言語化への努力

かつて
♪言葉にできない♪
という歌もありましたが。。。
(歳がバレバレですね)

私たちの仕事は技術職だから
どうしても言葉にできない領域もある。
「感じ」「加減」という。。。感覚的に明確にわかっていても言葉にしづらいこと
そしてそれ以前に、自分自身明確にそうとは感受せずにわかっている「暗黙知」の領域と。

だからこそ
言語化への努力を続けることが必要なのだと感じています。

これは果てのない努力かも。ですが

必要に迫られて
言語化への努力を重ねていると
その時々で自分でそうとは認識せずにしていた部分を自覚させられる体験が起こる。

そうか!
ここを言わなくちゃいけなかったんだ!
と納得できる。

自分にとっての当たり前は
当たり前だからこそ自覚しにくい。
そしてその当たり前は
他者にとっては当たり前とは限らない。

その時々の必要に迫られて
できることをしていけば良いのだと
それで十分なのだということが今は分かる。

時期が来たら
また別の体験によって
目覚めさせられる。

今も10月の講演のスライドを作っていて
「そうだ!ここを言わなくちゃいけなかったんだ」
とはっきりわかったことがあって
ちょっとスッキリ。

暗黙の前提を明示すること

暗黙の前提を吟味すること

多分、臨床で実践的に行える研究的姿勢というのは
こういうところにあるのだろうと感じています。
論文化しようが、しまいが、
臨床家として必要な姿勢なのだと。

そのためには
自分が何をしようとしているのか
最低限、そこは言語化できないと。

そしてその言語化(概念)と
自らの実践と結果との間に乖離がないかどうか
確認しないと。

ブレークスルーは
努力の積み重ねの上に降りてくる。

努力が当初の意図の通りに報われずとも
努力が無駄になることなんて決してない。

今、もしも、苦しんでいる人がいるとしたら
この言葉を送りたい。

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研修会「認知症のある方に本当に役立つセラピストになるために」

お知らせいたします!

10月6日(土)に
まる一日かけて
「認知症のある方に本当に役立つセラピストになるために」
という研修会が開催されます。

作業療法士以外の方でも
興味のある方なら、どなたでも参加できる研修会です。

しかも!
参加費は無料です。

詳細は
こちらでご確認ください。

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「関与しながらの観察」によって

「援助」と「使役」は紙一重
だから気をつけよう。

ここまでは今まで言えてた。
でも「気をつけようね」では行動修正できない
ってことも別のところで言ってた。
(確か、戸締まりか何かの話でここにも書いたことがあると思う)

具体的な行動として明確化できないと
修正はできない。

「気をつける」気持ちはあっても
「どこを」「どう」行動するのか明確化できなければ
気をつけた結果としての行動に結びつかない。

「援助」と「使役」は、すり替えられがちで見た目にもわかりにくい。

例えば
食事介助は
「食べさせる」ことも
「食べることの援助をする」ことも
どちらにも転ぶ。
そして端から見ている、遠目から見ているだけでは区別がつきにくい。
でも、当の介助を受けている人にしてみたら
その違いは明確に感受される。
例え、介助する人が無自覚であったとしても。

どうしたら、すり替わることなく
「援助」し続けることが叶うのか。。。

ある人の言葉が助けになって、ようやく明確にわかった。

「関与する」から「援助」を模索することができる。
「関与しない」から「使役」になってしまう。

ハリー・スタック・サリヴァンの言った
「関与しながらの観察」

対人援助のスタートであり、ゴールでもあるんだろう。

今までこの言葉の真意をあんまりわかっていなかったかも。
ようやく切実にわかることができ始めたかも。

ものすごい実践を成した人の言葉は本質を突く。

シンプルだけど深い。

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課題がやってくる

依頼された仕事は基本断らないほうが良い。
そう考えていますし
相談された場合にも、そのように答えています。
体調不良とか家庭の事情があるとか、そういう場合は別として。
自分でいいのか悩んでいるような場合には。

初めて受ける内容の仕事だと
不安もあるし
想像もつかないし
大変だけど
やってきた仕事には、その時自分に必要な、そして達成できそうな
課題が含まれていたりすることが多いと感じています。

仕事が終わってから、あるいはひと段落してから
あぁ、この部分が自分には曖昧だったけど
この仕事を通して明確化できたな。って感じることが多い。

やり遂げるまで、悶々としたり
やらなきゃって思いつつも、捗らない時には自己嫌悪に陥ったりもするけど
それでも何とか踏ん張って頑張っているうちに
わかっていそうでわかっていなかったことが
自分の中で明確になってくる。

