Tag: リハビリテーション
![IMG_0516](http://kana-ot.jp/wp5/wp-content/uploads/2011/11/IMG_0516-300x225.jpg)
事実を積み重ねると浮かび上がってくる。
〇〇という言動が見られた。
だから、△△と考えた。なんて無理矢理考えなくていい。
実習に来た学生さんには必ずそう伝えています。
認知症のある方の言動に
無理矢理意味を当てはめようとするのではなくて
認知症のある方の言動を
今日、明日、あさってと
積み重ねていくと
時系列の縦糸
異なる場面での横糸
どちらの方向にも、自然とつながってくる「線」が浮かび上がってくる。
浮かび上がってきた線を
手元にある情報と照らし合わせると
自然と明確になる「意味」が見えてくる。
見えてきた「意味」と
これから見える言動を照らし合わせると
「意味」に無理があったのかどうかも浮かび上がってくる。
「無理」だったら「意味」を見直せばいいし
無理がなければ「意味」をスタートに進めばいい。
「線」が浮かび上がってこない時には
見てるようで見えていないから
見ることを積み重ねればいい。
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![IMG_0517](http://kana-ot.jp/wp5/wp-content/uploads/2011/11/IMG_0517-300x225.jpg)
チームワーク、多職種連携において
出発点となるのは
まず、自分がやってみせられることだと思う。
自分が関わったことによって
こんなに変わったよ、お互いにラクになったよ
他の職種にも
はっきりとわかるくらいに
「言う」よりも「やる」方が先。
80%「やれる」人なら
話の土俵に乗れる。
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![IMG_0442](http://kana-ot.jp/wp5/wp-content/uploads/2011/10/IMG_04421-300x225.jpg)
昨今の作業療法の潮流として
気になる傾向がひとつ。
SDMは忘れてはならない視点だと思ってる。
でも
言語化できない方への対応をどうするのだろう?
そもそも
人は誰でも言語化できるコトだけで暮らしてるわけじゃない。
言語化=自明の世界と同じくらい
暗黙の身体知の世界が広がってる。
「言語」ではない「作業」だからこそ
可能な「場」をそのままに
活用することが可能だからこそ
「作業」のメリットもあるのでは?
河合隼雄の扱っていた「箱庭」の意義も
言語ではできないこと
言語にしなくてもよいこと
言語にしないほうがよいこと
それらを「表現」「体験」することにあったのでは?
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![IMG_0521](http://kana-ot.jp/wp5/wp-content/uploads/2011/11/IMG_0521-300x225.jpg)
提供したActivityが
その人の能力と特性に合致していると
思わぬ昔語りをしてくださることがある。
そして
得てしてこのような
体験を通した「自分語り」は
他者が聴取した生活歴には出てこないし
「何かやりたいことはありませんか?」と
言葉で聞いても、イラストや写真で尋ねても
出てくることは、ほとんどない。
(認知症のある方だからかも。ですが)
「作業」は、それだけのチカラを持っている。
「作業療法士」は、それだけの可能性を持っている。
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![CIMG0918](http://kana-ot.jp/wp5/wp-content/uploads/2011/11/CIMG0918-300x225.jpg)
苦手なコトは、化けるチャンスかも。
得意なコトは自然にできちゃうからこそ
見落としてたりすることもあるけど
苦手なコトは、わからない、うまくできないからこそ
勉強するから
知らなかったことを知ることができる
実践においても
意味を考えながら、明確化しながら
行うことになるから
苦手なコトこそ、適切に行えるコトに化けるチャンスかも。
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![CIMG0909](http://kana-ot.jp/wp5/wp-content/uploads/2011/11/CIMG0909-300x225.jpg)
実は。。。
私は(今でも)あんまり人付き合いって得意じゃないし
かつては、言葉に対して、尊敬をもてないでいたんです。
そんな人間がおこがましくも
こんなコンテンツを担当させていただいているのですが (^^;
「言葉」に対して違和感を抱いていた時に
(正確に言えば、言葉を扱う「自分」「人」なんですが)
子どもの絵本とか読んでいたことがあります。
楽しむためじゃなくて必死に
言葉の扱い方を勉強するために
言葉を適切に扱えるようになるために
その時にわかったこと、調べたことは土台となって
認知症のある方への声かけに活きてきたように感じています。
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![IMG_0446](http://kana-ot.jp/wp5/wp-content/uploads/2011/10/IMG_0446-300x225.jpg)
すでに何回も登場している
「ゲド戦記」アーシュラ・K・ル=グウィン
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/jidou/index_ged.html
何回も読み直している大好きな、私にとっての宝物の本。
「ゲド戦記 IV 帰還」に
「学び方は学んであった」という記述が出てきます。
闇の世界で育ち、
ゲドを助け、助けられ、
その後まったく未知の世界で暮らすことを選択したテナー
新しい場所で自分は何も知らない、何もできない
けれど学び方は学んであった。
学び方を知っているおかげで
新しい場所で初対面の人から教えられたことを習得していった。
「学び方を学ぶ」
最初にこの言葉に出会った時に、ちょっとひっかかった。
当時は他の言葉にもっと強い印象を受け
しばらくは忘れてた。
しばらくして、またこの言葉に戻ってきた。
あぁ、そうなんだ。
実習で大切なことって
一連の過程を通して「学び方を学ぶ」ことにあるんだ
そう思い出したことがあります。
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![IMG_0446](http://kana-ot.jp/wp5/wp-content/uploads/2011/10/IMG_0446-300x225.jpg)
あちこちでいろいろな団体主催の研修会が
花盛りの今日この頃ですが
世間広しと言えども
「目標設定」の研修って聞いたことがありません。
昨年、作業療法総合研究所OTLabの主催で
研修会の講師を務めたくらいです (^^)
今日は小田原OT勉強会で「目標設定」について
お話をいたしました。
雨の中、ご参加くださったみなさま
どうもありがとうございました m(_ _)m
「目標設定」をめぐる現状に
何とか風穴を開けたいと思っています。
今日、お話を聴いてくださった方から
実践の輪が広がっていくことを願っています。
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