Tag: 食事介助

基本の習得=意味理解

目の前の対象者に
適切なスプーン操作ができるためには
スプーン操作の基本が習得できている必要があります。

なぜか
ここをすっ飛ばしてしまう人がいるんですよねぇ。。。
「寄り添った食事ケアを」と言いながらも。。。

摂食・嚥下5相を理解した上で
・食塊認識を確認できる
・スプーンをまっすぐ正面に差し出すことができる
・スプーンを奥に入れすぎずに下唇or前舌を操作できる
・上唇を丸めて取り込むことを促すように操作できる
・スプーンは斜め上に引き上げずに水平に引き抜くことができる
・一口量を調整できる

できるということは
意味の理解もできているから
行動として常に実行できるということ

摂食・嚥下5相という言葉を聞いたことがある、知っている
という人は多いと思いますが
自身のスプーン操作を摂食・嚥下5相と結びつけて
なぜそうしてはいけないのか、なぜそうする必要性があるのかを
理解している人は、残念ながらそう多くはありません。

自身のスプーン操作を摂食・嚥下5相と結びつけた理解ができていないから
目の前の対象者の食べ方を摂食・嚥下5相と結びつけた観察ができないのです。
自身のスプーン操作と他者のスプーン操作の違いすら認識できないのです。
スプーン操作の違いがどれだけ対象者の食べ方に影響を与えるのか想像もできないのです。

逆に言えば
そこを学べば変われるということです。

自身のスプーン操作を
摂食・嚥下5相と結びつけた理解の上で修正習得できるようになれば
対象者が必死になって食べようとしていることを身に染みてわかるようになります。

「ちゃんと食べてよ」
という言葉の残酷さを痛切に感じるようになるでしょう。

「認知症のある方も食べられるようになるスプーンテクニック」
という本には基本的なスプーン操作とその意味が具体的に記載してあります。
ここまで実践的に基本操作とその意味が記載されている本は他にありません。

摂食・嚥下5相と結びつけたスプーン操作の基本を習得することは
対象者の食べ方の評価の入り口に立てることを意味します。

基本は大切

高い志を掲げるのなら、なおのこと

 

 

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適切なスプーン操作は評価の入り口

適切なスプーン操作ができないと
対象者の方の準備期を阻害してしまいます。

準備期の過剰適応・誤学習が
口腔期を混乱させ
咽頭期を低下させてしまいます。

逆に言えば
適切なスプーン操作ができれば
対象者の方の本当の食べるチカラを現前させることができます。

ここからが本番

対象者の方の食べ方をよく観察すれば
食べることの困難と能力を洞察できるようになります。
(ただし、知識があればの話です)

食べることの困難と能力を洞察できるようになれば
どうしたら食べやすくなるのか
どうしたら今の状態でも食べられるようになるのか
長期的な見通しとともに今すぐにできることが自然と浮かび上がってきます。

だから
具体的にどうしたらいいのかがわかる

最初に
「〇〇という状態の方には、△△したら良い」があるわけではありません。

適切なスプーン操作ができることが
評価の入り口に立てるということなのです。

 

 

 

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嚥下5相は連続している

人の身体は
解剖学的にも生理的にも連続性があります。

嚥下5相は
それぞれの相が前後の相と関連しあっています。

あまり知られていないようですが
「飲み込みが悪い=咽頭期の問題」とは限りません。

準備期の不合理な能力発揮
つまり不適切なスプーン操作に代償的に適応した結果
口腔期の能力低下を来し
ひいては咽頭期の能力低下を来してしまう
ということは実は珍しいことではありません。

(続く)

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食事介助は準備期の協働

食事介助において
スプーン操作って想像以上に重要です。

ちょっとしたスプーン操作の違いで
食べやすくもなり
食べにくくもなります。

対象者の食べようとする働きを
促しもするし
阻害してしまうことすらあり得ます。

なぜなら
介助者のスプーン操作とは
対象者にとっては
嚥下5相準備期の協働を意味するからです。

(続く)

 

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頸部後屈位の方への対応

「認知症本人と家族介護者の語り」ディペックス・ジャパン

頸部後屈は誤嚥しやすい肢位だ
という知識があっても
実際の食事場面で
「あ、頸部後屈してる」と気がついても
どうしたら良いのかわからない、教えてもらっていない
という人はすごく多いのではないでしょうか。

お年寄りや認知症のある方、脳卒中後遺症で生活期にある方に
「首を起こしてね」と言ったり
枕を当てたりしても
後屈位が解消されず
「マズいことだ」と感じながらも
その現実を改善するためにどうしたら良いのかわからないと
とても怖いですよね。

そのような時には
頸部を前屈させようとしてはいけません。

頭部の重さを支えてあげてください。

介助者の手掌で支えながらの介助は疲れてしまうし
どうしても前屈させてしまうような力が入ってしまうので
手掌で支えるのではなく
介助者の前腕で対象者の頭部を支えてあげてください。

