能力を見いだし、能力にはたらきかける
単に今できることだけではなくて
目に見える、現象としての不合理な言動にこそ、能力が投影されている。
でも、その能力は観ようとしなければ観えないし
観ようとしても知識がなければ見そこねてしまう。
コップに半分の水が入っているとして
あと半分しかない。とみるか
まだ半分ある。とみるか
能力が低下して、いろいろなことができなくなったわけじゃなくて
能力は低下したけど、(コップ半分の水はないけれど)
残っている能力だって、いっぱいある。(コップに半分の水は残っている)
コップの水を増やすことを考えるんじゃなくて
コップにある残り半分の水でどうするかを考える
というか、
認知症のある方は、既に、残り半分の水でどうにかしようとしている。
それなのに、私たちは、そのことに気がつかずに水が足りないからと諦めたり
増やすことのできない水を増やそうとして困惑している。
認知症のある方が
残り半分の水でどうにかしようとしていることがわかれば
その次へ進める。
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