Tag: リハビリテーション
素晴らしい記事です!
制度対策部さんのブログ
4月24日に公開された「〜作業療法への他職種からの提言〜」
たくさんの方に読んでいただきたいと思いました。
横浜市で地域密着型通所介護を運営されている山出貴宏さんを取材された記事です。
第一に、取材された方がとても丁寧に
山出さんの語る内容を聴き取っていることが伝わってきます。
これだけのボリュームのある内容を書き起すことは大変なことですが
山出さんのお話を余すところなく伝えたいという書き手の熱意がにじみ出ています。
そして、山出さんの明晰で暖かな語り口から
メンバーさんを見る眼差しが目の前に浮かぶようでした。
素晴らしい実践が展開されていることがとても強く伝わってきました。
制度対策部さんは
「県士会活動☆あらかると」への研修会報告記事でも
写真が豊富で臨場感あふれる記事を何本も投稿されています。
思わず引き込まれる内容ばかりで
昨年からずっと「制度対策部さんは凄いぞ。目が離せないぞ」と思っていましたが
平成29年度しょっぱなから、新たな展開が繰り出され、またまたビックリです。
今年も制度対策部さんの活動は要チェック☆ですね。
でも、何よりもまず!
絶対に読んでほしいです。
「〜作業療法への他職種からの提言〜」
長文の記事ですが、リズムが良いので自然とスラスラ読めてしまいます。
読みやすい文章で伝えられている内容は本質を突いた内容です。
是非!是非!今すぐお立ちよりください m(_ _)m
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POST PT・OT・STのための働き方発見サイト さんに
【認知症のある方を担当したら】その4 「こそあど言葉」使用の適否
が掲載されました!
こそあど言葉…知ってる?
そうそう「これ」「あれ」「それ」「どれ」
リハ中に何気なーく使ってる言葉だと思います。
Activityの最中、工程説明の時に「ここをこうして」とか
どう身体を動かすか説明の時に「右足をこうやって持ち上げて」とか
かく言う私も自分で言っててドキッとしたことがあります (^^;
認知症による構成障害がある方の場合には
「ここをこうして」「こうやって持ち上げて」という言語指示だと
隣に座って見比べられるような場面設定を工夫したつもりが
かえってわかりにくい…という状況になってしまいます。
(構成障害がないか、あってもごく軽度の状態であれば良い工夫なのですが)
構成障害がある方の場合には
「ここをこうして」を言葉で明確に伝えた方が良いのです。
「ここ」とは「どこを指しているのか」
「こうして」とは「何をどう動かすのか」
即座に言い換えができない場合には
案外、自分が工程を理解しているようで曖昧にしか理解していない
だから、つい、「こそあど言葉」を使ってしまっている
そういうケースが多いように感じています。
「こそあど言葉」使用の適否のカギは
言語理解力と構成障害と生活歴
どの能力がより保たれていて、どの能力がより低下しているのか
その判断にかかっています。
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老婆心ながら、どうしても注意喚起しておきたいことがあります。
それは、認知症のある方に対して
やたら、ボディタッチをすること。
モチロン、親しみを伝えようとか
触覚刺激によって不安感を和らげてもらおうといった意図があるのかもしれません。
でも、決して忘れてはいけないことが幾つかあります。
1つ目は
たとえ、認知症があったとしても
相手には相手のパーソナルスペースがあるということ。
2つ目は
相手がどう受け取るのかということが
方法の選択の目的になるということ。
パーソナルスペースが広めの方もそうでない方もいらっしゃいます。
認知症のある方でも、常に敬語で職員に接する非常に礼儀正しい方がいらっしゃいます。
そういう方は、職員からタメ口やなれなれしく肩を叩かれたりなどの対応をされても決して言葉には表しません。
そのかわり、表面的にしか受け入れてもらえないと思います。
たとえ、善かれという意図であったとしても
パーソナルスペースに入るということは、侵害刺激となってしまいます。
礼儀正しい、相手への配慮がある方だと、内心イヤだと思っても
その場は表面的には受け入れてはくれるでしょう。
でも、それは、本来配慮される側の人がするべき側の人に配慮している。
という構図になってしまいます。
それって本末転倒ですよね?
逆に、物理的にもコンパクトな距離を好む方もいらっしゃいます。
相手がどのような表現を好むのか
相手の好む表現を把握し、その方法で表現するということが大切だと思います。
私たちは仕事柄
相手の身体に触れることを通常業務の一環としてごく普通に行っていますが
それは職業上必要だから許されることであって
他者の身体に触れるということは当たり前ではない
という前提を忘れてはいけないと考えています。
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かねてお知らせしていましたが
本日、4月20日(木)に日総研出版さんから
「食べられるようになるスプーンテクニック」が
刊行されました。
素直に嬉しい (^^)
研修会なんかだと
直接お伝えすることはできますが
限られた方にしか伝えることができません。
必要としている方に伝えられる選択肢が1つ増えました。
どうもありがとうございます。
「困っている人の役に立つなら、どうぞ」
とおっしゃってくださったご家族の方のお言葉を忘れることはありません。
身をもって私に教えてくださった方々との日々を忘れることはありません。
そして
日総研出版の中野義之さんには最初から最後まで大変お世話になりました。
私は今でも全国的にはまだまだ無名の存在ですが
中野さんに初めてお会いした時にはもっと無名の存在でした。
でも、中野さんは、そういう外側に付属するもので態度を変えることが全くなくて
ただひたすら私の語る内容の根幹を聞き留め、理解してくださいました。
同業者でもないのにどうしてこんなに理解が的確なんだろう?と思ったくらいです。
(むしろ同業者より深く理解してくださったかも)
本の話が具体化してからも、常に優しく辛抱強く原稿を待ってくださいました。
中野さんのおかげで、この本を上梓することができました。
心から感謝申し上げます。
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HDS-Rをとっておしまい!
