Tag: 状態把握
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オーラルジスキネジアのある方の
食事介助を不用意に行うと
食べにくさからストレスになったり
職員も適切な介助ができずに
全介助でも食べこぼしが多くなったり
誤嚥性肺炎に罹患してしまったりしがちです。
オーラルジスキネジアがあっても
自分のテンポで食べていたから
食べこぼしもムセもなく
結果的に「問題」が起きていなかっただけで
食べ方の困難に職員が気づけていなかった
。。。というパターンはよくあります。
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アルツハイマー型認知症や
前頭側頭型認知症のある方で
かなり多いのが、オーラルジスキネジアが出現している場合です。
顎が勝手に動いていたり
舌が勝手に動いていますが
それでもお話は普通にできたりお食事も自分で食べているので
職員が気づかずに見過ごしてしまう。。。ことがあります。
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多職種連携において
大切なことは
再現性のある表現で伝えること
モチロン究極的には言語化できない部分も
あるとは思ってはいますが
再現性のある表現を心がける、実行する
…という過程において
とりもなおさず
こちらがどれだけ的確にわかっているか
ということが問われ返されているということでもあります。
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そんな時には
まず、状態像の理解を得てもらえるように
しています。
オススメなのがビデオ
「見れども見えず」
見ているけれども見落としている
…ということはたくさんあります。
まずビデオで「現実」を見てもらい
その現実が意味することを言葉で説明する。
場合によっては
さらに、もう一度ビデオを見てもらう。
この方法は効果的だと感じています。
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臨床で案外、テ抜きになるところだと感じているのが
状態像を共有化するということ。
知識がなければ
今、目の前で起こっていることの意味がわからない。
行動に投影されている能力も障害もわからない。
そのような状況で
「〇〇をしてください」
「△△という対応をするようにしましょう」
というような方法論の統一が
功を奏することは大概少ない。
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認知症のあるAさんに
どんな風に関わったらよいのか
もちろん
Aさんの体調によって
また場面の優先性によって
異なることはあるでしょうが
おおまかな方向性は言えると思う。
なぜAさんにとって
そのような関わり方が適切なのか
根拠を説明できることが必要だと思う。
その根拠は
倫理や道徳面ではなくて
(必要ないと言っているのではありません)
Aさんの能力と障害と特性によって説明でき
実際のAさんの生活障害の改善によって証明される
ものだと考えています。
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自分の価値基準に照らして
信頼できるかどうか判断しているわけで
それは、その人との共同体験を通して判断しているわけで
(人によっては他者の評判が判断基準のこともあるかもですが)
認知症のある方だって変わりはない。
担当者との関係性において
信頼できそうかどうか判断している。
判断基準がより感覚的なものに偏ることはあったとしても。
大切なことは
目の前にいる認知症のある方が
「この担当者は信頼できそうな人かどうか」
判断できるような「共同体験」を提供することなんだと思う。
結果として
挨拶を重ねることがそれに値することがあるのだと思う。
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認知症のある方に対して
挨拶を重ねて会話を重ねて
なじみの関係を作ってラポールを形成してそれから…って
言われているようですが。
ラポールは結果として形成される。
私はそう感じ考えて行動しています。
私たちだって
「よく知っている人=信頼している人」
というわけではない (^^;
ですよね?
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