Tag: コミュニケーション

食事介助は
究極のノンバーバル・コミュニケーション
食事という場面において
対象者の方の
食べる能力を発揮できるように援助する
その方の特性を阻害しないように援助する
食事介助をみれば
ふだんの関わりも推測できる
食事介助を適切にできる人は
ふだんの介助もきめ細やか
単に食べさせているような人は
「させる」ことはできても
「する」ことの援助はできない
認知症のある方のケアについて
これだけ、あれこれ言われているのに
食事介助について言われることが少ないのは
食事という場面が
ノンバーバル・コミュニケーションそのものであり
介助の本質が問われる場面だからなんじゃないかな。。。
だからこそ
「食事」という場面が変われば
ケアの現状も変わるに違いない
そう感じているのです。
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行動は雄弁な、もうひとつの言葉
言っている言葉そのものではなくて
言葉の表現のパターンを観る
「何を」だけではなくて
「どのように」を観る
言葉にするという行動が語るもうひとつの言葉
もうひとつの言葉は
ずっと雄弁でずっと豊穣
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「魔法少女まどか☆マギカ」で
魔法として描かれているコト
少女として描かれているコト
魔女として描かれているコト
それらを思うと。。。ドキッとする。
キュゥべえがほむらにしたことによって
ほむらがしたことって
私たちの毎日でも
見かけることだし
自分でもそうかも。。。って。
キュゥべえのような
超合理的な存在を出しておいて
さやかに
「それってそんなに悪いことかなぁ?」
って言わせるなんて。
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「王道なものをとことん丁寧につくることが
ものづくりの原点であり
たくさんの方にみていただけることにつながる」
これは
「魔法少女まどか☆マギカ」の
音響監督の鶴岡陽太さんの言葉です。
「王道なものをとことん丁寧に」
これって
OTにも通じることだよな…
そう思いました。
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良いことをしようとするのではなくて
悪いことはしないようにするのって
案外大切なことだと感じています。
対人援助職としては
良いことをしようとして
えてして結果的に悪いことをしていても
気がつかない…ということは案外多いもの。
良いことをしようとする時には
案外、相手の状況を観ていなかったりする。
けれど、悪いことはしないようにする時には
相手の状況を観ざるを得ない。
観察をする…ということを
余儀なくされるから。
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って、結構あるよね。
いろんなところで
同じコトが違うカタチで現れている。
問題なのは
問題と思ってることじゃなくて
問題設定の仕方が問題だという。。。
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その1回をただの1回とするか
またとない1回とするか
私たちは選択することができる
小さな1回を大切に積み重ねていくことで
次の1回の意味がわかる
小さな1回に最善を尽くすことで
次の1回にも巡り会える
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すっごく不思議なのが
立ち上がりを一生懸命練習させるけど
座り方には無頓着…ってパターン
がんばって立ち上がらせても
座る時にはドシーン
マッチポンプになっちゃってる
立ち上がりも座ることも
重心の移動の軌跡は
方向こそ逆だけど同じなのに。
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