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介助で変わる!お年寄りの食事

イメージ_スプーンADL車いす全介助、食事も全介助、意思疎通困難で唸り声をあげるCさん。
ADL車いす全介助、食事も全介助、発語も発声も困難なDさん。

Cさんは、お食事の時に舌を前にぐーっと突き出して食塊をとりこみます。
Dさんは、下顎を前にスライドし受け口のようにして食塊をとりこみます。

このような方に口腔機能訓練なんてできようはずもありません。
けれど、この食べ方は仕方ないのか…といえば、そんなことは決してありません。

お2人とも、毎日の昼食時、おやつ時に食事介助をしただけで
3ヶ月後には、上唇をつかったとりこみができるようになりました。

この現実は、いったい何を示しているのでしょうか?

重度の認知症のある方も学習している!環境適応している!のです。

不適切な介助に適応しようとして、不適切な食べ方をしていた。
適切な介助に適応しようとして、適切な食べ方ができるようになった。

認知症のある方の食べ方は
その方の能力と障害と特性を反映しているだけではなくて
こちらのありようをも映し出している…。

ちょっと相当こわいことです。

と、同時に希望を強く感じた体験談。でした。

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言葉に頼りすぎない

イメージ_朝顔認知症のある方にトランスファーを促そうとしたある職員。
「右手で向こう側の肘かけをつかんでそれから腰を上げてゆっくり体を回転させてから椅子に座りましょう」
…認知症のある方はにこにこして座っているだけです。

この職員は、「わかりやすい説明=丁寧に言葉を使って説明すること」と考えたのだと思います。

ところが、認知症のある方は、言語理解力や言語表現力が低下してしまうことがよくあるのです。
ですので、懇切丁寧な言葉での説明は、かえって理解されにくいのです。
それでは、いったいどうしたらいいのか…というと
認知症のある方は、視覚的理解力はある程度保たれていることが多いので、そこを活用すればいいのです。

先の方の場合には
「Bさん、こっち」と言いながら、トランスファー先の椅子の座面を手でポンポンと叩き示したところ、すっと立ち上がって椅子に移ることができたのです。

認知症のある方に接する場合には
その方の言語理解力や言語表現力、視覚的理解力について
適切に把握しておくことが望まれます。
その方の障害を補い、能力を活用する…そのことを念頭において説明をすればいいのだと思います。

「説明してもわかってもらえない」
という声を聞くことも多々ありますが
言葉だけで説明しようとするから悪循環に陥ってしまうのではないでしょうか。

どのように伝えたら、相手が理解しやすいのか
どのように対応したら、相手が目的とする行為をともに行えるのか
…を考えることが大切。
そのためには、まず、認知症のある方の能力と障害をきちんと把握しておくことが必要だと考えています。

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困ったときほど要注意

イメージ_お堀認知症のある方が突然立ち上がろうとしたり、異食しようとしたり、暴力をふるいそうになっている場面に遭遇したら、まずは止めようとすると思います。

でも、その時の職員の言動を思い浮かべてみましょうか(^^;
たぶん、大多数の人が、大きな声で必死の形相でキツイ口調でドタドタと駆け寄るのではないでしょうか。

気持ちはわかりますが…
そんなことをしてしまうと、火に油を注いでしまうようなものなのです。

状況理解がちゃんとできる方なら、そもそもそんなことはしないのですから
そんなことをしてしまうということは、状況理解ができていない方であるということを意味しています。
それなのに、突然、職員がわーっと駆け寄ってきたりしたら、
認知症のある方にとっては、
わけもわからず駆け寄られた、怒鳴られた
…という認識しかもてないかもしれません。
たとえ、職員に悪気はなかったとしても、逆効果になってしまいます。

ましてや、視覚的被影響性の亢進している方などは、職員が意図せずに伝えてしまっている態度によって影響を受けて、ますます悪循環となってしまいます。

困ったときほど、急な対応を要するときほど、要注意。
まずは、自分自身のノンバーバルな在りように気をつけること。
おだやかな、やわらかな物腰で接することが
いつもより要求される場面だと考えています。

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認知症の作業療法?

イメージ_梅ときどき、見かけるこの言葉。

「認知症の作業療法」

うーん???
ヘンなの。

認知症のある方へ作業療法をすることはできるけど
認知症というコトへ対して作業療法なんてできないんだけど(^^;

そんなわけで私は
講演の依頼を受ける時に
こっそりパワーポイントのタイトルを変更することもあれば(^^;
依頼者にきちんとお話をして講演のタイトルそのものを変更していただくこともあります。

こういうことって、実は何でもないことのようでいて、とっても重要な問題だと感じています。
何気なく使っている言葉に概念の根本が投影されてしまう…。

私たちは、言葉を意識化することで概念に明敏になることができます。

それって、リハビリテーションの依って立つ根拠でもありますよね?

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認知の人、認知のある方

イメージ_猫

最近、よく耳にするこの言葉。

「認知の人、認知のある方」

うーん…???

