OTLab研修会速報をご覧ください

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作業療法総合研究所OTLab( http://ot-lab.org )の
研修会速報をぜひぜひご覧下さいませ m(_ _)m
「平成28・2016年度下半期 研修開催予定」

ハイ、そうです。
私、3月に叫びます (^^;

私の最近の講演のタイトルが
「本当に怖い食事介助 あなたが知らない分かれ道」とか
「神奈川の地から作業療法を叫ぶ 愛と毒を込めて作業を問う」とか
なんだか、どんどんカゲキになってる気がしますが。。。
中身は真剣、マジメなお話です。

私が臨床1年目の時に参加したある研修会で感じた疑問
「作業療法は人を幸せにするスゴイ職業だー」って
まるで、作業療法教の信者みたいに主催者側が盛り上がっていたけど
なんだかすごく気持ち悪くて、いたたまれなくて
「基本、世の中の職業は人を幸せにするためにあるんじゃないんですか?」
「作業療法だけが人を幸せにするわけじゃない」
って思わず手を挙げて発言してしまいました。
そしたら
「先生は既に立派な作業療法の哲学をお持ちのようで」とか何とか懐柔しようとされ。。。
そのことがまたショックで。。。

臨床30年の間のさまざまな体験を通して
抱いてきたモロモロの疑問を振り返りながら
作業療法士がプロとして対象者の方に寄与できるということはどういうことなのか
あくまでもcoolに考えてみたいと思っています。

愛と毒を込めて ♥

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象徴的なできごと@実習

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学生を実習でお引き受けすると
必ず、実習開始直後に
学生さんの在りようを明確に示すような象徴的なできごとが起こります。
そして、実習終了する頃に
もう一度明確に示すような象徴的なできごとが起こるのです。

すべての言動には意味があるし
その言動には、学生さんの能力も困難も特性も現れているから
考えてみれば当たり前なのですが。。。

だから
実習開始直後に起きたできごとは
私が実習指導をするにあたり心構えを作ってくれるものになり
実習終了間際に起こったできごとは
いわば「卒業試験」みたいな意味合いをもつものなのです。

象徴的なできごとは明確に起こりますが
一見すると些細なできごとでもあります。

象徴的なできごとを受け取ることができるためには
私たちに明敏さが求められると感じています。

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無事終了!食事介助の研修会@小田原

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平成28年8月30日(火)に
小田原保健センターにおいて開催された
県西地区のケアマネージャーさんの団体「OHMY」さん主催の
研修会「本当に怖い食事介助〜あなたが知らない分かれ道」で
講師を務めてきました。

一時は迷走台風の直撃か、と焦りましたが
無事に終了することができて本当に良かったです (^^)

参加してくださったみなさま、おつかれさまでした m(_ _)m
運営に携わられたOHMYのみなさま
中でもEさん、Mさん、お世話になりました。
どうもありがとうございました m(_ _)m

人の食べ方はいろいろで
結果として現れる「口を開けてくれない」「ためこんでしまう」という
食べにくさの状態もいろいろです。

でも、なぜか
万人に通用する方法
「こうしたら口を開けてくれる」「ためこみがなく食べられる」
があると思われている。。。
認知症のある方の生活障害やBPSDに対して
「こうしたらよい」
があると思われているのと同じコトが起こっています。

まず、何がその人に起こっているのか確かめることから始まります。

現状では
確かめられることなく「食べさせる」ことに終始してしまう。
仮に確かめられたとしても心理社会的側面に終始してしまう。
だから
認知症のある方の食べることの困難を改善することもできないし
介助者が辛い思いをするような現状を改善することもできないのだと考えています。

