Tag: 状態把握
久しぶりに
Twitterですごくinspireされるツイートに出会って触発されて
この記事を書き出しました (^^;
出会うタイミングも良かったんだと思う。
というのも、ここのところ仕事が立て込んでいて
あんまり物理的にも心理的にも余裕のない日々を送っていて
でも今日、久しぶりに
ほかっとした時間を過ごしていたところだったんです。
自分で言うのもおこがましいことですが
案外、私って事務処理能力があるかも。って思うことがあります。
現実を良い方向へ変える具体的な処理方法を考えて
それが功を奏したり。
(書いてて思うけど自分で言うことじゃないですね)
だけど
本当は、
今何が起こっているかわかる
だから
どうしたらいいかわかる
そして
タイトルをつけることができる
ということなんだと思う。
つまり
私にもしも事務処理能力がそれなりにあるとしたら
それは実は作業療法士として培ってきた能力そのもの
なんだということです。
タイトルをつけることができる
というのは、要約と抽象化という作業だから
事象や体験の概念化ということで
作業療法士としての仕事の延長上はモチロンですが
地道に個人的なブログを書いてきたり、
「よっしーワールド」「よっしーずボイス」を書いてきたことも
ムダなんかじゃなかったかも。。。と思うと
ちょっと嬉しい (^^)
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具体的な方法論の提供の仕方で迷った時とか
具体的な方法論を考え出した時に
一度考え方に立ち戻って相互矛盾しないか検証しています。
私は
認知症のある方は常に能力を発揮しながらモノゴトに対応している。
能力があるから結果として不合理な言動にもなる。
と確信しているものですが
目の前にいる方の状態の把握をふまえて
こんな風にしてみようかな?と考えた時に
能力を活かしている援助なのか
使役になっていないか
見た目に惑わされて能力を否定していないか
いったん自分の中で考えてから
具体的な方法で対応してみます。
望ましい言動がみられた後に
もう一度何が起こっていたのか
言葉にする作業を自分の中で行います。
その言葉通りに
もう一度行ってみて
矛盾や迷いや疑問が出てこなければ
善しとします。
認知症のある方への対応について
あまりにも表面的にどうする、こうする
ということが取り上げられがちのように感じられますが
大切なのは、認知症のある方への視点・基本的な考え方で
それは空理空論なんかではなくて
唱えるだけのお題目でもなくて
本当に、日々のその場その場の具体的な関わりを
支えるために大切なんだと実感しています。
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知識があるから観察ができる。
観察できるから起こっていることの意味がわかる。
ここをすっとばして
自分の引き出しの中から試しにAという方法が合うかどうかやってみる
ということも現場では少なくないようです。
でも
ここで本当によくよく考えないといけないのは
やってみて効果がないならまだしも
やってみたことによって逆効果になる場合もある
ということ。
そのへんにある薬を手当たり次第に飲んでみる
そんなことをする人はいないと思う。
効果がないだけじゃ済まなくて大変なことになるかも
ってわかってるから。
使い方、用い方って怖い。
本当に効果のある、有効なものほど
副作用とか逆効果って強くでるもの。
認知症のある方への対応の工夫や
なかなか食べてくれない方への工夫だって
まったく同じだと思うんだけど。
でも、なぜか
良かれと思って為されることの害悪について
あんまり検討されていないのかなぁ?
