私がやってる実習ないない その3

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学生さんには
必ずその日一日の「今日の行動計画」を立てさせ、毎朝確認し
夕方のフィードバックの時に
学生さんから「今日の行動結果」を報告するように指導しています。

学生さんが行動観察ができないのは
慣れていないということもあるし
知識が不十分だということもあるけど
それだけじゃなくて
実は一番大きな理由が
「自分が何を観察しようとしているのか明確ではない」
ことに起因することがすごく多いんです。

場面を見る=観察できる
そんな風に誤解している。

場面には、あらゆる障害と能力と特性が反映されてるのに。

よくあるのが
「食事を見学します」って言うから
(食事の何を見るの?)って聞くと
まず、学生さんは「え?」となる (^^;

食事という場面では
姿勢も上肢機能も道具操作も認知も記憶も習慣的遂行機能も
口腔機能も対人関係能力もその他etc.etc.。。。
いろんな「はたらき」を見ることができる。
だからこそ
自分が何を見るのか、明確にしておかないと
何となく姿勢を見て、何となく上肢操作能力を見て、何となく…
ということになってしまいがち。

意図的観察ができないと
行動観察ができるようにはならない
ということをしっかと体験学習していただきます。

自分の意図を明確にするから明確に観察できる。
どこまで観察できて
観察しそこなってしまったところがどこなのかを明確にできる。
そして、じゃあ、どうするか
ということを具体的に考えやすくなります。
そこを夕方のフィードバックの時に確認します。

もうひとつ、大切なことは
フィードバックの時に
まず、大抵の学生さんは時系列にそってダラダラしゃべりますから
そうじゃなくて
結果、概要、大枠から詳細へと
概念の階層性を意識しながら
整理して報告するように指導しています。

そうすると
体験したことがらの「意味」を明確に学生さんが理解しやすくなります。
得るべき情報の曖昧さや見落としに一層気がつきやすくなったり
観察から得られた情報の優先性や関連性にも気がつきやすくなったりします。

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私がやってる実習ないない その2

我慢のしどころ

学生さんの実習初日には
学生さんの机の上に
当院のパンフレット、8週間の予定表、1日のタイムスケジュール
これらをまとめて置いておきます。

指導者も忙しいから
「ごめんね。ちょっとだけ待ってて」
って学生さんを待たせてしまうこともあります。

そんな時に
学生さんが安心して時間をつぶせるように
読むことができる資料を用意しておきます。

だって経験ありません?
実習初日、初めての環境で、これからどうなるか予測できなくて
でも、姿勢を正して真っ正面を向いて
いつ来てくれるかわからない指導者をひたすら待つのが辛かった
…とか (^^;

もっと大切なことは
実習期間中の流れや1日の流れを
視覚情報として学生さんに伝えることです。

言葉でズラズラ説明されても
人は、体験していないことをイメージするのは難しいし
頭の中にも残りにくいから
視覚情報として提示した上で
初日の見学で一度得た視覚情報を行動として体験してもらいます。
そうすると学生さんは1日の流れをイメージしやすくなります。

大切なことは
必要な準備はちゃんとしておく
ということです。
当たり前ですが。

いいかげんな指導している人に限って
準備もいいかげんだったりする  (^^;
そういう人は臨床でも同じだったり (^^; アレ?

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私がやってる実習ないない

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実習指導において
私はやってるけど、案外他の人はやってないことを
でも、やってみると良いと思うことをいくつか書いてみます。

私が学生さんにフィードバックをする時には
大量の裏紙を用意しておきます (^^)

学生さんの言っていることを書き出したり
学生さんに口頭で説明した内容を書いて渡すようにしています。

これは結構大切だと思いますよー
やってない指導者は多いようですが。

学生さんは指導者の説明を聞いている時に
うん、うんってうなづきながら聞いてる。
聞いてる時には、わかってる(気がしてる)
でも、いざ時間をおいて帰宅してから
デイリーノートに書こうとすると
わかってたはずなのに書けない。
経験ありません?自分が学生の時に (^^;

説明されてることは理解できたとしても
「書く」という言語表現は
明確にわかってないとできないもんです。

デイリーが書けないんじゃなくて
書く内容をわかってないから書けない。
でも、そのことをわかってないと
「何て書こうか考える」
いやいや…わからないことをいくら考えたって
書けるようにはならないってば (^^;
で、翌朝指導者に怒られたり…?