だったら、私たちが的確に確かめることができれば良いだけなんだと。

これは、今すぐにでもできることです。

なぜなんでしょうか?
私たちは今すぐにできることをせずに
どこかにあると思っている、でもそんなのあるはずがない魔法の杖を探している。
そして困り続けている。。。

いろんなトコロで
いろんなカタチで
でも同じコトが起こっているように感じられてなりません。

8月7日の大阪での食事介助の研修会に参加された方から
続々と対象者の方の変化や職場の変化についてご連絡が届いています。
本当に嬉しいことです。

私たちが変われば
認知症のある方の食べ方が変わります。

認知症のある方も
介助される方も
お互いがラクな食事場面に変わります。

そのコトを伝えられる機会をいただき本当にどうもありがとうございました。

会場の関係で、ご質問へのお答えが途中になってしまったことが気になっています。
ご質問してくださった方、もしよかったら、メールください。

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意味がこぼれ落ちる伝言ゲーム

ちょっと待った

ふと、伝承と教育ということを考えていました。

どんなコトでも起こりうるのだと思いますが。。。
モノゴトが広まっていく過程において
伝言ゲームのワナに陥ってしまうことがあるのだと思います。

たとえば
徳利からお酒を注ぐ時に
どこからお酒を注ぐかというと
とんがっている方が注ぎやすいというのではなくて
とんがっている方を上向きにして注ぐのだそうです。

徳利の口を相手に見えるようにして
とんがっている方を上にすると
相手からは、徳利の口が宝珠の形に見える
だから、とんがっていない方からお酒を注ぐのだそうです。
お酒を酌み交わす相手の幸福を願ってお酒を注ぐという意味があるのだそうです。

それから
宮大工のお弟子さんは
作業場のお掃除が仕事だった。
まずできることといったら、お掃除だというだけではなくて
片付けながら、道具を観ることができる。
どんな風に仕事をしていたのか、その一端を垣間みることができる
掃除しながらものすごい勉強になる。
決して面倒なことをお弟子さんにさせてるわけではない。

昔は
朝起きたら子どもが玄関周りのお掃除をするのが役目の1つだったとか。
その時々で玄関周りの様子は違うから
状況をよく観て綺麗にする
綺麗にするためには状況を観て
風向きなんかも考えないと
いつまでたっても綺麗にならない。
つまり、観察力と判断力をトレーニングしてから
一日を始めるという「予習」的な意味合いがあったんじゃないかな。

表面的なカタチだけは伝えられて
でも本来の意味が伝わらずに
下手すると表面的にだけ捉えられて
「よりラクなやり方」を重視されて本来の意味が抜け落ちたり
お弟子さんの勉強になるようにという本来の意図が誤解されてブラック判断されたり
子どもの発達上重要なことよりも机上学習ばかり推奨されてしまったり
そんなことがあったんじゃないかな。。。と思うことが最近ありました。

意味がこぼれ落ちて表面的なことしか伝わらず
誤解された意味とカタチが後世に伝わってしまう

その結果、大切なことが欠けていってしまう

本来「ワザ」の仕事は、感覚つまり対象との相互作用に明敏であることが求められます。
作業療法はどうなんだろう?

知識の集積は以前よりも格段に進んでいると思います。
でも本質において、どうなんだろう?
表面的なことが伝わっていても意味がとりこぼされていることはないのだろうか?
だとしたら、どうしたら良いのだろうか?

そんなことを考えさせられました。

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認知症をにんちしよう会@ハルネ小田原

イベント

平成28年9月25日(日)に
小田原駅東口にあるハルネ小田原において
「認知症をにんちしよう会」イベントが開催されます。

参加費無料でどなたでもご参加いただけます。
詳細は上のチラシをクリックすると拡大されますので、ご参照ください。

モチロン、私も当日参加します。
認知症疾患医療センター曽我病院のコーナーでクイズを行います。
参加賞と全問正解賞があります。

全問正解賞の景品はコチラ〜☆

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手作りマグネットです (^^)

みんな来てね〜
ご参加お待ちしております m(_ _)m

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DFJ summit 2016のお知らせ

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2016年9月3日(土)4日(日)に
明治大学中野キャンパスにおいて
第3回認知症フレンドリージャパンサミット2016が開催されるそうです。

詳細はこちらで ↓
https://peraichi.com/landing_pages/view/dfjs2016
事前申込制だそうです。

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おかしなコト:言葉と概念

ちょっと待った

私はOTですが
同じOTギョーカイにおいて
時々、えー???って思うようなコトに遭遇します。

「作業療法を知らない人に説明するのは難しい」

以前に学生から
こんな言葉を聞いて「はい〜?」って思ったことがあります。

おかしな理由 その1:
どんな仕事なのか、どんなことをするのかといった説明は
知らない人にこそ、するものであって
知っている人にそんな説明は通常しません (^^;

医師に対して「どんなことをするんですか?」とは聞かないでしょう?
教師に対して「どんなお仕事なんですか?」とも聞かないでしょう?

