Tag: リハビリテーション

ミニ研修会「食事介助」ご案内

平成29年3月4日(土)10:00〜12:00
曽我病院内にて「食事介助」のミニ研修会を開催します。

「認知症家族教室」というタイトルになっていますが
どなたでも参加できます。
関係職種の方は事前にご連絡をお願いしておりますが
どの職種の方でも無料でご参加いただけます。

当日は相談員さんからのミニレクチャーに続いて
「奥が深いのに知られていない食事介助のホント」についてお話します。
デモもありますし、実際に食事の介助−被介助体験も考えています。

何かご不明なことがありましたら
ご遠慮なくお問い合わせください。
病院の電話番号でも結構ですし
『 yoshiemon.atあっとgmail.com 』(あっとは変換してください)
メールでも結構です (^^)

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内向きに深める

先日の講演の最後に
「内向きに深める」について質問してくださった方がいて凄くうれしかったです。

健康寿命を伸ばすという意味で
厚労省はじめいろいろな人たちがいろいろなことをPRしていて
それは本当にその通りだと思います。

病気も障害もなく過ごせる期間が長いのなら長いに越したことはありません。
活動的に過ごせる「場」が保障されるのであればこんなにいいことはありません。

でも「生きもの」としての人間には
必ず「老い」が待ち受けている。

その時に
量的向上をだけ追い求めるような思想は
「老い」に「負けた」人を結果として作り出してしまう恐れがある。

現に自分自身を追いつめている人がもう既に現れている。

外向きに広げられるように
考え、施策を充実させ、協力体制を整え
それはとても大事。

一方で
内向きに深める
ことの担保について
どこかで考えておかないと
誰かが実践できるように準備を整えておかないと

単なる「老いの否定」になってしまう。

老いのただ中にいる人だけでなく
老いを迎えつつある人
老いを遠くから見つめる人まで巻き込んで
結果として、たとえ意図していなかったとしても
「老いの否定」の大合唱になってしまう。

いずれそう遠くないうちに
人口の1/4が75歳以上になるというのに

「内向きに深める」
この実践ができる一番近道にいるのは Occupational Therapist だと思っています。

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嬉しい。。。

もしも
私の話を聴いて
「私も頑張ろう!」
「明日からもう一度やってみよう!」
って感じてもらえたとしたら
こんなに嬉しいことはないです。

私の講演のゴール設定は
「受講者が希望を胸に抱いて職場に向かえるようになる」
なのです。

かつて
もがきまくっていた時の私が一番欲しかったものは何なのだろう?

そう考えた時に
誰かに頭をなでてもらいたいわけでもないし
誰かと慰め合いたいわけでもないし
安直なその場しのぎや解答もどきを欲しかったわけでもない
自分の足でまっすぐ歩いていけるように
そのための道しるべ、信頼できる道しるべ
この道なら途中険しくても細くても遠くても歩いていきたい
歩き続けられるという実感がある道しるべがほしかったんだと思ったんです。

今の私にそこまでのお話ができているかどうかは、わかりませんが。。。

でも
どんな疾患によるどんな状況の認知症のある方にも
適用できる、除外要件のない、包含できる、考え方
とてもシンプルでベーシックな考え方だと自負しています (^^;
(自負するのは自由だもんね)

もしも私のお話が
誰かの道しるべになれるのなら
もしもそんなことが叶うのならば
それは私にとって本当に本当に嬉しいことです。

かつてのもがきまくっていた私にとっても
報われるような本当に本当に嬉しいことなのです。

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経過の中で観る

経過の中で観ることが大切

かつて
身障領域では、急性期・回復期・生活期と
発症直後から回復の過程とその後まで1人のセラピストが
経過をずっと追って担当していくことが可能な時代がありました。

でも今はそうじゃない

病院・施設の機能分化と役割分担が明確になり
それぞれの場で働くセラピストに求められることも変わってきたし
同じ時期の対象者の方はたくさん担当することができるけれども
受傷・発症からの時期が異なる対象者の方は担当しにくくなってきています。

