現場あるある食事介助の誤解

「口を開けて食べてくれない」
「ためこんで飲み込んでくれない」

これらは結果として起こっている表面的な事象なので
ここだけを切り取って、
「どう介助したら良いのか?」
という問いを立てても有効な方策を考えられるわけではありません。

このような思考回路から、もう卒業するべきだと思いますし
卒業できる時期に来ているとも考えています。

「口を開けて食べてくれない」
「ためこんで飲み込んでくれない」
という事象は、ほとんどが誤介助誤学習による結果です。

誤介助誤学習による結果なので
適切な食形態と適切な介助によって再学習を促すことができれば
もう一度、
口を開けて食べられるようになります。
ためこまずにスムーズに飲み込むことができるようになります。

そのためには
摂食・嚥下5相にそって、食べ方の観察をしなければ。
食べるチカラと困難がどのように錯綜しているのか
それらがどのように、口を開けない、ためこむというカタチになって
反映されているのかを洞察しなければ。

きちんと観察・洞察できれば
認知症のある方が口腔内の食塊の存在や付着を
きちんと感受し、きちんと処理できるまでは開口しないだけで
喉頭挙上を確認後に介助すれば、
スムーズに開口する方が多いということに気がつくでしょう。
 
 この能力発揮は然るべき能力発揮です。
 この能力発揮を観察・洞察できずに「認知症の問題」と誤認しているのは
 「介助者の側の問題」の発露であって

 「認知症のある方の問題」ではありません。
 正確に言うと、認知症のある方の「困難」ではあっても「問題」ではないのです。
 「困難」を「問題」にしてしまっているのは私たちなんです。

誤介助誤学習が長期間にわたると
口腔期の能力発揮が妨げられてしまいます。

舌は本来しなやかに動くものです。

ところが
不適切な介助が続くと
不適切さを感受して半ば抵抗しながら半ばそれでも食べようとして
舌が硬くなってしまいます。

そして
舌が奥の方に引っ込んでしまいます。
ひどくなると、舌は丸まって挙上した状態で奥に引っ込んでいることもあります。

開口した時の舌の位置をきちんと目で見て確認していますか?
介助した時の舌の硬さをきちんと感受できていますか?

多くの人が
1回の食事介助で
何十回も開口した時の舌の位置を見ているはずなのに見落としている。
何十回も介助した時の舌の硬さを感じているはずなのに意識できない。

これが食事介助する人の現状です。
見落としている情報がたくさんあるんです。
そこに気がつきさえすれば食事介助が変わります。

認知症のある方は
食べようとして能力発揮をしているが
私たちが能力発揮の反映を観察・洞察できていない
どんな風に食べているのかを1から観察し直してみよう、と。

「どうしたら良いのか」は考えたり、話し合ったりすることではありません。
 
「どう介助したら開口してくれるのか」
「どうしたらためこまずに飲みこんでくれるのか」
答えは目の前の認知症のある方の食べ方そのものに潜んでいます。

潜んでいる答えを見出すためには
食べ方を観察し、
食べるチカラと困難がどのように錯綜し反映しているのかを洞察することです。

そして
観察・洞察ができるためには
介助する人が不適切なスプーン操作を決してしないということが大前提です。

詳しくは、こちらをご参照ください。

介助者が不適切なスプーン操作をしていれば
もれなく誤学習を引き起こしてしまい
目の前の認知症のある方の状態像を見誤ってしまいます。

そのひとつが
「口を開けてくれない」であり
「ためこんで飲み込んでくれない」という訴えです。

ピンチはチャンス

私たち介助者が
認知症のある方の埋もれている食べるチカラを
見出せないからピンチ、困りごとというカタチに見えるだけで
本当は認知症のある方の能力発揮をまざまざと見出せるチャンスなんです。

 

 

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食具の工夫:介助

通常は普通のスプーンで介助しますが
場合によっては、全介助でも異なる食具を使うこともあります。

写真上の赤いスプーンのように
幅が狭くて浅いスプーンを使ったり
箸やシリンジで1ccずつ介助したこともあります。

認知症のある方や生活期にある方は
口腔内にちょっとした困難を抱えていることが多く
ちょっとした困難をちょっとした困難のまま
食べられるように維持していくことが大事だと考えています。

ところが、現実には、ちょっとした困難を観察・洞察できず
低栄養・脱水を回避するために結果として
「食べることの援助」ではなく「食べさせる」ことになりがちです。
そこから誤介助誤学習の悪循環に陥ってしまいがちです。

