言葉には思考、声には感情

ちょっと待った

言葉には思考が
声には感情が
投影される。

ときどき、自分の使った言葉や声にドキッとすることがある (^^;

そんな風に思ってたんだ?私?
って (^^;

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多様性を育て受け入れる

我慢のしどころ

認知症予防の本質的な対策というのは
実は、自分の中に多様性を育て受け入れるチカラを
涵養していくことなんだと考えています。

病理学的には、脳の中にアルツハイマー変性があるのに
症状がまったく表面化しなかったという修道女のケースは
規則正しい生活や不摂生をしない等生活習慣病から遠い生活だった
ということもあるとは思う。

でも、本質的には
修道女として
他者の多様性を積極的に自らの内に取り入れ
寛容であることの意味を問い直す実践を通して
多様性を育て受け入れてきた
…脳の回路の多様化なんだと思う。

私にバリデーションを教えてくださった
ビッキー・デクラーク・ルビン先生が
「たくさんの鍵盤を弾くこと」とおっしゃっていたのと
同じ意味だと思う。

脳の萎縮や変性、損傷などは
長い人生で避けられないけれど
ひとつの回路が機能しなくなっても他の回路で代替できるように

でも
これは「言うは易く行うは難し」そのものだとも思う。
凡人の私にとっては、すごく難しい…。

それでもなお
対人援助職として
本質的に求められている在りようなんだ
とも思っています。

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能力に働きかければ能力を発揮できる

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さまざまな生活障害やBPSDは
結果として起こっていることだから
困難というカタチで現れているコトに
能力も障害も投影されている。

生活障害やBPSDという名前で呼ばれている
それぞれの行動だけをきりとって
どうしたら、それらをなくせるのか考えるのではなくて

生活障害やBPSDという名前をつけずに
それぞれの行動をよく観察して
投影されている能力と障害を把握すると
「イマ、ココ」をどんな風に認識しているのか
予想がつく

今ある能力に
どんな「環境」(場面設定、伝え方の工夫)を補ったら
認知症のある方と
私たちが
「イマ、ココ」を共有できるようになるのかを考える

その「環境」の工夫を
私と認知症のある方のいる「イマ、ココ」にそって
考えられるためには
何よりも先にまず障害と能力の把握が必要

そして
認知症のある方の能力に働きかける工夫を考える

私たちは援助することしかできない

能力に働きかければ
能力を発揮できる

その意味を
「イマ、ココ」にそって
具体的に考える努力って
実は、あんまり為されてこなかったと感じています。
だからこそ、これからの課題だと考えています。

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混乱なくできるように

我慢のしどころ

生活障害やBPSDの改善や
Activityの選択にしても
骨折後のリハや
食事介助においても
認知症のある方が混乱なくできるように
そういう方策を考えると
「結果として」諸々の困りごとが少なくなっていく。

過剰努力をさせない
できた!これでいいんだ!と実感できることをする
できることのできかたを良くしていく

そういう積み重ねが大切

いつだって
誰だって
能力は状況と程度によりけり発揮される。

要求されるコトの枠組みの中で
できることを模索する
混乱なくできるようになったら
できることのできかたがさらに良くなるように模索する

それは
時には辛いこともあるけれど
認知症のある方の
能力を探し、見いだし、発揮することの援助だから
とても嬉しく励まされる過程なんだよね。

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綺麗事だから回る

ちょっと待った

本当に凄い人は、本当に謙虚。

昔あるところで骨董屋を営んでいて
錚々たる人たちとおつきあいがあったという人が言っていた言葉
そして、私もその通りだと思う。

「心・技・体」
「真・善・美」

たぶん、どれかを追求すると
必然的に他の部分も引っ張り上げられるんじゃないかと思う。

時には、援助の視点でできないことがあったとしても
その立脚点を忘れさえしなければ
適切な対応というのに、近づいていけるんだと思う。

当たり前のように
「そんなの綺麗事で現実的じゃない」
って言う人もいるけど
それはその人が
綺麗事を追求したことがないから
体験したことがないだけの話。

本当に目の前にいる方の行動変容が起こる時には
「使役」じゃなくて「援助」の観点から
きちんとした評価に基づいた方法で関与した時。

綺麗事だって回る。
綺麗事だから回る。

目の前にいる方に真摯に向き合おうとしているのに
眼を閉じて耳をふさいでいる人から
閉鎖的な体験をもとに否定されて
辛い思いをして
自分自身も
目の前にいる方の可能性も
信じられなくなりそうになっている人にこそ
伝えたいし
伝えられるようになりたい。

