Tag: リハビリテーション

先手の1手間

今よりも良くなることを望むなら
今困らないようにという視点で対応していても良くはならない。
それは対応が後手に回っている。

先手をうって
1手間かければ
今よりも良くなる

良くなれば
1手間じゃなくて0.5手間くらいですむようになる

1手間かかるんだから
その手は有効な方がいいよね。
無効な1手間だと、消耗してしまうだけだもの。

その手が読めるかどうか。

本当に問われているのは
手間じゃなくて、その手なんだよね。

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POST掲載「誘導」

POST 理学療法士作業療法士言語聴覚士のためのリハビリ情報サイトさんに
昨日、私の記事が掲載されました。

「認知症の方のリハビリ室への誘導のしかた」

「作業療法ジャーナル」vol.51No2にも一部掲載されている内容です。

リハ室に来てしまえば
ニコニコして楽しそうに過ごされるけど
誘導の時に拒否するという認知症のある方は少なくありません。

それは誘導の仕方が「態度として悪い」のではなくて
適切ではない。だけなのです。

リハ室に行ってしまえば楽しまれるんだから
誘導が多少強引だっていいんじゃない?とは思いませんよね。

デイサービスなどにも
行ってしまえば楽しく過ごされるのに
行くまでが大変、お迎えが大変。というケースは案外多いと思います。
そういう場合にも応用できるかもしれません。

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お知らせ「食事」セミナー@gene

まだ先の話ですが
「認知症のある方の食べることの対応」というテーマで
(株)geneさん主催のセミナーが名古屋で開催されます。

詳細はこちらから
http://www.gene-llc.jp/seminar_info/?id=1486545014-978484

平成29年6月25日(日)に
名古屋金山研修センター(ゼミナールプラザ)にて開催予定です。

リハスタッフはもちろん
看護・介護職・歯科衛生士さんその他どの職種の方でも
実際に食事介助に関わっている方ならご参加できます。

ぜひ、お話を聴いて実際に体験していただきたいです。

ほんのちょっとのスプーンの扱い方の違いで
こんなにも食べ方が変わってくるのだということ
そしてその食べにくさが嚥下5相とどんな関連性があるのか
ということについてご説明します。

ご参加お待ちしております m(_ _)m

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体験が引き起こす感情

認知症のある方が施設に入所されたり病院に入院されて
「帰りたい」と言った時に
現実場面においての「帰りたい」という言葉は正当です。

そんな時には「今すぐには帰れずにここにいる理由」を説明すべきです。
そして説明したとしても近時記憶障害があって忘れてしまうとしたら
繰返し「帰りたい」と言われても
こちらも繰返し同じ対応をするしかありません。

そして、その一方で
認知症のある方に
自宅にいる自分とここにいる自分とを天秤にかけて
ここにいる自分の方を善しと感じていただけるような体験を
提供し続ける方策を模索することを考えます。

けれど
もしも現在の暮らしの中の何かがきっかけとなって不安や心配といった感情が喚起され
その感情から過去の同じような感情を抱いた体験を想起したとしたら
別の対応が必要だと考えています。

たとえば
「まだ子どもが小さいから早く帰らないと」
というような言葉を表出された場合です。

見た目にはまったく違うAct.をしながらも
昔とった杵柄時代の思い出とともに感情を表出されるのと
同じコトが違うカタチで現れているのだと考えています。

一方はポジティブに
一方はネガティブに

体験− Occupy – のもつPower は、とても強い。

ピンチはチャンスなのです。

私たちOccupational Therapist は
この強いPowerをもつOccupationを使いこなすことができるプロです。

Powerには向きがありません。
どちらにも転びます。
そして強い効果のあるものほど
用い方によってはマイナスの作用をもたらしてしまいます。

今、ベテランのOccupational Therapistがすべきことは
作業療法の素晴らしさを旗を振って語ることではなくて
若手の作業療法士にも理解した上で実践できるように
Occupationの使い方、用い方を伝えること
マイナスの作用をもたらさないようにするにはどうしたらよいのか
できればプラスの作用をもたらせるようにするにはどうしたらよいのか
その方略をこそ伝えることだと考えています。

今の私に
臨床の場ではない場所で
どこまで伝えることができるのかわかりませんが
最善を尽くしてお伝えします。

 

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Act.の選択

認知症のある方に
Act.の選択をする時に
「昔とった杵柄」をそのまま用いることはしませんが
参考にはしています。

「昔とった杵柄」の要素と共通する要素で今できるAct.を提供する。
そのAct.がピンポイントで適切だった時には
必ず認知症のある方から自発的に
思い出話とともにその体験にまつわる感情を表出されます。

必ず起こります。

この選択過程や体験のもつ意味については
来月3月12日(日)に開催される作業療法総合研究所さん主催の
「「神奈川の地から作業を叫ぶ−愛と毒を込めて”作業”を問う−」」で
お話をいたします。
詳しくは、こちらをご参照ください。

同じコトがカタチを変えて起こっているコト
というのは、とても多いんです。

この体験のもつ意味がわかると
認知症のある方が過去と現在を一見混同して「帰りたい」と
訴える場面で起こっていることの意味がわかるようになる
そんなふうに感じています。

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スタッフへの広め方

「OTジャーナル」を読んで下さった方
あるいは私の話を聴いてくださった方から
最近立て続けに、スタッフへの広め方について
お問い合わせをいただきました。

きっと他にも同じように思っている方がいるだろうな
と思ったので書いてみます。

スタッフへの広め方は大きく分けて2つ
1)自分が実践できるようになる
2)元ネタを一緒に見て今後をこれから一緒に考える
どちらかになるのではないでしょうか。

例えば
新しいトランスファーの方法論を知った
これはいい!と思った時にどうしますか?