相手が知らないからこそ、説明するんだけどな。

おかしな理由 その2:
学生であれば、当然、作業療法を一人前に実践なんかできないわけで
つまり、自分ができない、わからないことをまず自覚してほしい。。。

私もかつて学生の時に
高校時代の友人から、「作業療法って何?どんな仕事?」って尋ねられて
ちゃんと答えられずに定義を言ってみたり (^^;
テキトーなことを言ってみたりしていましたけど
少なくとも一般化はせずに
「私は作業療法をわかっていないんだ。だから説明できないんだ。」
って恥ずかしく思っていたものです (^^;

つまり、学生が堂々とこんなおかしなことを言えてしまうのは
周囲の作業療法士が学生に言っている可能性が高いんですよね。。。

「作業療法は説明しにくい仕事だから」
とかなんとか (^^;

学生が実習前は「認知の人」「高次脳の方」なんて言わなかったのに
実習から帰ってくるとそんな言葉を使い始めるとか。。。 (^^;
ある養成校の教員から聞いたことがあります。

素直な?学生に、R(有資格者)が変なコトを吹き込むのはやめてほしいなぁ。
今の学生が、将来の日本の作業療法という世界を背負って立つんだから
きちんと育てないとマズいんでないかい?
プラスの方向で育てられないなら
少なくともマイナスになるような言動は慎むべきだと思うけど?
将来のある学生に対して
高みに眼を向けさせるのではなくて
自分のレベルに引き摺り下ろしてどうするんだろう?

ちなみに
冒頭の学生には、にっこり笑ってこう言いました。
「自分がちゃんとわかってないと説明できないよね」

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衣類選択:構成障害&手続き記憶

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認知症のある方の病状の進行に伴い
更衣が困難になるケースがよくあります。

構成障害が進行すると
ズボンを上衣としてかぶったり
シャツが前後逆だったりすることはよくあります。

でも、そのような場合に全介助しか手だてがないわけではありません。

構成障害があったとしても
衣類の選択に注意深くなることで
能力を発揮しやすくなります。

どんな衣類だったら着ることが容易になるのか
どんな対応をしたら間違いが減るのか
具体的に根拠を明確にして
ご家族や職員に説明することができます。

それは、認知症のある方にとって
大きな助けとなります。

そのような判断ができ援助ができるのは
障害と能力のプロであるリハスタッフとりわけ作業療法士の役目
だと考えています。

一部で
認知症のある方に対して
日常生活のことやBPSDに対しては
介護スタッフに任せて
作業療法士はもっと早期の段階の方への作業的なアプローチをする
というようなことが言われていますが
(もちろん、その面への対応の重要性を否定しているわけではありません)
おかしな話だと感じています。

どんな衣類だったら着ることが容易になるのか
どんな関わりをしたらよいのか

目の前にいる方の
障害と能力と特性を判断できるからこそ
具体的にアドバイスすることが可能となります。

構成障害があっても
構成能力がゼロというわけではありません。

どんな条件であれば可能となるのか

それは残っている構成能力と手続き記憶を活用する
ということになります。

つまり
私たちは、構成障害の有無を確認するのが仕事ではなくて
目の前にいる認知症のある方の暮らしの援助をするために
構成障害の程度ーつまり構成能力を評価することが仕事なのです。
シロかクロか
ではなくて、シロとクロの間に無数にあるグレーの色調を見分けること
それこそが、私たち障害と能力のプロであるリハスタッフだからこそ
判断可能なことであり、また援助への活用について具体的に提案できるのだと
考えています。

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