認知症という病気から始まるのではなくて
Aさんという固有の人がいて
Aさんの暮らしが最初にあって
たまたまAさんが病気のために認知症という状態像になって
さまざまな障害を抱えながらも暮らしていく
最初に病気があるんじゃなくて
暮らしが最初にある
かつて
中井久夫が
「医師に治せない病気はあっても看護師が看護できない病気はない」と言ったように
認知症は病気そのものは進行していくけれど
暮らしの援助ができないわけじゃない
まず、暮らしを観ること
暮らしを支えること
暮らしを主語にすること
そうするとブレたり混乱したりメゲたりせずに
着実に歩を進めていけるんじゃないだろうか
地域という押し進められるキーワードの中で
多職種連携が形骸化せずに
実態を伴って進んでいけるんじゃないだろうか
そんな感触があります。
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