Tag: リハビリテーション

機能−アウトカム−作業//特性

活動や作業いわゆるOccupationに関して私の考えを書きたくなっちゃいました (^^)

対象者の方がはっきりと言葉にして語る「やりたいこと」
言葉にはしないけれどもうひとつの言葉である行動を通して語る「やりたいこと」

それは、アウトカムとしてのOccupationだと考えています。

何のアウトカムかというと
機能レベルの評価を踏まえて
どの能力をどの程度使うかというアウトカム

この部分を言語化して伝えられるからこそ
障害と能力のプロとしての作業療法士の「意味」があると考えています。

認知症のある方の
障害と能力の把握ができているから
今、目の前に起こっていることがわかるし
どうしたら的確な援助ができるのかについて具体的な検討ができるのだと思う。

そして
作業遂行の過程において否応もなく
その人らしさは現れる。
良くも悪くも。

occupationというのは
それら全体を包含するもの。なのだと思う。

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「失敗は必然、成功は偶然」という言葉

かつて、野村克也が言ったという
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」

「勝ちには偶然の勝ちがあり、負けには偶然の負けはない」という言葉は
江戸時代の剣豪、松浦清(松浦静山)の言葉の引用なのだそうです。

そこから
「失敗は必然、成功は偶然」という言葉も広く使われているとか。

その通りだと思います。

認知症のある方に対して考えついた方法が
「たまたま上手くいく」(この表現もどうかとは思いますが)こともあるでしょう。
「Aという状態の人には、Bという対応をしてみたら?」という考え方は
ギョーカイを席巻しています。。。
そして、多くの場合に、Bという対応が「うまくいかない」
その時には、「次はどうしよう?」「Cという対応をしてみたら?」

Bという対応がうまくいかなかった必然があるのだとしたら
それは、打開策のヒントにもなるのに
そこを考えずに、表面的に方法だけを考えても「うまくいく」はずがない。
それこそ、数打って当たることはあるでしょうけれど
本当は、そういう話じゃない (^^;

認知症のある方の
気持ちや状態に原因を求めるのではなくて
ある状況の中で起こる状態像にとっての必然と考える。

多くの人が無自覚のうちにとらわれている
視点を変換することが一番重要なんだと考えています。

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毒の怖さがわかるから薬として扱える

本当にパワーのあるものは
扱い方に注意が必要

でも
そのパワーの怖さが実感できないと
リスクヘッジが疎かになってしまう。

そういうことって
あちこちで起こっているように感じています。

かつてよりも
さまざまな情報をずっと入手しやすい世界になり
これから、プロフェッショナルとアマチュアの垣根が今よりもさらに低くなっていくでしょう。

そのことの
メリットもデメリットも甘受するしかない。

プロのプロたる所以は
誤解されやすいけれど、
本当は、対象者の方にとって
どれだけ良いことができるか。ではなくて
どれだけ悪いことを回避できるか。なのだと考えています。

これから先
リスクヘッジの重要性は、どんなに強調されても
し過ぎることはない
と考えています。

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毒にも薬にもなる

かねがね思っていることですが。。。
本当に有効なモノはマイナスへの働き方も強い
毒にも薬にもなる
チカラはプラスマイナス両方向にはたらくから
パワーのあるモノほど取り扱いには注意が必要

作用の方向性に気をつける
ということは非常に重要なことだと感じ、また考えてもいます。

逆説的ですが
認知症のある方に対して、
有効な対応の工夫を具体的に提案できるということは
困難を来す場面をも具体的に想定できるということをも意味しています。

だからこそ
リスクヘッジとして
言葉、行動、状況をひとつひとつ回避することができる。

同時に、プロとして、非常に怖さを感じることもあります。

用い方ひとつ、扱い方ひとつで
相手を援助することも困惑を作ることにもつながってしまう。

チカラは、プラスマイナス両方向にはたらく
そして、同時には両方向にははたらけない

チカラがはたらく時には
プラスかマイナスかどちらか一方の向きにしかはたらけない

援助と使役は、紙一重。なんだということに。

作業療法士が本当にActivityのもつパワーを使いこなせるのであれば
Activityのもつ怖さを十分に認識し言語化し回避できることこそが重要なのだ。ということに。

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評価→対応:両方向

私がお会いする認知症のある方は
何らかの生活障害とBPSDが積もり重なってきた方です。

私の仕事は
認知症のある方の困りごとが少なくなるように
できればその方の良い面が良い方向性で発揮できるように
援助すること

そのために状態像つまり障害と能力がどのように現れているか確認する
そうするとどう対応したらよいのかは必然的に浮かび上がってくる。

その方の困難がひとつ改善されたことは、
良いことではあるけれど
これで終わりではなくて
入院前に生活障害やBPSDがどんな風に起こってしまったんだろう?
と考えることもしています。

たとえ、今、「よくなって」生活障害やBPSDが目立たなくなったとしても
「障害」そのものがなくなったわけではない。

かつて陥ったことのある状況は
再現されるおそれがあります。

生活障害やBPSDが起こった時に
「つながらないと困るね」「怒りのスイッチがわからない」
といった表現をする人もいるようですが
私は基本そのような抽象的な言葉は使わないようにしています。
というか、自分で自分がよく意味のわからない言葉を使うことに抵抗を感じるからです。