開口しない、ためこむ、抵抗するなど食べようとしなくなった場合に
単にスプーンでなんとか食べさせようと介助をすることは
ネガティブな体験の再認の強化になってしまい
食べることの再学習を阻害してしまいます。

誤介助誤学習の悪循環から抜け出すためには
まず、介助を変えることです。
その一つとして、スプーン、食具を変えます。


シリンジで液体の栄養補助食品を介助したり


液体の栄養補助食品をストローで摂取してもらったり


箸で栄養補助食品のゼリーやソフト食を介助します。

「ラクに食べられた」体験ができるということは
ポジティブな体験の再認の強化にもつながります。

重度の認知症のある方でも再認できる方は非常に多くいます。
ADLは体験を通して再認を促しやすい場面でもあり
特に「食べる」ことは究極の手続記憶ですから
毎回の食事介助が再認の促しの場面になっているとも言えます。

ここで気をつけていただきたいことは
再認はポジティブにもネガティブにもどちらにも働く
ということです。

現状では
善かれと思って
でも知識と技術が伴わない、観察と洞察が不十分な場合に
結果として毎回の食事介助でネガティブな再認の強化をしている
とも言えます。

この悪循環から抜け出すために
「ラクに食べられた」というポジティブな再認を促すために
食環境としての食具を変えます。

対応が適切であれば
そのうちに開口がスムーズになってきますから
その段階で通常のスプーンに切り替えていきます。

介入直後から食べ方の改善を実感できますが
どんな人にでも目に見えてわかるくらいに
食べ方が改善するには1〜2週間かかります。
その後通常の介助に移行できるまでに
もう2週間ほどかかることが多いです。

その間、ご本人が余分な苦労をすることになってしまうので
「予防にまさるものなし」
問題が表面化する前の段階で
(食事介助に困難も負担も感じていない段階から)
適切なスプーン操作
喉頭の完全挙上を必ず視覚的に確認しながら
食事介助してほしいと切に願っています。

「口を開けてくれない」
「ためこんで飲み込んでくれない」
「食べるのを嫌がる」
というのは、結果として表面的に起こっている事象に過ぎません。
ここだけ切り取って「さて、どうしたら?」と考えても答えは出ません。
まずは、それらに反映されている食べ方をきちんと観察することです。

摂食・嚥下5相にそって
食べ方を観察・洞察すれば
目の前にいる方に何が起こっていたのかがわかる。

だから、どうしたら良いのか
どのような食形態・食具・介助方法・場面設定をしたら良いのか
がわかる。

それらは自然と浮かび上がってくるものです。

考えることではないのです。

観察・洞察の結果
必然として導き出されるものなので
明確に浮かび上がってきます。

明確化できない時には考えてはいけません。

何が起こっていたのか、という観察・洞察が曖昧だから
明確化できないのですから
どうしたら良いのか考えるのではなくて
目の前に起こっていることをもう一度観察し直すことに
立ち戻れば良いのです。

 

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スプーンの工夫:自力摂取

 

今から10年以上も前になりますが
食事が終わった方の手指を見た時の衝撃を忘れられません。

「このスプーンが重いのよ」と
通常使用している普通のスプーンの重さを訴えられた私は
スプーンを把持していた右手を確認して
くっきりとスプーンの跡がついていたのを見て驚きました。

その方は
特に片麻痺があるわけでもなく
外傷や末梢神経障害があるわけでもありませんでした。

こんなに力を入れて食べていたんだ。。。
と思うと胸がいっぱいになりました。

自力摂取できる方の場合
よっぽど食べこぼしが多いとか
時間がかかるといったことがないと
スプーンをどんな風に把持しているのか
あまり気にされることがないのではないでしょうか。

OTならぜひ一度はご確認いただきたいものです。

重度の認知症のある方でも
なんとか自力摂取しようとさまざまな把持の工夫を見てとれます。
把持の低下ではなく、工夫の意図が反映されています。

ひとつには
認知症のある方は、オーラルジスキネジアがある場合も多いのですが
自力摂取できている時には、オーラルジスキネジアによる困難は目立ちません。

ところが
食事に介助が必要になると
オーラルジスキネジアによる困難が一気に表面化します。
ものすごく介助がしづらくなります。
オーラルジスキネジアという認識ができなければ
「どうしてちゃんと食べてくれないの?」と思ってしまうかもしれません。

