Tag: リハビリテーション

講演@大井町

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平成27年10月26日(月)に
大井町保健福祉センターにて開催された
「みんなで認知症について学びましょう
〜自分らしく大井町で暮らすために必要なこと〜」
の第1回目の講座
「認知症の方との関わり方〜ご本人の笑顔の秘密」を
お話してきました。

担当のMさんには本当に良くしてきただき
深く感謝申し上げます。
直接お会いする前から、こちらへお立ち寄りくださっていたとのこと
こんな風にお会いすることができるんだと
私もとても嬉しく思いました。

また民生委員さんはじめ参加者の方が
とても熱心にお話を聴いてくださり
質問からもふだんから地域で熱心に活動されていることの一端が
伝わってきました。
小田原市内の公民館をまわってお話させていただいても
必ず民生委員さんが参加してください
どの地域でも熱心に活動されていることが伝わってきて
本当に頭が下がります。

地域で暮らしていくことの実現のために
Mさんや民生委員さんはじめ
今もう既に一生懸命に取り組んでおられる方が
こんなにもたくさんいらっしゃることに
私も励まされました。

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システムの扱い方の問題

我慢のしどころ

システムの扱い方の問題なのに
違うシステムに交換しちゃえば
問題解決できるかのような認識が問題だと思う。

結局、同じコトが違うカタチで現れるだけ。なのに。

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POSTインタビュー その2

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「POST 理学療法士によるリハビリ職者を目指す人のためのサイト」に
私のインタビュー記事その2 が掲載されました。
http://1post.jp/2015/10/21/interview143_sato_yoshie02/

よろしかったら、お立ち寄りください。

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BPSDの改善じゃなくて

ちょっと待った

認知症のある方の
「BPSDをどうしたら改善できるのか」じゃなくて
「BPSDが起きてる場面全体を観察」することが最初。

その時に
たいていの人が忘れてるのは
認知症のある方の評価を根拠に観察する。ということ。

評価は評価として行っていたとしても
その評価と場面の観察が切り離されてることがすごく多い。

「見れども観えず」になってる。

認知症のある方が
その場面の中でどんな風に感受し認識し表現しているのか
ということを評価を根拠に観察できないと
「認知症のある方にとって」今起こっていることが
まったくわからなくなっちゃって
そうすると、どうしたらよいかもわからなくなる。
「自分たちにとって」のBPSDという見方しか
できなくなって、どつぼにはまっちゃう。

「その人のペースで」
「その人に寄り添って」
という言葉はキレイな言葉だけど
私はあんまりこういう言葉は使わない。使えない。
抽象的な表面的なキレイな言葉を使うことで
具体的に感受し思考することを停止してしまうのは
正反対のことだと考えているから。

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対象者の方が最前線

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科学は過去の知識の修正の上に成り立つ学問だから
先人たちが積み重ねてこられた知識は大切だけど
一番大切なのは
目の前にいる対象者の方

知識を目の前の方に当てはめるのではなくて
目の前にいる対象者の方の役に立つように
知識を活用する

いつだって
対象者の方が最前線

だから、PDCAをきちんと回すしかない

そう考えています。

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困りごと ≠ 悪いこと

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生活障害やBPSDは
確かに本人にとっても周囲の人にとっても
困りごとではあるけれど、悪いこと=問題点じゃない。

悪いからなくそう、良くしようという視点で現実を眺めることで
事実を見誤ってしまっているのだと思う。

悪いことをなくすためにどうしたらいいのか
という問いの立て方が不適切だったのなら
問いを立て直せばよいのだと思う。

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誤介助による食べ方の誤学習 3

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認知症のある方の「食べる」ことの困難は
当初は、先行期や準備期、口腔期にあって咽頭期にはないことが多い。

そして、それらの困難は
実は、認知症のある方「だけ」の問題に由来するのではなくて
認知症のある方のちょっとした困難に
プラスαして、介助者側の不適切な介助によって
悪循環として起こっていることが圧倒的に多い。

その結果、当初は問題のなかった咽頭期に
喉頭挙上の遅延や不完全挙上、複数回挙上などが起こる
そして、誤嚥性肺炎になってしまう場合が多い。

人の手によって
助長された事柄なら
人の手によって
改善することもできる。

そのようなケースをたくさん体験しています。

なぜなら
「食べる」という行為は
赤ちゃんの時から繰り返し繰り返し行ってきた
究極の手続き記憶だから

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150歩への可能性

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そんな状態でも
ちゃんとした介助−スプーン操作をすれば
開口時に舌先が下の歯の付け根についた状態に戻る。

最重度の認知症のある方でも
残っている能力で
常に環境適応している。

食事介助中に
ムセの有無しか見ていないと
この変化に気がつけない。

人間を含めた大自然の神秘に比べれば
気づきの違いは、五十歩百歩かもしれない。

でも、50歩と100歩は厳然として違う。

その違いの差は
まだ気づけていない150歩への可能性を開いてくれる扉でもある
そう感じています。

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