Tag: 状態把握
たとえ
不適切なスプーン操作が為されていて
緩徐に食べ方が量的にも質的にも低下していっても
「食べ方が下手なのは認知症のある方本人のせい」
という誤解を「事実」と誤認識している人にとっては
現状に疑問が抱けるはずもありません。
不適切なスプーン操作によって
効果がないだけならまだしも
逆効果になっている
という事実を1人でも多くの人に認識してもらいたいと
考えています。
じゃあ、どうしたらよいのか
認知症のある方の食べることに関する困難は
「食べる」ことに関する知識と
「認知症」の病気と障害に関する知識の両方が必要です。
私の話を聞きにきてくださる方の中には
摂食嚥下の認定をもっている看護師さん
認知症の認定をもっている看護師さんもいらっしゃいますが
「眼からウロコだった」「勉強になった」と
おっしゃっていただいているのも
そのあたりに理由があるかと思っています。
今、何が起こっているのか
がわかれば
これから、どうしたら良いのか
がわかります。
けれど、現状では
私たち自身の誤った思い込みと
不十分な知識のもとに
何が起こっているのかの把握が不十分なままに
〇〇してみよう、△△してみたら?
といったことが試されているだけです。
そして、そのような効果的でない試行錯誤によって
認知症のある方にとって逆効果にしかなっていない
しかも、そのことにすら気がつけていない
という現実があるのです。
このような現状に
何となく漠然と何かがおかしい
と感じていらっしゃる方はきっとたくさんいると思います。
ただ、何がどうおかしいのか
明確にはわからないから苦しい
そんな現実は
認知症のある方にとっても
対人援助職にとっても哀しいことです。
そしてそのような現実は変えることができます。
(株)geneさん主催のセミナー
「ナースのための認知症のある方への対応の工夫と考え方」
http://www.gene-llc.jp/seminar_info02/?id=1461049509-041720
対象は、看護師・介護職・歯科衛生士・その他となっていますが
参加資格は特に設けていませんので、geneさんに問い合わせてみてください。
さらに食事に特化した
「認知症のある方の食べることへの対応」
http://www.gene-llc.jp/seminar_info/?id=1460074517-340536
というセミナーもあります。
是非、ご検討ください。
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認知症のある方が
口を開けてくれない
なかなか飲み込んでもらえない
等という食べることに関する「問題」が生じた時に
「私たち職員の介助がまずいんじゃないのかしら?」と
考える人は少数派です。
なぜ、そう考えないのかというと
そのくらい「当たり前に」
認知症のある方が食べない、食べようとしない、食べられないのは
「認知症のある方本人のせい」と強く深く思い込まされているからです。
だからこそ
私たちのスプーン操作や
認知症のある方に
結果として
視覚的刺激や聴覚的刺激として入力されている
私たち自身の表情、声、会話内容などといったものに
無自覚でいられるのです。
「ムセの有無」という聴覚情報にのみ
注意を払った食事介助しか為されていないという現状があります。
本当は、今すぐに、研修にも行かずに、高額な機器の導入もなく
すぐに改善できるはずのことが
私たちの意識1つで改善できるはずのことが為されていない
つまり、そのくらい、食事介助に関して
認知症のある方にとっての「物理的・心理的環境」としての
介助のあり方が切り離されてしまっているのです。
どう食べさせようが
認知症のある方の食べ方とは無関係
このような誤解が非常に深く強く残っているのです。
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認知症のある方が
口を開けて食べてくれない
口の中に溜め込んでしまって食べられない
食べようとしてくれない
というケースは、案外多いものです。
こういう時に
たいていの人は、まず、なんとかして食べさせようとします。
優しく
いろいろ声をかけながら
全介助して
こういった言動の本質にあるものは
「認知症のある方には、親切に接すれば介助者に従ってくれる」
という考えなのではないでしょうか?
もちろん、食べていただかないと
栄養不良になったり、脱水になったりといったおそれがありますから
なんとかして食べていただきたい。という気持ちはわかります。
でも、それっていったい誰の気持ちでしょう?
