Tag: 状態把握
前の記事「こそあど言葉とAct.説明」を読んでくださった方の中には
「あ!」と気づかれた方もいると思います。
ADL介助の場面でも同じコトが違うカタチで現れている
そうなんです。
Activity提供、何か「する」コトに関して
言語理解と構成障害の有無とその程度が関与しているならば
ADL場面にだって関与しないはずがありません。
認知症=記憶障害。だけではないのです。
認知症=快・不快しかわからない。わけではないのです。
たとえば
洋服の着脱が困難になってしまった方に介助する時に
どんな声かけが適切なのか
具体的に検討されているのでしょうか?
認知症
=わからない
=仕方ない
=早く着替えが終わるように
=優しく、怒らせないように
というような方法論しか検討されてこなかったのではないでしょうか。
案外、「こそあど言葉」を意図せずに無自覚のうちに
多用している私たちのせいで
認知症のある方が余分に混乱している可能性はないでしょうか。
だとしたら
「こそあど言葉」「名詞」「動詞」を意図的に自覚的に選択的に
私たちが扱えるようになったとしたら
認知症のある方の状況が変わる可能性があるのではないでしょうか。
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Act.の説明をする時に
「こうして、次にこうやって」
「それをこっちにもってきて」
かつて、私もそのような説明をしていました (^^;
いわゆる、「こそあど言葉」
認知症のある方の
言語理解力と構成能力が保たれていると
「こそあど言葉」を使った説明をしても理解してもらえますが
言語理解力や構成能力が低下してくると
「こそあど言葉」を使った説明では
認知症のある方がAct.を遂行することは余計に難しくなります。
私たちが無自覚に使っている、「こそあど言葉」を
自覚的に、明確に、名詞と動詞で表現するように心がけると
動作的介助なしに声かけだけでできる部分がグンと増えたりします。
裏を返せば
作業療法士が「こそあど言葉」を使わないで説明できる。ということは
工程を明確に理解できている。ということを示してもいるのです。
また、逆に
ある種の認知症(たとえば、意味性認知症)のある方の場合には
意図的に「こそあど言葉」を使うこともあります。
物品名詞は「これ」「あれ」「それ」
そして動詞を明確に端的に使う。
つまり
作業療法士が意図的に選択的に言葉を扱えるということは
認知症のある方の障害と能力を把握していて
目の前に起こっている事象の意味がわかる
ということなんです。
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あんまり言語化されていないと思いますが
認知症のある方にActivityを提供する時に
工程を説明します。
実はその時にポイントがあります。
それは
視覚的な情報を中心にするのか
聴覚的な情報を中心にするのか
運動的な情報を中心にするのか
説明の力点をどの情報を主体として提供するのか
ということです。
どの感覚が理解しやすいのか
こちらが把握できていれば
Act.の場面でその都度説明したり声かけをしたりお手伝いをしたり
という必要がほとんど少なくなって
認知症のある方自身で援助を受けることがほとんどない状態で
Act.に取り組むことができるようになります。
えてして
Act.の場面において
対人援助職たる私たちは
「援助を受けながらでも〇〇できる」ことを善しとしがちですが
認知症のある方にとって
〇〇という作業をしながら、もう一方で他者の説明を聞いて理解して行動修正する
というような同時並行課題は負担の大きいものです。
他職種の人たちに
「これならカンタンだからできるんじゃない?」と言われることもよくありますが
認知症のある方の近時記憶障害、構成障害、遂行機能障害などの有無と
その程度を把握していると、とてもそんな風には思えません。
必死になって一生懸命やろうと向き合っているのがよく伝わってきます。
たとえ
援助を受けながらでも、何か作り上げることができたとしても
それってどうなんだろう?
作っている最中の手応え、充実感、そんな感情を味わうことができたのだろうか?
