研修会:認知症評価@(株)gene

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研修会のお知らせです (^^)

平成28年12月11日(日)に名古屋市中小企業振興会館にて
(株)geneさん主催のセミナーが開催されます。
「認知症のある方への対応入門〜評価のすすめ方〜」
http://www.gene-llc.jp/seminar_info/?id=1469763333-817135

作業療法士が作業療法士として
認知症のある方の評価をどのように臨床で行い得るのか
ここまで言語化して説明しているケースは(口はばったいですが)実はそんなに多くはありません。
研修会に行っても、ケアの分野の蓄積をそのまま流用している作業療法士が多いですもの。
作業療法士として、本当にそれで良いのかなー?
モチロン、先行しているケアの分野から学ぶことはたくさんありますが
作業療法士としての独自性のない展開をしているだけでは存在意義を問われかねません。

対象者が軽度の認知症のある方はモチロン、重度の認知症のある方でも対応できるような
「考え方」に基づいた「評価のすすめ方」をご説明いたします。

認知症のある方への対応については
いろんな人がいろんなところでいろんなことを言っています。

私の提唱している考え方は
ものすごくオーソドックスです。
認知症は脳の病気によってさまざまな暮らしの困難が起こる。
その困難には障害も能力も反映されている。
一見不合理なカタチで現れている能力をより合理的な方向へ発揮していただけるように援助する。

オーソドックスだからこそ、対象者の状態像を限定しません。

障害と能力のプロとしての視点で
脳の病気によって日々の暮らしの困難が引き起こされる認知症のある方に寄与できる
マニュアルや方法論ではなくて「考え方」を提唱しています。

ご参加お待ちしておりますm(_ _)m

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研修を消費しない

ちょっと待った

DFJ Summit 2016 に参加して思ったことは
「明日につなげる」工夫をちゃんと取り入れているとことでした。

2日間の日程のうち、半日しか参加していない私が言うのもナンですが
締めのセッションで「Action計画」として、これからどうするのか
自分で考えて小グループで発言・共有化して最後に全員の前で発言。という進行。

前日のセッションのグループワークの結果が張り出されていたのですが
そこに「じゃあどうしたらよいか」を考える書式になっていたり。

本当にそこが大事。ですよね。

時折、研修は研修で、日々の臨床は臨床で、と切り離してる人がいる。
「あーよかった。良い話を聴けてよかった」でおわり。
明日からの臨床はそれはそれ。

研修のはずが、なんか「感動させてくれる」「楽しませてくれる」「よかった感にあふれる」ショーみたいになっちゃう。という。。。

あれれ?

研修を消費してしまっては、もったいない。です。

大切な中身を届けるためには、表現の工夫は大事。
どんなに良い中身でも聞いてもらえなければ、まさしくハナシにならない。

でも表現が刺激的だったり、笑いっぱなしだったり、過剰だったりすると
中身が通り過ぎてしまうことがあるんじゃないかと。
本末転倒という。。。

私は今、いろんな立場に立ってお仕事をしています。
時には、裏方の企画・運営
時には、講師として
時には、参加者として

立場が変わることで視点も変わり、それぞれ別の異なる立場への配慮もできるようになるので
これは役得だなーと感じています。

明日につながるような
研修を企画・運営したいし
そんな話を届けたい。

そういう心構えをカタチにする工夫の一端に触れることができたのも良かったです (^^)

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地域で講演@小田原市社協

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先日、小田原市社会福祉協議会さんのご依頼で
小田原市内で地域の方を対象として
「認知症の予防−自分らしくあるために」
というタイトルでお話をしてきました。

担当してくださったSさん
地区社協の会長さん、副会長さん
お世話になりました。
どうもありがとうございました。

最初に
頭の体操をちょっと行いました。
こういう課題は、ふだんはしていないので
久しぶりに新鮮な気持ちで私も楽しかったです (^^)

地域にちょっと出ると
ふだんの仕事では出会えないような方と出会うことができて勉強になります。

講演後にお声かけいただき、ありがとうございました。

ご家族の方がご自身を追いつめることがないように
そして、私たち専門家と呼ばれる者も
ご家族がご自身を追いつめなくてすむような提案が具体的に現実的にできないと
ご家族の現状は変わらないという思いを新たにしました。