だから「今」しか見えにくい

将来より良い暮らしができるために
敢えて今必要なことが見えにくい

逆に
生活期から急性期に移ったセラピストが
「先を観てきたから今必要なことの意味がよくわかる」
と言っている場合もあります。

「今」しか見えないと、そういうことがわかりにくい

認知症のある方にも
同じコトが起こっています。

スタッフにとっては
「今」しか見えないと、わからないのかもしれないけれど
認知症のある方は
「この先」も生きていく

だから「今」必要なことがある。

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掲載「OTジャーナルVol.51No.2」

本日、三輪書店さんから発刊された「作業療法ジャーナル」の第51巻2月号
特集「認知症−身体障害合併症を中心に」の中で
「「認知症のある方への対応−能力と障害の把握」」が掲載されました。

認知症のある方は単に能力が低下した結果として
不合理な言動をするわけではない。ということ。

低下した能力もあるが、残っている能力もあって何とか対応しようとした結果として
不合理な言動というカタチで現れているのだから
表面的なカタチに対して表面的に対応を考えても有効な方法とはなりにくい。

どのような障害とどのような能力が不合理な言動というカタチに投影されているのかを観て
能力をより合理的なカタチで発揮できるように援助することが大切。という論旨です。

読んでいただければ嬉しく思います。

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?「人として接する」

ちょっと待った

よく聞くけどよくわかんない言葉

「認知症のある方に人として接する」

どういう言動が人として接していないことで
どういう言動が人として接することなんだろう?
人として接するって何?

私には、わからない、理解できない言葉です。

結局それって
単に言葉を言い換えてるだけで
親切に接する、丁寧に接する、優しく接する、怒らないようにする
という昔から言われてることに過ぎないんじゃないのかしら?

耳に優しいスローガンや降りやすい旗を大きく降っていくら声高に叫んでも
それで現実が変わるわけないのは
どんな世界だって同じなのに。

専門家としての知識と技術の研鑽を怠り
安直に「思い」にすがった対応を進んでいけば
感情労働しかすることができないから
自分がすり減って壊れるか、その矛先を相手に向けるかしかなくなってしまうのに。

そうならないのは、「思い」が強いわけではなくて
単に「思い」にすがった対応をどこかでやめてるから
そこまでに至らないで済んでるだけなんだと思う。
でも、そういう人はどこかで自分の「思いの弱さを認識する」のは辛いから
「思い」にすがった対応はもうやめて違う道を探そうよ。とは言い出しにくいよね。

普通に考えれば、それは当たり前のことなんだと思うけどな。

「思い」を実現できるようになりたければ
知識と技術を習得するしかなくて
知識と技術を現実にどう運用していくのかという術を習得するしかないのに
どうしてそういう当たり前のことが認識されにくいのかな?

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能力に胸がいっぱいになる

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認知症のある方の能力に胸がいっぱいになる

そういうことって
本当によくあります。

食事介助の最初と最後で食べ方が大きく変わった方がいます。
舌で食塊を押し出してしまい食べこぼしが多かったのに
文字通り押し出さずに食べられるようになって食べこぼしもゼロに
それだけではなくて
意思表示としてうなづいているということが明確にわかるようにうなづけるようになりました。

私がしたことは
姿勢を少し変えて
スプーンを小さくして
スプーン操作を少し変えて
それだけ。

あとは、その方がもっていた能力なんです。

埋もれていて表面には出ない
でもちゃんともっていたその方の能力

こんなにわかっていて
こんなに能力があって
だとすると
今までどれだけ頑張って食べていたか。。。

そうなんです。
その方にイマ、ナニが起こっているのか
ということが明確に把握できるようになると
その方がどれだけ頑張っていらっしゃるのかがものすごく伝わってきます。

認知症のある方の能力に胸がいっぱいになります。

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読んでね「OTジャーナルvol.51 No.2」

スライド1

三輪書店さんから
1月25日に発刊される「作業療法ジャーナル」2月号の特集に
私の書いた「認知症のある方への対応-能力と障害の把握-」が掲載されます。
(1月号の次号予告でご覧になって既にご存知の方もいるかもしれませんが)

障害と能力のプロである作業療法士が作業療法士として寄与するとはどういうことか
認知症のある方に対して評価をもとにした対応の工夫とはどういうものか
臨床でよく遭遇する、あるあるな場面について記載してみました。

きっと、記載した方法論が役に立つことが多いと思いますが
その方法論が依って立つ考え方をお汲み取りいただければ、とても嬉しく思います。

なぜなら
本当に役に立つのは
方法論ではなくて、考え方なのです。

その考え方をもとに
それぞれの場で展開していただければ
きっと目を見開かされるような体験があるのではないかと思います。

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