いや動作そのものについての検討が少ないように感じています。
もしかしたら
Aさんの暴言、介護抵抗というカタチで現れていることの少なくない部分に、私たちが扱う語彙の貧弱さや対応への嘆きが含まれていたのかもしれません。
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