問いを読みとる

実習に来た学生さんが
なぜ私のところに来たのか
ということの意味を考えることがあります。

学生さんがニコニコして実習を終えた時には
必ず学生さんの中でプラスの行動変容が起こっている。
そしてその時には必ず私の中でも変化が起こっている。
新たな気づきとか、理解の深化とか。

モチロン、学生さんがどの実習地に行くのか
養成校の教員の方がいろいろなことを総合的に考えられた結果決定されるのだと思いますから
教員の方の術中にはまったと言えるのかもしれませんね (^^;

人との出会いによって
あぶり出される自分の能力と困難と特性

私の場合には
ちょうど良いタイミングで
必要なできごとが起こっているように感じます。

逆か。
認識できることしかわからないから (^^;

私の大好きな作家に
アーシュラ・K・ル=グウィン という人がいて
読むたびごとに発見や理解の深化があるのですが
「西のはての年代記 II ヴォイス」にこんな言葉があります。

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わたしたちの求めるのは真の答えではない。
われわれの探す迷子の羊は真の問いだ。
羊の体のあとにしっぽがついてくるように、真の問いには答えがついてくる。
(p.177)

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はかりしれない謎に対して理にかなった思考を寄せる
(p.195)

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この表現に出会った時に衝撃を受けました。
私の中でまったく言葉にはならないでいた、
でも、漠とした感覚のような存在に名前が与えられたように感じました。

ル=グウィンの本は折にふれ、読み返しているのですが
ここのところ、全然読んでいなかったことに気がつきました。
今すぐは仕事が立て込んでいるから読めないけど
もうちょっとしたら夏休み(秋休み?)だから
その時に読み返そうって思いました。
そのためにもやるべき仕事を完遂しなくちゃ! 

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