にしない方が良いと考えています。
HDS-R20/30点以上の得点ができた方には
追加で「かなひろいテスト」をすることをオススメします。
文章を読んで意味把握もしながら、同時に「あ・い・う・え・お」に〇をする
という同時並行課題です。
浜松の金子満雄先生が考案されました。
私の経験ですが
HDS-Rが29点で、かなひろいテストが得点3、文意把握不可
HDS-Rが24点で、かなひろいテストが得点4、文意把握不可
HDS-Rが28点で、かなひろいテストが実施困難
という経験があります。
「HDS-Rが28点だから、29点だから、認知症じゃないね。」
「周囲の対応の問題じゃない?」
などの早計な判断は避けるべきだと考えています。
かなひろいテストの点数が低い場合には
既に何らかの暮らしの困難が起こっていることが多いけれど
たまに合う、挨拶や世間話程度の関係性やデイサービスなどの第三者的関係性では
「問題」が表面化しにくいこともまた多いと感じています。
実は、認知症状態にあるのに、記憶障害が前景化していないがために
「本人の性格のせいじゃない?」
「周囲の無理解のせいじゃない?」
という誤解が生じてしまい、対応が後手に回るおそれもあります。
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HDS-Rが終わったら、それでおしまい。
にはしていません。
最後の問題、語想起課題(知っている野菜の名前を言う)を使って
少し会話をします。
この語想起課題でスラスラと野菜の名前を10個以上言えない
という方の方が圧倒的に多いからです。
「考えたけど思い出せなかった」
「イメージは浮かぶけど名前がわからなかった」という
「答えられなかった体験」で終わるのではなくて
語想起課題に関連した質問をして
「答えられた体験」をして終わるようにしています。
例えば
答えられた野菜を使って
「じゃがいも」と言えた方なら
「じゃがいもを使ってお料理といえば何がありましたっけ?」
「じゃがいもを使ったお料理で好きなメニューは何ですか?」
もしも
ひとつも答えられなかった方なら
「葉もの野菜と言えば何がありましたっけ?」
「お正月のお煮染めに出てくるお野菜って何でしたっけ?」
などとカテゴリーを絞ってみて答えられるかどうか確認します。
それでも難しいようなら
「食べ物で苦手なものはありますか?」
「大好きな食べ物って何ですか?」
少しお話をしてから終わりにするようにしています。
たとえ、このような配慮をしたとしても
「野菜の名前を思い出そうとしても思い出すのが大変だった」
という辛さをゼロにすることはできませんが
それでも、「答えられた体験」をしないよりはした方がいい。
こちらのマナーとして、行っています。
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認知症のある方は
日常生活で既にたくさんの失敗体験をしていることが多いものです。
「検査」という場面に直面して
失敗への予期不安を抱くのも当然だと思います。
それに、どんなに配慮したとしても「検査」をすることで
失敗体験をさせてしまうということを
完全に回避することはまた難しいことでもあります。
私たちにできることは2つ
将来できるだけ検査をしなくても適切な評価と援助ができるように
観察力・洞察力を磨く
そしてもう1つは今、目の前にいる方に対して
最大限配慮はするけど、検査しないとわからないからさせてください。
させていただいた検査の結果は〇〇さんのために活かしますから。
ということじゃないかしら。
impairmentがわからないと
行動観察から障害と能力の評価をすることが難しくなります。
impairmentを行動観察からスクリーニングできないうちは
きちんと検査をした方がよいと思います。
実習生ならなおのこと
HDS-Rの結果とその他の日常生活場面での言動とが
どんな風に関連して現れているのかを明確に把握できる体験を
しておくことが重要だと考えています。
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どうせ検査をするならば
得点結果だけではなくて答え方…質的評価も行いましょう。
答えがわからない時には、どんな風な言動をする人なのか
HDS-Rの答えがわからない時の言動は
日常生活でわからないことに遭遇した時の言動と
結構相似しているものです。
例えば
わからない時に、じっとうつむいて黙ってしまう人は
日常生活でトイレに行きたいのに尋ねられなくて我慢してしまったり
逆にわからないことでも思いついたことをどんどん言ってみる人は
トイレを探しまわってあちこちの部屋のドアを開けてみたり
だからこそ
「おトイレは大丈夫ですか?」って
訴えがなくても声をかけてみよう。とか
他室訪問する人には、「ここは入っちゃダメです」と言わずに
「何かどこかお探しですか?」って尋ねてみよう。とか
具体的に対応を考えることができるし
そういう視点で「問題」として大きく表面化しないうちに
暮らしの中で起こる、その人にとっての困りごとをすくいあげる
観察の視点に結びつけることもできます。
HDS-Rをとるならば
正解、不正解。だけではなくて
その答え方にも着目することをオススメします。
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