Tag: 食事介助

ムセの起こるパターン 前提

イメージ_お堀

ムセの起こるパターンは
大きく分けて二つあります。

もともと、摂食・嚥下5相の咽頭期に問題がある場合と
本来の問題は口腔期にあって
咽頭期は二次的に引きづられて能力低下をきたした場合の二つです。

そうはいっても
「何を言ってるんだ?」と思われるかもしれませんね。
まず、喉頭の動きをきちんと観察してみてください。

生活期にある方の場合
例え、ムセがなくても
喉頭の挙上はさまざまなパターンが見られます。
1回で完全に挙上することもあれば
2回目の完全挙上で完全嚥下する場合もあれば
3回目の挙上で完全嚥下する人もいます。
挙上と挙上の時間的間隔もバラバラだったり定期的だったり
不完全な複数回の挙上を繰り返す人もいますし
食べ始めと食べ終わりで変わることもよくあります。

次に
口腔期の動きを観察します。
開口した時に、舌が後方へ引っ込んでいませんか?
(通常は、開口した時に舌尖は下の歯のすぐ裏側に位置しています)
スプーンで前舌を押した時に、舌が硬くなっていませんか?

舌が後方へ引っ込んだり硬くなっている方は、思っている以上にたくさんいます。
実際に食事介助しているのに、
目で見て、手で感じているはずなのに気がつかないだけです。
自分の興味がないから注意を向けることができないために
「見れども観えず」になっているのです。

通常、舌はしなやかに動くものです。
しなやかに動けるから、口腔内に散らばった食塊を再形成して
咽頭まで送り込むことができるのです。

  講演の後などによく質問されるのが
  「ためこんでしまって飲み込んでくれないのですが、
   どうしたら良いでしょうか?」

  という質問です。
  ためこんでしまう というのは、結果として起こっていることです。
  本来は 送り込みが困難 という事象の結果を見ているのです。

私の経験では
舌がかまぼこ板のように硬くなってしまっている方もいました。
舌も筋肉です。
筋肉が板のようになっては本来の多様な動きどころか
咽頭まで送り込むのが大変困難になってしまいます。

ためこんでいたり、飲み込みに時間がかかる方がいたら
口腔期と咽頭期をもう一度観察し直してみてください。

 

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ムセって何?

認知症施策

食事介助の現場の多くで
ムセは、指標のひとつになっています。

食べる能力の指標だったり
食べることを中止すべきかどうかの指標だったり

現場あるあるなのが
食事中に強く激しくムセこんだら
「あー!ダメダメ!その人、もう食べさせないで!」
という声が飛ぶこともよくありますよね?

食事介助中も
ムセの有無を気にしている人は多くいますが
さて、「ムセって何?」って尋ねられて
きちんと答えられる人は圧倒的に少ないのが現実です。

  構成障害重度とか遂行機能障害があるとか
  言う人は多いけれど
  構成障害とはなんぞや?遂行機能障害とは何?
  って尋ねられて明確に答えられる人は案外少ないものです。
  専門用語として言葉は知っていても概念の本質を理解していない
  だから観察できないし、何が起こっているのかの洞察もできないから
  BPSDや生活障害に対して適切な対応ができないのと
  まったく同じコトが違うカタチで
  食事介助の場面でも起こっているのです。
  だからどうしたら良いのかわからない。。。
  でも、これらは私たちの側の問題なので
  私たちが変われば違う現実が現前する可能性があるのです。

ムセは誤嚥のサインですと言うかもですが
身体のどこがどう機能してるから誤嚥のサインだと説明できますか?

もう一度、お尋ねします。

ムセって何?

