Tag: コミュニケーション

「認知症のある方」という言葉

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ある人に、自分が「認知症のある方」という言葉を使っている
ということを伝えてから、ふと気がついた。

あれ?私、もしかして、ここではこのことに触れていなかったっけ?

「認知症高齢者」「認知症者」という言葉が
ギョーカイでも巷でもよく使われているかと思いますが
英語で何というか、ご存知ですか?
「Person with Dementia」「People who have Dementia」
なのだそうです。

初めて知った時には衝撃でした。
日本では「病気のある人」という表現なのに
英語では「人+病気」という表現になっている。。。

以来、私は「認知症のある方」という表現をしています。
こなれない日本語だなぁ。。。と思いつつも (^^;

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意外に多い寝ぐずり

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認知症のある方で
案外、多いのが寝ぐずり

いわゆる大声や不穏かと判断されそうなものの中に
眠くてでも眠れなくてイライラしてしまっていた
…というケースが少なくありません。

表情がトロンとしていたり
手を触ってみて暖かかったら
もしかしたら…と考えて対応してみるのも大切。

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答えが1つというのは。。。

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認知症のある方にどう対応したらよいのか
万人に通用するような唯一絶対の答え
というものはあり得ません。

答えが1つというのは。。。
その時その場のその関係性においては
答えは1つしかないんです。

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完全納得の言葉を求めない

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認知症のある方が
「家に帰りたいんだけど」
「お財布がなくてね」
などの訴えをしてこられることはよくあります。

その時にえてして私たちは
認知症のある方が「わかったよ。助かった。ありがとう。」等の
完全納得の答えが出るまで説明しようとしてしまいがちです。

認知症のある方が
「そうなのかなぁ。。。?」
と考えて困惑している時に
その時間と場に『私たちが』耐えられずに
言葉を重ねて説明してしまいがちです。

認知症のある方が困惑しながらも考えている時に
ダメ押しのような言葉をかけてしまうと
逆効果にはなっても良いことは何もありません。

スッキリした解決を望んでしまう
。。。気持ちとしてはよくよくわかりますが
「誰のため」の言動なのか
混同しないことが大切だと考えています。

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自分でコントロール

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オーラルジスキネジアのある方が
お話をしようと意図した時には
いったん閉口して唾液を飲み込んでから
お話をされます。

自らの意思と意図で症状をコントロールしている。

だから
短時間でもたくさん発語の機会を設けることも大切だと考えています。

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時期を待つ

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時期を待つ。。。というか
機が熟すのを待つ。。。というのも
大切な時もあるかと。

1つのきっかけが
次のきっかけにつながったことが
後になってわかったりする

1つの機会を大切に
そして
辛抱強く待った機会が巡ってきた時には一気呵成に

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山を登るように

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認知症のある方の評価を
イメージで伝えるとしたら
山を登るように…とも言えると思う。

いきなり頂上にはたどり着けない。
3合目、5合目、7合目…
一歩一歩歩き進めるしかない。
歩くしかないけど
歩いた分は着実に先に進めているし
振り返れば、登ったことを実感できる。

山を登る時には
準備も知識も必要だし

歩きながら見える風景も
同じ山でも同じではない。
けれど、まったく違うというわけでもない。

当然
道のないところは歩かないから
知らない風景だってたくさんある。

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「作業」のプロ

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プロとして
「作業」を扱えるようになりたい
と願っています。

最低限、不適切でないように
願わくば、より適切に

私にとっては
「作業」が素晴らしいかどうかは
あまり関心がありません。
(対象者にとって素晴らしい体験であるように願っていますが)

ただ「作業」がもつPowerについては
知っておく必要があると考えています。
とりわけ、負の側面について。
Powerのベクトルの前向きだけでなく後向きに関して。

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