「絵本でみる作業療法」解説しました

 

神奈川県作業療法士会の
「絵本でみる作業療法」シリーズ
「冬の麦わら帽子」の解説を担当しました。

よかったら是非お立ち寄りください。

 

 

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ご家族に苦行させない

私は食事介助は本当に大切に考えています。
それにはさまざまな理由があるのですが、それはまた別の機会に書くとして。

食事介助は
特別の技術も知識もなしでも誰にでもできるだろうと
心のどこかで思われているのではないかと感じることが多々あります。
(親なら誰でも乳幼児には必ず食べさせる時期がありますものね)

とんでもない誤解です。
どうしたら食べやすくなるだろうか?
そして、その意味について考えながら実践を積んできましたから
安全に楽に美味しく食べられるように食事介助できる自信も
(逆に、決して実行しませんが)
全然美味しくなく辛く危険な介助をすることもできます。
(マイナスがわかるからこそプラスが実践できるという意味です)
そしてそれがどうしてなのか、具体的に言葉で明確に説明することもできます。
それだけの知識と技術を持っている自負があります。

職員同士で会話しながらの食事介助とか
嚥下5相を観察せずに介助するとか
喉頭挙上していないのに次の食塊を介助するとか
口の奥にスプーンを入れるとか
斜め上にスプーンを引き抜くとか
無理矢理口をこじ開けて食べさせるとか
覚醒が悪いのに介助するとか
。。。書いていて本当にイヤになってきますが
そんなことは決してしません。

その代わりに
身体の動き全体を含めた食べ方をよく観察します。
表情や視線をよく観察します。

言葉にならない、表情や行動という
もうひとつの言葉を聴こうと心を澄ませます。

食事介助は、どうやって「食べさせるか」ということではありません。

その方がどんな風に食事という場面に向き合っているのかを知り
その方なりの食べるという環境へのアウトプットを援助し
その方の環境感受・認識・対応という一連のループを
ループとして完結するように援助することです。

例え、
ループが小さなループであっても、歪な形であっても
その方のループがループとして完結できるように援助することです。

例え、
表面的には食べていたとしても
ループがちぎれた形であれば
援助ではなくて従属の要請になってしまいます。

とりわけ
ご家族は、職業として介助に従事しているわけではありません。
大切なご家族だからご家族としてできることをするので
ご家族に苦行をさせるような「指導」を対人援助職はすべきではないと考えています。

「ちゃんと食べさせないと体が弱っちゃうからしっかり食べさせて」
「ちゃんと水分を摂らせないと脱水になっちゃうからしっかり飲ませて」

ご家族にそんな風に「言う」のではなくて
ご家族が「ちゃんと」できるように「なる」ためには
どこをどうしたらいいのかをまずやってみせられる
そして具体的に明確に言葉で伝える
ことが対人援助職の仕事なんじゃないかな。

職業として関わっている自分ができないことを
ご家族に「させる」のはおかしなことだと思う。

ご家族は、ご家族としてそばにいるだけで
対象者の方の支えになっている。

「うまく食べさせられなくてごめんね」
「無理矢理食べさせてごめんね」と思わせながらご家族に介助させるのは
対象者の心の支えを剥奪してしまうことになりかねないと思います。

今よりもずっと過酷な時代を生き抜いてこられ
人生の総まとめの時期にあるお年寄りにとって
食べられないなら食べられないなりに
食べようとしているなら食べるチカラに合わせて
介助していく方法とその姿勢を伝えて
食事介助という場面に
対象者がどんな風に向き合っているのかを理解すると
まるで、その方自身の生き様が浮かび上がってくるように感じられます。
かつてのその方を彷彿とするような類似したエピソードを
ご家族が思い出すことができれば
例え、食べられても食べられなくても
その方とご家族との絆をもう一度再構築することになる。

「ちゃんと食べさせる」ことを最優先するように仕向けられたご家族は
必死なご家族ほど、対象者の言動を感受観察する機会に目をつぶらされ
その事によって絆を再構築する機会を失ってしまう。

対象者は自身の尊厳をご家族によって損なわれるという体験をする事になってしまう。

私たち人間は、食べる機械じゃない。

ご家族は、介助「要員」ではない。

介助は仕事であってもご家族がしても
大変だけれども
介助したからこそ、介助という体験そのものから得られることもあるのだから。。。

年の瀬に新たな決意をしました。
がんばるぞー!

今年はどなたも大変な年だったと思います。
お身体にはくれぐれもお気をつけて。。。
良いお年をお迎えください m(_ _)m

 

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アスクルでも自助スプーンが注文できる!

