Category: 本文

対象者に合った履き物を

対象者に合った履き物をすっごくオドロイタことがあります。

「靴なんて何履いたって同じ!」

イマドキ、こんなことを言うリハ職がいようとは…(^^;

ピンヒールの靴でスニーカーと同じには歩けないし
下駄でスニーカーと同じには歩けません。

道具が動作を規定することもあれば誘導することもある。
歩きやすい靴もあれば、歩きにくい靴もあります。

ましてや、認知症のあるお年寄りならなおのこと
脚がむくんでいたり
履くという操作が難しかったり
窮屈なバレーシューズを履いて、足にゴムがくいこみ、跡がついているのを見かけたことはありませんか?

お年寄りの足と暮らしぶりにあわせて
適切な履き物を選定していただきたいものです。
最近は、いろいろな種類の履き物が発売されています。

私がよく扱うのは
「あゆみ」シリーズ http://www.tokutake.co.jp/
「快歩主義」シリーズ http://www.asahi-shoes.co.jp/kaiho/

靴が大きくてパカパカしている時には
「靴ベルト」を作ります。
「靴ベルト」の詳細は、こちらをご参照ください。
「神奈川県作業療法士会>OTのすご技>オリジナル自助具>靴ベルト
 http://kana-ot.jp/wpm/blog/post/247

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高齢者の孤独と豊かさ

高齢者の孤独と豊かさ私が、実習にくる学生に事前課題として読むようにすすめている本です。
「高齢者の孤独と豊かさ」竹中星郎 NHKブックス

この本の素晴らしいところは
さまざまな老齢期を迎えた人をみつめる著者のまなざしの温かさと
とりまく現実を見据える公正さです。

古今東西の老齢を迎えた人の声や
臨床で出会った人の生き方を
鮮やかに温かく描き出します。

私たちが出会うお年寄りは
認知症をもった状態で出会いますが
その方は最初から認知症であったわけではない。

一人の人として生き抜き、老い、そして認知症を患った…

お年寄りへのサービスや政策が充実する一方で
「老い」そのものを「わからない」人たちが
現実に接していることの矛盾

認知症があろうとなかろうと
老齢期の人間として対応せざるを得ない課題と
サービス提供者側の無自覚な老いの否認

モノゴトが関係性の中で起こるならば
一方になんらかの変化がある時に
他方にも変化が起こらないわけがない

柔らかな語り口ですが
語られている内容は、とてつもなく深く
あちこちに鋭い警鐘がちりばめられています。

日々の現実からの要請で
何をしたらいいのか…という観点から資料を探すこともあると思いますが
結局のところ、モノを言うのは、私たち自身の在りようで
日々の現実に腹をくくって向き合うしかなく
そんな時に支えとなってくれる1冊だと思います。

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沼野一男先生の回答集

沼野一男先生の回答集県士会サイトのリニューアル前は、下部のほうに掲載されていたし
リニューアル後の今は、トップページ黒帯の「お知らせ」の中に掲載されているので、案外、知らない人も多いのではないかと思いますが
これはすごい資料です!

神奈川県作業療法士会>お知らせ>学術部:実習指導者養成講座(講師沼野先生)に寄せられた質問の回答集
http://kana-ot.jp/post/225

沼野先生は教育工学の第一人者です。
目標設定について、とても明確に簡潔に言語化されています。

目標設定ができれば
具体的な試行錯誤を積み重ねて修正していける

目標設定が1番重要
臨床経験を重ねるにつれ
そのことを痛切に感じています。

臨床の現場では
目標と目的と方法の混同が頻繁にみられています。
目標を目標として設定できない人も大勢います(^^;

リハビリテーションマネージメントは画期的な概念なのに
その具現化であるリハ実施計画書が現実的には活用されずに
単なる書類作成の手間としか受けとめられずにいることを
とても残念に感じています。

私たちの臨床においては、目標こそが羅針盤

もしも、迷いを感じるような時には
基本に戻ってこの資料をもう1度読んで
目標設定にチャレンジしてみるのはいかがでしょうか。

ちなみに
沼野一男先生のこちらの著書もオススメ
「情報化社会と教師の仕事」国土社

教師だからこそできることは何か
教師にしかできないことは何か
その切り口からも教育の本質を問うています。

圧巻は後半の「講義しない授業」「質問する授業」です。
詳細は是非ご一読を!

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約束したでしょう

銀杏リアルの世界でも、ネットの世界でも、よく遭遇する言葉です。

「そういうことはしないって約束したでしょう」
この言葉に遭遇するたびに、ヘーンなの!…って思っちゃいます。

だって、ケアやリハの場面で「約束」する時って
たいてい、通常の対応でどうにもならないから使われることが多いと思う。
つまり、どうしようもないから最後の印籠として登場する(^^;
だけど、どうしようもないものだから
結局、約束は破られ、対象者の方は二重に叱られる。

「待ってるって約束したでしょう」
「そういうことはしないって約束したでしょう」
「どうして約束したのに守らないの」

おいおい…(^^;
できもしないことをさせてるのはどっちなんだい?
しかも、対象者の尊厳を二重に損なってしまっているのに…

そもそも、約束って、自分で自分に誓うもの。
誰かにさせられるものじゃない。

「○○様」とか何とか言うより先に
対象者の方に対して約束なんかを持ち出さずにすむように
対応の工夫を私たちが考えるほうが先なんじゃないのかなー?
と思うのであります。

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対応を考える

ムクドリ認知症のある方への対応に苦慮した時ってどうしていますか?