私の脳が認知症のある方の手を動かさせているような状態は、私は絶対イヤです。
認知症のある方の脳と、認知症のある方の手と、対象たるAct.とが
たとえ、どんなに小さくてもしっかりと1つのループを作っているような場
そういう場を作り上げるためには、説明ってとても大切。
どの感覚を主体として説明するのか
それは、その人がどの感覚を理解しやすいのか
その評価を根拠に判断しています。
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今よりも良くなることを望むなら
今困らないようにという視点で対応していても良くはならない。
それは対応が後手に回っている。
先手をうって
1手間かければ
今よりも良くなる
良くなれば
1手間じゃなくて0.5手間くらいですむようになる
1手間かかるんだから
その手は有効な方がいいよね。
無効な1手間だと、消耗してしまうだけだもの。
その手が読めるかどうか。
本当に問われているのは
手間じゃなくて、その手なんだよね。
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POST 理学療法士作業療法士言語聴覚士のためのリハビリ情報サイトさんに
昨日、私の記事が掲載されました。
「認知症の方のリハビリ室への誘導のしかた」
「作業療法ジャーナル」vol.51No2にも一部掲載されている内容です。
リハ室に来てしまえば
ニコニコして楽しそうに過ごされるけど
誘導の時に拒否するという認知症のある方は少なくありません。
それは誘導の仕方が「態度として悪い」のではなくて
適切ではない。だけなのです。
リハ室に行ってしまえば楽しまれるんだから
誘導が多少強引だっていいんじゃない?とは思いませんよね。
デイサービスなどにも
行ってしまえば楽しく過ごされるのに
行くまでが大変、お迎えが大変。というケースは案外多いと思います。
そういう場合にも応用できるかもしれません。
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実は私も伝聞表現を時々使っています。
「家にはちゃんと帰るんだけど、今日じゃないんですって。
今日はここに泊まっていくんですって」
帰りたいという方に対してそんな風に言うこともあります。
よくよく考えると本来はそういう言い方しかできないですし。
でも往々にして
認知症のある方が帰りたいと言うと
なんとか気をそらしてそんな言葉を言わないように(忘れてもらえるように)
あの手この手を繰り出したり
「ここに泊まるの」と、入院だったら医師しか判断できないはずのことを
他の職種なのに言ってしまったり
そういうことってよくあると思います。
「ここに泊まるの」という言い方をした人が
ここにいることを決定したように認知症のある方が感じるのは
当たり前のことだと思う。
『そんなこと言わないで帰してください』
と認知症のある方が言うのは正当だと思う。
だってあなたが決定したんでしょ?と内心思うもの。
けれど多くの場合に
職員はお茶を濁すような言い方をしているのではないでしょうか?
あるいは説明したのに理解してもらえない。と判断したりとか?
そう言う職員に悪気はないけれど
認知症のある方にしたら
ここにいることを決めたこの人にお願いしてもダメなんだ
という風にしか受けとめてもらえないと思う。
でも、最初から伝聞表現を使っていれば
私が決定したことではないのだということを言外に伝えることができます。
誤解が多いのは
確かに認知症のある方の言葉を聞いて理解するはたらきが低下することはよくあるけれど
(そしてそのことをこちらでも繰返し書いていますが)
言葉のニュアンスや意図や意味をすべて理解できなくなるわけではありません。
認知症という状態像を引き起こす疾患によりけり
障害によりけり
元々の言葉の扱い方に関する特性によりけり
なんです。
伝聞表現を意図的に用いることによって
認知症のある方の会話し続けようとする意思をくじかずに
お話を聴くことが可能となってきます。
言葉に鋭敏になる
意図的に自覚的に扱えるようになる
それらのことをたくさんの方から教えていただきました。
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MCI〜軽度の認知症のある方に対して
ご家族の方へのアドバイスとして
「伝聞表現を使う」ことをご提案する場合もあります。
実は認知症のある方ご本人は
自分の物忘れを自覚している
でもしっかりしなければ。と自分で自分に言い聞かせている。
ご家族だからこそ、弱音を吐いて心配をかけたくない。
そういう方はとても多いのです。
そんな人に受診する。
薬を飲む。
水分を摂る。
そんな時にご家族の方は一生懸命だからこそ
「病院に行くのよ」
「薬を飲むのよ」
「水分をしっかり摂って」
と直接的な表現をしがちですが
そうすると認知症のある方は
ご家族が味方じゃないように感じがちです。
「うるさいわね!」と言いたくなる気持ちもわからなくないような。。。
「病院に早めに行くといいんだって」
「薬を飲むと身体がラクになるんだって」
「水分を摂るとぼーっとしなくなるんだって」
と伝聞表現を使うと
私はあなたの味方だ。。。ということを言外のニュアンスを伝えることができます。
入院に付き添ってこられたご家族が帰る時に嫌がられたらどうしよう
だからといって黙って帰るのも悪いし
と迷っているような時には
「今日はここに泊まるんですって」と言ってみてください。
とお伝えすることもよくあります。
ご家族の方は私たち職員に気を遣って
「今日はここに泊まるの」と説明しがちですが
そうすると認知症のある方には
ご家族が積極的に入院をすすめたのかと受けとめられる可能性があります。
そうではなくて
伝聞表現を使うと
ご家族は味方なんだけど
入院した方がいいと病院の人たちが言っている
というニュアンスを込められるというメリットがあります。
まったく知らない環境で知らない人たちと過ごすのですから
心配になって当たり前。
ご家族の方は味方なんだということが伝わるといいなと思います。
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本日、三輪書店さんから発刊された「作業療法ジャーナル」の第51巻2月号
特集「認知症−身体障害合併症を中心に」の中で
「「認知症のある方への対応−能力と障害の把握」」が掲載されました。
認知症のある方は単に能力が低下した結果として
不合理な言動をするわけではない。ということ。
低下した能力もあるが、残っている能力もあって何とか対応しようとした結果として
不合理な言動というカタチで現れているのだから
表面的なカタチに対して表面的に対応を考えても有効な方法とはなりにくい。
どのような障害とどのような能力が不合理な言動というカタチに投影されているのかを観て
能力をより合理的なカタチで発揮できるように援助することが大切。という論旨です。
読んでいただければ嬉しく思います。
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