 

 

 

 

 

 

答えです。

ムセとは、
気管に食塊などの異物が侵入した時に
声帯を激しく内外転させ
呼気のパワーで喀出させようという働きです。

誤嚥のサインであると同時に異物喀出作用でもあるのです。

現場あるあるの誤解が
「強く激しいムセ=誤嚥の酷さ」という誤解です。
これはもうホントに根深い誤解です。

強く激しいムセ=異物喀出能力の高さ なので
強く激しくムセる方がいたら、ムセを手助けして
しっかりとムセ切っていただくことが大切です。
ムセ切った後に声の清明さを確認できれば食事を再開できます。

ムセにおいて
最も怖いのが、サイレントアスピレーション ムセのない誤嚥です。
運動もしくは感覚の障害でムセることができない状態です。
ムセないのと、ムセることができないのとは、まったく違うのです。

ムセの激しさと誤嚥のひどさが比例しているわけではないのです。

ムセの激しい方よりも、気をつけなくてはいけないのは
弱々しくしかムセられない方のほうなんです。
弱々しいムセとは、異物喀出作用の弱さを示しています。
 
「弱々しいムセ=大したことのない誤嚥」という誤った認識で
食事介助を続けてしまう人は大勢いますが
異物をきちんと喀出しきれていない状態のまま食べさせている 
というとても危険な状態を作ってしまっていますし
そのことに自覚がないという二重の意味でとてもリスキーなんです。。。

言い換えれば
食事介助において
あまりにもムセの有無が過大視させられていて
もっと観察しなければならないことが見逃されてしまっているのです。

ムセは結果として起こっているので
どのような食べ方をしている結果としてムセたのか
というところをこそ、観察する必要があります。
(ところが、そうしていない人の方が圧倒的に多いのです)

  観察し損ねているから
  何が起こっているのか、わからない。
  だから、「ムセないようにゆっくり介助しましょう」
  と言うことしかできず、安全に食べてほしいと願いながら
  ムセをなくす介助ができなかったりします。
  私は「ゆっくり」ではなくて、
  たとえば
  「2回の喉頭完全挙上で完全嚥下しているから
  必ず2回目の挙上を目で見て確認してください」
  のように伝えています。

  ゆっくり介助すると言われても
  どこをどう介助するのがゆっくりなのかわかりませんよね?
  副詞を使った言語化では気持ちを込めることはできても
  状態や行動の明確化がされにくいので
  再現性の担保をすることは難しいのです。
  私は基本、副詞を使わずに
  名詞と動詞を使って言語化するようにしています。
  名詞と動詞で言語化できない時には
  観察できていないのです。

ムセは、
喉頭挙上の能力低下で起こることも確かにありますが
生活期の臨床現場で最も多いのは
咽頭期の本来の能力は保たれているのに
口腔期の能力低下によって二次的に咽頭期の能力低下が起こる場合であり
しかも、この場合の口腔期の能力低下が
誤介助誤学習によって引き起こされるケースが圧倒的に多い
ということはほとんど知られていません。

CVA後遺症急性期などのケースでは摂食・嚥下リハは必須ですが
高齢者や生活期にいる方にとっては
摂食・嚥下リハよりも食事介助と介助中の観察の方が重要です。
そして、食事介助に気をつけるだけで食べ方が改善されるケースは
日常茶飯事、枚挙にいとまがありません。
もっと言うと、摂食・嚥下リハをいくら頑張っても
漫然とした食事介助が為されれば、
効果が出ないどころか逆効果になってしまうことすら起こり得ます。

古くて新しい食事介助の問題について
問題は多数あって、しかも錯綜している現実を
これからの記事で解きほぐしていきます。

 

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ウソみたいなホントの話:食事介助編

声を大にして言いたいのは
重度の認知症のある方の食べ方も
介助を含めた環境との相互作用の結果であるということです。

だから
介助が変われば食べ方も変わる
 
喉頭完全挙上できなかった方ができるようになったり
頚部後屈して食べていた方が
頚部前屈を伴う上唇での取り込みができるようになったり
開口してくれなかった方が開口できるようになったり
ためこんでしまい食事に時間がかかっていた方が
スムーズに送り込めるようになり
結果として食事摂取時間が短縮されるようになったり
板のようにガチガチだった舌が柔らかくなったり
食べられるようになる(舌の動きが改善される)ことで発語ができたり

