Tag: コミュニケーション
認知症のある方にどう対応したらよいのか
万人に通用するような唯一絶対の答え
というものはあり得ません。
答えが1つというのは。。。
その時その場のその関係性においては
答えは1つしかないんです。
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認知症のある方が
「家に帰りたいんだけど」
「お財布がなくてね」
などの訴えをしてこられることはよくあります。
その時にえてして私たちは
認知症のある方が「わかったよ。助かった。ありがとう。」等の
完全納得の答えが出るまで説明しようとしてしまいがちです。
認知症のある方が
「そうなのかなぁ。。。?」
と考えて困惑している時に
その時間と場に『私たちが』耐えられずに
言葉を重ねて説明してしまいがちです。
認知症のある方が困惑しながらも考えている時に
ダメ押しのような言葉をかけてしまうと
逆効果にはなっても良いことは何もありません。
スッキリした解決を望んでしまう
。。。気持ちとしてはよくよくわかりますが
「誰のため」の言動なのか
混同しないことが大切だと考えています。
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オーラルジスキネジアのある方が
お話をしようと意図した時には
いったん閉口して唾液を飲み込んでから
お話をされます。
自らの意思と意図で症状をコントロールしている。
だから
短時間でもたくさん発語の機会を設けることも大切だと考えています。
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時期を待つ。。。というか
機が熟すのを待つ。。。というのも
大切な時もあるかと。
1つのきっかけが
次のきっかけにつながったことが
後になってわかったりする
1つの機会を大切に
そして
辛抱強く待った機会が巡ってきた時には一気呵成に
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認知症のある方の評価を
イメージで伝えるとしたら
山を登るように…とも言えると思う。
いきなり頂上にはたどり着けない。
3合目、5合目、7合目…
一歩一歩歩き進めるしかない。
歩くしかないけど
歩いた分は着実に先に進めているし
振り返れば、登ったことを実感できる。
山を登る時には
準備も知識も必要だし
歩きながら見える風景も
同じ山でも同じではない。
けれど、まったく違うというわけでもない。
当然
道のないところは歩かないから
知らない風景だってたくさんある。
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プロとして
「作業」を扱えるようになりたい
と願っています。
最低限、不適切でないように
願わくば、より適切に
私にとっては
「作業」が素晴らしいかどうかは
あまり関心がありません。
(対象者にとって素晴らしい体験であるように願っていますが)
ただ「作業」がもつPowerについては
知っておく必要があると考えています。
とりわけ、負の側面について。
Powerのベクトルの前向きだけでなく後向きに関して。
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なのかな?って思うことがあります。
だって
何かの事件が起きた時に
ニュースでインタビューに応じている人が
「挨拶をちゃんとする良い人(子)」
って必ず出てくる言葉だもの。
挨拶=良い人(子)
なんて言い切れないじゃんって思うけど (^^;
テレビ側がそのような答えを意図的に選択して放映しているのか、本当にそのような応答が多いのかはわかりませんが。
モチロン、私のこの記事は挨拶は軽視しろということでは決してありません。念のため。
どんなことでも
当たり前のように言われていることは
何かしらの意味があるんだとは思いますが
その意味を自分なりに検証してみることは必要なのではないかと。
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自分の価値基準に照らして
信頼できるかどうか判断しているわけで
それは、その人との共同体験を通して判断しているわけで
(人によっては他者の評判が判断基準のこともあるかもですが)
認知症のある方だって変わりはない。
担当者との関係性において
信頼できそうかどうか判断している。
判断基準がより感覚的なものに偏ることはあったとしても。
大切なことは
目の前にいる認知症のある方が
「この担当者は信頼できそうな人かどうか」
判断できるような「共同体験」を提供することなんだと思う。
結果として
挨拶を重ねることがそれに値することがあるのだと思う。
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