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DFJ Summit 2016に行ってきました

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平成28年9月3日(土)4日(日)に
明治大学中野キャンパスにおいて
「認知症フレンドリージャパン サミット2016」が開催されました。

私は3日(土)は仕事でしたし
ちょっとお疲れモードだったこともあって(^^;
4日(日)に半日だけ参加しました。

ある人に誘われて参加したのですが
行ってよかったー!!!
行きたい気持ちはあるけど自分の状態とこれからの予定を天秤にかけて
今回は残念だけどパスくらいの気持ちでしたが
思い切って参加して本当に良かったです。
誘ってもらえなかったら行かなかったかも。。。
「人」の存在ってほんと、大きいって実感しました。

サミットの詳細はこちら
https://peraichi.com/landing_pages/view/dfjs2016

認知症フレンドリージャパンイニシアチブのサイトはこちら
http://www.dementia-friendly-japan.jp

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OTLab研修会速報をご覧ください

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作業療法総合研究所OTLab( http://ot-lab.org )の
研修会速報をぜひぜひご覧下さいませ m(_ _)m
「平成28・2016年度下半期 研修開催予定」

ハイ、そうです。
私、3月に叫びます (^^;

私の最近の講演のタイトルが
「本当に怖い食事介助 あなたが知らない分かれ道」とか
「神奈川の地から作業療法を叫ぶ 愛と毒を込めて作業を問う」とか
なんだか、どんどんカゲキになってる気がしますが。。。
中身は真剣、マジメなお話です。

私が臨床1年目の時に参加したある研修会で感じた疑問
「作業療法は人を幸せにするスゴイ職業だー」って
まるで、作業療法教の信者みたいに主催者側が盛り上がっていたけど
なんだかすごく気持ち悪くて、いたたまれなくて
「基本、世の中の職業は人を幸せにするためにあるんじゃないんですか?」
「作業療法だけが人を幸せにするわけじゃない」
って思わず手を挙げて発言してしまいました。
そしたら
「先生は既に立派な作業療法の哲学をお持ちのようで」とか何とか懐柔しようとされ。。。
そのことがまたショックで。。。

臨床30年の間のさまざまな体験を通して
抱いてきたモロモロの疑問を振り返りながら
作業療法士がプロとして対象者の方に寄与できるということはどういうことなのか
あくまでもcoolに考えてみたいと思っています。

愛と毒を込めて ♥

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象徴的なできごと@実習

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学生を実習でお引き受けすると
必ず、実習開始直後に
学生さんの在りようを明確に示すような象徴的なできごとが起こります。
そして、実習終了する頃に
もう一度明確に示すような象徴的なできごとが起こるのです。

すべての言動には意味があるし
その言動には、学生さんの能力も困難も特性も現れているから
考えてみれば当たり前なのですが。。。

だから
実習開始直後に起きたできごとは
私が実習指導をするにあたり心構えを作ってくれるものになり
実習終了間際に起こったできごとは
いわば「卒業試験」みたいな意味合いをもつものなのです。

象徴的なできごとは明確に起こりますが
一見すると些細なできごとでもあります。

象徴的なできごとを受け取ることができるためには
私たちに明敏さが求められると感じています。

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無事終了!食事介助の研修会@小田原

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平成28年8月30日(火)に
小田原保健センターにおいて開催された
県西地区のケアマネージャーさんの団体「OHMY」さん主催の
研修会「本当に怖い食事介助〜あなたが知らない分かれ道」で
講師を務めてきました。

一時は迷走台風の直撃か、と焦りましたが
無事に終了することができて本当に良かったです (^^)

参加してくださったみなさま、おつかれさまでした m(_ _)m
運営に携わられたOHMYのみなさま
中でもEさん、Mさん、お世話になりました。
どうもありがとうございました m(_ _)m