食事介助を変えるだけで
疎通困難な重度の認知症のある方でも
食べ方は変わります。

どれもみんな本当のことです。
日々、感動しています。
認知症のある方の能力に。
ここまでわかってるんだということに。

「食事介助」=「何を」✖️「どうやって」 食べていただくか

「何を」という食形態の工夫については、ものすごく発展してきたと思います。
一方で、「どうやって」という私たちの介助については
まだまだ発展の余地があるように感じています。

ムセの有無しか気に留めていない介助者はまだまだたくさんいるはずです。

特別に嚥下リハをしなくても食事介助だけで変わります
というか、むしろ認知症のある方には嚥下リハはせずに
(そもそもできない)
実際の食事場面での介助方法に気をつけた方が良いのです。

もちろん、できる方にはした方がより効果的です。
でも、嚥下リハをすることで混乱したり不安になったり
できなかったりする方には、しない方が良いのです。
「できない」「わからない」というネガティブな感情を惹起させる体験は
マイナスにしかなりません。

食べ方は介助者によって良くも悪くも変わります。
ものすっごく流動的です。

食事介助というのは、対象者と介助者との協働作業です。

全員が適切な介助ができなかったとしても
たった一人でも的確に介助ができれば確実に変わります。
自分一人がちゃんとしたって。。。と感じてしまうこともあるかもですが
絶対に効果はあるから諦めないでほしい。

認知症だから誤嚥性肺炎は仕方ない
なんてとんでもない誤解です。
確実に誤嚥性肺炎を減らすことができます。

ポイントは
対象者の食べ方を摂食・嚥下5相にそって観察することです。

そして
食べ方を修正しようとする、のではなくて
無理なく食べられるように援助する、という視点から介助することです。
この修正ではなく援助するという立ち位置が最も重要です。

なぜなら
先の記事で紹介した「立ち上がり」と同様に
「食べる」ことについても身体協調性の低下が起こっているからです。
 
認知症のある方の食べ方の困難の多くは
私たち介助者の不適切な介助に原因があり
不適切な介助にも適応しようとして誤学習が起こっています。

確かに
認知症のある方に、食べることに関するウイークポイントはあります。
歯がない、オーラルジスキネジアがある。。。
でも、それらを拡大再生産してしまっているのは私たちなんです。

それなのに
必死に食べようとしていることに気づかずに
「問題点」として状況を悪化させてしまっている。。。

だからこそ
認知症のある方の食べ方は変わる可能性があります。
たくさんの方が変わっていきます。

修正すべきは、むしろ、私たち介助者の側にあります。

 

 

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協調・協応低下への対応

認知症のある方の食事場面で
協調や協応の困難によって
介助が難しくなるケースは
案外多いものです。

そのような場合に
認知症のある方の食べ方に問題を限定してしまい
介助者側の問題を自覚できないと
あっという間に本当に食べられなくなってしまいます。

 そもそも
 食事介助の怖さ・奥深さが知られていなさすぎます。
 ぜひ、「スプーン操作を見直すべき兆候」ご確認ください。

身体協調性が低下していて
食具や介助者のスプーン操作にうまく協応できない方でも
感覚はちゃんと残っています。
全てを認知症のせいにしないで欲しいなと思います。

不適切なスプーン操作をされた時に
「食べにくい」と感受することはできます。

そして、必死になってなんとか食べようとするか
あまりにも食べにくいので食べられずにいるか
どちらかの行動を起こします。
 
それらは、多くの場合に
「変な食べ方」「ため込み」「吐き出し」「食事拒否」
という不適切行動として私たち介助者に目には映ります。
そして、ここだけを切り取って不適切行動の改善を目的に
対応を考える。。。というのが現場あるあるですが
そもそも、不適切なスプーン操作をしなければ
認知症のある方の不適切行動も起こらないのです。

起こってしまった不適切行動を
合理的な能力発揮に向けて
行動変容を促すのは大変なことですが、可能です。
ヤマほど経験しています。
 
HDS-Rが0点、意思疎通困難な重度の認知症のある方でも
行動変容は可能です。
そして、意思疎通も改善されていきます。

ある方は、
頚部前屈しながら上唇を丸めて取り込めるようになり
「なんだ、下を向けばいいんだな」とご自身から言って
嚥下する時に自身で頚部前屈の動きをした方もいます。