と感じたりします。
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熊本地方の地震活動が一日も早く収束し
被災された方々の困りごとが一刻も早く改善されることを
お祈りしています。
このたび
(私にとっては、まだこのたびという言葉の方が実感があります)
座骨神経痛を患い、おかげさまでとても良くなっているのですが
患者という立場になって感じたことや考えたことは
いろいろとありました。
常日頃、使役と援助は紙一重ということを考えさせられている
立場からもいろいろと感じたり考えてもきました。
私が痛切に感じたことは
自分の身体に起こっていることが
自分に一番わからないということです。
痛みや動けない
ということは当然私が一番わかっていますが
その意味とか今身体に何が起こっているのかが
わからない。
良くなっていく時には
右肩上がり一直線に良くなっていくわけじゃない
ということは、仕事柄わかっていたはずですが
それでも焦ったり不安になったり。。。
自分自身への希望を自分1人で持ちこたえるのは
正直かなり難しかったです。。。
いろいろな方に支えられて
希望を持ち続けることができたのだと感じています。
本当に感謝しています。
自分を信じられなくなるということがどういうことなのか
その一端を感じることができたということを
幾分かでも自分の仕事にも還元できればと思っています。
おこがましいかもしれませんが。。。
私の場合には
私の可能性を信じてくれる人がいたということが
私自身が希望を持ちこたえることの大きな支えとなりました。
可能性は
対象者の状態だけで決まるものではない
ということもはっきりとわかりました。
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「日本には物事を抽象化してしまうマジックワードがあって」
その通りだと思う。
とても興味深く読みました。
「決まらないシュートは打たない」、同志社大が示した思考のアップセット
http://bylines.news.yahoo.co.jp/ichiroozawa/20160412-00056525/
そうか、OBの中西哲生が関わっていたんだ。
耳に優しい、インパクトのあるマジックワードの持つ力は強くて
聞く人を思考停止に陥らせてしまう。
たとえば
「認知症のある方に寄り添ったケア」
「認知症のある方の思いを大切にする」
言葉としては本当に大切な概念だと思う。
でも
この概念とふだんの実践をどうやって照合して改善していくのか
突き詰めて議論、検討されていると言えるだろうか?
という疑問を抱いています。
どういうことが
寄り添ったケアで
どういうことは
寄り添ってないケアなのか
寄り添ってないケアは簡単に言えるかもしれないけれど
寄り添ったケア…って何なのか
迎合とは、どう違うのか
気持ちはわかるけど
他者との関係性において容認できない言動に遭遇した時に
どうするのが寄り添ったケアなのか
その他にも
援助と使役は紙一重ということを
もうさんざん考えさせられてきた私としては
マジックワードは安易には使えない言葉になっています。
マジックワードを唱えていても
現実を改善することはできない。
中西哲生と同志社大が試みていることは
現実を改善するための具体的な手だてであり
その手だてを支える理論と現実化するためのトレーニングを
徹底して実践しているのだと思った。
その挑戦が問いかけているのは
サッカーの世界だけに限ったことではないと思った。
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NHKのHPでみかけたこの記事。
TVのニュースでもみました。
「認知症が影響 エアコン操作間違え熱中症に」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150921/k10010243811000.html
記事には
認知症のある方ご本人の言葉として
「リモコンの操作はよく分からない。
教えてもらってもボタンをあちこち押してしまう」
とあります。
また、ご家族の工夫として
エアコンのボタンに色をつけたり、
イラストで詳しく使い方を書いてあるノートも放映されました。
この「説明」「援助」は
認知症のある方には難しいなぁ。
私だったら
違うアドバイスをするのに。
と思いました。
ボタンがいっぱいあってわからないから
あちこち押してしまうように
文章がいっぱい書かれていると
何が書かれているのか文字は読めてもわからない
丁寧に書かれているほど、わからないんじゃないかしら。
たくさんの実物のボタンとノートの説明と
対照しながら理解するのは難しいんじゃないかしら。
でも、リモコンを操作しようとしてボタンを押すことはできる。
ただ、どのボタンが何を意味するのかわからない。
だとしたら
電源の「ON・OFF」のボタンだけ見えるように
硬い不透明の素材でカバーを作ります。
カバーを無理矢理はずしてしまうようだと
使えないテになってしまいますし
温度調整やタイマー設定など
それでも「見守り」は必要ですが。
ただ見守りが必要…ではなくて
どこの見守りが必要で、どこは見守らなくて大丈夫
という「その人にとってのポイント」があるから
そこを伝えられる人がいないと
見守る人は大変だと思うし
ご本人だって辛いと思う。
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歌い方にも人柄があらわれる。
同じ「星影のワルツ」でも
人によって、熱唱する方もいるし
人によって、そっとささやくように歌う方もいる。
すっごく繊細なんだ。
だからこそ怒ることも多いんだ。
そういうことの一面がわかったりもする。
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「いつも悪いね」
「前にもあったわよね」
認知症のある方に接していると
時々、こんな風に言われることがあります。
いずれも、通常は2-3分前のことは忘れてしまう方です。
『いつも』
『前にも』
体験を通して
思い出せることもある
この方たちは
言葉にして伝えてくださったけれど
きっと言葉にはしない方やできない方
でも、同じようなことを感じてはいる方が
他にもいるのだろうと思いました。
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