Tag: コミュニケーション
![我慢のしどころ](http://kana-ot.jp/wp5/wp-content/uploads/2014/01/33a74b36edcc879519c38e9aa6d096af-300x225.jpg)
たとえば
Aさんに対する食事介助の方法を
他スタッフへ伝達する時には
いきなり伝達しないで
まず、自分の中で方法を言語化してみます。
次に
自分が言語化した方法で介助してみる。
そうすると
言語化しそこなった部分があることに気がつけます。
実は、その部分をきちんと「言語化できてから」
伝えることが大切だと思っています。
言語化できていないけど
なんとなくやっていて自分はできている
この部分が再現性のキモだったりする
ということがよくあるわけで (^^;
自分の動作や行為を言語化する
って案外難しいものです。
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![ちょっと待った](http://kana-ot.jp/wp5/wp-content/uploads/2014/01/3db2f2a1023ea853fae8a5158358b753-300x225.jpg)
リハスタッフはもちろん
対人援助職って
仕事をすすめる上で会議への参加は必須です。
業務の中に確実に組み込まれている「会議」なのに
卒業前も卒業後も
養成プログラムに組み込まれることはまずない
「会議運営のしかた」
「会議への参加のしかた」
会議のしかたがわからなければ
適切に「向き合う」ことができない。
会議がやたら形骸化してたり
単なる報告会に終わっていたり
脱線しまくりで時間がかかったり
「会議」が悪いんじゃなくて
「会議」の扱い方を知らないことで
結果として起こっている問題じゃないのかな?
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![IMG_0944](http://kana-ot.jp/wp5/wp-content/uploads/2013/01/IMG_0944-300x225.jpg)
ICFについて
いろいろと言う人もいるけど
ICFを理解して活用できたら
リハの在り方が変わります。
評価はICFでも
治療の組み立てがICIDHになっちゃってる人って
まだまだ多いみたいですが。
原因を探索する…というのは
ICIDHの考え方であって
必然がある…と考えるのは
ICFに依拠した考え方です。
そして
ICFって仏教の縁起と同じ考え方でもあるのよ。
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![IMG_0945](http://kana-ot.jp/wp5/wp-content/uploads/2013/01/IMG_0945-300x225.jpg)
原因などないけど必然がある
この違いがわかりますか?
認知症のある方のBPSDを含めた生活障害には
そうするだけの必然があるのです。
原因ではなくて。
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![IMG_0945](http://kana-ot.jp/wp5/wp-content/uploads/2013/01/IMG_0945-300x225.jpg)
先日の静岡でのセミナーで
「何が起こっているのか」観察することの重要性を
お話しました。
SDATアルツハイマー型認知症で80歳代、大声という
診断名も年齢もBPSDも同じケースを3例紹介しました。
「大声」という主訴は同じでも
実は
現れ方は全然違っていて
対応の工夫も全然違っている
ということを説明したつもりです。
視点を固着させずに
「何が起こっているのか」観察することが重要なのです。
そして
観察することができるためには
知識が必要なのです。
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![IMG_0443](http://kana-ot.jp/wp5/wp-content/uploads/2011/10/IMG_0443-300x225.jpg)
食事介助は
究極のノンバーバル・コミュニケーション
食事という場面において
対象者の方の
食べる能力を発揮できるように援助する
その方の特性を阻害しないように援助する
食事介助をみれば
ふだんの関わりも推測できる
食事介助を適切にできる人は
ふだんの介助もきめ細やか
単に食べさせているような人は
「させる」ことはできても
「する」ことの援助はできない
認知症のある方のケアについて
これだけ、あれこれ言われているのに
食事介助について言われることが少ないのは
食事という場面が
ノンバーバル・コミュニケーションそのものであり
介助の本質が問われる場面だからなんじゃないかな。。。
だからこそ
「食事」という場面が変われば
ケアの現状も変わるに違いない
そう感じているのです。
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![IMG_0944](http://kana-ot.jp/wp5/wp-content/uploads/2013/01/IMG_0944-300x225.jpg)
行動は雄弁な、もうひとつの言葉
言っている言葉そのものではなくて
言葉の表現のパターンを観る
「何を」だけではなくて
「どのように」を観る
言葉にするという行動が語るもうひとつの言葉
もうひとつの言葉は
ずっと雄弁でずっと豊穣
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![IMG_0517](http://kana-ot.jp/wp5/wp-content/uploads/2011/11/IMG_0517-300x225.jpg)
「魔法少女まどか☆マギカ」で
魔法として描かれているコト
少女として描かれているコト
魔女として描かれているコト
それらを思うと。。。ドキッとする。
キュゥべえがほむらにしたことによって
ほむらがしたことって
私たちの毎日でも
見かけることだし
自分でもそうかも。。。って。
キュゥべえのような
超合理的な存在を出しておいて
さやかに
「それってそんなに悪いことかなぁ?」
って言わせるなんて。
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