衝撃の言葉でした。
「なんだ、下を向けばいいんだな」
この言葉には
どうしたら良いかわからなかったことがわかった
というニュアンスが含まれているからです。

その方は
どうやって食べたら良いのかわからず
食べにくさを食事介助をされるたびにその都度違和感を感じ
この方なりに試行錯誤をしていたのだと思います。

食事介助は
いかに口の中に入れるか
ではありません。

その方がどうやって食べようとしているのかを観察・洞察し
より合理的に食べられるように的確に援助できるのが
食事介助の本質です。

食事介助を的確に行えるということは
同時に
食事という場面で起こっている
環境感受・認識・適応という一連の行為をも
援助することですから
意思疎通困難な方が食べられるようになると同時に
疎通も改善されるのです。

今までの私たちの問題設定が間違っていたのです。

認知症のある方の食べることに関する困難の多くは
ちょっとしたウィークポイントを
拡大再生産してしまった私たちの介助に起因しています。

逆に言えば
食べることの困難を劇的に減らすことは可能なのです。

認知症のある方の食事介助は難しい。
ためこみや吐き出しする人にどう介助したら良いのか?

このような間違った問いには、正しい答えは返ってきません。
今、私たちがすべきことは問いを正すことです。

私たち介助者と認知症のある方との協働作業である
「食べること」を
援助の原点に立ち返って
まず、私たち自身の介助を問い直すことです。

ぜひ、「スプーン操作を見直すべき兆候」をご覧ください。

スプーン操作を見直し
適切な操作を確実に実現することができるようになった時に
認知症のある方の食べ方が変わることを実感できるようになるでしょう。

「食べさせること」と「食べる援助」との違い
認識できるようになるでしょう。

「どうやって食べさせるか」
「飲ませるか」
という観点で為された対応によって
一時的には効果があるように見えることもあるでしょう。
 
けれど、短期的なその場の効果はあっても
それらは本当の能力発揮を援助するものではないので
必ず破綻して長期的には一層の困難というカタチで
ご本人にも介助者にもはね返ってくるものです。
 
それらは実際に現場で起こっているはずなんです。
見れども観えずになっているかもしれないけれど
気がついている人もいるはずなんです。

 

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開口したまま介助を待っている方

認知症のある方で
食事場面で口を開けたまま食塊を入れてもらうのを
待っているような方の場合
頚部後屈していることが多いものです。

このような時に
介助しにくいからといって
決して上の歯でこそげ落とすような介助をしてはいけません。

その場では
ムセることがないからと問題視することができないかもしれませんが
「カタチとハタラキ」の記事でも説明したように
食べ方というカタチには
食べる能力と困難というハタラキが反映されているものです。

  食事介助ではムセの有無しか気にしていない人も多いのですが
  ムセの有無しか気にしていないと
  食べ方というカタチすら見ていないので
  ハタラキも観ることができようはずもありません。

この時点で
ハタラキには大きな問題が生じています。
にもかかわらず、上の歯でこそげ落とすような介助をすれば
食べ方の問題を増悪させてしまいます。

たとえ、その場ではムセていないとしても。

開口したまま待っているような方というのは
その前段階として、必ずそのような食べ方を
引き起こしてしまう不適切な介助があったはずです。
つまり、
上の歯で食塊をこそげ落としたり
口の奥にスプーンを入れたり
斜め上に引き抜くようなスプーン操作をしたり。。。

誤介助誤学習が起こっているのです。
不適切な介助にすら、適応しようとして
自らの食べ方を低下させてしまったのです。

自らのスプーン操作を振り返る介助者は少ない。
ぜひ、「スプーン操作を見直すべき兆候」をご確認いただきたいと思います。

口を開けたまま食塊が入ってくるのを待っているような方に
「口を閉じて」と言葉でいくら言ったとしても
開口するしかない介助(例えば、上の歯でこそげ落とす)を
介助者が行動として行なっていれば
自身の身体に直接作用する介助者の行動に対する応答を優先し
口を閉じることはないでしょう。
 