そうすると
対象者の後屈方向への力が抜けてきて
頸部中間位になってきます。

頸部後屈位で拘縮してしまったように感じる方でも
動きを感じられるケースがかなり多く見られます。

詳細は
「介護人材」という雑誌の特集「介護施設の『食』を考える」
イラスト入りで記載してありますのでご参照ください。

 

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食事訓練に愛用中:アイスの実

全介助の方の食べ方の評価として
小さな氷片もよく使います。

歯の上にのせて
咀嚼の様子を観察できるし
スッと溶けやすいので安全です。

その延長で
食べ方の訓練として使うのがこちら
アイスの実

丸ごとは大きすぎる時には
2〜3つに切り分けて使います。

いろんな味があるのも良いところ
対象者の好きな食べ物・手続記憶として馴染みのある味を選べます。

適度な固さと崩れかたが絶妙なバランスで成り立っています。
ちょっと努力すれば食塊として崩れるけど
努力を続けないと崩れ続けてくれないという。。。

咀嚼にパワーはあまりいらないけれど
咀嚼そのものは促される。
促された結果として明確な「美味しさ」のフィードバックがある。
自然と舌で味わうことによって口腔期の働きを促しやすくなります。

食事全介助の方は
1回にそんなにたくさんは食べられないから
小袋の中に入っている個数で調整できると衛生管理上でも助かります。

前は3種類の味のミックス版があって重宝してたけど
今はないのかな?
復活したら良いなー。

 

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食事介助はコミュニケーション

意思疎通困難な方で
食べることに困難を抱えていて
誤嚥性肺炎後のリカバリーに携わると
不思議なことに
食べられるようになるにつれ疎通も改善される
というケースを何例も経験しています。

それは本当に嬉しいことです。

食事を拒否していたり
口を開けてくれなかったり
言いたいことをうまく言葉にできなかった方の多くが
「どうもありがとう」
「気をつけて帰るんだよ」
と送り出していただいたことも何度もあります。
発語がみられるようになった
アイコンタクトがみられるようになった等は数知れず。

「食べる」という体験を協働するからこそ
そして、それらの過程が適切だったからこそ
プラスの方向に働いて能力発揮につながったのだと感じています。

食事介助は究極のノンバーバルコミュニケーション
食事介助の一連の過程はコミュニケーションそのもの

常々そう思っています。
私は食事介助の時には、基本的にはあんまり声をかけない。
声をかけるのは、必要と判断した最小限のことに留めています。

その分、言葉以外の
眼で観て、耳で聴いて、スプーン操作で問いかけています。

 

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自己効力感

自己効力感とは
カナダ人の心理学者アルバート・バンデューラによって
「自分が行為の主体であると確信していること
自分の行為について自分がきちんと統制しているという信念
自分が外部からの要請にきちんと対応しているという確信」として
自己に対する信頼感や有能感のことだと提唱されたそうです。

介助、とりわけ食事介助って
自己効力感を高めもするし、結果として低めてしまう恐れもあるのだと感じることがあります。

臨床あるあるなのが
なんとか食事を自力摂取している方だと
全量は食べられずに少し残してしまうこともあると思います。
その時にどうするか。

あと少しだから。。。と介助することってありませんか?
気持ちは本当によくわかります。
そうしたくなりますよね。

でも
意思表示をきっぱりと明確にできる方が
自分の意思で「もういらない」と言ったのに
(もう少し食べられる?)と言われてしまうというのは
どのように受け止められているのかな。。。

普通に考えて
家族と一緒にご飯を食べていて
「もういらない」って言われた時に
「あとちょっとだから食べてよ」って言うのかな?
あんまり量が食べられなくて
「もういらない」って言われたら
「もう少し食べたら?」って言うんじゃなくて
「どうしたの?具合悪いの?」って心配するのが先なんじゃないかな?

肺炎後の回復過程において
いきなり全量摂取は目指さずに
その方の意思表示に従って「いらない」「もうたくさん」と言われたら必ず終了する
という対応をすることはよくあります。
1/3しか食べられなくても、あと一口で食べ終わる時でも
「はい。じゃあ終わりましょう」ときっぱり終わりにします。
それでもだんだんと摂取量は増えていく場合がほとんどです。

増えない場合には、他の要因がある。
食べさせないから食べられなくなる。わけじゃないし
食べさせれば食べられるようになる。わけでもなくて
食べることの援助をするから食べられるようになる。

その方が
「食事」という対象に対して
関わって、感じて、どうするか判断して、表現する
一連の過程を1つのループとして完結するように援助する。

無理やりループを大きく広げるのが援助ではなくて
どんなに小さくても、ループがループであるように援助する。

食事で感じられる、満腹感、空腹感、美味しさ、満足って
とても根源的なものだから
自己効力感と密接に関与しているんじゃないかな
と感じる今日この頃です。

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