Tag: 状態把握

急激な症状の悪化は身体の不調を疑う

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80歳代、90歳代の方の
急激なBPSDの増悪は
まず、身体の不調を疑います。

脱水、貧血、電解質異常、肺炎、心不全、慢性硬膜下血腫…などなど
身体の不調って案外とても多いけれど
認知症がベースにあるとこれまた見逃されがちだったりします。

その場の会話ができる方でも
記憶の連続性が低下していて
独居だったり、高齢世帯だったりすると
実は身体的な不調なんだけど
BPSDのようなカタチで現れたりします。

服薬管理が適切に行えなくて
降圧剤を飲み過ぎていたり
薬の副作用によるせん妄だったり。
ほとんど水分をとっていなかったり
満足に食べていなかったり

でも、そのあたりって
なかなか援助する側には見えにくいことでもあります。

だからこそ
一層、もしかしたら…という視点を
忘れないようにすることも大切だと感じています。

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認知症は脳の病気→障害を把握

我慢のしどころ

巷に溢れている認知症のある方への対応の誤解は
根本的には、
「認知症という状態は脳のさまざまな病気によって引き起こされる」
ということがわかっていないことに由来するのだと思う。

もっと正確に言うと
抽象的なレベルでは、わかったつもりになってるけど
いざ、日々の具体的現実的な困難に直面すると
抽象的な理解がすっとんでしまって
かつてどこかで聞いたことのある方法論
たとえば、不安や不快の原因探索とか
好きなコト・モノを探すとか
楽しく、笑ってもらうとか
一気に表面だけをみて、
表面改善の対応を考える人が
圧倒的に多くなってしまうのです。

いわく
どうしたら、食べてくれるようになるか
好きな食べ物を出してみよう

これらは
障害と能力の把握
つまり、今、何が目の前の方に起きているのか
この人は、この状況をどう認識して、どう表現しているのか
をすっとばしてしまっている。
表面的にみて表面的に対応を考えてるだけ。

脳血管障害後遺症としての片麻痺のある方に
何の評価もせずに
いきなり、どうしたら歩けるようになるか
いきなり、どうしたら元の職場に復帰できるか
なんて考える人はいない。

仮に、それをやったら
効果がないどころか、逆効果になることだって起こりえる。

それとまったく同じコトを
違うカタチで実践している。
しかも、良かれと思って実践してしまっている。

さまざまな疾患を抱える方へのリハが進歩してきたように
認知症のある方へのリハやケアも進歩していくはず。
5年後、10年後の進歩を心から期待しています。
そして、どんなに小さくても
その一助にこのサイトがなれるようにガンバリマス。

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認知症疾患治療病棟のOTの役割 4

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私は今、認知症疾患治療病棟に勤務していますが
大切な役割の1つとして
身体的な障害を評価できる
ということを挙げておきたいと思います。

認知症=アルツハイマー型認知症
というわけではありません。

認知症という状態像を引き起こすさまざまな疾患があります。

臨床的に多いのは、アルツハイマー型認知症ですが
ときどき、ちょっと変わった変性疾患の方も入院されます。

レビー小体型認知症や前頭側頭型認知症のある方は
かなりの頻度で入院されます。

その他にも
大脳基質基底核変性症やALSを合併した認知症
特定不能な認知症のある方も入院されます。
そのような場合には
身体的な障害を起こしている場合がとても多いものです。

また、どんな疾患であれ、症状が進行すると
皮質の萎縮による脱抑制によって原始反射が起こる場合もあります。

このあたり
知識がないと身体的な障害というのは
実はかなり見落とされがちなんです。

そして、「認知症」という先入観によって
知識がないがために
「乱暴」「意欲低下」「心気的」「性的逸脱行為」などと
誤った判断を下されがちです。

民間の単科の精神科病院では
「身体的な障害」を評価できるのは
作業療法士だけ。だったりすると
身体的な障害を身体的な障害だと伝えることができるのも
作業療法士だけ。ということになります。

認知症治療病棟に勤務する作業療法士の
大きな役割の1つだと考えています。

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食事介助が変われば他の介助も変わる

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食事介助が適切に行える方は
他の介助も適切に行える方です。

食べることの援助ではなく
ただ食べさせているだけの方は
申し訳ないですが、他の場面でも
援助ではなく「〇〇させる」のではないでしょうか。
その方法論が
乱暴なのか、優しげなのかの違いがあったとしても。

どんなに優しげに接したって
「〇〇することの援助」と「〇〇させている」ことは
天と地ほどの違いになってしまいます。

優しい=良い関わり
というわけではないのです。

食事介助において
「食べることの援助」を明確に自覚した上で実践できる人は
使役ではなく援助というメタ認識のもとにメタ実践を
ただ食事という場面で実践しているに過ぎないので
場面が変わっても共通するメタ認識のもとでメタ実践を
できるようになります。

食事は
最後まで残る
認知症のある方が「行為」として表出できる場面です。

しかも
比較的工程の少ない、シンプルな、繰り返しの多い場面です。

他の排泄や更衣、入浴という複雑な場面よりも
介助者が何が起こっているのかわかりやすいのです。

つまり、食事介助において
援助ができない人に
他の場面において援助ができると言えるでしょうか。

暮らしの場面において
もっというと私たちの在りようにおいて
100%の完璧性というものは存在しません。

けれど、私たちの関わり方において
「援助」なのか、「使役」なのか、ということは
180度方向性が異なってきます。
時には「使役」するしかない場面だってあるでしょう。
でもその時には「使役」しているんだという自覚が必要です。