その表面的な表れだけを見て
「口を閉じてって言っても認知症だから口を閉じて食べてくれない」
「どうしたら良いだろう?」
などと問題設定をするのは、本末転倒でしかありません。

じゃあ、どうしたら良いのか

今を否定せず
より良い食べ方を促します。

口を開けたまま待っている状態を否定せずに
口を開けたまま待っている状態でも
より安全に食べられるように
箸を使って食塊を歯もしくは歯ぐきの上に置きます。

そうすれば、自然と口唇閉鎖しますから
タイミングを見計らって頚部前屈を動作介助します。

食べるという一連の動作の中で
自然と頚部前屈を伴う口唇閉鎖を促します。

ここでのポイントは
頚部前屈というハタラキを促すことで
頚部前屈というカタチに至らなくても良いということです。

頚部前屈というハタラキが出てくれば
口唇閉鎖というカタチが容易に現れるようになります。

箸を使った介助で口唇閉鎖が出てくれば
食塊をとりこむ時に口唇閉鎖を促せる食具と介助方法を導入します。

ここは、その方のそれぞれの状態に応じることになります。
すぐに、スプーンで下唇や前舌を押すだけで口唇閉鎖を促せる方もいれば
いったん、ストローを使って口唇閉鎖の強調体験をした方が
次のスプーンへの適応がスムーズに進む方もいます。

そこはきちんと観察・洞察して決定します。

不適切な介助への合理的適応の結果としての
不適切な食べ方をしていた期間が短ければ短いほど
行動変容はより容易により短期間で起こります。

逆に言えば
そのような期間が長ければ長いほど
適切な介助ができる人と遭遇できなかった場合には
誤嚥性肺炎になってしまったり
食べ方がわからなくなってしまって
食べる能力を持っていながらも
本当に食べられなくなってしまうことも起こり得るのです。

食事介助は本当に怖い

 

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「食べる」再学習:食具

中核症状とBPSD

自力摂取している方に
スプーンの工夫もしますが
 
介助が必要な方に食具を選択することも
食べる能力を発揮していただくためには重要です。

「何を」「どんな風に」
の部分で言えば、「何を」という食形態に関して検討されても
「どんな風に」の介助方法の部分は意外と疎かにされがちです。

スプーン操作の基本を知らない人はとても多くいます。
「スプーン操作を見直すべき兆候」をご覧ください。
これらの兆候ひとつひとつを
「私はしていない」と言明できる人がどれだけいるでしょうか?
「そんなところ見ていなかった」という人の方が圧倒的に多いはずです。
ぜひ修正していただきたいと思います。
そうすれば認知症のある方や生活期にある方が
どれだけ食べるチカラを持っているのか
どれだけ誤学習を起こしているのか
どれだけ誤学習から正の学習へ切り替える能力を持っているのか
ということがはっきりとわかるようになると思います。

通常使っているスプーンにとらわれることなく
必要であれば、Kスプーンとまでいかずとも
小さな平らなスプーンも使いますし、箸も使います。

幼児用のマグカップを使用したこともあれば
ストローを使うこともあれば
シリンジを使ったこともあります。

食具の選択には大きな意味があります。

準備期に直接的な影響を及ぼします。
つまり、
食具の選択は、準備期の能力を把握しているからこそできるのです。

臨床現場あるあるなのが
不適切なスプーン操作にも適応しようとして誤学習を起こすと
「食べる」協調性が低下してしまうことです。

協調性が低下した結果としての食べにくさを
表面的に捉えて問題視するような方法論は
あまり効果的ではありません。

むしろ、今の能力でラクに食べられるような
食形態と食具と介助方法を選択して
食べ方の再学習を図る方が効果的です。

協調性が低下したとしても
能力はさまざまに発揮されています。

上唇を丸めて取り込めないけれど
口唇閉鎖だけはできる。ということも多々あります。

体力低下していると
上唇を丸めてとりこむだけのパワーがない
ということも多々あります。

そのような時には
箸を使って介助した方がラクに食べられ
再学習が進展しやすい

ということがよくあります。

開口しなかった方が
開口してくれるようになると
それだけでホッとして(気持ちはわかりますが)
食べ方の観察・洞察なしに
スプーンでどんどん介助してしまうということも
食事介助の現場あるあるです。