いやー、盲点でした。
つい最近まで知りませんでした。

アスクルで
フセ企画の「かるまげまげ」スプーンフォーク兼用(小)を購入できました。
合わせて、スポンジハンドル(楕円型)も。

施設で出入りの業者さんがない場合に便利です (^^)
注文から1週間もしないうちに届きました。

こちらが
「かるまげまげ スプーンフォーク兼用(小)」税込¥888円

ポイント高いのが
1)なんといっても、軽い!
2)柄の部分が自由自在に曲げられるのでフィット性が高い
3)先割れスプーンなので、食塊が引っかかりやすくて操作性が高い
4)購入しやすい価格

そして
たいていの場合に、ペアで一緒に購入するのが
こちらの「スポンジハンドル S-2」税込¥660円

スポンジの形状が楕円形になっていて
手のアーチを保ちやすいのがポイントです。
欲を言えば、もっと軽ければさらに嬉しい。。。

 

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活用「アイスの実」

食べ始めの方
食べる練習をする方によく使うのが
「アイスの実」

唾液でむせなければ
アイスの実1粒を箸で1/4〜1/3に切ってから
お口の中に入れます。
歯のある方には前歯か犬歯の隣の歯の上
歯のない方には舌の前に箸で置きます。

味がはっきりしているのと
1口量の調整、段階付けが容易だし
スーパーやコンビニで売っているので入手も楽です。

歯があってもなくても
咀嚼〜送り込み〜飲み込みの練習になります。

 

 

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日課確認:時計メモセット

今の時期、来年のカレンダーが販売されています。
そのカレンダーを使って一工夫。

日課が分からずに不安になってしまうような方向けの工夫です。

百均で、時計と自立式のカレンダーとケースを購入しました。

カレンダーはメモとして、日課を書いた紙を貼ります。
写真ではわかりにくいと思いますが
扱うスタッフ向けに左端に時刻と予定を書いたタブもつけてあります。
そうすれば、次の日課に向けて
カレンダーをめくるのが簡単・便利です。

タブの文字を黒色文字で書いてしまうと
多分ご本人様が気にしてしまうと思うので
敢えて薄めのオレンジ色で書きました。

ベッドサイドの床頭台に置いておいて
お部屋で一人で臥床している時に
自分で時刻を確認して次の予定も確認できるようになりました。

自分で1から作るとサイズを測ったりするのが手間ですが
市販品を上手に活用すると
必要な時に素早くすぐに作ることができます。

もちろん
事前に時計の文字盤や文字を読めること
文字の大きさについて
時刻と日課が表示されていれば安心できることは
別の場面で確認済みです (^^)

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コップで水分摂取の介助2

下唇にコップの縁を当ててから
コップを傾け
上唇に液体を触れるのを確認します。

そうすると
対象者のお身体が動きます。
動く場所は人によって異なります。
頭部だったり、背中だったり、顎だったり。
それが一口量のサインなのでコップの傾けを元に戻します。

してはいけないのは
コップを口角まで押し当てたり
一度に大量の水分を口腔内に「入れてあげて」はいけません。

対象者が「飲むのを援助」してください。

本当に多いのが
食事介助を「食べさせて」あげている人です。

本当に少ないのが
対象者が「食べることを援助」している人です。

言葉遊びではなくて
文字通りに
食べさせているから
飲ませているから
食べられなくなる
飲めなくなる
ということが起こっているのです。

そして
食べることを援助し
飲むことを援助すれば
もう一度食べたり飲んだりできるようになる方が
圧倒的に多いのです。

 

 

 

 

 

 

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前提の見直し

食事介助も水分摂取の介助も対応の工夫も
根本的に、暗黙の前提となっている私たちの認識の見直しが必要だと考えています。

認知症のある方の問題は
認知症という病気「だけ」のせいでは決してありません。

食べ方の問題は
対象者の能力低下、咽頭期の低下「だけ」のせいでは決してありません。

切り離して、疾患や障害「だけ」に問題設定をするのは
ICIDHに囚われている証です。

ICFで考えれば、疾患や障害があって尚且つ
能力を生かして暮らしていく術を見出し、協働によって実現することができる

相互作用の中にいるのは
対象者だけではなくて、私たち対人援助職も同じなんです。

 

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コップで水分摂取の介助

いやーご無沙汰しました。
1週間ぶりですね。
ちょっと色々と急を要することが立て続けにありまして (^^;

今、職場でトロミは最小限にしようと取り組んでいます。
本当にガッツリ、トロミをつけられると
マズいし、喉の奥にへばりついて気持ち悪いし
「ゴクゴク飲みたい」っておしゃられる方の気持ちもわかります。

「ムセたら困る」「ムセないように」という気持ちから
不必要にトロミをつけられたり
トロミの粘性をあげられたりしていることもあるんじゃないでしょうか?

それは、善意からの行動ではありますが
プロとしては根拠なしの行動によって
対象者に不利益をきたしてしまっている恐れもあり得ます。

必要最小限のトロミにする
と、必然的にスプーンではなく、コップから介助で水分摂取してもらう
という場面が出てきます。

ところが、コップからの水分摂取の介助方法については
これまた、スプーン操作と同様に、
どこに気をつけるか、どのようにコップを扱うか
ということについては明確に言葉にして教えてもらっていない方が
圧倒的に多い現状があります。

起こっているのは
「同じことが違うカタチ」で現れています。

飲ませているけれど、飲む介助になっていない。
食べさせていても、食べる介助になっていない。

目の前にいる方の、飲みにくさ・食べにくさは
決して、その方だけの病状進行などの原因ではありません。

次の記事で
具体的な操作方法について記載していきます。

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