Tag: コミュニケーション

わからなくて怒っている

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認知症のある方の
いわゆる「易怒性」「介護抵抗」と呼ばれるものに
本当はわからなくて怒っている
わかるように伝えると怒らなくてもすむ

そういうケースがかなりあると感じています。

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診断でも評論でも矯正でもなく援助

ちょっと待った

私たちの仕事は
診断でもなく評論でもなく矯正でもなくて
援助なのだと思う。

知識と技術に目の前の方を当てはめるのではなくて
対象者の可能性を広げる方向に
知識と技術を活用できるようになりたい。

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体験を通したエンパワメント

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ご家族からしてみたら
デイなどのサービス提供施設で働くスタッフは
身近な存在で、だからこそ相談もしやすいと思います。

施設利用中の認知症のある方の行為をみれば
その方の能力と困難と特性がわかる。
ご自宅での様子を具体的に教えてもらえれば
「何が起こっているのか」具体的に推察できると思います。
そうしたらどうしたらいいのかがわかる。

相談された時に
具体的に方法論を提案することができれば
ご家族はとても助かると思うし
何よりも困った時に力になってもらえる
という具体的な体験を通して
今後に起こるかもしれないことに対しても
不安はあっても前向きに向かっていこうという
エンパワメントされる体験になると思います。

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目の前の困難の改善を

我慢のしどころ

まずは、目の前の困難の改善を
相談者ができるようなことを1つ
具体的に提案します。

この時一番大切なことは
相談者に
「変われるんだ」
「できた」
「よかった」
と感じてもらえること。

それだけで
まずは十分なんだと思います。

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観察と表現

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以前に
「観察」ということをちょっと考えたことがある。

観察を促すための記録としての
言語表現と視覚表現

言語表現は縦に
視覚表現は横に
そんなイメージがした。

視覚表現は関係性(全体と部分)の観察に
言語表現は時系列の観察に
有効かな?と思ったりした。

実習のデイリーノートが書けない…という場合に
案外、全体と部分の関係性を文字で書こうとして
観察できているがゆえに
書けずに止まってしまう場合があるのかも…と考えたり。

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有効性と補助の幅

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認知症のある方に対して
機器の導入を考える時には有効性を考える。
機器が要求する能力があるから。

機器を活用できるために
現在の能力でどれだけ有効かを考える。
使えるけれどもちょっと心配
使えるけれども使えない時もある
というようなグレーゾーンの時には
機器を活用できるように、補助手段を考える。

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対象者をよくすること

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一番効果的なPRは
目の前の対象者をよくすること。だと思う。

「作業療法は説明しないと理解してもらえない」
ってよく聞く言葉なんだけど
実はいっつも心の中で違和感を抱いてる。

理解してもらえないと効果がないなんてことはないし
(私の対象者は理解してもらえない方が圧倒的に多いです)
理解してもらえなくても
対象者がよくなればいいじゃん。
もっとたくさんの対象者がよくなるように
もっと早くもっとよりよくなるように
私はそっちに努力したい。

その過程と結果において
声をかけてもらえたらちゃんと説明すればいい。
その時に
説明できる自分であることの方が先だけど。

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変化への抵抗

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リハ職っていうのは
対象者の行動変容を促すことが仕事なのに
自らが行動変容することへの抵抗感が強い人って少なくない。

そういう人は
行動変容の過程において
頭ではわかっているけど実行ができない時期が必ずある
ということや
その時の苦しさや辛さがわからないんじゃないかな。

もしかすると
無自覚には、わかっているからこそ
自らの行動変容に対しては強固に抵抗するのかも。

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