Tag: リハビリテーション

(株)geneセミナー「対応」@大阪

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株式会社geneさん主催のセミナーが
2月7日(日)、大阪府社会福祉会館にて開催されました。

認知症のある方への対応の工夫を
単なるハウツーやマニュアルではなくて
ICFの理念にそって
評価と結びつけて考えるという視点でお話しました。

担当してくださったKさん
お世話になりました。
どうもありがとうございました。
Kさんから頂いたメールがきっかけで
geneさんのセミナーでお話できるようになったので
お会いできて本当に嬉しかったです。

参加してくださったみなさま
おつかれさまでした。
1月の評価編から引き続き参加してくださった方も
何人かいらっしゃって、ありがたい限りです。

私は本当に遠回りをしてここまで来ました。
これからの人たちが同じ轍を踏むようなことになっては
もったいない。
認知症のある方とご家族の困難が少しでも減るように
もっともっと対応を工夫できる余地があると考えています。
そのためには、余分な遠回りをするような人が1人でも少なくなり
もっともっと上に積み重ねていってほしいと願っています。

私の提唱している考え方と方法論は
ごくごく当たり前で基本的なものです。
だからこそ有効なのだと自負しています。
どんなツールでも下支えできる王道なるものだと。
(おーっと、言ってしまいました)

知らないために苦労されている方
誤解に基づいた方法論に翻弄されて疲弊している方
努力が足りないのではなくて
努力の方向性が違うだけなのだということを伝えたい。
私たちの側の問題なら
私たちの側で解決できるのだということを伝えたい。

認知症のある方と私たちとの恊働で
日々の暮らしの困難をもっと乗り越えていけるのだと。
そして認知症のある方の能力と
人間の脳の可塑性の凄さに触れる機会は
時に対人援助職としての自分が崩れそうになる時にも
励まし支えてくれる場なのだということを伝えたい。

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信頼の重み

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もしも
受け入れるチカラが
自分と他者への信頼にもとづくものであるならば
信頼の重みを改めて思う。

「認知症のある方は忘れちゃうから」「わからないから」
ごまかしたり、ウソを言ったりするケースもあるようですが
なんだかなーと思ってしまいます。

モチロン、そうせざるを得ない事情があったのでしょうし
それ以外の方法論が思いつかなかったからなのでしょう。

今のその場しのぎを
その場しのぎと自覚して行うのなら、まだしも
本来は推奨されるようなものではなくて
推奨すべきは、その場しのぎをしなくてもすむように
より適切な方法論を模索し提案できるようになることだと
考えています。

誰かを信頼する
信頼される
その関係性を継続するには努力がいるけど
失うのは一瞬
そして修復できる時間が残されていない場合だってある。

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信頼と受け入れ

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「ゲド戦記」のゲドが言ったんだと思うけど
「持つべき力は、受け入れる力」という言葉がある。
(そのゲドだって、苦闘したことが描かれてる)

受け入れるチカラって
究極は自分と他者への信頼にもとづくチカラのような気がする。

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もう1つの言葉

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認知症のある方とのコミュニケーションや対応の工夫において
言葉にだけ、頼らないことが大切

もう1つの言葉である「行動」と「声」

身体が発している言葉
身体で伝える言葉

もっと吟味されて
もっと洗練されて
もっと活用される余地がたくさんあると感じています。

どんな病気による認知症のある方でも
体性感覚は、かなり最後まで保たれているから。

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能力に働きかければ能力を発揮できる

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さまざまな生活障害やBPSDは
結果として起こっていることだから
困難というカタチで現れているコトに
能力も障害も投影されている。

生活障害やBPSDという名前で呼ばれている
それぞれの行動だけをきりとって
どうしたら、それらをなくせるのか考えるのではなくて

生活障害やBPSDという名前をつけずに
それぞれの行動をよく観察して
投影されている能力と障害を把握すると
「イマ、ココ」をどんな風に認識しているのか
予想がつく

