目標設定の研修会ver.2にどうぞ☆

11月12日(日)に
作業療法総合研究所さんの主催で
「対象者の方と恊働して良い目標が設定できる作業療法士になろう!」が開催されます。

締切が11月10日(金)17:00までとなっております。
これからお申込になる方はどうぞお早めに。

講演後など、いろいろなところで尋ねられます。
「認知症は難しい」
「どうしたらいいのでしょう?」「何をしたらよいのでしょう?」

気持ちはわかります。
かつて、私もそのような思考回路をしていましたもの (^^;
でも、このようなパターンで問う。ということは
このようなパターンで考えている。ということを示しているのです。

これは、本質的に非常に危機的な状況だと考えています。

認知症というカタチで現れてはいますが
問題の本質は、認知症ではない。と考えています。
他の疾患でも実は評価や目標設定が明確にできていないけれど
なんとなく教科書的に、なんとなく周囲に言われたことを当てはめている。
自分の知っているパターンに目の前にいる方を当てはめている。
他の疾患では何とかなるけど、認知症ではそうはいかない。
それで困ってしまって、認知症は難しい。
という現れになっているということなのではないでしょうか。

パターンはあります。
でもあくまでも結果としてパターンがあるのです。
目の前にいる方をパターンに当てはめても「うまくいく」はずがありません。

このような対人援助職の在りように対して、危機意識を抱いています。

一方で希望を失っているわけではありません。

多くの対人援助職の人たちが、限られた時間で一生懸命に目の前にいる方に対して向き合っている
そのような人たちとたくさん出会っています。

ただ、残念ながら学んでいないことがある。
学んでいないために、プロとしての良心や心意気を
目の前にいる方に適切なカタチで表現できないでいるのなら
学ぶ場があればいいだけのこと。

その「場」がこちらです。

おそらく、今の日本で
目標設定についてこれだけ明確に言語化して学べる場
その臨床的意義について明確に実感できる場
というのは、そんなに多くはありません。

平成26年7月20日に第1回目の目標設定の研修会が開催された時には
臨床家、学生あわせて100名近い方が参加され
終了後のアンケートは
「とても良かった」臨床家75%学生100%
「とても良かった+良かった」臨床家92%
という結果でした。
つまり、実際に臨床でたくさんの人が困っているということの現れでもあります。

実習で目標設定が難しかった学生さん
実習で学生さんに目標設定をわかりやすく教えられなかった若手作業療法士さん
すごくラクになります。
そして日々の臨床が変わってきます。

まず、目標を目標というカタチで設定できること

これができるようになれば
評価を評価として行えるようになるし
評価が行えるようになるだけの情報収集をすることができるようになるし
情報収集できるようになるために必要な知識が何なのか探しやすくなります。