人の食べ方はいろいろで
結果として現れる「口を開けてくれない」「ためこんでしまう」という
食べにくさの状態もいろいろです。

でも、なぜか
万人に通用する方法
「こうしたら口を開けてくれる」「ためこみがなく食べられる」
があると思われている。。。
認知症のある方の生活障害やBPSDに対して
「こうしたらよい」
があると思われているのと同じコトが起こっています。

まず、何がその人に起こっているのか確かめることから始まります。

現状では
確かめられることなく「食べさせる」ことに終始してしまう。
仮に確かめられたとしても心理社会的側面に終始してしまう。
だから
認知症のある方の食べることの困難を改善することもできないし
介助者が辛い思いをするような現状を改善することもできないのだと考えています。

だったら、私たちが的確に確かめることができれば良いだけなんだと。

これは、今すぐにでもできることです。

なぜなんでしょうか?
私たちは今すぐにできることをせずに
どこかにあると思っている、でもそんなのあるはずがない魔法の杖を探している。
そして困り続けている。。。

いろんなトコロで
いろんなカタチで
でも同じコトが起こっているように感じられてなりません。

8月7日の大阪での食事介助の研修会に参加された方から
続々と対象者の方の変化や職場の変化についてご連絡が届いています。
本当に嬉しいことです。

私たちが変われば
認知症のある方の食べ方が変わります。

認知症のある方も
介助される方も
お互いがラクな食事場面に変わります。

そのコトを伝えられる機会をいただき本当にどうもありがとうございました。

会場の関係で、ご質問へのお答えが途中になってしまったことが気になっています。
ご質問してくださった方、もしよかったら、メールください。

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意味がこぼれ落ちる伝言ゲーム

ちょっと待った

ふと、伝承と教育ということを考えていました。

どんなコトでも起こりうるのだと思いますが。。。
モノゴトが広まっていく過程において
伝言ゲームのワナに陥ってしまうことがあるのだと思います。

たとえば
徳利からお酒を注ぐ時に
どこからお酒を注ぐかというと
とんがっている方が注ぎやすいというのではなくて
とんがっている方を上向きにして注ぐのだそうです。

徳利の口を相手に見えるようにして
とんがっている方を上にすると
相手からは、徳利の口が宝珠の形に見える
だから、とんがっていない方からお酒を注ぐのだそうです。
お酒を酌み交わす相手の幸福を願ってお酒を注ぐという意味があるのだそうです。

それから
宮大工のお弟子さんは
作業場のお掃除が仕事だった。
まずできることといったら、お掃除だというだけではなくて
片付けながら、道具を観ることができる。
どんな風に仕事をしていたのか、その一端を垣間みることができる
掃除しながらものすごい勉強になる。
決して面倒なことをお弟子さんにさせてるわけではない。

昔は
朝起きたら子どもが玄関周りのお掃除をするのが役目の1つだったとか。
その時々で玄関周りの様子は違うから
状況をよく観て綺麗にする
綺麗にするためには状況を観て
風向きなんかも考えないと
いつまでたっても綺麗にならない。
つまり、観察力と判断力をトレーニングしてから
一日を始めるという「予習」的な意味合いがあったんじゃないかな。

表面的なカタチだけは伝えられて
でも本来の意味が伝わらずに
下手すると表面的にだけ捉えられて
「よりラクなやり方」を重視されて本来の意味が抜け落ちたり
お弟子さんの勉強になるようにという本来の意図が誤解されてブラック判断されたり
子どもの発達上重要なことよりも机上学習ばかり推奨されてしまったり
そんなことがあったんじゃないかな。。。と思うことが最近ありました。

意味がこぼれ落ちて表面的なことしか伝わらず
誤解された意味とカタチが後世に伝わってしまう

その結果、大切なことが欠けていってしまう

本来「ワザ」の仕事は、感覚つまり対象との相互作用に明敏であることが求められます。
作業療法はどうなんだろう?

知識の集積は以前よりも格段に進んでいると思います。
でも本質において、どうなんだろう?
表面的なことが伝わっていても意味がとりこぼされていることはないのだろうか?
だとしたら、どうしたら良いのだろうか?

そんなことを考えさせられました。

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