今ある能力に
どんな「環境」(場面設定、伝え方の工夫)を補ったら
認知症のある方と
私たちが
「イマ、ココ」を共有できるようになるのかを考える

その「環境」の工夫を
私と認知症のある方のいる「イマ、ココ」にそって
考えられるためには
何よりも先にまず障害と能力の把握が必要

そして
認知症のある方の能力に働きかける工夫を考える

私たちは援助することしかできない

能力に働きかければ
能力を発揮できる

その意味を
「イマ、ココ」にそって
具体的に考える努力って
実は、あんまり為されてこなかったと感じています。
だからこそ、これからの課題だと考えています。

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混乱なくできるように

我慢のしどころ

生活障害やBPSDの改善や
Activityの選択にしても
骨折後のリハや
食事介助においても
認知症のある方が混乱なくできるように
そういう方策を考えると
「結果として」諸々の困りごとが少なくなっていく。

過剰努力をさせない
できた!これでいいんだ!と実感できることをする
できることのできかたを良くしていく

そういう積み重ねが大切

いつだって
誰だって
能力は状況と程度によりけり発揮される。

要求されるコトの枠組みの中で
できることを模索する
混乱なくできるようになったら
できることのできかたがさらに良くなるように模索する

それは
時には辛いこともあるけれど
認知症のある方の
能力を探し、見いだし、発揮することの援助だから
とても嬉しく励まされる過程なんだよね。

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綺麗事だから回る

ちょっと待った

本当に凄い人は、本当に謙虚。

昔あるところで骨董屋を営んでいて
錚々たる人たちとおつきあいがあったという人が言っていた言葉
そして、私もその通りだと思う。

「心・技・体」
「真・善・美」

たぶん、どれかを追求すると
必然的に他の部分も引っ張り上げられるんじゃないかと思う。

時には、援助の視点でできないことがあったとしても
その立脚点を忘れさえしなければ
適切な対応というのに、近づいていけるんだと思う。

当たり前のように
「そんなの綺麗事で現実的じゃない」
って言う人もいるけど
それはその人が
綺麗事を追求したことがないから
体験したことがないだけの話。

本当に目の前にいる方の行動変容が起こる時には
「使役」じゃなくて「援助」の観点から
きちんとした評価に基づいた方法で関与した時。

綺麗事だって回る。
綺麗事だから回る。

目の前にいる方に真摯に向き合おうとしているのに
眼を閉じて耳をふさいでいる人から
閉鎖的な体験をもとに否定されて
辛い思いをして
自分自身も
目の前にいる方の可能性も
信じられなくなりそうになっている人にこそ
伝えたいし
伝えられるようになりたい。

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原因ではなく必然

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ICFのポイントは、実はここにあると思う。

いきなりで恐縮ですが (^^;
「ICIDHではなくてICFの考え方で」
ということは、既にもう耳タコ状態だと思いますけど
現実には、ICIDHが顔をのぞかせる…しかも、そのことに気づいてない
って結構よくよくあります (^^;

たとえば
認知症のある方の生活障害やBPSDへの対応に関して
「不安や何らかの原因があるから探索して改善する」
という考え方が現在ケアの最前線で言われていることだと思います。
でも、この考え方って、ICIDHそのままでしょう?
抽象的な理解と具体的な方法論が乖離しているのに
なぜか流行しているとそのまま踏襲されてしまう…(^^;

原因と考えるから、一生懸命な人ほど辛くなるし
莫大な時間とエネルギーを費やした割に
効果は高くなかったりする…(^^;

人口に膾炙していることって
真実ではないけど、真実の一端が含まれているから
ということが多いように感じています。

私は
「原因」ではなくて「必然」と考えています。

「原因」を追求するのではなくて
現状そうなる「必然」がある。
その「必然」を理解した上で。というか、理解できると
(心情的に理解するという意味ではなくて
必然として起こっていることが根拠をもとにわかる。ということ)
どうしたらよいか方策が自然と浮かんでくる。
その方策は
目の前にいる人の不足や困難を修正したり改善したりするのではなくて
その人の能力を活かした方法論に他ならない。
まさしくICFの理念を具体的現実的に表現することになる。

自分も辛くならないし
(だって「修正」って
要するに、その人の今も過去も否定することになるんだもの。
そんなの対人援助職として、イヤじゃん。)
目の前にいる人にも行動変容があらわれる。

「必然」を理解できない時には
焦らない。判断を保留する。思考と感受を停止しない。かな。

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