人間だから突発的なことは起こりうるし
人間だからわからないことはありうるし
病状としての変動もありうるし
だからこそ、わかっていることは明確にしておきたいと考えています。

認知症のある方の障害と能力を把握できれば
どのような場面設定であれば困ることが少なくなるか必然的に明確になります。
同じ意味で
どのような場面設定であれば困り果ててしまうのか
そして、困った時にどのように対応しようとするのかおおよそ推測できます。

評価を絞り込めれば込めるほど
両方向に、良くも悪くも、どのような現れ方をするのか明確化できる。

現れ方の方向性を両方向に考える

臨床において、実はとても重要なことだと感じています。

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フェイルセーフとフールプルーフに学ぶ

安全工学における、安全設計手法の代表的なものに
フールプルーフとフェイルセーフという手法があるのだそうです。

フールプルーフとは、危険な行動をしてもできない構造に設計すること
フェイルセーフとは、トラブル発生時には安全な方に設備が動くようにする仕組みのこと
なのだそうです。
(「ものづくり.com」 https://www.monodukuri.com より)

いずれも
人間は間違える
機械は故障する
という前提に立って、それでも安全を守るという観点から考えられたそうです。

「気をつけましょう」
「注意しましょう」
という言葉はよく聞く言葉ではありますが 。。。

どういう行動をすることが気をつけることになるのか
注意するということは具体的にどこをどうすることなのか
具体的に言うことが指導する。ということだと考えています。

リハ職としても
認知症のある方に対応する時でも
そして、とりわけ、作業療法士として
認知症のある方にActivityを提供する時には
安全工学の思想から学べることはたくさんあるように感じています。

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この先へ、今実践を

私は認知症のある方の
援助がしたいんであって
controlがしたいわけじゃない。

混乱している方に対して
混乱しないように静かにさせたいんじゃなくて
混乱していることを困っていることをそのとおり表現できるように
援助したい。できるようになりたいと考えています。

圧倒的に臨床で多いアルツハイマー型認知症のある方の場合に
混乱がひどくなると
何に混乱しているのかもわからなくなってしまって
助けてほしいのに、介入そのものが刺激となってしまって
悪循環になってしまう。そういうケースがとても多いと感じています。

でも、そのような場合でも
バリデーションをすることによって
表情が変わり、コミュニケーションがとれるようになり
今、何が辛いのか、何が嫌なのか
明確に表現できるようになることがとても多かったりもします。

表現された感情は
分かち合うことができる。
その過程において
結果として混乱や大声は解消されていく。

解消が先じゃない。
表現と分かち合いの方が先。

だからこそ、ご本人も辛いけど
だからこそ、今が大事
今ならまだ向き合うことの援助ができる

こんな時
バリデーションを学べてよかった
と心底思う。
バリデーションはツールだから万能ではないけれど
学ぶに値すると感じています。

バリデーションを学んでいなかったら
仕事が辛くて辛くてたまらなかったと思う。

援助とcontrolを取り違えたまま認知症のある方に対応しなくてすむし
なんといっても、バリデーションの根幹にあるのは
信頼なんだもの。

認知症のある方への信頼。
私たち自身への信頼。

食べられる能力をもっているのに
知識と技術がないために
結果として不適切な食事介助をしてしまい
そのために結果として認知症のある方が自らの食べ方を落としてしまう。。。

誤介助誤学習が起こるのと
まったく同じことが違うカタチで現れている。

辛さや困難さなどの感情を自覚し表現する能力をもっているのに
適切に表現を促す知識と技術をもっていないがために
結果として表現を抑圧してしまい、結果としてより大きな混乱を招いてしまう。。。

私がしていることは
今は小さな実践だけれど、未来につながってもいる。
確信している。

食事介助に関して25年以上言い続けてきて
研修会というカタチにもなったし
本というカタチにもなった。

今はまだ小さな声だけど
本当に意味のあることならば
本当に有効なことならば
将来必ずや他者に伝わり広がっていく。

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信頼に基づいて

本当のことを言っていい場所と人もあれば
そうでない場所と人だってあるけど
だからといって、積極的に自分が思ってもいないことを言募りたくはないな。

それは相手が誰であれ

私は作業療法士だから
人の能力と特性を把握して能力に働きかける職種だから
そこは信頼してる。
そして、今の自分にはできないことでも将来の自分はできるようになりたいと願っている。
今の自分にはできなくても将来誰かができるようになることを願っている。

ある人が私に言ったことがある。
「希望がなければ生きていけない。」

私は今改めて強く思っている。
「信頼がなければ仕事するのは辛い。」

人には人の体験があって
その人が観ている現実がある。
その現実に基づいて意思表明をする。

言い換えれば
自分がしていない、でも、他の人がしている体験は
知ろうとしない限り知ることは難しい。

信頼
相手への信頼
自分自身への信頼

それは、私にとってとても大切なものだ
ということを強く再認識した。

他の体験はあり得るということ
その体験の意味を言語化すること
頑張る。

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