PDCAは、対象者のためだけではなくて、自分の成長のためにも必要なんです。

迷っているなら、騙されたと思って参加してみてください。

「私、後悔させないので」

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手間をかけるから手間を減らせる

認知症のある方だって
できることはたくさんあります。

ただ、自分1人では難しい
誰かの目や手や諸々の工夫は欠かせないかもしれません。

ここに誤解があります。
根本的な誤解。

誰だって
相互関係の中に生きています。

環境との相互作用の影響の強さ

不適切な移乗介助をすれば
発揮できる能力だって異なってくる。

不適切な食事介助をすれば
発揮できる能力だって異なってくる。

まったく同じことが生活障害やBPSDへの対応の工夫全般に言えるだけです。

適切に手間をかければ
結果として手間は減ってくる。
ただ、ゼロにはならない。

適切な1手間であれば
将来の3手間を予防することができる。
今の1手間を0.5手間にとどめることもできる。

下肢で自重を支えられるのに
その能力を使わないような
しかも体幹の前傾を使えないような
移乗介助をしていたら
最初立てていた方が立てなくなるのも当たり前。

でも多くの場合に
移乗能力低下って言われてしまう。。。

移乗介助の時に
できるだけ長く能力発揮していただけるように
下肢で自重を支えるように
体幹の前傾を促すように
1手間をかけるから移乗動作の維持ができる。

自立支援とは
「がんばってやらせる」ことではなくて
私たちが適切な1手間をかけられるように
「適切さ」を問い直すことだと考えています。

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すごいことやってる病院

全然知らなかった。

すごいことやった、やってる病院があったんだ。
常滑市民病院
http://www.tokonamecityhospital.jp/new/175.html

もと自治省のキャリアが副市長として招聘されて取り組んだ改革だそうな。

こういう方法論って
どっちに転ぶか。っていうところある。

よっぽど上手に段取りしたのと
ファシリテーターも有能だったんだと思う。

じっくり読みたいけど今は難しい。
ひと息ついたらじっくり読みたい。

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役得、役得

ただいま、今週末の研修会準備真っ最中です。
準備全般を担当しているので
なかなかこちらの記事更新ができず
楽しみにしてくださっている方には申し訳ないです。。。

準備をしながら改めて感じたことがあって
それは、
私が主催者として一連の準備もするし、
講師として招かれることもあるし、
一参加者として聴講することもあるし、
という具合にいろいろな立場に立つことができるから
それぞれの立場に立って研修会そのものを観ることができる
というのは、役得だなぁ。。。と感じています。

主催者としての大変さや困ってしまうことも身を以てわかっているから
講師として招かれた時にはどんなに忙しくてしんどい時でも
これだけは守ると決めていることがあります。

逆に
講師の立場としていろいろな主催者の対応を経験していますから
主催者の立場にたった時には、こういうことは気をつけようと肝に銘じていることもあります。

参加者の立場もよくよくわかるから
主催者として会場や準備の段取りや
当日のインフォメーションに気をつけられることもあります。

本当にムダなことなんて何ひとつない。

それぞれの立場を知って
それぞれのお役目に還元できる。
役得、役得。

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声のトーンが大事

声のトーンにはものすごく気をつけています。

声かけにおいて
「何を」言うのか検討されることは多いかもしれませんが
「どんな口調で」言うのかは、あんまり検討されないことが多いのかな?

声のトーンが伝えてしまうコトってものすごく多いです。

職員の苛立ちって結構トーンに現れます。
認知症のある方が
言葉ではなくて声のトーンに反応してることって結構あります。

そんなトーンで話したら怒るにきまってる。。。
そう感じることも多々あります。

職員だって人間だから
時にはイライラすることだってあると思う。
大切なことは、認知症のあるAさんが怒っていた時に私の口調もキツい口調だった
と自覚できることだと考えています。
自分の表出表現を横において
Aさんの表出表現だけをアレコレ言うのは
公正公平じゃないもの。

自覚できるから、コントロール、トレーニングを考えられるようになる。

イライラした感じ
甘えたような、おもねるような感じ
硬い感じ
表面的な感じ

どれも「感じの良い声」ではありません。

おだやかな
深みがあって
聴き取りやすい声

言うは易し、行うは難し。ではありますが (^^;

それでも、たぶん、声って、
トレーニング可能
コントロール可能なモノだと感じています。

だって、声の生成にも筋肉が関与しているんだもの。
感情も関与するけれど。

心身両面からトレーニング可能だと思うし
対人援助職としてトレーニングすべきモノのひとつだと思う。
そこからコントロールにつながっていく。

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視点の変換

能力を見いだし、能力にはたらきかける

単に今できることだけではなくて
目に見える、現象としての不合理な言動にこそ、能力が投影されている。

でも、その能力は観ようとしなければ観えないし
観ようとしても知識がなければ見そこねてしまう。

コップに半分の水が入っているとして
あと半分しかない。とみるか
まだ半分ある。とみるか

能力が低下して、いろいろなことができなくなったわけじゃなくて
能力は低下したけど、(コップ半分の水はないけれど)
残っている能力だって、いっぱいある。(コップに半分の水は残っている)

コップの水を増やすことを考えるんじゃなくて
コップにある残り半分の水でどうするかを考える
というか、
認知症のある方は、既に、残り半分の水でどうにかしようとしている。
それなのに、私たちは、そのことに気がつかずに水が足りないからと諦めたり
増やすことのできない水を増やそうとして困惑している。

認知症のある方が
残り半分の水でどうにかしようとしていることがわかれば
その次へ進める。

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対価としてのお金

ボケちゃえば何にもわからない?