その場で使役をしているのに援助のつもりになっている
その場は使役で、力技で「問題を解決」できたからといっても
今はよくても、その後に悪影響を与えてしまうということは
たくさんあります。
感情の記憶は残っていくと言われている所以です。

食事介助が適切に行えるようになる
ということは、
介助全般が適切に行えるようになることの
入口なのです。

 

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効果がないどころか逆効果

ちょっと待った

たとえ
不適切なスプーン操作が為されていて
緩徐に食べ方が量的にも質的にも低下していっても
「食べ方が下手なのは認知症のある方本人のせい」
という誤解を「事実」と誤認識している人にとっては
現状に疑問が抱けるはずもありません。

不適切なスプーン操作によって
効果がないだけならまだしも
逆効果になっている
という事実を1人でも多くの人に認識してもらいたいと
考えています。

じゃあ、どうしたらよいのか
認知症のある方の食べることに関する困難は
「食べる」ことに関する知識と
「認知症」の病気と障害に関する知識の両方が必要です。

私の話を聞きにきてくださる方の中には
摂食嚥下の認定をもっている看護師さん
認知症の認定をもっている看護師さんもいらっしゃいますが
「眼からウロコだった」「勉強になった」と
おっしゃっていただいているのも
そのあたりに理由があるかと思っています。

今、何が起こっているのか
がわかれば
これから、どうしたら良いのか
がわかります。

けれど、現状では
私たち自身の誤った思い込みと
不十分な知識のもとに
何が起こっているのかの把握が不十分なままに
〇〇してみよう、△△してみたら?
といったことが試されているだけです。
そして、そのような効果的でない試行錯誤によって
認知症のある方にとって逆効果にしかなっていない
しかも、そのことにすら気がつけていない
という現実があるのです。

このような現状に
何となく漠然と何かがおかしい
と感じていらっしゃる方はきっとたくさんいると思います。
ただ、何がどうおかしいのか
明確にはわからないから苦しい

そんな現実は
認知症のある方にとっても
対人援助職にとっても哀しいことです。

そしてそのような現実は変えることができます。

(株)geneさん主催のセミナー
「ナースのための認知症のある方への対応の工夫と考え方」
http://www.gene-llc.jp/seminar_info02/?id=1461049509-041720
対象は、看護師・介護職・歯科衛生士・その他となっていますが
参加資格は特に設けていませんので、geneさんに問い合わせてみてください。

さらに食事に特化した
「認知症のある方の食べることへの対応」
http://www.gene-llc.jp/seminar_info/?id=1460074517-340536
というセミナーもあります。

是非、ご検討ください。

 

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介助とは無関係という誤解

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認知症のある方が
口を開けてくれない
なかなか飲み込んでもらえない
等という食べることに関する「問題」が生じた時に
「私たち職員の介助がまずいんじゃないのかしら?」と
考える人は少数派です。

なぜ、そう考えないのかというと
そのくらい「当たり前に」
認知症のある方が食べない、食べようとしない、食べられないのは
「認知症のある方本人のせい」と強く深く思い込まされているからです。

だからこそ
私たちのスプーン操作や
認知症のある方に
結果として
視覚的刺激や聴覚的刺激として入力されている
私たち自身の表情、声、会話内容などといったものに
無自覚でいられるのです。
「ムセの有無」という聴覚情報にのみ
注意を払った食事介助しか為されていないという現状があります。

本当は、今すぐに、研修にも行かずに、高額な機器の導入もなく
すぐに改善できるはずのことが
私たちの意識1つで改善できるはずのことが為されていない

つまり、そのくらい、食事介助に関して
認知症のある方にとっての「物理的・心理的環境」としての
介助のあり方が切り離されてしまっているのです。

どう食べさせようが
認知症のある方の食べ方とは無関係

このような誤解が非常に深く強く残っているのです。

 

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食べさせてしまう現実

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認知症のある方が
口を開けて食べてくれない
口の中に溜め込んでしまって食べられない
食べようとしてくれない
というケースは、案外多いものです。

こういう時に
たいていの人は、まず、なんとかして食べさせようとします。
優しく
いろいろ声をかけながら
全介助して

こういった言動の本質にあるものは
「認知症のある方には、親切に接すれば介助者に従ってくれる」
という考えなのではないでしょうか?

もちろん、食べていただかないと
栄養不良になったり、脱水になったりといったおそれがありますから
なんとかして食べていただきたい。という気持ちはわかります。

でも、それっていったい誰の気持ちでしょう?

認知症のある方が食べない、食べにくい、食べられない
といった時には、必ず食べないなりの必然があります。
(ここで大切なポイントは理由や原因ではなくて必然なのです)

認知症のある方の現状には
必ず能力も困難も現れていますが
何が現れているのだろう?ということを
観察する、確認する人には
残念ながら遭遇したことがありません。

まず
「どうしたら口を開けてくれるのだろう?」
「どうしたら食べてくれるのだろう?」と
食べるという状態をあるべき状態、望ましい状態と規定して
そこから差し引きマイナスで現状をみて
現状を改善するためのてだてを考えようとします。

だから、うまくいかない。
食べられるようにならない。のです。

 

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心底嬉しい

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いったん、ムセっぽくなったり
口の中に溜め込みがちになって
うまく食べられなくなったりした方が
もう一度スムーズに食べられるようになる過程を
恊働して体験できるのは
心底嬉しい

誤嚥性肺炎にならなくてよかった
ラクに食べられるようになってよかった
埋もれていた能力を発揮できるようになってよかった

こんなにも能力がある
ということが伝わってきて
本当に嬉しい

介助が変われば
認知症のある方の食べ方が変わる

機能は変わらずとも
はたらきは変わる

この現実を
たくさんの方に知っていただきたいと思っています。

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