食べ方をきちんと観察していれば
確かに開口はするけど上唇のとりこみが見られずに
上の歯でこそげるようなとりこみを代償として用いていることに
気がつくこともあるでしょう。

このような代償も誤介助誤学習の結果なのですが
そのことに気がつけずに漫然とした食事介助を続けていると
今は開口して食べられていても
早晩送りこめなくなってため込んだり、
また開口しなくなったり、
という状態になってしまいます。

食べ方の観察・洞察ができないと
今、表面的に結果として起こっている事象
しかも介助者にとっての不都合な事象しか見ていないために
短期的なメリットを追求し、かえって長期的な困難を惹起する
ということが食事介助の現場で起こっていることです。

摂食・嚥下5相の知識に基づいた観察をしながら介助することの重要性を
どんなに強調しても強調しすぎることはないと感じています。

 

準備期の能力発揮には段階がある・・・・・・・・・・・・・・・・

・上唇を丸めてとりこめる
・上唇を丸めてとりこめないが、とりこもうとする形にはなる
・上唇でとりこもうとする形もみられないが、口唇閉鎖はできる
・口唇閉鎖も不十分

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

これらの段階が
誤学習なのか、自身の代償も含んでいるのか
食塊の認識がどの程度可能なのか
といった観察・洞察のもとに
通常スプーンを使用するのか
小さくて平らなスプーンを使用するのか
箸を使用するのかを判断します。
水分摂取に関しても
ストローが良いのか、スプーンが良いのか、コップが良いのか
判断していきます。

脱水や低栄養で体力低下していると
通常のスプーンで「食べる」ことで
摂取するエネルギー、栄養補給、インプットよりも
消費するエネルギー、アウトプットの方が多くなり
体力消耗
してしまいがちです。

そのような時にも身体の負担の少ない
液体の栄養補助食品を使用したり
上唇でのとりこみをせずとも食べられるように箸を使用したりします。

食べ方や飲み方の改善に伴い、食具も切り替えていきます。

準備期=食塊のとりこみ=食事介助
というのは、本当に怖い

経験を重ねるにつれ
認知症のある方の「食べる」チカラの凄さを知るとともに
食事介助の怖さを思い知らされています。

 

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食べる再学習:食形態

中核症状とBPSD

前の記事で
今の能力でラクに食べられる食形態
と言いました。

能力とは機能を意味しません。
機能はあっても誤介助のために能力として発揮しきれない場合や
機能はあっても協調性が低下してしまって能力が発揮しきれないことも
臨床あるあるです。

私の実践は機能を上げることを目的とはしていないので
間接訓練は基本的には行なっていません。

本来の機能を能力として発揮できるように
直接訓練として実際の食事場面や水分補給の場面で実践しています。

「食べる」ことは認知症のある方と介助者との協働作業ですから
「何を」「どのように」食べるのか、援助するのか
ということが問われます。

「何を」という面では
食形態は本当に選択肢が増えました。

当院では
ゼリー食・ミキサーペースト食・ミキサーソフト食・長刻み食・荒刻み食・軟菜と選べます。
お粥も全粥・ミキサー粥が選べます。

ゼリー食の中で
よく使うのが液体の栄養補助食品、ネスレ「アイソカル100」です。
(もちろん必要に応じてその他の栄養補助食品も使っています)

水分と栄養を同時に摂取できるのが良いところですし
大きさもコンパクトなので見た目の圧迫感もありません。
複数の味から選ぶことができます。

食べる困難を抱えている方に対して
液体の栄養補助食品はあまり選択されないようですが
現実には、
咽頭期に本質的な問題がある方は少なく、
口腔期に本質的な問題がある方の方が圧倒的に多いので
私は液体の栄養補助食品を多用しています。