そんな風にならないように
説明したことを学生さんが的確に想起できるように
あらかじめ説明しながら紙に書いちゃえば
学生さんが帰宅してから読み返した時に
デイリーに書きやすくなったり
理解の定着を促すことにつながります。

学生さんの報告を聞く時にも
学生さんが言ってる内容を紙に書き出しておくと
論理的整合性の有無について
学生さんと指導者が明確に話題を共有できるようになります。

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POST 記事連載開始

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私のインタビューを掲載してくださっているPOSTさんのサイトで
私のコラム記事連載が始まっています!

「現役理学療法士による、リハビリ職者を目指す人のためのサイト『POST』」
http://1post.jp

「食事介助」に関する連載記事が始まりました!
http://1post.jp/2015/12/14/dementia_colum01/

ほっんとうに嬉しい (^^)
今を遡ること、たぶん20年くらい前から
機会あるごとに言い続けてきている
「スプーン操作の大切さ」
「食事介助 ≠ 食べさせる、食事介助 = 食べることの援助」
そして
「最重度の認知症のある方でも行動変容は起こる」
ということを
明確に体験できるのが食事介助の場面であり
その場面で起こっていることの「意味」を理解できれば
食事以外の場面でも
起こっていることの意味が理解できるようになる
ということを。

かつての私がそうであったように
これは違うということがわかっても
どうしたら良いのか、わからない時はすごく苦しい。
セラピストが苦しい時には、対象者の方はもっと辛い。

1人でいいから
その苦しさ、辛さから脱することのお役に立てるなら
私はとてもとても嬉しい。

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私の好きな物語

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私の好きな物語は
アーシュラ・K・ル=グウィンの
「ゲド戦記」シリーズ
なかでも「帰還」が一番好き。
https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/11/1/110684-.html

一時話題になったアニメ映画のゲド戦記とは全くの別物です。
著者自身が明確に言っています (^^;
「It’s not my book」

原作は本当に素晴らしいです。
私は折にふれ、何回も何回も繰り返し読んでいて
その都度発見があります。

同じ著者の
「西のはての年代記」三部作も好き。
「ヴォイス」が一番好き。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309463537/

でも今はもう一度読み直したい。
村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167905033

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おせっかいだけど

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ここにこれから書くことは
すごくおせっかいなコトだけど

物語を読むのって
物語の世界との対話であり
著者との対話であり
自分自身との対話でもあるから
その時々の自分で読み取れることしか読み取れない。

その時その場のその関係性においての対話という
唯一の関係性が成立してる。

逆に言えば
そういう「関係性」の中に
自分自身の身を浸すことだから

作業療法士として
あるいは他の職種でも
ナラティブとかSDM(Shared Decision-Making)とか
もしも、本当にそういった方向性を目指したいなら
あるいは、Act.選択の適切性に悩んでいるなら
知識やツールの習得ではなくて
自分自身が「物語」を「読む体験」をするといいと思う。

リハに関わる世界にいる人で
「物語」を読んでる人って
そんなに多くない印象を抱いています。

だから
対象者の方の物語も読みにくいんじゃないかなぁ。

だから
SDMの扱われ方が
単なるツールに堕してしまうんじゃないかと

目の前にカタチとして提示されてる物語が読めないのに
目の前に存在している人の
カタチとしては提示されていない物語が読めるのか?
… それは、難しいよね (^^;

本気でそう思っています。
おせっかいなコトだけど。

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物語を読む

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私はそんなにたくさん読んでるワケじゃないけど
本を読むのが好きで
でも、平日はなかなか「物語」を読む気にはなれない。

本は常に手元、枕元にあるけど
平日は論理が明確な「意見」「ノンフィクション」系の本を読んでる。

私にとって、「物語」を読むのって
すごく「感覚」と「集中」が必要で
ふだん仕事をしてると
「感覚」を仕事ですごく使ってるから
家に帰ってきてまで使えるキャパシティーがないように感じるのと
「日常」という細々した物理的な「実践」に
乗っからないと「流れない」から
「物語」に入るのも出るにも
時間的・心理的束縛があると
私には難しい…(^^;

ささやかでも
日常の制約から解放される時に「物語」を読んでみようって思える。

「物語」によって
支えられることは、たくさんある。

「物語」は
その時々の自分の在りようによって
異なる深みを響かせる。

自分にとって
大切な「物語」と出会えることは
もう1つの至宝なんだと思う。

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「つくると巡礼の年」を読んだ

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村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」を読んだ。
今さらですが (^^;

真っ向から、私たちへのエールが送られている
そのことをひしひしと感じた。

個人的に
心身ともに、ナーバスでセンシティブな状況にあったので
(敢えて過去形を選択)
よけいに、エールが胸に響いた。

どうしたら、こんな繊細な物語を語れるのだろう。
強さと繊細さを両立させるために
どれだけの孤独な作業を自らに課しているのだろう。

村上春樹はprofessionalだと思った。

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