私だったら、まず、自分が実践できるように練習します。
それから、こんな風なやり方も開発されているそうです。
とスタッフに知らせます。

状況によっては2)の方法もとれると思います。
スタッフの中にトランスファーに関する理解と力量が
自分と大きく変わらない人がいる場合には
元ネタをその人に一緒に見てもらうことから始めます。

認知症だからといって何も特別なことはありません。

たぶん「広めたい!」と思ってくださった方は
私の話が説得力をもって伝わったのだからこそだと思うので
とても嬉しく思います。

これから広まっていくことを心から願っています。

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伝聞表現を使う その2

実は私も伝聞表現を時々使っています。

「家にはちゃんと帰るんだけど、今日じゃないんですって。
今日はここに泊まっていくんですって」

帰りたいという方に対してそんな風に言うこともあります。
よくよく考えると本来はそういう言い方しかできないですし。

でも往々にして
認知症のある方が帰りたいと言うと
なんとか気をそらしてそんな言葉を言わないように(忘れてもらえるように)
あの手この手を繰り出したり
「ここに泊まるの」と、入院だったら医師しか判断できないはずのことを
他の職種なのに言ってしまったり
そういうことってよくあると思います。

「ここに泊まるの」という言い方をした人が
ここにいることを決定したように認知症のある方が感じるのは
当たり前のことだと思う。
『そんなこと言わないで帰してください』
と認知症のある方が言うのは正当だと思う。
だってあなたが決定したんでしょ?と内心思うもの。

けれど多くの場合に
職員はお茶を濁すような言い方をしているのではないでしょうか?
あるいは説明したのに理解してもらえない。と判断したりとか?

そう言う職員に悪気はないけれど
認知症のある方にしたら
ここにいることを決めたこの人にお願いしてもダメなんだ
という風にしか受けとめてもらえないと思う。

でも、最初から伝聞表現を使っていれば
私が決定したことではないのだということを言外に伝えることができます。

誤解が多いのは
確かに認知症のある方の言葉を聞いて理解するはたらきが低下することはよくあるけれど
(そしてそのことをこちらでも繰返し書いていますが)
言葉のニュアンスや意図や意味をすべて理解できなくなるわけではありません。

認知症という状態像を引き起こす疾患によりけり
障害によりけり
元々の言葉の扱い方に関する特性によりけり
なんです。

伝聞表現を意図的に用いることによって
認知症のある方の会話し続けようとする意思をくじかずに
お話を聴くことが可能となってきます。

言葉に鋭敏になる
意図的に自覚的に扱えるようになる
それらのことをたくさんの方から教えていただきました。

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3月OT Lab 準備中

「文章、読みましたよ。今度叫ぶんですね。」

ある人にそう声をかけられ赤面の至り。。。(^^;;;

ええ、そうです。
3月12日(日)に作業療法総合研究所さんの主催の研修会で
「神奈川の地から作業を叫ぶ−愛と毒を込めて”作業”を問う−」
というタイトルでお話をします。

詳細はこちらから

開催まで1ヶ月以上ありますが、準備を少しずつ始めています。

飲み会程度のお話で終わるわけにはいきませんし
どういう構成で
どういう表現で
う〜ん、難しいです。。。(^^;
手を挙げたはいいけれど、こういうテーマを系統立てて話すのは難しい。
でも、誰かがきちんと言っておかないと。という思いもあります。

だって、今、大混乱してるでしょう?

物事をじっくりきちんと考える人は
何かおかしい、どこかおかしい。と感じながらも
そのおかしさを言語化できず、
あちらこちらからの旗ふりに押しつぶされそうになっているのを
必死な思いで、こらえているのではないでしょうか。

私は
「作業療法は素晴らしい」と叫ぶつもりはありません。
作業療法の素晴らしさを伝えるために
体験談を紹介するつもりも、毛頭ありません。

もっと具体的な話をしようと思っています。
だって、世の中に〇〇療法と名のつくものは全てツールに過ぎないから。

ツールはツールとして役立てるために存在します。
ツールに使われているようでは目的を果たせません。
ツールをツールとして使いこなせるようにならなければ。
作業をツールとして使いこなせるのがプロとしての作業療法士なんだと考えています。

作業療法士の目的は何か?

対象者の方のRe-Habilisの援助です。
「やりたいことができて嬉しい」のは、Re-Habilisの下位項目に過ぎません。

そして、もうひとつ
ここで、手段と目的の混同が起こっていませんか?

じゃあ、どう考えたらいいのでしょうか。
その提案をしたいと思います。

ある人は私の話を聴いてくださった後に
「目新しいことはなかった。基本的な当たり前のことだ。」
と感想を寄越してくださいました。

そうです。
その通りなんです。
私の実践は本当に泥臭くて基本にのっとって当たり前のことを当たり前にしてるだけです。

「作業療法ジャーナル 」Vol.51No.2には
身体合併症のある認知症の方への対応の考え方について記載したものが掲載されました。
もしよかったらご参照ください。

当たり前の実践によって
多くの重度の認知症のある方に行動変容が起こるということをお伝えしています。

その事実は何を意味しているのでしょうか?

私は旗を振りたいタイプの人間ではないんです。
旗を振るよりも目の前にいる方に
現実に具体的に
役立つことができるようになりたいと痛切に願い続けています。

体験談として紹介する許可をご家族にいただく時に
「えぇ。えぇ。いいですよ。困っている方の役に立つなら。」
そうおっしゃっていただける言葉の重み

その重みを思いながら準備を少しずつしています。

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