方策は2つ
ひとつは、できるだけ長く自力摂取できるように
スプーンを工夫すること
もうひとつは、食べ方をきちんと観察・洞察して
適切に食事介助ができるようになることです。

でも、こちらは本当に難しい。
食べ方を摂食・嚥下5相にそって観察することができない
それぞれにどのような能力と困難が反映されているのかを洞察することができずに
「ためこんでしまう」「飲み込んでくれない」「口を開けてくれない」
といった結果として起こっている表面的な事象しか見ていない人の方が
圧倒的に多いのが現状なのです。

そして食べ方の観察・洞察ができたとしても
改善していくためには焦らず辛抱強く
その時々の能力発揮を援助できることが必要ですが
そのような対応ができる人はまだまだ少ないのが現状です。

だったら、スプーンを工夫する方がまだ簡単です。
食べられるようになったか、ならないかが明白だからです。
手指に過剰に力を入れなくても
スプーンを把持できるように工夫する。
オーラルジスキネジアがある方もない方も
できるだけ長くスムーズに安全に自力摂取できるようになります。

市販のスプーンで対応できることもあるでしょうけれど
市販のスプーンは大きくて重くて
かえって扱いにくいものです。

軽くて把持しやすいスプーン
できるだけ長く自力摂取できるように
OT の腕の見せ所だと思います。

ただし
本当に予防的対応ができた場合には
皮肉なことに問題を未然に完璧に防いでしまったが故に
困りごとが起こらないのですから
周囲の人に何が起こっていたのかを理解してもらえないかもしれません。

私は村上春樹の「1Q84」に出てきた
「説明しなくちゃわからないってことは
 説明したってわからないってことだ」
と言う言葉に大きくうなづいたものですが
仕方ないことも世の中にはあるんです。
対象者の利益のために尽力するのが私の仕事であって
誰かに理解してもらうのが仕事ではないですから。

また
認知症のある方あるあるですが
新規事象への対応困難な故に
使い慣れているスプーンの方が良いと言うケースもよくあります。

スプーンを落とすことがなくなった
食べこぼしが激減した
という「事実」があるにもかかわらず
「(適合良好な)このスプーンは食べにくい」
と言いますし
その言葉を事実と照合せずに本人の希望だからと鵜呑みにして
「前のスプーンの方が良いのでは?」
と言ってくるスタッフが出てきたりもします。。。

スタッフには事実と照合することを促すために
「でも前のスプーンだと食事中に何回もスプーンを落としてたけど
このスプーンになってからは1回もスプーンを落としてない」
「前のスプーンでは食べこぼしが多かったけど
このスプーンになってからは食べこぼしは付着程度に過ぎない」
「本人には1ヶ月だけ試しに使ってみてと言ってる」
などと伝えるようにしています。

認知症のある方も
だんだんと新しいスプーンになじんでくるので
そうすれば「このスプーンは嫌」とは言わなくなるし
スタッフも疑問を呈することもなくなり
まるで最初からこのスプーンを使っていたかのように
当たり前になってきます。

そのためにも
私たちOTとしては、
本当に適合が最高なスプーンを
個々の方それぞれにオーダーメイドで作れるように
自身の技術を高めることと
知識のブラッシュアップを図ることが
OTの責務なんじゃないかなと考えています。

 

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DoとBe(優しくする ?優しくなる!)

認知症のある方への対応で
「優しくする」
「言動を否定しない」
「褒めてあげる」
等と言われています。

これらの常識化している対応について
何回も過去の記事にて疑問を提示してきました。

優しくするということは、優しくない ということです。
DoBeの違いです。

結果として優しくなるように
認知症のある方の状態がありありと実感を持って
わかるようになることの方が大切だと思う。

「大声を出す」「抵抗する」
というのは結果として起こっている表面的な事象に過ぎません。
表面的な事象に反映されている、なんとかしようとしている
その方の意図と能力がわかれば
結果として優しくなるし
否定できなくなるし
敬服したくなるし
少なくともキツい言い方は控えたくなる

認知症のある方は決して何もわからないわけではありません。

表面的に口先だけ、優しくしても、褒めてあげても
本心は伝わる
このサイトにお立ち寄りくださっている方なら
そういった実感をお持ちなのではないでしょうか。

本心として認知症のある方の努力と能力が実感できるようになるためには
知識をもとにした観察と洞察が必須です。
地道に努力を積み重ねれば誰でも実践できるようになります。

