「あんた、誰だっけ?」
ネームプレートを見せながら
「よっしーです。」と言うと
「えー!いつから、よっしーちゃんになったのよ」
… 生まれた時からずっとよっしーです (^^;
10月 15 2012
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10月 12 2012
昨日の記事の続き。
そのココロは…のココロの巻です (^^)
遠くから指し示した椅子に座れる
…ということは
たくさんのモノの中から
椅子に注意を焦点化することができ
それを覚えていられて
なおかつ、椅子にたどり着いた時に
「座る」という動作を遂行することができる
…という能力があることを表しています。
目的地まで歩く+座る
という同時並行課題ができる
目的地を明確化できる
目的地を忘れずに覚えていられる
…ということです。
目的地の椅子のところまでお連れして
その場で「座る」こと「だけ」を 説明する。
そうすればできる方も大勢いらっしゃいます。
物理的距離の遠近によって
必要とされる能力も異なってくる。
ご本人の能力は必ず任意の環境下で発揮されるものなのですから、環境とペアで語られるべき性質のものです。
そこにこそ、私たちの介入・対応の工夫の余地がある。
ところが、現実には、この部分が あまりにも自覚されていないように感じられてなりません。
「対応の工夫」というモノが
いろいろなところでいろいろに囁かれていますが
結局のところ、『ご本人の能力』と 『対応の工夫』とは、一対のものであって切り離しては語れない。
まず、評価があって、初めて工夫を語ることができるのだと感じています。
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10月 11 2012
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10月 10 2012
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10月 09 2012
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10月 05 2012
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10月 03 2012
私たちが用いる「テストバッテリー」は
通常は「障害」を明らかにするために用いられている。
そして「障害」を軽減するためにリハを行っている。
でも、認知症のある方に対して
「障害」を明らかにするためにテストをしても
効果的な援助には結びつかない。
臨床で必要なのは、
「能力」を把握するための「評価」だから。
その過程において
「障害」を把握することで
「能力」が把握できることはあっても
認知症という病気は
その定義上、不可逆的な進行性の疾患だから
今、既にある「障害」を軽減するためのトレーニングは
できない。
大切なことは
今ある能力を発揮すること。
埋もれていて活用されていない能力を見いだすこと。
そのための「評価」ができるようになること。
「検査」ではなくて。
「認知症は難しい」という言葉をよく聞くけれど
難しいのは「認知症」じゃなくて
「検査」以外の「評価」が難しいんじゃないのかな?
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