逆に言えば
それしかできない、やりようがない、とも言えますが。

必要なタイミングで必要な課題が現れる。
そんな風に感じています。

 

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食事介助実技あり@gene

いつでもどこでも言っていますが
私は食事にはすごくリキ入れて働いています。
関連して口腔ケアにも力を入れています。

たとえ、重度の認知症のある方でも
食べこぼしがなくなり
溜め込まなくなり
誤嚥性肺炎を再燃することなく
もう一度食べられるようになっていく。

認知症のある方への対応の工夫と全く同じことが違うカタチで起こっているだけ。
なんとかしようという能力が結果として不合理な現れ方をしているので
その能力をより合理的に発揮していただけるように援助すれば良いだけ。

援助と使役の勘違い。
手段と目的のすり替え。

残念ながら、よくあることです。。。
でも、逆に言えば、そこに気がついて自らを修正できれば
それだけ、たくさんの方の食べ方が良くなるし
介助者もラクに安全に早く食事介助ができるようになる。
何よりも、「能力」の凄さを双方ともに実感できるようになる。

9月2日(日)に(株)geneさん主催のセミナーが名古屋で開催されます。
https://www.gene-llc.jp/seminar_info/?id=1526977140-405260

詳細とお申し込みは上記サイトをご確認ください。

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認知症セミナー @(株)gene

7月21日(土)に
名古屋にある(株)geneさんの本社セミナールームにて
「認知症のある方への対応入門〜評価の進め方」
についてお話してきました。

運営を担当してくださったYさん
どうもありがとうございました。

猛暑の中、ご参加くださったみなさまも
どうもお疲れさまでした。

認知症のある方に
何をどうして良いか、わからない時には
「どうしたら良いのか?」について考えても答えは出ないのです。

どういう状態像なのか、何が起こっているのか
評価に立ち返れば良いのです。
評価が明確化できれば自分がすべきことは自明となります。
評価を明確化できない時には必要な情報がないから判断できないだけなので
情報収集に立ち戻れば良いのです。
その情報収集を障害と能力のプロとしての視点から
どのように行うのかという提案をいたしました。

8月4日(土)には
同じく名古屋で(株)geneさん主催で
「認知症のある方への対応の工夫」についてお話します。

詳細はこちらからご確認ください。
http://www.gene-llc.jp/seminar_info/?id=1518490124-908746

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久々の更新

大変大変、ご無沙汰しました。

毎日、暑い日が続きますが
みなさま、お元気でお過ごしでしょうか?

ちょっと体調を崩したり、仕事が立て込んでしまって
こちらの記事更新が滞ってしまいました。

楽しみにしてくださっていた方には本当に申し訳ありません。
これから折に触れて、また記事を書いていきますので
改めて、これからもどうぞよろしくお願い申し上げます m(_ _)m

さて、週末は仕事で福岡に行ってまいりました。
福岡市介護保険事業者協議会さんのお招きで
福岡市市民プラザで講演と個人演習とグループワークを行いました。
事務局の皆様、窓口を務めてくださったEさん
大変おせわになりました。どうもありがとうございました。
また、大変な時期に参加してくださった皆様、お疲れ様でした。

例のごとく、トンボ帰りではありますが
モツ鍋を食べ、博多ラーメンも食べ、ちょっとだけ福岡を満喫♡

今週末には(株)geneさん主催のセミナーで名古屋に行きます。
「認知症のある方への評価のすすめかた」
どんな風に情報収集し、評価を深めて行くのか
演習も含めてお話をします。
お申し込みがまだの方は、こちらからどうぞ ♪

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BPSD=名前≠実態

BPSDは私たちが名付けた「名前」であって「実態」ではありません。

本来なら「名前」をつけたところから
その「名前」も併せ持つAさんの困りごとに対して援助することが
私たちの仕事なんじゃないかと思います。

ところが
現実にはBPSDという名前がついたところから
名前だけが一人歩きしてしまって
どうしたら名前を減らせるか、なくせるか
という視点で対応されてしまう。。。

Aさんという一人の人の「存在」、Aさんという一人の人の「在りよう」が背景化してしまう。。。

「AさんがBPSDをすることもある」という見方ではなくて
「BPSDのAさん」という風に固有名詞化させてしまう。。。

Aさんが徘徊していない時だってあるのに
そこには注目されずに
徘徊していることだけがクローズアップされてしまう。。。

そういった現行の在りように違和感を抱いている人は決して少なくないと思います。

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