認知症のある方が食べない、食べにくい、食べられない
といった時には、必ず食べないなりの必然があります。
(ここで大切なポイントは理由や原因ではなくて必然なのです)
認知症のある方の現状には
必ず能力も困難も現れていますが
何が現れているのだろう?ということを
観察する、確認する人には
残念ながら遭遇したことがありません。
まず
「どうしたら口を開けてくれるのだろう?」
「どうしたら食べてくれるのだろう?」と
食べるという状態をあるべき状態、望ましい状態と規定して
そこから差し引きマイナスで現状をみて
現状を改善するためのてだてを考えようとします。
だから、うまくいかない。
食べられるようにならない。のです。
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いったん、ムセっぽくなったり
口の中に溜め込みがちになって
うまく食べられなくなったりした方が
もう一度スムーズに食べられるようになる過程を
恊働して体験できるのは
心底嬉しい
誤嚥性肺炎にならなくてよかった
ラクに食べられるようになってよかった
埋もれていた能力を発揮できるようになってよかった
こんなにも能力がある
ということが伝わってきて
本当に嬉しい
介助が変われば
認知症のある方の食べ方が変わる
機能は変わらずとも
はたらきは変わる
この現実を
たくさんの方に知っていただきたいと思っています。
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久しぶりに
Twitterですごくinspireされるツイートに出会って触発されて
この記事を書き出しました (^^;
出会うタイミングも良かったんだと思う。
というのも、ここのところ仕事が立て込んでいて
あんまり物理的にも心理的にも余裕のない日々を送っていて
でも今日、久しぶりに
ほかっとした時間を過ごしていたところだったんです。
自分で言うのもおこがましいことですが
案外、私って事務処理能力があるかも。って思うことがあります。
現実を良い方向へ変える具体的な処理方法を考えて
それが功を奏したり。
(書いてて思うけど自分で言うことじゃないですね)
だけど
本当は、
今何が起こっているかわかる
だから
どうしたらいいかわかる
そして
タイトルをつけることができる
ということなんだと思う。
つまり
私にもしも事務処理能力がそれなりにあるとしたら
それは実は作業療法士として培ってきた能力そのもの
なんだということです。
タイトルをつけることができる
というのは、要約と抽象化という作業だから
事象や体験の概念化ということで
作業療法士としての仕事の延長上はモチロンですが
地道に個人的なブログを書いてきたり、
「よっしーワールド」「よっしーずボイス」を書いてきたことも
ムダなんかじゃなかったかも。。。と思うと
ちょっと嬉しい (^^)
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具体的な方法論の提供の仕方で迷った時とか
具体的な方法論を考え出した時に
一度考え方に立ち戻って相互矛盾しないか検証しています。
私は
認知症のある方は常に能力を発揮しながらモノゴトに対応している。
能力があるから結果として不合理な言動にもなる。
と確信しているものですが
目の前にいる方の状態の把握をふまえて
こんな風にしてみようかな?と考えた時に
能力を活かしている援助なのか
使役になっていないか
見た目に惑わされて能力を否定していないか
いったん自分の中で考えてから
具体的な方法で対応してみます。
望ましい言動がみられた後に
もう一度何が起こっていたのか
言葉にする作業を自分の中で行います。
その言葉通りに
もう一度行ってみて
矛盾や迷いや疑問が出てこなければ
善しとします。
認知症のある方への対応について
あまりにも表面的にどうする、こうする
ということが取り上げられがちのように感じられますが
大切なのは、認知症のある方への視点・基本的な考え方で
それは空理空論なんかではなくて
唱えるだけのお題目でもなくて
本当に、日々のその場その場の具体的な関わりを
支えるために大切なんだと実感しています。
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知識があるから観察ができる。
観察できるから起こっていることの意味がわかる。
ここをすっとばして
自分の引き出しの中から試しにAという方法が合うかどうかやってみる
ということも現場では少なくないようです。
でも
ここで本当によくよく考えないといけないのは
やってみて効果がないならまだしも
やってみたことによって逆効果になる場合もある
ということ。
そのへんにある薬を手当たり次第に飲んでみる
そんなことをする人はいないと思う。
効果がないだけじゃ済まなくて大変なことになるかも
ってわかってるから。
使い方、用い方って怖い。
本当に効果のある、有効なものほど
副作用とか逆効果って強くでるもの。
認知症のある方への対応の工夫や
なかなか食べてくれない方への工夫だって
まったく同じだと思うんだけど。
でも、なぜか
良かれと思って為されることの害悪について
あんまり検討されていないのかなぁ?
と感じたりします。
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熊本地方の地震活動が一日も早く収束し
被災された方々の困りごとが一刻も早く改善されることを
お祈りしています。
このたび
(私にとっては、まだこのたびという言葉の方が実感があります)
座骨神経痛を患い、おかげさまでとても良くなっているのですが
患者という立場になって感じたことや考えたことは
いろいろとありました。
常日頃、使役と援助は紙一重ということを考えさせられている
立場からもいろいろと感じたり考えてもきました。
私が痛切に感じたことは
自分の身体に起こっていることが
自分に一番わからないということです。
痛みや動けない
ということは当然私が一番わかっていますが
その意味とか今身体に何が起こっているのかが
わからない。
良くなっていく時には
右肩上がり一直線に良くなっていくわけじゃない
ということは、仕事柄わかっていたはずですが
それでも焦ったり不安になったり。。。
自分自身への希望を自分1人で持ちこたえるのは
正直かなり難しかったです。。。
いろいろな方に支えられて
希望を持ち続けることができたのだと感じています。
本当に感謝しています。
自分を信じられなくなるということがどういうことなのか
その一端を感じることができたということを
幾分かでも自分の仕事にも還元できればと思っています。
おこがましいかもしれませんが。。。
私の場合には
私の可能性を信じてくれる人がいたということが
私自身が希望を持ちこたえることの大きな支えとなりました。
可能性は
対象者の状態だけで決まるものではない
ということもはっきりとわかりました。
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