このあたりの考え方は、
摂食・嚥下ピラミッドとは考え方が一部異なりますが
そもそも摂食・嚥下ピラミッドは
生活期の方ではなく急性期の障害の方に対して考案されたものですので、
状態像が異なる方に対して異なる考え方をして当然だと思っています。

また、
液体の栄養補助食品よりも
もう一段前の段階として活用しているのが
グリコの「アイスの実」です。
こちらもいろいろな味があります。

 

直径1.5センチほどの1粒を1/3〜1/4にカットして使ったこともありました。
上顎に押し付けると表面がすぐに押しつぶされて
じんわりと中身が溶けるのがとっても使い勝手が良いのです。

1粒そのままを咀嚼し送り込み嚥下できるようになると
相当、口腔期の能力が戻ってきていることの証左となります。

それから
小袋4つで発売されている「かっぱえびせん」
通常の味もありますし
塩分控えめの「1才からのかっぱえびせん」もあります。
(4連で¥100円くらいだったと思う)

食べ方の改善に合わせ
食形態も変化させていきます。

控室には、いつでも使えるように
かっぱえびせんとアイスの実が常備してあります (^^)

 

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「食べる」再学習:基本

中核症状とBPSD

認知症がある方で「食べる」困難のある方でも
多くの場合、もう一度食べられるようになります。

なぜならば
「口を開けてくれない」
「ためこんで飲み込んでくれない」
「吹き出すほどムセる」
などの「食べる」困難は
多くの場合に、認知症という状態のせいではなくて
不適切な介助にすら的確に適応しようとして誤学習を起こした結果だからです。

クリスティーン・ブライデン氏は
「異常な環境には異常な反応が正常だ」
と言いましたが、まさに!

誤介助によって引き起こされた誤学習なので
正の介助ができれば正の学習が起こります。

 正の介助ができるためには
 摂食・嚥下5相の知識があり
 認知症の知識があり
 それらの知識に基づいた「食べ方」の観察ができ
 「食べ方」に反映されている能力と困難を洞察することができる
 ことが前提要件その1です。

 前提要件その2は
 スプーン操作をはじめとする
 的確な食事介助を行える技術を持っていることです。

 現実には
 (残念なことですが)
 2つの前提要件をクリアできている人って
 そんなにいるものではありません。

 つまり、
 今、私たちが見ている

 認知症のある方の食べる困難は
 前提要件を満たしてない人が介助した結果の姿です。
 
 そして、
 前提要件を満たしていない人は

 前提要件を満たすこととの違いを
 説明されてもわからないということは往々にしてあることです。

 でも、この現実は裏を返せば
 2つの前提要件をクリアしさえすれば
 認知症のある方や生活期にある方の「食べる」困難を激減させることは
 可能だということを意味しています。
 (この問題については、別の記事で詳述します)

話を元に戻すと
正の介助、正の学習のために
イマ、ラクに、食べられるように食環境を調整します。

多くの場合に
いったんは、食形態を下げる必要があります。
再学習が起こりやすいように
今の能力でラクに食べられるように
「食べる」失敗体験をしないように。

このようなお話をすると
難色を示す人が大勢います。

たぶん
食形態を落とすともう二度と今までの形態が食べられなくなる
と心配するのではないかと推測します。

でも
そのような心配が起こるのは
「食べられなくなったのは認知症のせい」という考えが潜んでいるからです。
現実は違います。
「食事介助を受けている方が食べる」とは
認知症のある方と介助者との協働作業に他なりません。

「食べる」再学習が進みやすいように
いったんは食形態を落とし
適切な食事介助が行えれば
その方の能力に応じて
もう一度以前の食形態で食べられるようになる方の方が
圧倒的に多いのです。
 
「食べられなくなったのは誤介助誤学習のせい」と知れば
食形態を落とすことへの心配よりも
自身の介助の適切さへの心配の方が先立つはずです。
そのような方は
「認知症のある方も食べられるようになるスプーンテクニック」
をぜひ読んでみてください。
具体的に明確に介助において気をつけるべきポイントを説明してあります。

それでは
食形態と介助する食具を工夫することで
より適切な食環境を段階づけしながら提供できる
ということについて次からの記事でご説明していきます。

 

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