以前にも書いたと思いますが
紀伊先生や古澤先生がわずか数分で
今までみたことがないような
こどもたちの動きを引き出していって
しかも、その後再現することがまったくできなかったということ。
親御さんは、こんなにも腕前が違う私たちに対して
同じ時間同じお金を払わなくてはいけないということ。

対価としてのお金

座骨神経痛になり、鵞足炎も起こしてからは、タクシーを利用する機会も増えて
いろんな運転手さんがいるものだということを実感しますが
以前に、プロ中のプロだ!という運転手さんに遭遇したことがあります。
言葉遣いや物腰、対応、運転のしかたが他の人とまるきり違います。
〇〇時までに△△へと言われたら
安全には気をつけるけれど間に合わせるって言っていました。
聞けば、学会等で医師の送迎を予約されることが多いとか。
なるほどーと思いました。

その時に規定通りのお支払いをしたわけですが
こんな時に「おつりはいらないわ」じゃないけれど
カッコ良くチップを渡せるようになったら
そんな大人になれたらいいなーとは思うのですが
まだまだ、そういう風格には至らずに
丁寧にお礼を言うしかできませんでした。。。

余談ですけど
私は今までタバコを吸いたいと思ったことは一度もありませんが
一方で現実の私を知る人にしてみたら
私がタバコを吸ってる姿はどうしたって似合わないって言われると思う。
良くも悪くも。
そんな風にして、似合う似合わないってあると思うんです。

私が年配の経験豊富なプロ中のプロの運転手さんに
安心で快適な車内での時間の対価として
規定のお支払いの他に目に見えるカタチとして感謝を伝える時に
今の私にふさわしい方法ってまだまだ限られているんだということを思い知らされたものです。

後になって
会社宛にお礼のメールをしたり、お手紙を書いたり
そんなことくらいしか、今の私が自然と肩肘張らずにできることが限られてる気がする。

まだまだ器が小さい私です。。。

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念願の竹中大工道具館☆

2年越しの希望がようやく叶いました!
行きたかった「竹中大工道具館」
行ってまいりました (^^)

こちらが入館する時のチケットです。
サイトも、左からすーっとこの鉋をかけていくシーンから始まります。
http://www.dougukan.jp


こちらが上のチケットの裏面

な・なんと
竹中大工道具館は、オール写真撮影OK!
SNSへの掲載も「問題ありません」と即答されました。

そんなワケで写真も撮ってきました。

新神戸から徒歩3分
建物の中に入ると、木の香りが漂っています。

1階から入って
エレベーターもしくは階段で、B1階とB2階にある展示を見学していくことになります。
コンパクトながら、たくさんの展示物があり密度が高い。
今回は体調もあって長くじっくり見学することはできなかったのですが
それでも見学できただけでもとても嬉しかったです (^^)

道具というものにも興味はあるのですが
私がとても興味をもっていたのが、宮大工さんの技と伝承についてです。

西岡常一さんという有名な宮大工さんの本を読み、映画も観に行きました。
今とは全く異なる時代の中で、1000年を経てもなお、堂々と存在している日本古来の建築物。
それらをどのように建て、その過程の中でどのように技を受け継ぎ伝承していくのか
技って、どんなに言語化を追求しても最終的には言葉にできない領域というものがあります。
その部分をどうやって伝えていくのか

私自身の実践と教育という側面から興味をもっていたんです。

新神戸に大工道具はもちろん、古来の宮大工や刀匠の紹介もあると知り
訪問することを考えていた矢先に座骨神経痛になり断念。
今回、ようやく訪問がかない本当に嬉しい。

凄いですよね。
木じゃなくて薄い布みたい。

西岡常一さんの本に
子どもの頃、師匠のおじいさんに、鉋をすっとかけて「こうするんや」って、向こうが透けて見える鉋屑を渡された
とあります。
到達すべきゴール、目標を明確に示し過程を任せる。
幼少の頃から将来の棟梁として育てられたそうです。
身体で覚える。頭で考えるより先に感覚をつかめるように
ということを大切にしていたのかな?と思いました。

また、中国や欧州では
鉋は押してかけるものだということを今回初めて知りました。
館内にビデオもたくさんあったのですが、確かに押して鉋をかけてる!
木の質に合わせ、また日本では繊細な加工を追求するために引いて鉋をかけるようになったのではないか
という説明文がありました。

こちらが西岡常一さんの直筆の資料
背筋がぞくっとしました。

きっちりと丁寧に記載されています。

宮大工たるもの、神社仏閣のみ手がけ自身の家も他の大工に依頼したという
西岡棟梁の仕事に向き合う姿勢が私の身体の奥に響いてきました。

館内の展示物は、実際に触って確かめられるように工夫されていて
(上の写真は展示だけですけど)
あっと言う間に時間が過ぎていきます。
じっくり長時間見学できるようになったら絶対もう一度行く!
と心に決めました。

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