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原因ではなく必然

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ICFのポイントは、実はここにあると思う。

いきなりで恐縮ですが (^^;
「ICIDHではなくてICFの考え方で」
ということは、既にもう耳タコ状態だと思いますけど
現実には、ICIDHが顔をのぞかせる…しかも、そのことに気づいてない
って結構よくよくあります (^^;

たとえば
認知症のある方の生活障害やBPSDへの対応に関して
「不安や何らかの原因があるから探索して改善する」
という考え方が現在ケアの最前線で言われていることだと思います。
でも、この考え方って、ICIDHそのままでしょう?
抽象的な理解と具体的な方法論が乖離しているのに
なぜか流行しているとそのまま踏襲されてしまう…(^^;

原因と考えるから、一生懸命な人ほど辛くなるし
莫大な時間とエネルギーを費やした割に
効果は高くなかったりする…(^^;

人口に膾炙していることって
真実ではないけど、真実の一端が含まれているから
ということが多いように感じています。

私は
「原因」ではなくて「必然」と考えています。

「原因」を追求するのではなくて
現状そうなる「必然」がある。
その「必然」を理解した上で。というか、理解できると
(心情的に理解するという意味ではなくて
必然として起こっていることが根拠をもとにわかる。ということ)
どうしたらよいか方策が自然と浮かんでくる。
その方策は
目の前にいる人の不足や困難を修正したり改善したりするのではなくて
その人の能力を活かした方法論に他ならない。
まさしくICFの理念を具体的現実的に表現することになる。

自分も辛くならないし
(だって「修正」って
要するに、その人の今も過去も否定することになるんだもの。
そんなの対人援助職として、イヤじゃん。)
目の前にいる人にも行動変容があらわれる。

「必然」を理解できない時には
焦らない。判断を保留する。思考と感受を停止しない。かな。

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着地点 ≠ 困りごとの解消

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認知症のある方の生活障害やBPSDに対して
それらがゼロになることを
最初に着地点に設定して
さて、どうしようか?

とは、考えない方が効果的だと思っています。

繰り返しになるけれど
生活障害やBPSDは、確かに困り事ではあるけれど
障害だけでなく能力も反映されているから
結果として起こっていることに過ぎないのに
ゼロになることを着地点に設定するということは
能力を評価しないということをも意味してしまいます。

どうしたら良いのか、わからない
そんな時は、評価ができていない
今、何が起こっているのか、わかっていない時

だから
そんな時ほど
今何が認知症のある方に起こっているのか
焦らずに、評価することが大事

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(株)geneセミナー「認知症」@大阪

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geneさんが合同会社から株式会社に変わって
私が初めて行うセミナーが
1月24日(日)エルおおさかにて開催されました。

ご参加くださったみなさま
おつかれさまでした。
運営を担当してくださったHさん
お世話になりました。
どうもありがとうございました。

九州や四国から参加された方もいらっしゃったようですが
無事にお帰りになれたでしょうか?

当日はふだんSNSでお見かけする方とお話することもできて
とても嬉しかったです。

何人かの方から
2月7日のセミナーにも参加します。とお声かけいただきました。
お忙しい中、ご参加くださることに感謝します。
その分、みなさまの期待に答えられるようなお話ができるように
努力します。

まだまだ寒い日が続きそうですが
こちらでは、梅の花が咲きそろっています。
季節の移り変わりを感じます。
もうすぐ春なんですね。

季節の変わり目
年度の変わり目
みなさま、どうぞくれぐれもご自愛ください。

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