「あぁすればこうなる」式のマニュアルやハウツー以外の
思考をしたことがないと最初は大変に感じると思う。

「あなた、どうしてそんなに私のことがわかるの?」
「あんたが一番好きなんだよ」
そんな風に言われたり
認知症のある方が過去に信頼していた人と誤認されたり
他の人の前では見られないような能力を発揮する場面を共有できたり
そのような体験をしたことのある人はきっと私だけではないと思います。

ケアやリハの場面において
根底にどれだけ理解の実感があるのかということが
信頼関係に一番重要なんだとまさしく実感しています。

 

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良いものを後世に伝え残す

時代の先端をいくモノ
より本質に迫るモノは
それゆえに実はその時々には理解されづらかったりする

誰もが言葉にしている概念は
一つ前の時代の考え方だからこそ
誰もが言葉にできる

科学は過去の知識の修正の上に成り立つ学問だから
常に更新、バージョンアップされている

より良いモノ
より本質に迫るモノが
時の流れによって淘汰され、生き残り、伝わっていく

それらは
流布している概念とは全く異なるので最初は理解されづらい
理解されづらいどころか否定され迫害される
それでも必ずより良いモノ、本質に迫るモノがとって変わっていく
のは歴史が証明している。
ガリレオ然り、小笠原登然り。。。

良いものを後世に伝え、残していく

仮に今、それらの努力がカタチとなって実を結ばなかったとしても
それらの努力が無駄になることなんて決してない。
と強く感じています。

 

 

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締切は4月10日13時

先の記事にてご案内の
「現場で本当に役立つ認知症研修会第2回」
定員は超過しましたが
若干名追加でのお申込もお受けします。

4月10日(日)13時で完全に申込を締切ます。

お申込を検討されている方は
必ず上記期日までにお申込ください。

 

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「現場で本当に役立つ認知症研修会第2回」受付開始

「現場で本当に役立つ認知症研修会第2回」をオンラインで開催します。

作業療法士でなくても
学生さんでもどちらにお住まいの方でもご参加いただけます。

日時は
2022年5月14日(土)19:00〜20:30

テーマは
「認知症のある方への声かけの工夫〜眼からウロコの視点〜」

参加費は無料

事前申込制で
申込締切は4月30日ですが、
定員超過の場合には期日前でも申込を締切ますので
ご了承ください。

お申込は下記のURLにアクセスしてください。
https://forms.gle/HsStN3K2786zKAhD9

研修会の詳細は こちら をご参照ください。

お問い合わせは こちら からどうぞ。

 

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能力発揮は状況によりけり

能力発揮は状況によりけり
だから、場面設定の工夫や介助の仕方、声かけに工夫が必要なのであって
決して介助者の思う通りに認知症のある方を動かすためではありません。

たとえば
私は、ちぎり絵では和紙をタオルの上に1枚ずつあらかじめ置く
という工夫をしています。

ほんの一手間ですが
このような場面設定をすることで
1)手指の巧緻性が低下している方でも
  和紙を1枚ずつつまみ上げることが容易となる
2)和紙の微妙な色合いの変化を明確に認識しやすくなる
というメリットがあります。

和紙を缶の中に入れたままで提供するだけでは
ちぎり絵を行うことができない方もいます。

場面設定がその方に適切かどうかを検討・吟味することなく
「ちぎり絵の遂行不可」という判断
「和紙を1枚ずつ取って」という指示理解不可という判断
は、拙速であり、間違いであり、大変大きな問題です。

こちらをご覧になれば、お分かりのとおり
ナスの右側は濃い色の和紙を貼り
左側は明るい色の和紙を貼っています。
同じ左側でも、上の方は濃く、下の方は薄い色を選んでいます。

ナスを立体的に光と影や色の微妙な違いや濃淡を意識して
貼っていることが窺えます。

これほどの能力を発揮できるか、できないかが
和紙の提供の仕方という場面設定によって異なってくる。

能力は状況によりけり発揮される所以であり
場面設定の工夫が必要な所以でもあります。

場面設定の工夫次第で
認知機能障害が低下したとしても楽しめるように
能力と特性の発揮を援助することができるかできないかに関わってきます。

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「ちぎり絵の工夫(1)タオル」
「塗り絵」と「ちぎり絵」の違い:共通点
「塗り絵」と「ちぎり絵」の違い

 

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