多くの場合、「どうしたらいいのか」カンファなどの話し合いをすることになると思います。

でも、
どうする…という方法論が話し合われても
何が起こっていたのか…という「場」についての振り返りがなされることは、あんまり多くはありません。
ほとんどないかも…ですね(^^;

けれど、モノゴトは関係性の中で起こります。

どのような状況で
どのような言動に対して
どのようなことが起こったのか

私たちは、「観察」という名目で
認知症のある方のあれこれを言いますが
物理的にも心理的にも環境因子の1つである自分自身の言動に対して
案外無自覚でいることが多いように感じています。

たとえば、こんなケース。
  「車いすを押しますよ」と声をかけてから押したのに
   Gさんたらいきなり怒り出してまったく最近怒りっぽいんだから!
   Gさんの易怒性に対してどう対応したらいいかしら?

確かに声はかけたかもしれませんが
Gさんは認知症があります。
もしも、Gさんが「車いすを押される=自分が動く」という言葉を結びつけて予測することが能力的に困難な方だとしたら
その声かけは適切だったと言えるのでしょうか?
「問題」なのは、Gさんの易怒性ではなくて
Gさんの能力に合わせた声かけができなかった職員のほうが「問題」なのではないでしょうか?
もしも、職員が「Gさん、動きますよ」と声をかけていたら、もしかしたらGさんは怒り出さずに済んだかもしれません。

「現実」は、さまざまなコトをあぶり出します。

認知症のある方の能力も困難も特性も
それだけではなくて
援助しようとする側の能力も困難も特性も

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手引き歩行撲滅作戦

富士山なぜなんでしょう?
お年寄りの前から両手を引いて歩かせる職員がこんなにも多いのは…。

手引き歩行は
お年寄りにとっても職員にとっても、移動方向を視認することができずに危険です。
また、見た目歩いているように見えても、お年寄りの身体は前から引っ張られるために、作用に対する反作用で重心は後方へ変位しています。
外見的には歩いていても、歩くためのポイントである重心移動は後方へ移動している…お年寄りの脳の中では、「歩く体験=重心の後方移動」という回路が働いています。
また、心理的にも「歩く=誰かに先導される」という体験になってしまっています。

これでは、歩行介助するたびに、歩けなくなる要素の体験を積み重ねさせている…ということになってしまいます。

それなのに、ケアの現場でなぜこんなにも手引き歩行が横行しているのか…。
おそらく、実習や就職先で先輩たちが手引き歩行をしているのでしょう。
誰も言葉にしては、手引き歩行を奨励していなくても、みんながしているから、その意味を考えることもなく続けられているのだと思います。

手引き歩行は狭い場所で移動介助するには適した方法です。
ですが、そうでないなら、お年寄りの側方に立って腰と手を支えたほうがずっと理にかなっています。

お年寄りの状態にあわせて介助量を変更するのが容易ですし
前方と側方への重心移動を適切に介助できます。
心理的にも「共に歩む」体験です。
お年寄りも職員も移動方向を常に目で見て確認できます。

私はずいぶん前から手引き歩行撲滅作戦を発動しています。
この作戦に多くの方が参加され成功することを願っています^^

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飲みもののチカラ

飲みもののチカラ認知症のある方は、その場の雰囲気に影響されやすい面もあります。

特に、お風呂などの場面。
職員も複数、対象者も複数。
動作遂行の工程が複数で、次々に動作を切り替えていくことが要求されるADLです。

どうしても、ワサワサしやすい場面です。

その雰囲気に気圧されて
興奮しやすくなる方もおられます。

そんな時には冷たい飲みもの。

言葉では届かない時に
具体的に現実的に、その方のお身体に「冷たさ」が作用します。

もちろん、ただ単に、冷たいものを出せばいい。というわけではありません。

私たちの言葉と一緒に
冷たい飲みものを添えるんです。
言葉…気持ち…のあらわれ、としての冷たい飲みもの。

そうすると、スッと落ち着かれることも多いのです。

作業療法士として
モノの特性をよく理解し、活用できるように
モノやコトに明敏でありたいな…と思っています。

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手続き記憶の活用

手続き記憶の活用認知症のある方は、その疾患特性上、新たなことを覚えたくても覚えられない…という状態です。
作業療法士として、Act.や体操やレクの提供を考える時に留意しなければならないのはこのコトです。

私たちが「何かする」時には、ワーキングメモリが作動しています。
その能力が低下してしまうと、
言われたとおり何かする時には
「する」ということだけで、いっぱいいっぱいになってしまうのです。

何かしている時のおもしろさや心地よさを感じるところまでいかずに、
不全感や疲労感しか残らなかったりするのは、
果たして本当に良いことでしょうか?
たとえ、作業療法士の援助で表面的に何か「できた」としても。

それよりも、昔とった杵柄…手続き記憶を活用しましょう。

たとえば
体操の本をネタ元に作業療法士が考えた体操では、
なかなかお身体を動かすことのない方でも、
ラジオ体操第一の音楽をかけると、
いつの間にかお身体を動かしていたり、
手拍子をしている姿をよくみかけます。

お年寄りの生活歴を考慮し、
かつて慣れ親しんでいたであろう行為のエッセンスを
今のできる課題の中に見出し、アレンジして提供する
…これって、作業療法士ならではできること。ではないでしょうか。

具体的なアイディアは、このカテゴリーの記事でおいおい紹介していきます!

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