認知症のある方のことを指して言っているのはわかりますが(^^;
ヘンな言葉です。
だって、日本語として考えれば、
いいじゃありませんか。
認知があって。

なのに
言ってる言葉と意味している言葉とで意味が真逆になるのに使われている(^^;

私は、時々、地域の公民館などで地元の方を対象として、
認知症予防や認知症のある方への対応について
お話をさせていただく機会があります。

以前、講演後に参加者の方に言われたことがあります。
「認知の人って言葉を聞きますが、あれってヘンな言葉ですよね」

適切に言葉を扱えないと
そのギョーカイの概念の扱い方まで疑われてしまいかねません。

「認知症の人、認知症のある方」
言葉は正しく扱いたいものです。

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ウソつくのはイヤ

認知症のある方への対応について、「相手の言うことを否定してはいけません」って言われたことのある人は多いのではないでしょうか。

「あんた、真夜中なのに玄関をドンドン叩いていたでしょう?」
「いったい何やってたの?」
もしも、こんな風に言われた時に、いったいどう答えたらいいのでしょうか?イメージ_猫

相手の言うことを否定してはいけないからといって
(ごめんなさいね。悪いことをして。)
と謝るほうがいいのでしょうか。
でも、私はそんなことしてないのに…。
してないことを謝るのって、自分にウソをつくことになってしまいます。
そんなのイヤ。
そんな風に感じたことのある人は決して少なくないと思います。

具体的な対応方法としては
疾患特性もありますので、一概には言えません。
同じ疾患だったとしても、その時その場のその関係性において、でしかわからないことが多々あります。
けれど、アルツハイマー型老年認知症のある方について、このような考え方で対応してみるのは1つの方法かもしれません。

(あら?私は真夜中はぐっすり眠っていたんだけど…
 でも、もしも玄関をドンドン叩く音が聞こえたとしたら
 恐かったでしょう?よく眠れなかったんじゃないですか?)

ここでポイントがあります。
私は眠っていた…という言葉を使ったとしても
私はそんなことしてない、玄関なんか叩いていないという言葉は使わないことです。

つまり、私自身の現実を伝える。
けれど、相手が言葉にしたことそのものを否定する言葉は使わない。
そして、相手が言葉にした事象そのものに対しては言い争わない。
そのかわり、相手が言葉にした事象に遭遇した場合に感じたかもしれない感情に対しては共感をあらわす。
ということです。

これなら、相手の言葉を否定せず、自分自身にウソをつくこともありません。

尊重と迎合とは違う。と思うのです。

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褒めてあげる?ともに喜ぶ!

認知症のある方への対応について、当たり前のように言われている言葉があります。
「褒めることが大事」「褒めてあげるといいよ」

イメージ_紫陽花でも、私はその言葉にずっと違和感を抱いていました。
ある日、その違和感の原因に思い至りました。
「褒めるって、目上の人が目下の人にむかってすることだ!」
たとえば、会社の社長がヒラの社員を褒めることはあっても、ヒラ社員が社長を褒める…なんてことはあり得ませんよね?

私が出会う認知症のある方は、たいてい私より年上です。
(これも年々、そうでなくなる可能性が高くなっているのですが…(^^; )

私が年上の方を褒めてあげる…なんて、すっごくヘン!
褒める…じゃなくて、ともに喜ぶ…じゃないのかなぁ?

「あなたができたことがあなたはうれしい。」
「あなたができたことが私もうれしい。」

これって、
「あなたができたことはえらいと思う。すごいね。」
とは、似て非なるもの。だと思います。

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普通のおばあちゃん?

 

イメージ_猫以前にこんな体験をしたことがあります。
Aさんという方が総合病院から転院してこられました。転院サマリーには「普通のおばあちゃんです」という記載がありました。
お会いしてみると、うーん…普通??? HDS-Rをとってみたら9/30点でした。

このテの話題には事欠きません(^^;
まだまだ、認知症=BPSD(認知症の精神行動症状)、認知症=ヘンなことを言ったりしたりする人、という誤解が根強くあるのだと感じています。

Aさんは、会話ができます。
できますが、言われたことに答える…という感じです。
(お食事ですよ。食堂へ行きましょう)
「はい。ありがとう。」
(お手洗いに行きましょうか?)
「はい。お願いします。」
その場の会話は成立します。生活に密着した事柄の言語理解もできます。
けれど、記憶の連続性は低下しているので
(さっきお手洗いいきましたよね?)
「あら?そうだったかしら?」
(お食事が済んだら歯磨きしましょうね)
と言われたのに、忘れてそのまま座っていたり…といったことがみられます。

病院や施設など職員が日課を動かしているようなところだと、Aさんのような方の認知症の中核症状が、職員に気づかれにくいのだと思います。
けれど、普通のおばあちゃんだからといって、普通に退院をすすめられて、はいはい…とご自宅に戻ったら、さぁ大変!ということになっては困ります。
少なくとも、専門家と呼ばれる私たちには、適切に状態を把握できることが求められているのではないでしょうか。

認知症という言葉そのものは、ずいぶんたくさんの方に知られるようになってきていると思います。ですが、認知症という状態の適切な理解については、まだまだ不十分なことも多いのでは?と感じています。

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